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私は天使に邂逅する
第一話 天使
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県立朝日ヶ丘高校で、学校の有名人を聞けば、多くの人はこう答えるだろう。
『天使くん』と。
「はぁ」
なんで、こんなくだらないことで私は呼び出されなくちゃならないんだ。たかが遅刻じゃないか、しかも授業には間に合ってるし。
無視して帰ってもいいけど、それは後々もっと面倒くさいことになると知っている。気分は乗らないが、しょうがない。
ポケットに手を突っ込んで不機嫌であることを隠そうともせずに職員室の前へ行く。
「失礼しまーす」
「おぉ、来たか。良かった」
「まぁ、はい。でも、だるい説教ならすぐ帰りますよ」
職員室に入って二列目奥の左端。そこに私の担任はいる。銀縁眼鏡の中の目は鈍く光っていて、寝不足のためか目の下にくまがある。ぼさぼさの髪は起きてきたままという感じ、もう放課後なのに。
ネクタイの結び目はゆるく、いつかの体育で先生が文句を言っていたのを覚えている。実際の年齢より老けて見えるが、まだ教師四年目の新人らしい。担当は国語。
「遅刻する時は連絡するってのと、遅刻者カードを取ってきて書くってのは知ってるよな?」
「まぁ、一応」
「じゃあ、そうしてもらえると助かるのだが」
あんな必要以上に業務を増やす行為、どうして必要なんだ。
文句を言いたい気持ちはあったし、なんなら喉元までは出ていたが、ここで反論したって長々と説教をされるだけだ。
「はーい」
「うん、まぁ、遅刻しないのが一番だがな」
「はーい、すみませんでした」
軽く揺れるような頭だけの礼をして、退出しようとする。
「あ、待て待て。話はまだある」
それを先生は慌てて止めた。まだあるのか……。内心少しため息をつきながら振り返る。
「なんですか?」
「お前、部活動入ってないだろ」
「そうですけど……」
なんだか嫌な予感がする。先生がこっちに向き直ってまた話し始めた。
「これは俺からの頼みなんだが。お悩み相談部に入ってくれないか?」
「え? なんですかその、小学生が考えたみたいな名前の部」
部活動紹介をまともに見ていなかったから、そんな部があるなんて知らなかった。
「俺が顧問をしている部でな。部員が一人なんだ」
「はぁ、何してる部なんですか?」
「その名の通りだよ。慈善事業みたいなことをしている」
「はぁ、私そういうの向いてないと思うんですけど」
「だからこそ、というところもあるんだけどな……」
先生が小声でぼそっと言った。つまり、慈善事業を通して更生しろということだろうか。
なんにせよ。
「嫌です」
そんな変な部活入りたくない。
「遅刻、服装規定の違反、それ以外にも校則違反をいくつか……」
「何が言いたいんですか」
にらむと先生はすぐに顔を逸らした。
「いや、それは、いいや。多分そこまで大変な部活じゃないし、評価というかなんというか、むしろお前にとっても良いと思うんだが」
部員一名ということはきっとあってないような部活だろう。
何より、ここで先生と言い争いをするのも馬鹿らしい。
「分かりましたよ……」
「そうか。それは良かった。じゃあ、部員と一度会ってもらえるか?」
「名目上だけってのはダメなんですか?」
「まぁ、そう言わずに」
「先輩じゃないですよね」
先輩だと一度会うとサボるのが少し気まずい。三年から目をつけられるとか本当に勘弁だ。
「大丈夫、同じ二年生だ」
「そうですか。……分かりました。良いですよ」
「うん、ありがとう。それじゃあ、いつにするか」
「別に私はいつでも良いですけど」
「じゃあ今日にしよう。今から、多分アイツもいるだろ」
先生が立ち上がる。
「え」
いくらなんでも今日というのは急で驚く。
「大丈夫。いいやつだよ。それは保証する」
先生は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
本校舎から渡り廊下で繋がっている副校舎の三階。そこに部室はあった。
お悩み相談部。どんな人がいるんだろう。イケメンだったら良いな。でも、こんな名前の部に入る人だ、少し変な人なのかもしれない。
「入るぞ」
「どうぞ~、あ、先生。それと、初めましてかな」
