遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の死闘

橋本 直

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第三十四章 『特殊な部隊』と怪しい少年

第68話 少年兵と『許婚』の噂

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 まだ朝も早く、人の気配はなかった。

 誠は静まり返った廊下を抜け、階段を駆け上がる。二階の医務室を横目に、そのまま息を整えぬまま男子更衣室へと入った。

 扉を開けてすぐ、ふと足を止める。

 奥のロッカー前で、一人の見慣れない少年が着替えていた。浅黒い肌、痩せていながら筋肉だけはしっかりと付いた体つき。Tシャツを脱ぎ、全身に残る複数の銃創じゅうそうが目立つ上半身を、さっと隠すしぐさに、誠の記憶が刺激される。

『……アン君? まさか』

 あの夏の日、ホテルで出会った少年の姿が脳裏によみがえった。

「……アン君、だよね? 君が、第二小隊の新人?」

 誠は恐る恐る少年に声をかけた。

「覚えていてくれたんですね。うれしいです」

 声変わり前のような高く澄んだ声が、更衣室の静けさに響いた。その無垢な響きに、誠は一瞬戸惑いながらも微笑を返した。

「もう18になったのか?」

 誠はアンの声を聴いてようやく安心したような笑顔を浮かべてそう尋ねた。

「はい。昨日。……それで、正式に配属されました」

 アンはTシャツをぽんと投げ、ぎこちない動きで敬礼する。固くなったその姿に、誠は苦笑交じりに応じた。

「そんなに緊張しなくていい。この部隊は……まあ、いろいろ『特殊』だから」

 誠は隊舎に着く前のかなめのわがままで始まったサイン会を思い出しながらそうつぶやいた。

「でも……神前曹長がいてくれるなら安心です。戦場では、弱みを見せたら死ぬって教わってきました。でも、曹長になら……守ってもらえそうな気がします」

 そう言うアンの笑顔に誠は自分が先輩になったんだという自負を感じて少し誇らしい気持ちになった。

「いや、僕もまだ半年目だから。あまり期待されても困るよ」

 誠は照れ隠しに笑いながらロッカーを開け、制服に手を伸ばした……そのとき。

「それに……曹長って、僕の初恋の人に似てるんです……僕のこれまで出会った男の人の中で一番立派な人でした。でも、いい人ほど早く死んでいくのが戦場ですから……」

 思考が止まった。

『少年兵は、すべて上官の慰安兵だった』

 それは、かなめが誠に残した衝撃的な言葉。つまり……アンの『初恋の相手』とは、その男性の上官であり、深い関係にあった可能性があるということ。

『きちゃったよー……ボーイズラブ展開……これだけは来てほしくなかった……そんなにアメリアさん達運航部の女子を喜ばして隊長は何がしたいんだよ……』

 誠の全身に冷や汗がにじむのが自分でもわかった。そしてアンの存在を知った時に狂喜乱舞する『面白ければ全てよし』の女アメリアの満面の笑みとそれを囲む運航部の運航分の女子隊員のささやきあいながら誠を見つめる目、それを仕組んでニヤニヤと笑う隊長の嵯峨の顔を思い出して誠は頬が引きつるのを感じていた。

