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106.闘技祭は血雨の予感
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抜けるような蒼天の下、総督府ルゴートの南にある闘技場は歓声に包まれていた。
ロワさんの膝の上に抱かれた私は、準決勝で勝利した顔見知りの青年に手を振った。動きに合わせて空色のふんわりとした長い袖が風に揺れる。途端にドァッと湧き上がる大歓声にギョッとした。青年は恭しく膝をつくと、最上位の礼で応えた。
「……レン、おまえはやはり……ラスのような……」
地の底から響くような怨めしさ全開の声の主は、愛する旦那様のロワさんだ。第一騎士団の騎士であるラスさんに手を振ったのがいけなかったのだろうか。毎日、お互いの愛を確かめているというのに、時々ロワさんはこうして嫉妬を見せる。
「ロ、ロワさん?」
「ラスのような、無髭がいいのか……」
どこか頓珍漢な返答が返ってきたが、どうやら恐れていた内容ではなさそうだ。前線から帰城してからというもの、ロワさんは髭を生やし始めた。前のような豊かなモフモフではなく、短く清潔に整えている。彫りの深いロワさんが髭を生やすと、大人の魅力をこれでもか!というくらい爆発させており、毎日顔を合わせて見慣れている私でさえ、クラリとやられそうになるほどの漢ぶりだ。
ここだけの話、ロワさんが髭を生やし始めた理由は、ユミールにある。息子に父としての威厳を示したいのだそうだ。理由を知った私は、可愛すぎる理由にしばらく私室で悶えることになった。
そんなことを思い出しながら、仏頂面のロワさんの顎に指を這わせる。
「ラスさんは知り合いだから手を振ったのです。それに、ロワさんのこのお髭……大好きだと伝え忘れていましたか?お顔は少し怖くなりますが、男らしくて素敵ですよ――」
「ぐぅぅおぉ、おまえは、おまえは何という!」
感極まったロワさんに優しく頬擦りされた私は、諦めの面持ちでそのゾリゾリとした感触に身を委ねた。貴賓席で総督に頬擦りされる夫人の図は、意外と肯定的に捉えられたらしい。歓声に混じって「ライナ様がぁぁぁ!」という雄叫びや「総督様素敵ぃぃ!」という黄色い声が聞こえた気がしたが、幻聴だろう。
さて話は戻るが、この総督府ルゴートでは四年に一度の収穫祭兼、闘技祭が催されている。本来なら去年開催されているはずだったが、戦前のため延期されていたのだ。昔は毎年行われていたが、帝都に吸収されてより、数年に一度の開催となったようだ。混血による血の薄まりも原因の一つではあるようだが。
私達のいるここは闘技場と言っても、コロッセオとは違い、すり鉢状に削られた周りを巨石でできた階段がぐるっと取り囲んでいる作りだ。雨水の排水設備はあるらしいが、大雨が降ると池が一つ出来上がる。
この建造物は城よりも古く、この地にやってきたノーグマタの祖先が住居や霊廟より、最も最初に作ったものだという。一万人が同時に観戦できるこの闘技場こそ、ノーグマタを戦士たらしめる真髄といえる。
ルゴート自体も溢れるような熱気に包まれて、人々は我先にと出場者の絵姿を買い求めた。この秋祭りにおける闘技祭に出場できる者は、数ヶ月をかけて予選から勝ち抜いてきた猛者ばかりだ。
今日試合の行われる十名は殆どが騎士団に所属している。中でもラスさんの人気は高いらしく、観客席から黄色い声が常に飛んでいた。決勝は勝ち残ったラスさんと、四連覇中の王者であるセゲロフという林業に従事する男性とで争われる。林業で生計を立てている男性が、暴力を職業とする騎士に勝てるのかと心配したが、その姿を見て納得した。
セゲロフさんは、ロワさんほどではないが高身長(二四◯センチ)で、上腕が恐ろしいほど発達していた。よくよく話を聞くと、以前は傭兵業も兼業していたらしい。(やっぱり!)剛腕から繰り出される剣撃は私の目には見えず、分厚い盾を構えれば一つの城壁となり、堅固な護りとなった。彼の戦いぶりをみて、なるほど十七年間も王座を守り続けただけはあると納得する。
「ライナ様はどちらが勝つとお思いですか?」
