遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣

橋本 直

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第十一章 『特殊な部隊』の『特殊部隊』的性格

第29話 『駄目人間』隊長の贈り物と黒い銃口

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「眠い……」

 その日、誠は自分の機動部隊詰め所の机に座っていた。

 絶え間なく続くランの拷問に近いランニングの強要だが、今日はなぜかそれが無かったのは誠の隊長を気遣ってのランなりの指導方針なのだろうと誠は思っていた。

 こうして、管理部から『新人教育用に』と渡された整備班の備品発注明細を既定の書式に書き換える作業と言う単純作業を続けていると、誠の思考は必然的に目の前の画面の数字からシュツルム・パンツァーパイロットとしての任務へと思考はずれていった。

 いずれやって来る、自分の専用の機体の『05まるご式』。これまで来た5人のパイロットではなく自分だけがその性能を生かすことができると聞かされているそのバリエーションの一つの特別チューンの『乙型』という響きの機体に胸を躍らせながらも、しごきで疲れた体がもたらす眠気に耐えながら大きくあくびをした。

 まだ実戦どころか、実機での訓練さえ経験していないピカピカの誠の機体が思い浮かぶ。

 運ばれてくるときは、おそらく東和宇宙軍のオリーブドラブの一般色のままだろう。

「いつかは僕も……」

 誠の正面には二人の女性パイロットの席があった。小隊長のカウラは端末の画面を見つめてひたすらキーボードを操作しており、一方のかなめはサイボーグらしく首にジャックを刺してそこから延びるコードで端末の操作をしながら暇つぶしのようにホルスターから銃を出しては仕舞う動作を退屈そうな表情を浮かべて続けていた。

 一人、グラウンドで誠がランニングをしている間は二人はこうして午後の合同トレーニングまでの時間を潰していたのだろう。誠の意識は目の前の表に数値を入力する作業よりも二人の明らかにやる気の無さそうな態度に行っていた。

 そんな二人に視線を投げていた誠の視線が偶然銃をホルスターから抜いたばかりのかなめとぶつかった。そこには残酷そうな笑みを浮かべるかなめのたれ目がある。

「おい、神前。仕事中にあくびか。良い身分だな。……まったくだらしのない奴だぜ。あと二時間で昼飯だ。当然、オメエが注文係だかんな。新入りだし階級もオメエが一番下。当然のことだな」

 常に夏服のライトブルーの制服の上の皮のホルスターをぶら下げる女、西園寺かなめが残酷にそう言った。

 心配そうな顔を誠に向けていたカウラがかなめをにらんだ。

「……私は親子丼だ。あそこは元々親子丼の店として始めた店だ。看板メニューを頼むのは客として当然のマナーだ」

 カウラはそう言って画面に視線を移した。つられて誠がカウラの見つめている画面を見るとそこには課金パチンコゲームの画面が映し出されている。つまり、カウラは仕事をするふりをして勤務時間中ずっとパチンコをしていただけということである。誠はこれはアメリアの言う通り救いようのない『依存症』なんだと確信した。

「へいへい、小隊長殿はいろいろご存じですねえ。でも、アタシにはそんなの関係ねえんだ。アタシは天丼。野菜抜きで。あそこは黙って注文するとアタシの嫌いな野菜を入れて来るんだ。野菜が体に良い?そんなビタミンなんてサプリで摂れば良いじゃねえか。地球の金持ち連中はみんなそうしてるって聞くぞ。アタシは野菜は嫌いなんだ。だのに連中は気が利かねえからちゃんと指定しないと勝手に入れて来るんだ……神前!備考に『野菜抜き』ってしっかり書けよ!」

 そう言うとかなめは目の前で何か言いたそうなカウラの口から自分に都合の悪い言葉が出ることを予想しているように不満げに机の上に足を乗っけた。

 誠が見回す視線の先では、まず、ランが巨大な『機動部隊長』の机で難しそうな顔をして将棋盤を見つめているのが見えた。こちらが一日中将棋盤で詰将棋以外のことはしていないのは勤務初日から知っている事である。そもそもこの部屋の女子に仕事をするという考えがまるでないことだけは誠は最後まで仕事をしているものだと思っていたカウラがパチンコゲームをしていたという事実を知って理解できた。

 せめて自分くらいは仕事らしい仕事をしよう……そういう思いが誠を奮い立たせて、痛む首筋をさすりながら椅子から起き上がらせた。

 室内の空気は午前中のやるせなさが残り、薄い汗が額を流れる。壁に掛かったホワイトボードには当直表や整備予定が落書きのようにびっしりと書かれており、この『特殊な部隊』の本来の設立目的である戦闘とは別の『日常』がこの部屋の大半を占めていることを誠は無意識に受け止めていた。ランの将棋の駒の音だけが、だまされたような静けさを作る。