「ぼ、僕はそういうのじゃなくて……女の子の方が……」

 どう反応すべきか、誠には見当もつかなかった。

「大丈夫です、無理しなくて。僕は、自分がそうだったことに後悔はありません。でも、神前曹長の『許婚』の方にまでご迷惑をかけるつもりはありませんから」

 今度は誠が呆然とする番だった。

『『許婚』?誰の話だ?』

「……アン君、その『許婚』って、どこから聞いたの?僕自身はそんな人がいるなんて話は聞いたことがないんだけど?」

 どうせまたアメリアあたりが司法局本部で吹き込んだのだろうと、誠は内心で毒づいた。

「いえ、本部で第二小隊の新メンバーとして紹介されたとき、僕の隊の小隊長になる人が教えてくれました。『神前曹長には許婚がいる。だから恋心を抱いても無駄だ』って」

 誠は絶句した。言い出しっぺは誠が予想した『面白ければ全てよし』の女、アメリアではなかった。……第二小隊の新しい小隊長が、勝手に話を作っているらしい。

 だが誠は、その小隊長が誰なのか、まだ知らなかった。

「……まあ、『許婚』がいるなら仕方ないですね。神前曹長のことは忘れます。でも、僕の誇りであることに変わりはありません。『近藤事件』も今メディアで話題の先日の『バルキスタン三日戦争』も、どちらも神前曹長がいなければ解決しなかった。僕のヒーローです。同じ部隊に入れるなんて、本当に幸せです!」

 シャツのボタンも忘れて一気に語るアンに、正直なところ誠はやや引き気味だった。

 アンは満面の笑みで話し続け、誠は苦笑しながらズボンに手をかける。

 勤務ズボンに履き替えようとした瞬間、ふと異変に気づく。

 ……アンの気配が止まっている。服の衣擦れ音すらしない。

 誠はごく自然を装って振り向く。

 そこには、シャツを着るのも忘れたまま、じっと誠のパンツ姿を見つめるアンの姿があった。

「……ど、どうかした?」

 声をかけると、アンはハッと我に返ったように慌ててシャツのボタンを留め始めた。

 しかし、誠の視線を気にしながらも、どこか合わせるような動きで、着替えの速度をわざと合わせているようにすら感じられた。

 誠は急いでズボンを履き、ベルトを締めると、ネクタイを手に上着をつかみ、無言で更衣室を飛び出した。

 ……とにかく、この状況からは離れたい。

 そのままの勢いで、嵯峨の元へ向かうはずが、なぜか誠はいつもの癖でシュツルム・パンツァーの詰め所に足を運んでしまっていた。

「おはようございます!」

 明るく挨拶すると、かなめが目を丸くする。

「オメエ、叔父貴のとこ行くんじゃなかったのか?」

 言われて初めて誤って詰め所に来たと気づいた誠が、慌てて扉へ向かうと、ちょうど開いた。

「失礼します!アン・ナン・パク軍曹、着任のご挨拶に参りました!」

 ピシリと敬礼するアン。その姿にかなめも立ち上がり、礼を返す。誠も慌てて敬礼し、ネクタイを締め直した。

「あ、僕は隊長に呼ばれてるんで、先に行ってきます!」

 誠が逃げるように立ち去ろうとしたその時、アンがすっと手を伸ばして、誠の手を握った。

「僕も一緒に行っていいですか? 隊長に挨拶、まだなので」

 微笑むアンに、誠は恐る恐るランへ視線を送った。

「神前、連れてってやれ。それも先輩であるオメーの仕事だ」

 機動部隊の隊長の机に座ったランは淡々と答えると手にした新聞へ視線を戻す。

 誠は手を振りほどこうとするが……意外なほど強い握力に諦めのため息をついた。

「……あの、手は離してくれるかな?」

 裏返った声に、アンはようやく気づいたように手を放す。

「あ、すみません……」

 そう言うとようやくアンは手を離した。誠は真っすぐに隊長室を目指した。そのまま無言で誠の後に続くアン。誠は決して振り向くまいと心に誓いながら、嵯峨の部屋へと向かった。