中には、小柄で人懐っこい笑みを浮かべた男子生徒がいた。目が合うと、目じりがふっと緩んだ。それだけで、なぜか肩の力が抜ける。手には、三つ折りにされた跡のある紙を持っている。手紙だろうか。
教室は、後ろ半分に机を寄せて前に広くスペースが取られていた。そこに長い机が一つあって、その真ん中にその男子生徒が椅子を置いていた。
机を挟んで向いにも一つ椅子がある。
「あ、椅子だしますね」
そう言って彼は奥へ向かった。壁際に寄せてある机の上にはたくさんの本が、背の低いものから順に、きちんと揃えられている。
「いや、良いよ。俺はすぐに戻るから」
「そうなんですか?」
「あぁ、新入部員を紹介しに来ただけだから。こちら、夏月 咲さん」
先生に並んで、彼の前に立つ。こうやって紹介されるのは、なんだかむず痒い。
「夏月さんか、僕は天音 夕陽。お悩み相談部の部長。よろしくね」
笑みを浮かべたまま、その瞳が真っ直ぐに私の目をとらえる。
「そ、そう。よろしく……。なんか、先生に入れって言われて……」
天音夕陽。丁寧に発音されたその名前まで、なんだか柔らかい。視線も背もまっすぐ伸びて、アイロンをかけた服みたいな気持ちよさがある。こう親し気な感じで来られると、部員と仲良くする気なんてなかった私としてはやりづらい。
「そうなんだ。先生、あんまり強要しちゃダメですよ?」
先生にも人当たりの良い優等生然とした態度は変わらなかった。
「あぁ、分かってるよ。じゃあ、なんか自己紹介とかしといて。俺戻るから」
「はい、先生、仕事頑張ってくださいね」
ニコニコと励まされると先生は気恥ずかしそうに、苦笑して片手をあげて応えた。
「さて、あ、というか、そこ。座って座って? 何から話そうか」
先生がいなくても、ニコニコとした表情は崩れない。
「いや、別にそんな話すことは。あー、いや、この部活って何してるの?」
「うーん、そのまんま。基本的にはこの学校の生徒とか先生の相談に乗ったり、悩みの解消をしたりしてるかな。まぁ、どちらかというとその手伝いのようなところがあるかもだけど」
「へぇ~。一人で?」
「そう。僕が作った部だから」
「そうなんだ……」
「本当は同好会なんだけどね」
そう言って笑う。同好会の割にはちゃんと部室が与えられている。
「そっか」
「うん、手伝ってくれるんだよね」
「え、まぁ」
そんなキラキラとした目で見つめられると断りづらい……。
「じゃあ、暇な時だけで良いから来てくれたら助かるよ」
「まぁ、暇な時なら……」
私がそういうと天音は嬉しそうに笑った。表情の豊かな子だ。裏表のなさそうな笑顔につい乗せられてしまう。
「ありがと。夏月さんって呼ぶので良かったかな? 僕のことは天音でも、夕陽でも好きに呼んでね」
「そう、じゃあ。天音で。別に私も呼び捨てでも良いんだけど」
そう言うと、天音は、少し目を伏せたあと
「僕はこっちのが慣れてるから、良いかな?」
と少し申し訳なさそうに言った。
「別になんでも」
「そっか、夏月さんの好きなものって何?」
「え、うーん」
天音は色々と話題を振って、話を盛り上げてくれた。
相槌が上手くて、つい楽しくなり、五時半まで話し込んでいた。
「もうこんな時間だ。そろそろ帰ろっか」
「え、あぁ、そうだね」
天音が立ち上がって開け放っていた窓を閉めに行く。
風が吹き込んだ。天音が目細める。その横顔が少しだけ物憂げに見えた。
常ににこやかな人間なんていない、当たり前のことだ。ただ、なんとなく私はいけないものを見てしまった気がした。天使の素顔を覗いてしまった。そんな予感。
戸締りを終えた天音が振り向く。
「それじゃあ、帰ろっか」
そこには、もうさっきの物憂げな表情はなかった。天使みたいな微笑みが浮かんでいた。
「うん」
私の頭の中にはまださっきの天音の顔が残っていた。なんとなく胸の奥が落ち着かない、ギャップ萌えって奴だろうか。
廊下に出ると、少し遅れて後ろで鍵をかける音がした。
「それじゃあ、またね。僕は大体ここにいると思うけど、どこかに行ってる時は、ここに書いとくから」
そう言って扉の横の窓にかかっているホワイトボードを指す。そこには『中にいます、外にいます、取り込み中です』の文字が並んでいて、どの状況なのかを示すためのマグネットが1つあった。
今、天音がそれを『中にいます』の横から『外にいます』の横に移した。
「バイバイ、夏月さん」
そう言って、手を振ると天音はカバンの肩紐を握って走って行った。
「あ、うん」
思わず私も手を振り返して、見送った。誰も見えなくなった廊下を少しの間眺める。