「注文は早くした方が良い、あそこは人気店だ……時間が遅れればそれだけ到着が遅くなる。今の時間ならまだ昼には間に合うな。急いだほうがいいぞ。西園寺に射殺される初の隊員になりたくなければな」

 小隊長らしく気を使ったカウラがランに注文を訪ねるために立ち上がろうとして長いこと成れない事務仕事をしていたためにバランスを崩してよろける誠を支える。

「おー、神前がこっちに来なくてもオメー等の話は聞いてんぞ!例の店だろ?あそこならアタシは『特うな丼特大』だ。あそこのうな丼はアタシとしては合格点だが何せ量が少ねーんだ。だから特大で」

 ランはいつものように将棋盤を目の前に手にした角を持って盤上に目を走らせながらそう言った。

 誠がカウラ、かなめ、ランの注文した丼物の値段に驚愕の表情を浮かべていると急にかなめは気分を変えようとでもいうように机に脚を持ち上げて手で顔を扇いだ。

「それにしても暑いなあー……こういう時、『愛ある後輩』なら何かしようって思うんじゃないのかなあ……」

 あからさまな不機嫌なかなめの誠への嫌がらせのような声に誠はうんざりしたような顔で机に脚を投げて銃のスライドを引いては戻す動作を続けているかなめをにらみつけた。

「西園寺!そんなことを言う物じゃない!神前もきっと本心では『先輩の力になりたい』と思っているはずだ!新人なら当然の心遣いだ!なぜそれが分からない!貴様の気の利かなさは絶望に値するぞ!」

 誠の本心とは別方向で誠のフォローをするカウラは誠が『奴隷根性』に目覚めたと決めつけて話をしている。

 誠はもうこの三人の女の誰もあてにしないことに決めて大きなため息をついた。

「良いんですよ、カウラさん。暑いんですね、皆さん。下の給湯室に行ってアイス取って来ます」

 そう言うとカウラの心配そうな顔をこれ以上曇らせまいと、誠は立ち上がった。

 タブレットの画面に映る注文確定の表示をするとそれをポケットに入れて、誠は詰め所の空気の温度を確かめるように扉を押し開ける。廊下に流れる冷気は期待よりも弱く、むせるように暑い。アイスの冷たさが、たったひとときでもここにある凶暴に過ぎる女達の緊張を解すのではないか……そう思っていた……ところにかなめの声が背中に突き刺さって来た。

「カウラ、そりゃ無理だ。どこかのチビが昨日全部食っちゃったからなー。給湯室の冷凍庫にはアイスはおろか氷一つ残ってねえだろうな。今朝、パーラがアメリアに頼まれたから今日は運航部の女子全員でかき氷大会をやるとか言ってたから、今頃はパーラとサラが一生懸命かき氷機のハンドルを回してそれを見ながら悠然と部長特権でアメリアが変な味のかき氷を食べている頃だ」

 かなめがあまりに残酷な一言を吐いた。

 誠は力なく扉を閉じると奥で涼しい顔で将棋盤を見つめるランに恨みがましい視線を向けた。同時にカウラも『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐をいつもの無表情な顔で見つめる。

「オメ等ーのモノはアタシのモノ。アタシのモノはアタシのモノ。アタシは機動部隊長、オメー等はその隊員。その上下の関係はちゃんとわきまえとけ!」

 ランはそう言うと将棋盤前に手にした角を打ち込んで又首をひねっている。

 かわいらしい『永遠の八歳女児』は完全に『機動部隊の主』として余裕の貫録を見せていた。

 誠は理解した。ここで自分がこの『特殊な部隊』では『人権の無い使用人』であることを。

「分かりました!工場の生協までバイクで行ってアイスを買ってくればいいんですね!」

 仕方なく誠はそう言って再び詰め所の扉を開いて三人の女子がどんなアイスを要求しているのかを聞くことにした。

 彼は自分がなぜこんなに『雑用』を任されるのかを考えながら、ふと自分の母の顔を思い出す。道場の古い床の匂いや母の呼ぶ声が、遠い幻想のように胸を暖める。だがここで求められるのは、強さより小さな働きだ。アイスひとつで、先輩たちの機嫌が直るなら安いものだ、と誠は自分に言い聞かせる。