 振り向いたらだめだと心で念じながら誠は隊長室の前に立った。

「失礼します」 

 誠はノックの後、返事も待たずに隊長室に入った。

 中では難しい顔をして机に座っている嵯峨がいた。その手には棒状のものを持っている。いつものように銃器の調整でもしていると思って誠は咳払いをする。

「おう、神前か。ご苦労だったね」 

 それだけ言うと嵯峨は視線を隣の小柄な少年に向けた。アンは自分が見つめられていることに気づくとすばやく敬礼をした。

「自分は……」 

 直立不動の姿勢を取って敬礼をしながら着任のあいさつをしようとするアンを嵯峨は軽く右手を上げて制した。

「別にいいよ、形式の挨拶なんざ。そんなもんをすると任務が上手くいくなんて保証はないんだから。俺達の仕事は結果がすべて。俺は形式なんてもんは大嫌いなの」 

 そう言うと嵯峨は今度は手元から細長い棒を取り出してじっと眺め始めた。

「まず神前。今回の出動はご苦労さんと言うところかな。全部俺の筋書き通りに演じてくれた。評価を与えるとしたら満点だ。俺は十分お前さんの働きに満足しているよ。まあ、将校への昇格を上申するほど……と言うほどでは無いがな」

 嵯峨は満足げにそう言うと、机の上に置いてあったまだ残っていた生八つ橋を口に運んだ。

「ありがとうございます。僕なりに一生懸命頑張りましたから」

 褒められ慣れていない誠はただ照れながらそう言うしかなかった。

「それと、アン。司法局実働部隊へようこそ。これからは神前、お前さんがアンを指導してやってくれ」

 そう言うと嵯峨は生八つ橋を飲み込んだ。

「分かりました!頑張ります!」

 アンも若者らしく、元気に嵯峨の言葉に答える。

「そこで神前。最初に言っておくことがある」

 突然話を変えて嵯峨は誠にもう少し近づくように手招きした。

「はい、なんでしょうか……」

 誠は嵯峨に誘導されるままに隊長の大きな執務机に向かって歩み寄った。

「アンなんだが、アイツはここに通いながら豊川南中学校の定時制中学に通う予定なんだ。アイツは6歳で難民キャンプからゲリラ組織に売り渡されてからと言う物、戦争しかしたことが無いから学校なんて一切行ってないんだ。だから配属の条件としてアンが出してきた希望がそれ。まずは漢字と掛け算くらいは覚えたいんだと」

 突拍子もない嵯峨の提案に誠は驚きを隠せなかった。しかし、考えてみれば6歳と言う物心ついたばかりの頃から常に戦場に身を置いてきたアンにとって『学校に行く』と言うのは1つの憧れかもしれないと誠にも思えた。

「それと……耳を貸しな……重要なコツを教えてあげるから、アンとの付き合い方の」

 嵯峨は誠にさらに近づくように言った。仕方がないので誠は嵯峨の口の近くまで頭を持って行った。

「アンは……少年兵上がりだ。つまり、あの歳で戦場に連れて行かれて、戦い以外にも『いろんなこと』を経験してきた。守るべきものを守れなかった時間が長かったんだ……その意味……アメリアの趣味のそっち系の漫画を無理やり読まされてるお前さんなら分かるよな?」

 嵯峨は静かに言った。手に持った生八つ橋を一度置き、視線だけで誠を射抜く。

「だからこそ、お前を『ヒーロー』だと思ってる。正義の象徴みたいに見えてる。でも、そういう感情がどこへ向かうかは、わからん。……誠。お前が悪くなくても、巻き込まれることはある。特に『性的な意味で』。最悪、アメリア好みの展開になったとしても俺はその状況を止めることはできないんだ。もしその気が無いのなら……気を付けろ。俺から言えることはそれだけだ」

 誠は、黙ってうなずくしかなかった。誠の脳裏には大爆笑するアメリアの顔がちらついた。嵯峨はそんな誠の思いを察したように苦笑いを浮かべると誠の耳から口を離した。アンには何も聞こえていなかったようで、相変わらず緊張した面持ちで二人を見つめている。

「じゃあ、アンはクバルカ中佐の指示に従うこと。そのまま詰め所に帰れ。それと神前はここに残れ。お前さんには頼みたいことがある」

 嵯峨はそう言うと再び口に生八つ橋を運んだ。

「では失礼します!」

 元気よく出て行くアンだが、誠にはアメリアや運航部の女共が喜びそうな同性愛の気質はまるでなかったので、アンが居なくなると安堵の表情を浮かべると同時にこれからのアンとの生活に不安を感じていた。

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