私が、出場者の情報が書かれた絵姿を眺めていると、斜め後ろから穏やかなスワノフさんの声が聞こえた。ロワさんが第一騎士団団長のババラバさんと話しているのをいいことに、今まで疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「私はこういったことに疎くてよく分かりません。えっと、ずっと疑問だったのですが……スワノフさんやロワさんはとてもお強いのに、何故参加しないのですか?」
首を伸ばしてコソコソとスワノフさんに聞くと、彼はクスリと笑った。
「私の強さは紋による紛い物だと思われていますからね。この場で勝ち進んでも誰も得をしませんよ。総督様に至っては、すでに人知を超えておりますから……もし総督様がお出ましになると聞いたら、セゲロフ以外は脱兎の如く逃げ出しますよ」
「セゲロフさんは、ロワさんが恐ろしくないのですか?もしかして彼も古の狂戦士なのですか?」
「いえいえ、セゲロフはただのノーグマタです。その強さは折り紙付きですが。彼は優勝の褒賞として、総督様に一試合申し込むことを生きがいにしているのです」
そんなに闘いたいというのであれば、総督様の鍛錬の相手を私と代わって欲しいくらいですよ……というスワノフさんの愚痴は聞こえないフリをした。どうやら優勝すると、総督に何か一つ願い出ることができるらしい。しかしいくら過去を振り返っても、優勝者の誰もが総督や英雄との試合を望むばかりで、宝飾の類を求めた者はいない。誰が一番強いのか、それが何よりも大切なのだ。
揃いも揃って、筋肉馬鹿というか……脳筋というか……
まぁ、そこがノーグマタの人々の愛すべき点ではあるのだが。巨人達の微笑ましい(?)様子に思わず笑いをこぼすと、私の頬を大きな指でゆっくり撫でられた。
「楽しそうだな」
小動物を可愛がるようなロワさんに、思わず猫のように喉を鳴らしそうになる。
「ええ、皆さんとてもお強くて、頼もしい限りですね。それにしても、ユミールは起きませんね。お昼を食べ過ぎたのかしら」
ユミールは、アズルさんの横に置いてある揺り籠の中で、大の字になっている。戦士達の戦いなど大好きなはずなのに、準々決勝あたりから船を漕ぎ始め、ラスさんの試合ですっかり眠ってしまったのだ。一応公の場なので、後継として起きていて欲しかったが、一度眠ったユミールは決して起きなかった。多分お腹が空くまで寝ているに違いない。
「ユミールには退屈な試合だったのだろう。夕食までに起きればよい」
寛容な父上のお陰で、ユミールは午睡を満喫するのであった。
「さて、始まりますよ」
スワノフさんの声に試合場を見ると、ちょうどラスさんと、セゲロフさんが入場してきたところだ。セゲロフさんはいつものように、両手持ちの長剣(これを片手でふりまわす!)と重厚な盾で固める一方、ラスさんはほっそりとした鋭い片手剣と円盾といった軽装だ。セゲロフさんの長剣の一撃をとても防ぎ切れるものではない。出来るだけ軽装にして、スピードで上回るつもりなのだろうか、しかし、セゲロフさんのこれまでの戦いぶりを見ると、長剣や盾が動きを制限しているようには見えない。
二人は一度、中央で剣を触れ合わせた後、貴賓席にいる私達に向かって頭を下げた。
「大丈夫でしょうか、ラスさん」
思わずポツリと呟くと、ロワさんは興味なさそうに「問題ない」と言った。
怪我しないといいのだけど
そう心配していると、ドゴォォォンと開始の銅鑼が鳴らされた。そして激突する鋼、小さな裂傷から飛び散る血潮。数合打ちあったと思ったら、なんと、膝をついたのはセゲロフさんだった。私にはほんの数秒の出来事で、何が起きたかさっぱりだが、大歓声が試合の終わりを告げていた。
なかなか立ち上がれないセゲロフさんに肩を貸して立ち上がらせると、ラスさんはこちらにペコっと頭を下げて剣を振りかざした。途端に地を揺るがす大声援がラスさんを包む。若干二十五歳の青年が四連覇の覇者を倒したのだ。会場の熱気は恐ろしいほどに高まり、若い王者を祝福した。
ロワさんは、私を抱き抱えながら貴賓席にズンっと立つと、右手を挙げた。途端に闘技場は水を打ったように静まり返る。
「ラス、見事な闘いだった。褒賞を与える、なんなりと申すがよい」
ロワさんの張りのある低い声が、殷々と闘技場に響く。控えに戻っていくセゲロフさんを見送ったラスさんは、頭をかきながらこう言った。
「ライナ様の祝福が欲しいです」
へっ?