「よく分かってるじゃねえか、昼飯の注文は済ませたか?間違ってたら射殺するからな!」

 廊下に出た誠にかなめはそう止めのような一言を投げてくる。そんなかなめにムキになりながら、誠は手にはタブレットを持って先ほどのサイトの注文履歴を再確認しようとした。先ほどはただ三人の先輩女子パイロットの手前、手の動くままに入力した画面を誠はまじまじと凝視する。

 菱川重工豊川工場近くの『役員向けどんぶりもの専門店』のサイトの値段の欄、そこに表示された数字を見て誠は目を見張らせる。

『給料が良いんだな……上級士官ともなると』

 恐らく今日も誠が食べることになるだろう整備班の男子隊員御用達の仕出し弁当の10倍の値段がそこには表示されていた。まだ士官候補生の誠は苦笑いを浮かべながら、苦笑いを浮かべて画面を眺めた。

 特にランの『特級松』の値段を見て誠は『偉い人』とは自分の生きている世界が違うことを理解した。

「あそこの生協は……あんまりいーのがねーんだよな。じゃあアタシはモナカ。小豆じゃなくてチョコだぞ」

『偉大なる中佐殿』こと、クバルカ・ラン中佐は顔を上げて、そう言った。

 誠はランの言葉を聞きながら再びサイトの写真に目をやった。だが誠は目の前の現実と比較し、格差を意識する。ランの『特級松』は確かに格式があって、軍の世界にも食の格差があるのだと感じる。

「西園寺さんは何にしますか?」

 その日常的にこのようなものを食べる生活は自分には手の届かないものだと誠は半分やけになって、かなめにきつい調子でそうたずねた。

「イチゴ味の奴。それなら何でもいい!そんぐらい気を使え!一々教えねえとそのくらいのことも察しられねえのか?使えねえな!」

 かなめは天井を見上げて、めんどくさそうにそう言った。誠はかなめの滅茶苦茶な発言に自分は超能力者じゃないんだと言いたいのを必死に我慢した。

 詰め所の扉の前で立つ誠に歩み寄ってきたカウラは、彼女の財布から五千東和円を取り出して誠に渡した。

「じゃあ私はメロン味のにしてくれ。あそこは生協の組合員である工場の職員以外は現金払いだからな。金はこれで間に合うはずだ」

 誠はカウラから札を受取ると静かにうつむいた。

「はい!それじゃあ行ってきます!」

 苦笑いを浮かべるカウラに見送られて、誠はそのまま詰め所を後にした。

 階段のコンクリートの冷たさ、廊下の埃っぽい匂い。誠は手にした札の重みを確かめながら、心のどこかで『自分がここにいる理由』を反芻する。体の疲労が思考を鈍らせる中、街へ出ればほんの少し別の風景が待っているはずだと信じて。

 詰め所を後にした誠は、そのまま廊下を歩いていた。

 中途半端な空調の生ぬるい気配にやられながら歩いていた誠が途中の喫煙所と書かれた場所のソファーで『駄目人間』嵯峨がのんびりとタバコをくゆらせているのをみつけた。

「おう、神前。意外と元気だね。昨日、ランにあんだけ走らされた割には平気で動けるなんて……タフだねえ、普通だったらあんなに走らされたら筋肉痛で動けないもんだよ。その様子はどこかにお出かけ……お使いか何かかい?」

 いつもの間の抜けた調子で嵯峨がそう尋ねる。

 あいも変わらず緊張感の感じさせない言葉の響きだった。

「まあ一応新入りですから……ここではそう言うしきたりなんでしょ?まあ、こんなだからこれまでのパイロットも長続きしなかったんでしょうけど」

 急に話しかけられて少し苛立っているように誠は答えた。

 誠の運命をすべてぶち壊した責任などどこへやらと言うように嵯峨は涼しい顔でタバコをくゆらせている。

「そうカリカリしなさんな。あれでもアイツ等なりに気を使ってるとこもあるんだぜ。どうせお前さんのことだから、これからも買出しに行くことになるだろうから、その予行練習って所だ。それとこれ」

 そう言うと嵯峨は小さなイヤホンのようなものを取り出した。

 それはあまりに小型で、もし耳に入れれば周りからは判別不可能だろうというような大きさだった。

「何ですか?これは」

「最新式の補聴器……まるでつけてないみたいに見えるだろ?ご老人方に大人気だそうだ」

 口にタバコをくわえたまま嵯峨はそう言い切った。誠の表情はいかにも楽しそうな嵯峨の表情を見て怒りのそれに変わる。

「怒りますよ……隊長には僕が何歳に見えるんですか?僕の耳は正常です!」

 強い口調の誠に、嵯峨は情けないような顔をすると、吸い終ったタバコを灰皿に押し付けた。

「そう怒りなさんなって。正確に言えば、まあ一種のコミュニケーションツールだ。感応式で思ったことが自動的に送信されるようになっている。実際、地球圏の金持ちの国では歩兵部隊とかじゃあ結構使ってるとこもあるんだそうな。遼州圏では使っている国は無いな……まあこんなもの遼州人の俺には関係無いけど……その意味はいずれお前さんも分かるだろうがね」

