川面の光

くまいくまきち

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ひさは新河岸川に架かる古市場橋(現・養老橋)を渡る。橋は船の通行の妨げとならぬよう中央部が高く盛り上がった太鼓橋であった。

 坂本屋は福岡河岸の対岸、古市場河岸で船問屋を営んでいる。またその傍らで醤油醸造も行っていた。何千樽もの上本印醤油は新河岸川を下って江戸の人々の食卓を飾った。

 その坂本屋は昨年慶応二年(一八六六)六月の武州大一揆で、福岡・古市場両河岸の船問屋で唯ひとつ打ち壊しにあってしまったのだ。一定の銭や米を差し出せという一揆勢の要求を撥ね付けたからだとか、もともと富裕で鳴る坂本屋が狙われていたのだ、とも言われる。いずれにせよ一揆勢は母屋の大黒柱を伐ってから、屋根の梁に荒縄をかけ、大人数でよってたかって引き倒した。

 さらには蔵の土壁を打ち破り、金銀銭を撒き散らしたのだ。 幸いに死人こそ出なかったが醤油の大樽は毀され、近ごろようやく仕込みが始められていた。
 藤乃屋の隠居仙右衛門は同じく坂本屋の隠居加兵衛と囲碁敵きであったので、気散じにと三日と空けずに碁盤をかこんでいた。この日もひさに口上を託したのだ。
 陽は西に傾いて、冷たい北風が頬を刺した。

 「――ハアー
泣いてくれるなア
   出船のときに
泣けばア、出船が
   遅くなる――」

 風が鳴る。その風に負けじと船頭が舟歌をうたう。だがそんなうた声も、ひさの耳には入らない。

 (久助さんはどこへ行ってしまったんだべか……)

 源五郎船の小僧の茂八をつかまえて訊いてみたが、どうも要領を得ない。それでも、久助兄ィに十日夜(十月十日)のころに千住で鰻を食わしてもらい、翌朝から姿を見ていない、ということをようやく聞きだした。であれば居なくなったのは十月で、少なくとも一揆には関係がないようだった。福岡河岸に来なかったのも、上流の下新河岸(川越市)や下流の志木河岸(志木市)で仕事をしていたから、らしい。
それにしても源五郎旦那はなぜ久助と自分のことを知っていたのか……。

  ひさはわずかに顔を赤らめた。静かな鳶色の瞳を思い出した。何もかも知られているようで、恥ずかしくまた恐ろしかった。

ひさはいつしか歩調を速めた。
桧の香りがすがすがしい新築なった隠居所でひさは加兵衛からの返事を承り、引き返した。

  帰りは、ほんの少しだけ遠回りをした。
 古市場橋のたもとを右へ折れる。そこは葦が茂る河原へと続くなだらかな坂で、大きな柳の樹が四、五本
ばかり寒さにも枯れぬ枝を風に揺らしていた。
かつてはその柳の下に団子屋があって、醤油の焦げる香ばしい匂いをあたりに漂わせていた。久助と一本のみたらし団子を分けあって食べたもの。しかし昨年の大一揆で坂本屋のとばっちりを受け、打ち毀された。団子屋の方は老夫婦で切り盛りしていたためか、いまだ復旧のめどはたっていない様子であった。 あたりに人影はない。ひさは柳の間をゆっくりと歩いた。この辺には久助との思い出があちこちに落ちている。それをひとつずつ拾ってみたいような想いがした。

  久助は南畑新田(現・富士見市)の小前百姓の三男であった。嘉永二年の生まれというから、ひさよりひとつ上である。ひさが藤乃屋に来たの同じころ、源五郎船の小僧となった。

 「荷船の小僧は瘤と痣の絶えることがない」 と言われ、修行は厳しかった。言葉より先に親方船頭の棹が飛び、河へ投げ込まれた。そのうえ小僧は無給だった。多少の給金が貰えるようになるのは、操船をひと通りこなすことができる若い衆と言われるようになってから、であった。

だが、新河岸川の水で炊き上げた混ぜもののない白い飯を、日に四度も食うことができ、それが何よりの楽しみだった。

  幼いころから親に捨てられたも同然の境遇だったふたりは、兄妹のように自由になる短い時間をこの柳の下でともに過ごした。兄妹が、やがて成長とともにその関係も形を変えて行ったのも当然であったのかも知れない。 