ええっ!
今なんて!?
「うまくやりましたね」
スワノフさんの冷やかな声で我に帰った。えっと、私がラスさんに祝福を与えるって?毎回優勝者は、総督か英雄に試合を申し込むのでは無かったっけ?私が大混乱に陥っていると、地獄の底から響くような声が聞こえてきた。
「ほう、我が妻の祝福が欲しいとな……いいだろう、その願い叶えよう」
腕に抱かれた私は、ロワさんが必死に自制しているのをありありと感じた。ロワさんは多少腕を怒りでプルプルさせながらも、私を抱えて試合場に飛び降りる。急な落下に私は悲鳴も上げることができず、硬直するしかない。ロワさんはそんな私の耳元に唇を寄せると「奴の頭にでも手を置くふりをして、祝福するとでも言えばよい。触れる必要はない」と言った。
祝福の仕方なんてわからない。しかし、命を削って闘い抜いた勝利者にそんな紛い物のような真似はしたくない。そっと地面に下された私は、直接髪に触れて祝福しようと決めて、手を伸ばす。
すると、
「おお、我が聖女、総督閣下とあなたに生涯の忠誠を!祝福感謝いたします」
と言って、ラスさんは私の手を両手でワシッと握りしめ、手の甲に熱いキスを降らせた。
ビキリと空間が凍って歪んだ。
あんなに秋晴れだったはずが、あっという間に黒雲が空を覆っていく。地鳴りに似た振動はだんだん強さを増して、ドガァと試合場に深い切れ込みを作った。それらを引き起こしている張本人であるロワさんを見上げると、その瞳から光が消えていた。
「ユズルバ、レンを」
ロワさんの言葉が終わらないうちに、ユズルバさんに抱えられて貴賓席に戻っていた。今までにないロワさんの立腹ぶりに、冷や汗が流れる。
これは、下手したらラスさんの身が……
「ロワさん!」
貴賓席の手すりに掴まって下を見下ろすと、すでに向かい合っているロワさんとラスさんの姿があった。
「ラス、お前とは以前からゆっくり話をしなければならないと考えていたのだ。今日はめでたき日、レンの祝福に追加して、私との試合も叶えよう」
ゴゴゴゴと大地を鳴動させながら仁王立ちするロワさんに対して、セゲロフさんが置いて行った盾を両手で構えたラスさんは「望んでませんー」と涙目だ。
急な展開だが、驚くことに観客は大いに盛り上がった。中には「御手を握りやがって!殺してくだされや!」や「総督も倒してみろ!」など物騒な声も飛んでいる。
困ったことになったなと弱っていると、いつの間に起きたのか、背後から「とぉーたま、ちゅよい、とぉーたま、(がん)ばって」という可愛い声援が聞こえてきた。その声が聞こえたのか、ロワさんがこちらを振り向くと、「任せておけ」と頷いた。
もう何も言っても治まらなそうな気配に、私はロワさんに「ほどほどに!」と伝えると、サノスさんを呼ぶよう指示をした。
ロワさんの膝の上に抱かれた私は、準決勝で勝利した顔見知りの青年に手を振った。動きに合わせて空色のふんわりとした長い袖が風に揺れる。途端にドァッと湧き上がる大歓声にギョッとした。青年は恭しく膝をつくと、最上位の礼で応えた。
「……レン、おまえはやはり……ラスのような……」
地の底から響くような怨めしさ全開の声の主は、愛する旦那様のロワさんだ。第一騎士団の騎士であるラスさんに手を振ったのがいけなかったのだろうか。毎日、お互いの愛を確かめているというのに、時々ロワさんはこうして嫉妬を見せる。
「ロ、ロワさん?」
「ラスのような、無髭がいいのか……」
どこか頓珍漢な返答が返ってきたが、どうやら恐れていた内容ではなさそうだ。前線から帰城してからというもの、ロワさんは髭を生やし始めた。前のような豊かなモフモフではなく、短く清潔に整えている。彫りの深いロワさんが髭を生やすと、大人の魅力をこれでもか!というくらい爆発させており、毎日顔を合わせて見慣れている私でさえ、クラリとやられそうになるほどの漢ぶりだ。