 誠はそう言う嵯峨の言葉を聞きながら、渡された小さな機械を掌の上で転がしてみた。

 確かに補聴器に見えなくも無い。そう思いながら嵯峨の心遣いに少し安心をした。

「ああ、そうですか。ありがとうございます……でもなんでこれを?」

 誠はそういうと左耳にそのイヤホンの小型のようなものをつけた。特に邪魔になることもなく耳にすんなりとそれは収まる。

「別に意味なんて無いよ。俺は戦争に慣れてるから情報共有の重要性なんてものについて考えた結果これにたどり着いたわけ。でもまあ、今日はただのお使いだもんね。実際使えるかどうかのテストだと思って今日一日中付けてると良いことあるかも知れないよ。それにしてもなんだか疲れているみたいな顔してるけど……大丈夫か?何かあったら相談乗るよ。お前さんをうちに引き込もうと言い出したのは俺だもん。そのくらいの責任はあるわけだよな……何か不満があるなら言ってごらん?」

 嵯峨はとってつけたようにそう言った。

 そして静かにタバコに火をつける。

「いえ!大丈夫です!」

 いまさらそんなことを言うかと内心思いながらそう言って誠は一礼するとそのまま階段を駆け下りていった。

「はい行ってらっしゃい」

 嵯峨はそう言って軽く手を振りにやりと笑った。

「無事にお使いができるといいねえ……俺のばらまいたお前さんの『力』についてのあること無いことに食いついて、もう少し経つと神前の奴には『ひどい事』が起きる仕組みになってるんだが……好奇心の強い連中が、噂に釣られて動き出す頃合いでね……今回がそれじゃないと良いよね……まあ、そろそろどこかの馬鹿が食いつきそうな時間だから……本当に、気を付けてね……」

 その嵯峨の表情にはどこか底意地の悪さを感じさせる雰囲気が漂っていた。

 しかし、そのことを誠は見逃していた。

 誠は何も知らずに本部の出口においてある隊員共用の小型バイクにまたがり、工場の『生協』に向かった。

 生協までの道すがら、誠は小さな街角の表情を見た。自販機の前で缶コーヒーを片手に話す夜勤明けの工員、工場の舗装修繕工事の車両誘導を行うガードマンの無関心な視線。日常はいつも通りに回っていて、そこに紛れ込む自分の違和感を誠は噛みしめる。

 誠は理系人間らしい地理感覚を生かして島田に何度かビールのつまみを『舎弟の義務』と称して買いに行かされた『菱川重工豊川』の品ぞろえが豊富なスーパーマーケット『生協』に向かった。
 
 途中、何台もの車とすれ違ったが、菱川重工の『私有地』である路上でヘルメットをかぶっていない誠をとがめるものはいなかった。

 誠はそのまま圧延板を満載したトレーラーを追い抜いて、ちょっとしたスーパーくらいの大きさのある工場の生協にたどり着いた。

 『生協』は24時間操業の切れ目らしくラインの夜勤明けの従業員で、食料品売り場は比較的混雑していた。

 若い独身寮の住人と思われる作業服の一群が、寝ぼけた目をこすりながら遅い朝食の材料などを漁っている。

 それを避けるようにして誠は冷凍食品のコーナーに足を向けた。

 そしてその片隅に並んでいるアイスのケースの前で足を止めた。

「ベルガー大尉はメロン……ってとりあえずシャーベットがあるな、西園寺大尉はイチゴのカキ氷でいいかな?」

 誠は自分自身に言い聞かせるようにして独り言を口にしながらアイスを漁っていた。

 誠は嬉々としてアイスを選んでいる自分に違和感を感じながらも、そうする自分は新入りならば当然なのだと言い聞かせていた。

 ショーケースの冷気が顔に当たり、アイスのパッケージに描かれた派手なキャラクターが目に入る。

 アイスを漁りながら腰をかがめていた誠がいったん背筋を伸ばして目を正面のロックアイスに向けた時、後ろに気配がした。

 振り向く前に、硬く冷たい感触を背中に感じた。ついさっきまで、メロン味だのイチゴ味だのと言っていた自分の声が、別の世界の出来事のように遠く感じられた。

 その感触があまりにかなめがしょっちゅう誠に笑いながらやってくるそれと酷似していたのでその意味がすぐに理解できた誠の頭の中が白くぼやけた。

 それは銃を突き付けられた時のそれだった。しかもちゃんと銃が作動するように一度銃口を誠の筋肉質の背中に当ててそれが銃であることを知らせた後、動作不良を起こさないために銃口を少し話すところなどかなめが言うように銃の扱いになれた人物が銃を突き付けて脅す時のそれだった。