 最後の柳の隣には土蔵がひとつ、ぽつんと取り残されたようにあった。それは坂本屋の土蔵である。秋から冬場にかけて下り荷となる甘薯と炭俵で河岸の船着き場がいっぱいになってしまうため、それらの収納のためにある。

だがこれも一揆に毀されて、屋根が半ばまで落ち、土壁は焼け焦げている。残っていた炭俵に火がついて、長いこと燻っていたようだった。
  幼いころ、出し入れの間にふたりしてこの蔵に入り、山積みになった俵に昇って遊んだことがあった。そして出る機会を失ったまま外から施錠されてしまったのだ。結局坂本屋の手代に見つかってしまい、ちょっとした騒ぎになってしまった。

 「――おれがわりィんだ、おれが嫌がってるおひさを無理やり引っ張り込んだんだべ」

 久助はそう叫んだ。蔵に入って遊ぼうと誘ったのは、本当はひさであった。

  親方船頭の源五郎は久助を面相が変わるほどに棹で殴りつけ、冷たい新河岸川の流れへ叩き込んだ。
そして次にふたりしてその蔵に入ったのは、去年の五月の晦日だった。
どうしてふたりして入ることになったのかは、よく覚えていない。久助は千住の相模屋から注文があって、上本印の醤油二樽を坂本屋へ取りに行った。ひさは加兵衛に囲碁の誘い口上を伝えがてら、初茄子を届けに行ったような気がする。

 連れだって戻るふたりは、少し脇道に逸れた。団子を二本買って柳の下で食べた。手代が閉める忘れたのか、土蔵の扉が少しばかり空いていた。ふたりは顔を見合わせて、笑った。いたずら心と幼い日の思い出を懐かしむ気持ちからか、ふたりは重厚な扉の隙間から身体を差し入れる。先に立ったのは、ひさだった。

 土蔵の中は薄暗い。湿った土と、藁の匂いがした。ちょうど荷を運び出したところなのか、俵のひとつとてない。藁くずが散らばっていた。
そこでふたりは初めて抱きあった。といっても、ほんの短い時間である。

 「おれ銭ためてよお、いつか持船船頭になる。だから……夫婦になるべえ」

 若い衆になってから、どこか気取ってまるで江戸もののように喋っていた久助だったが、この時は在所の言葉でそう言った。
ひさは黙って、頷いた。

 抱き寄せられると鬢油の香りがほのかにした。それは甘く、どこか危なげでせつない香りだった。

  ――そう、江戸の香り。

そんなことを心のどこかで、ひさは思った。 あれから半年が経つ。武州大一揆があったりここいら辺も大騒動だったが、新しい年を迎えてどうやら落ち着いてきた。何やら上方では新しく水戸から来た公方さまおん自らが、薩長を向こうに戦さをされていると云う。だが新河岸川は変わることなく滔々と清流が豊かに流れ、多くの船が行き交って人や物を運んでいた。

「――おひさ」

ふと、自分を呼ぶ声がする。はっとして、ひさはあたりを見渡す。が、だれもいない。 もういちど、今度ははっきりと聞こえた。

 「――おひさ、蔵の中」

 押し殺しているが、久助の声に違いなかった。ひさは回り込んで、扉の前へ立つ。錠前がかかっている。重い扉が開くはずもない。久助恋しいさのあまり空耳を聞いたか、と思った時、またも久助の声。

 「錠前は壊れているんだ」

 憑かれたようにひさは錠前に手を延ばす。錠前は閂の部分がばかになっていて、指で押すと簡単に抜けた。手代は普段は使わぬ蔵の壊れた錠前を替える必要もないと思ったのだろう。
ひさは扉を開けた。いろんなものが焼け焦げて、饐えたようなひどい臭いがした。
 何もない蔵の、土壁にもたれている男がいた。まるで大きな蓑虫のように薦をかぶって震えている。月代が伸び、眼が窪んでいた。 男は今にも泣き出しそうな表情で、言った。

「おひさ……よう来てくれた」
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