ここだけの話、ロワさんが髭を生やし始めた理由は、ユミールにある。息子に父としての威厳を示したいのだそうだ。理由を知った私は、可愛すぎる理由にしばらく私室で悶えることになった。
そんなことを思い出しながら、仏頂面のロワさんの顎に指を這わせる。
「ラスさんは知り合いだから手を振ったのです。それに、ロワさんのこのお髭……大好きだと伝え忘れていましたか?お顔は少し怖くなりますが、男らしくて素敵ですよ――」
「ぐぅぅおぉ、おまえは、おまえは何という!」
感極まったロワさんに優しく頬擦りされた私は、諦めの面持ちでそのゾリゾリとした感触に身を委ねた。貴賓席で総督に頬擦りされる夫人の図は、意外と肯定的に捉えられたらしい。歓声に混じって「ライナ様がぁぁぁ!」という雄叫びや「総督様素敵ぃぃ!」という黄色い声が聞こえた気がしたが、幻聴だろう。
さて話は戻るが、この総督府ルゴートでは四年に一度の収穫祭兼、闘技祭が催されている。本来なら去年開催されているはずだったが、戦前のため延期されていたのだ。昔は毎年行われていたが、帝都に吸収されてより、数年に一度の開催となったようだ。混血による血の薄まりも原因の一つではあるようだが。
私達のいるここは闘技場と言っても、コロッセオとは違い、すり鉢状に削られた周りを巨石でできた階段がぐるっと取り囲んでいる作りだ。雨水の排水設備はあるらしいが、大雨が降ると池が一つ出来上がる。
この建造物は城よりも古く、この地にやってきたノーグマタの祖先が住居や霊廟より、最も最初に作ったものだという。一万人が同時に観戦できるこの闘技場こそ、ノーグマタを戦士たらしめる真髄といえる。
ルゴート自体も溢れるような熱気に包まれて、人々は我先にと出場者の絵姿を買い求めた。この秋祭りにおける闘技祭に出場できる者は、数ヶ月をかけて予選から勝ち抜いてきた猛者ばかりだ。
今日試合の行われる十名は殆どが騎士団に所属している。中でもラスさんの人気は高いらしく、観客席から黄色い声が常に飛んでいた。決勝は勝ち残ったラスさんと、四連覇中の王者であるセゲロフという林業に従事する男性とで争われる。林業で生計を立てている男性が、暴力を職業とする騎士に勝てるのかと心配したが、その姿を見て納得した。
セゲロフさんは、ロワさんほどではないが高身長(二四◯センチ)で、上腕が恐ろしいほど発達していた。よくよく話を聞くと、以前は傭兵業も兼業していたらしい。(やっぱり!)剛腕から繰り出される剣撃は私の目には見えず、分厚い盾を構えれば一つの城壁となり、堅固な護りとなった。彼の戦いぶりをみて、なるほど十七年間も王座を守り続けただけはあると納得する。
「ライナ様はどちらが勝つとお思いですか?」
私が、出場者の情報が書かれた絵姿を眺めていると、斜め後ろから穏やかなスワノフさんの声が聞こえた。ロワさんが第一騎士団団長のババラバさんと話しているのをいいことに、今まで疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「私はこういったことに疎くてよく分かりません。えっと、ずっと疑問だったのですが……スワノフさんやロワさんはとてもお強いのに、何故参加しないのですか?」
首を伸ばしてコソコソとスワノフさんに聞くと、彼はクスリと笑った。
「私の強さは紋による紛い物だと思われていますからね。この場で勝ち進んでも誰も得をしませんよ。総督様に至っては、すでに人知を超えておりますから……もし総督様がお出ましになると聞いたら、セゲロフ以外は脱兎の如く逃げ出しますよ」