 誠の意識はギャグのご家庭ドラマから一気にシリアスな場面に放り込まれた気分だった。

「今俺が持っているものがなんだかわかっ要るみたいな顔だな?それならば声を出すな。仲間がすでに出入り口は抑えている。もし騒げば、それに気付いた仲間が俺の合図で無差別に発砲する手はずになっている。ここは血の海になるぞ。警察官が自分の安全のために市民を犠牲にするのは筋違いじゃないかな?」

 低い男の声が誠の耳元に届いた。

 誠は手にしていたアイスを静かに置くと、手を挙げて無抵抗の意思を示した。

 寝ぼけたライン工達は、営業マン風の背広を着た男のことを不審に思わないだろう。

 脅されている誠とその後ろの見かけない男の姿を見つけたところで、工場の従業員達はいつもの『特殊な部隊』の隊員の『馬鹿騒ぎ』だと思って、気にもかけないだろう。

 誠は自分の置かれた切羽詰まった状況に弱気のあまりに声も出せずに黙り込んでいた。

 もう一人の懐に手を入れた背広の男が誠についてくるようにうながす。誠は黙ったまま静かに彼の後ろに着いて行った。

 生協の正面には、こんな工場の中には似つかわしくない黒塗りの高級車が止まっていた。

 誠はその中に、突き飛ばされるようにして放り込まれた。

 すでに運転席にはサングラスの若い男が待機していた。

 三人が乗り込むと目的を果たしたことを誇るように車は急発進した。

 挟み込むようにして座っていた銃を突きつけている男は、素早く布でできたシートを誠に頭からかぶせた。

 相変わらず硬い拳銃の銃口の感触を覚えながら、銃を向けられる恐怖におびえつつ、誠はじっと息を潜めていた。

 布越しに感じる空調の冷気、シートの革の滑り、車内に反射するライトの軋み。ほんの数分前までアイスを選んでかなめ達を喜ばすという手にしていた小さな幸福が、今や遠い記憶のようにかすんでいく。

 誠の耳には、補聴器を通した外界の微かな音だけが断片的に届く。

 左耳の嵯峨に渡された『補聴器』に彼らが気づいていないことだけが、誠の唯一の心の支えだった。

「あんちゃんよう。別に俺等はあんたに恨みがあるわけでもなんでもないんだ。クライアントからあんたを連れて来いって言われてね。俺達とあんちゃんの関係はその間だけの関係だ。短い間になるがよろしくな。その先にあんちゃんがどうなるかは知らねえが、まあ俺等のことは恨まないでくれよ。それが俺達の仕事だからそれをした。ただそれだけの話なんだから。あんちゃんがこのまま大人しくして騒がずにクライアントに届けることが出来れば、ウチの組織の仕事はおしまいと言うわけだ。これも何かの縁だ、その短い間は仲良くしようじゃないか」

 視界をふさがれている誠の隣で背広を着ていた男が穏やかな調子でそう話した。

 誠から見ても慣れた段取りは彼等が『東都戦争』と呼ばれた暴力団同士の抗争劇を生き抜いてきた猛者達であることを証明していた。

 今誠が危機にある事……その事実にもしこの『補聴器』に仕込まれたGPSなどの機能があればそこから次に誠が何をするべきかを語ってくれる。

 それだけを信じて誠は身動きもせずにシートに体を預けていた。

 誠の乗せられた車がガソリン車だったのでそのエンジン音が高くなったことで一般道から高速道路に入ったことが分かる。風切り音が響き車のスピードが上がったのが分かった。

 何処か少し隊から離れた場所に自分は連れ去られようとしている。

 目の前には光の明暗しかわからない布で頭を覆われた誠にはただ、昼下がりの強い日差しが車の窓から差し込んでくることと、車のエンジン音の高鳴りが耳から入ってくることだけが分かった。誠は布の下で冷や汗をかき、手元のポケットにあるタブレットを思い出すが、取り出すことは許されない。内側から布を押しても視界は戻らない。だが補聴器の小さな振動が、耳に伝わるかすかな電子ノイズが、誠に『何かが動いている』ことを教えていた。

 誠は、それが『駄目人間』の矜持により渡された『命綱』になるとは、まだ想像もしていなかった。
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