なんだろう。犬。すごい犬。
「悪くないかも……って何考えてんの、私……」
天音は確かに良い人みたいだけど、だからって熱心に部活に打ち込もうなんて
『天使くん』と。
「はぁ」
なんで、こんなくだらないことで私は呼び出されなくちゃならないんだ。たかが遅刻じゃないか、しかも授業には間に合ってるし。
無視して帰ってもいいけど、それは後々もっと面倒くさいことになると知っている。気分は乗らないが、しょうがない。
ポケットに手を突っ込んで不機嫌であることを隠そうともせずに職員室の前へ行く。
「失礼しまーす」
「おぉ、来たか。良かった」
「まぁ、はい。でも、だるい説教ならすぐ帰りますよ」
職員室に入って二列目奥の左端。そこに私の担任はいる。銀縁眼鏡の中の目は鈍く光っていて、寝不足のためか目の下にくまがある。ぼさぼさの髪は起きてきたままという感じ、もう放課後なのに。
ネクタイの結び目はゆるく、いつかの体育で先生が文句を言っていたのを覚えている。実際の年齢より老けて見えるが、まだ教師四年目の新人らしい。担当は国語。
「遅刻する時は連絡するってのと、遅刻者カードを取ってきて書くってのは知ってるよな?」
「まぁ、一応」
「じゃあ、そうしてもらえると助かるのだが」
あんな必要以上に業務を増やす行為、どうして必要なんだ。
文句を言いたい気持ちはあったし、なんなら喉元までは出ていたが、ここで反論したって長々と説教をされるだけだ。
「はーい」
「うん、まぁ、遅刻しないのが一番だがな」
「はーい、すみませんでした」
軽く揺れるような頭だけの礼をして、退出しようとする。
「あ、待て待て。話はまだある」
それを先生は慌てて止めた。まだあるのか……。内心少しため息をつきながら振り返る。
「なんですか?」
「お前、部活動入ってないだろ」
「そうですけど……」
なんだか嫌な予感がする。先生がこっちに向き直ってまた話し始めた。
「これは俺からの頼みなんだが。お悩み相談部に入ってくれないか?」
「え? なんですかその、小学生が考えたみたいな名前の部」
部活動紹介をまともに見ていなかったから、そんな部があるなんて知らなかった。
「俺が顧問をしている部でな。部員が一人なんだ」
「はぁ、何してる部なんですか?」
「その名の通りだよ。慈善事業みたいなことをしている」
「はぁ、私そういうの向いてないと思うんですけど」
「だからこそ、というところもあるんだけどな……」
先生が小声でぼそっと言った。つまり、慈善事業を通して更生しろということだろうか。
なんにせよ。
「嫌です」
そんな変な部活入りたくない。
「遅刻、服装規定の違反、それ以外にも校則違反をいくつか……」
「何が言いたいんですか」
にらむと先生はすぐに顔を逸らした。
「いや、それは、いいや。多分そこまで大変な部活じゃないし、評価というかなんというか、むしろお前にとっても良いと思うんだが」
部員一名ということはきっとあってないような部活だろう。
何より、ここで先生と言い争いをするのも馬鹿らしい。
「分かりましたよ……」
「そうか。それは良かった。じゃあ、部員と一度会ってもらえるか?」
「名目上だけってのはダメなんですか?」
「まぁ、そう言わずに」
「先輩じゃないですよね」
先輩だと一度会うとサボるのが少し気まずい。三年から目をつけられるとか本当に勘弁だ。
「大丈夫、同じ二年生だ」
「そうですか。……分かりました。良いですよ」
「うん、ありがとう。それじゃあ、いつにするか」
「別に私はいつでも良いですけど」
「じゃあ今日にしよう。今から、多分アイツもいるだろ」
先生が立ち上がる。
「え」
いくらなんでも今日というのは急で驚く。
「大丈夫。いいやつだよ。それは保証する」
先生は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
本校舎から渡り廊下で繋がっている副校舎の三階。そこに部室はあった。
お悩み相談部。どんな人がいるんだろう。イケメンだったら良いな。でも、こんな名前の部に入る人だ、少し変な人なのかもしれない。
「入るぞ」
「どうぞ~、あ、先生。それと、初めましてかな」
中には、小柄で人懐っこい笑みを浮かべた男子生徒がいた。目が合うと、目じりがふっと緩んだ。それだけで、なぜか肩の力が抜ける。手には、三つ折りにされた跡のある紙を持っている。手紙だろうか。