「セゲロフさんは、ロワさんが恐ろしくないのですか?もしかして彼も古の狂戦士なのですか?」
「いえいえ、セゲロフはただのノーグマタです。その強さは折り紙付きですが。彼は優勝の褒賞として、総督様に一試合申し込むことを生きがいにしているのです」
そんなに闘いたいというのであれば、総督様の鍛錬の相手を私と代わって欲しいくらいですよ……というスワノフさんの愚痴は聞こえないフリをした。どうやら優勝すると、総督に何か一つ願い出ることができるらしい。しかしいくら過去を振り返っても、優勝者の誰もが総督や英雄との試合を望むばかりで、宝飾の類を求めた者はいない。誰が一番強いのか、それが何よりも大切なのだ。
揃いも揃って、筋肉馬鹿というか……脳筋というか……
まぁ、そこがノーグマタの人々の愛すべき点ではあるのだが。巨人達の微笑ましい(?)様子に思わず笑いをこぼすと、私の頬を大きな指でゆっくり撫でられた。
「楽しそうだな」
小動物を可愛がるようなロワさんに、思わず猫のように喉を鳴らしそうになる。
「ええ、皆さんとてもお強くて、頼もしい限りですね。それにしても、ユミールは起きませんね。お昼を食べ過ぎたのかしら」
ユミールは、アズルさんの横に置いてある揺り籠の中で、大の字になっている。戦士達の戦いなど大好きなはずなのに、準々決勝あたりから船を漕ぎ始め、ラスさんの試合ですっかり眠ってしまったのだ。一応公の場なので、後継として起きていて欲しかったが、一度眠ったユミールは決して起きなかった。多分お腹が空くまで寝ているに違いない。
「ユミールには退屈な試合だったのだろう。夕食までに起きればよい」
寛容な父上のお陰で、ユミールは午睡を満喫するのであった。
「さて、始まりますよ」
スワノフさんの声に試合場を見ると、ちょうどラスさんと、セゲロフさんが入場してきたところだ。セゲロフさんはいつものように、両手持ちの長剣(これを片手でふりまわす!)と重厚な盾で固める一方、ラスさんはほっそりとした鋭い片手剣と円盾といった軽装だ。セゲロフさんの長剣の一撃をとても防ぎ切れるものではない。出来るだけ軽装にして、スピードで上回るつもりなのだろうか、しかし、セゲロフさんのこれまでの戦いぶりを見ると、長剣や盾が動きを制限しているようには見えない。
二人は一度、中央で剣を触れ合わせた後、貴賓席にいる私達に向かって頭を下げた。
「大丈夫でしょうか、ラスさん」
思わずポツリと呟くと、ロワさんは興味なさそうに「問題ない」と言った。
怪我しないといいのだけど
そう心配していると、ドゴォォォンと開始の銅鑼が鳴らされた。そして激突する鋼、小さな裂傷から飛び散る血潮。数合打ちあったと思ったら、なんと、膝をついたのはセゲロフさんだった。私にはほんの数秒の出来事で、何が起きたかさっぱりだが、大歓声が試合の終わりを告げていた。
なかなか立ち上がれないセゲロフさんに肩を貸して立ち上がらせると、ラスさんはこちらにペコっと頭を下げて剣を振りかざした。途端に地を揺るがす大声援がラスさんを包む。若干二十五歳の青年が四連覇の覇者を倒したのだ。会場の熱気は恐ろしいほどに高まり、若い王者を祝福した。
ロワさんは、私を抱き抱えながら貴賓席にズンっと立つと、右手を挙げた。途端に闘技場は水を打ったように静まり返る。
「ラス、見事な闘いだった。褒賞を与える、なんなりと申すがよい」
ロワさんの張りのある低い声が、殷々と闘技場に響く。控えに戻っていくセゲロフさんを見送ったラスさんは、頭をかきながらこう言った。
「ライナ様の祝福が欲しいです」
へっ?