教室は、後ろ半分に机を寄せて前に広くスペースが取られていた。そこに長い机が一つあって、その真ん中にその男子生徒が椅子を置いていた。
机を挟んで向いにも一つ椅子がある。
「あ、椅子だしますね」
そう言って彼は奥へ向かった。壁際に寄せてある机の上にはたくさんの本が、背の低いものから順に、きちんと揃えられている。
「いや、良いよ。俺はすぐに戻るから」
「そうなんですか?」
「あぁ、新入部員を紹介しに来ただけだから。こちら、夏月 咲さん」
先生に並んで、彼の前に立つ。こうやって紹介されるのは、なんだかむず痒い。
「夏月さんか、僕は天音 夕陽。お悩み相談部の部長。よろしくね」
笑みを浮かべたまま、その瞳が真っ直ぐに私の目をとらえる。
「そ、そう。よろしく……。なんか、先生に入れって言われて……」
天音夕陽。丁寧に発音されたその名前まで、なんだか柔らかい。視線も背もまっすぐ伸びて、アイロンをかけた服みたいな気持ちよさがある。こう親し気な感じで来られると、部員と仲良くする気なんてなかった私としてはやりづらい。
「そうなんだ。先生、あんまり強要しちゃダメですよ?」
先生にも人当たりの良い優等生然とした態度は変わらなかった。
「あぁ、分かってるよ。じゃあ、なんか自己紹介とかしといて。俺戻るから」
「はい、先生、仕事頑張ってくださいね」
ニコニコと励まされると先生は気恥ずかしそうに、苦笑して片手をあげて応えた。
「さて、あ、というか、そこ。座って座って? 何から話そうか」
先生がいなくても、ニコニコとした表情は崩れない。
「いや、別にそんな話すことは。あー、いや、この部活って何してるの?」
「うーん、そのまんま。基本的にはこの学校の生徒とか先生の相談に乗ったり、悩みの解消をしたりしてるかな。まぁ、どちらかというとその手伝いのようなところがあるかもだけど」
「へぇ~。一人で?」
「そう。僕が作った部だから」
「そうなんだ……」
「本当は同好会なんだけどね」
そう言って笑う。同好会の割にはちゃんと部室が与えられている。
「そっか」
「うん、手伝ってくれるんだよね」
「え、まぁ」
そんなキラキラとした目で見つめられると断りづらい……。
「じゃあ、暇な時だけで良いから来てくれたら助かるよ」
「まぁ、暇な時なら……」
私がそういうと天音は嬉しそうに笑った。表情の豊かな子だ。裏表のなさそうな笑顔につい乗せられてしまう。
「ありがと。夏月さんって呼ぶので良かったかな? 僕のことは天音でも、夕陽でも好きに呼んでね」
「そう、じゃあ。天音で。別に私も呼び捨てでも良いんだけど」
そう言うと、天音は、少し目を伏せたあと
「僕はこっちのが慣れてるから、良いかな?」
と少し申し訳なさそうに言った。
「別になんでも」
「そっか、夏月さんの好きなものって何?」
「え、うーん」
天音は色々と話題を振って、話を盛り上げてくれた。
相槌が上手くて、つい楽しくなり、五時半まで話し込んでいた。
「もうこんな時間だ。そろそろ帰ろっか」
「え、あぁ、そうだね」
天音が立ち上がって開け放っていた窓を閉めに行く。
風が吹き込んだ。天音が目細める。その横顔が少しだけ物憂げに見えた。
常ににこやかな人間なんていない、当たり前のことだ。ただ、なんとなく私はいけないものを見てしまった気がした。天使の素顔を覗いてしまった。そんな予感。
戸締りを終えた天音が振り向く。
「それじゃあ、帰ろっか」
そこには、もうさっきの物憂げな表情はなかった。天使みたいな微笑みが浮かんでいた。
「うん」
私の頭の中にはまださっきの天音の顔が残っていた。なんとなく胸の奥が落ち着かない、ギャップ萌えって奴だろうか。
廊下に出ると、少し遅れて後ろで鍵をかける音がした。
「それじゃあ、またね。僕は大体ここにいると思うけど、どこかに行ってる時は、ここに書いとくから」
そう言って扉の横の窓にかかっているホワイトボードを指す。そこには『中にいます、外にいます、取り込み中です』の文字が並んでいて、どの状況なのかを示すためのマグネットが1つあった。
今、天音がそれを『中にいます』の横から『外にいます』の横に移した。
「バイバイ、夏月さん」
そう言って、手を振ると天音はカバンの肩紐を握って走って行った。
「あ、うん」
思わず私も手を振り返して、見送った。誰も見えなくなった廊下を少しの間眺める。
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