ええっ!
今なんて!?
「うまくやりましたね」
スワノフさんの冷やかな声で我に帰った。えっと、私がラスさんに祝福を与えるって?毎回優勝者は、総督か英雄に試合を申し込むのでは無かったっけ?私が大混乱に陥っていると、地獄の底から響くような声が聞こえてきた。
「ほう、我が妻の祝福が欲しいとな……いいだろう、その願い叶えよう」
腕に抱かれた私は、ロワさんが必死に自制しているのをありありと感じた。ロワさんは多少腕を怒りでプルプルさせながらも、私を抱えて試合場に飛び降りる。急な落下に私は悲鳴も上げることができず、硬直するしかない。ロワさんはそんな私の耳元に唇を寄せると「奴の頭にでも手を置くふりをして、祝福するとでも言えばよい。触れる必要はない」と言った。
祝福の仕方なんてわからない。しかし、命を削って闘い抜いた勝利者にそんな紛い物のような真似はしたくない。そっと地面に下された私は、直接髪に触れて祝福しようと決めて、手を伸ばす。
すると、
「おお、我が聖女、総督閣下とあなたに生涯の忠誠を!祝福感謝いたします」
と言って、ラスさんは私の手を両手でワシッと握りしめ、手の甲に熱いキスを降らせた。
ビキリと空間が凍って歪んだ。
あんなに秋晴れだったはずが、あっという間に黒雲が空を覆っていく。地鳴りに似た振動はだんだん強さを増して、ドガァと試合場に深い切れ込みを作った。それらを引き起こしている張本人であるロワさんを見上げると、その瞳から光が消えていた。
「ユズルバ、レンを」
ロワさんの言葉が終わらないうちに、ユズルバさんに抱えられて貴賓席に戻っていた。今までにないロワさんの立腹ぶりに、冷や汗が流れる。
これは、下手したらラスさんの身が……
「ロワさん!」
貴賓席の手すりに掴まって下を見下ろすと、すでに向かい合っているロワさんとラスさんの姿があった。
「ラス、お前とは以前からゆっくり話をしなければならないと考えていたのだ。今日はめでたき日、レンの祝福に追加して、私との試合も叶えよう」
ゴゴゴゴと大地を鳴動させながら仁王立ちするロワさんに対して、セゲロフさんが置いて行った盾を両手で構えたラスさんは「望んでませんー」と涙目だ。
急な展開だが、驚くことに観客は大いに盛り上がった。中には「御手を握りやがって!殺してくだされや!」や「総督も倒してみろ!」など物騒な声も飛んでいる。
困ったことになったなと弱っていると、いつの間に起きたのか、背後から「とぉーたま、ちゅよい、とぉーたま、(がん)ばって」という可愛い声援が聞こえてきた。その声が聞こえたのか、ロワさんがこちらを振り向くと、「任せておけ」と頷いた。
もう何も言っても治まらなそうな気配に、私はロワさんに「ほどほどに!」と伝えると、サノスさんを呼ぶよう指示をした。
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