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静かな怒り
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夜空に輝く銀色の満月は、私を冷ややかに見下ろしていた。
目鼻も口もない月が自分を見下ろしているだなんて変な言い方だが、どうにもそう思わずにはいられなかったのだ。そんな月を、私は何をするでもなくぼんやりと見上げていた。
すると突然、月が私に手を伸ばしてきたのだった。
「……っ!?」
月から生えた長い二本の手が、私めがけて伸びてくる。必死に逃げようとしたものの、私の足は地面に張り付いたかのように動かなかった。
やがて銀色の艶やかな手は、私の首を強く締め始めたのである。
「……っ、やっ、!?」
悲鳴を上げようとしても、口からは掠れた声が出るばかり。そして喉への圧迫が強くなるにつれて、意識が朦朧としてきたのだった。
(苦しい。誰か……!!)
しかし、私を助けてくれる者は誰一人としていなかったのである。
「……ル、レイチェル」
「……ん?」
「レイチェル、起きて。風邪ひくわよ」
軽く身体を揺らされていることに気づいて目を開けると、姉上が心配そうに私の顔を覗き込んでいたのだった。
「もう、昼寝するならお部屋にしときなさいな」
「え、あっ……ごめんなさい」
庭園に植わった大木の木陰で、私は読書をしていた。しかし昼食後ということもあり、途中で眠くなってうたた寝していたのである。
「うなされてたみたいだけど、悪い夢でも見たの?」
姉上の一言で、私はようやく先程の光景が夢であることに気づいたのだった。
「その、月に襲われてたというか……」
「何言ってんのよ。とりあえず、お茶にでもしましょうか」
こうして私たちは、庭園のガゼボへと向かったのである。
テルクスタに戻ってから、はや十日。私は平穏な日々を送っていた。
溺れただけでケガはなかったようで、身体も健康そのものである。身軽なドレスを着て、好きなことをして。毎日家族との生活を楽しんでいるのだった。
ちなみに私は、しばらくぶりに離宮ではなく宮殿で生活をしている。目を覚ました日には一旦離宮に戻ったものの、よほど心配なのか、家族みんなが離宮へ様子見にやって来るようになってしまったのだ。それは酷く手間になってしまうため、しばらくの間は宮殿に住むことを決めたのである。
「ね、レイチェル。明日の朝食後、何か用事ある?」
「いえ、特に予定はないけど?」
ガゼボの下でお茶を楽しんでいると、姉上は遠慮がちに意外な言葉を口にしたのだった。
「だったらその……ウェディングドレス、一緒に選んでほしくて」
そう言って少し照れたように、うつむく姉上。その薬指には、エメラルドカットのダイヤの付いた婚約指輪が光っていたのだった。
テルクスタでは、花嫁はウェディングドレスを女家族と一緒に選ぶ風習がある。それだけでなく、嫁入りのための準備を家族みんなで協力して進めていくのだ。
「ええ、もちろんよ。義母上と三人で、ぴったりの一着を探しましょ?」
「っ、ありがとう」
「ところで、彼はどんなドレスがお好みなの?」
「な、ちょっと!!」
婚約を結んだお相手の話題を出すと、姉上は分かりやすく顔を真っ赤にした。そんな彼女の姿が何だかおかしくて、私はつい吹き出してしまったのである。
「ふふっ、私もドレスを選ぶ時、とっても大変だったんだから……っ」
そこまで言って、私は口を噤んだ。
実は家族みんなが、会話の中で異様なまでにリュドミラの話題を避けているのである。私が話題に出しても、それとなく話を変えられてしまうのだ。それどころか、リュドミラという名前すらみな口にしない程であった。
それはまるで、私がリュドミラに嫁いだこと自体がなかったかのような振る舞いであった。
「レイチェル?」
「……ううん。何でもないわ」
首を振って、私は紅茶を一口飲んだ。
「ところで、お姉様」
「ん、どうしたの?」
「私、いつリュドミラに帰る予定なのですか?」
思い切って、私は疑問を口にした。
ヴィルヘルムからの了承を得た上で私がテルクスタで静養することになったのは兄上から聞いていたが、期間など具体的な話はまだ知らされていなかったのだ。
「私自身は健康そのものなので、そろそろ……」
「あんなとこ、帰らなくて良いのよ」
そう言った姉上の表情は、この上なく険しいものになっていた。普段優しい姉のそんな姿を見て、私は背筋が一気に寒くなるのを感じた。
「あの方が貴女をぞんざいに扱っていたことを、今回の件で私もみんなも十分に理解したわ。だから、もう帰らなくて良いのよ」
そこで、私はようやく理解した。姉上も兄上も、そしておそらく父上も義母上も……ヴィルヘルムに対して激しく怒っているのだと。
「ち、違っ……」
「レイチェル」
いつもの優しい表情に戻ってから、姉上はこう言った。
「大丈夫。貴女は何にも心配しなくて良いからね」
本来ならば、心強いはずの姉上の一言。しかし今の私には、ただただ不穏な言葉にしか聞こえなかったのである。
目鼻も口もない月が自分を見下ろしているだなんて変な言い方だが、どうにもそう思わずにはいられなかったのだ。そんな月を、私は何をするでもなくぼんやりと見上げていた。
すると突然、月が私に手を伸ばしてきたのだった。
「……っ!?」
月から生えた長い二本の手が、私めがけて伸びてくる。必死に逃げようとしたものの、私の足は地面に張り付いたかのように動かなかった。
やがて銀色の艶やかな手は、私の首を強く締め始めたのである。
「……っ、やっ、!?」
悲鳴を上げようとしても、口からは掠れた声が出るばかり。そして喉への圧迫が強くなるにつれて、意識が朦朧としてきたのだった。
(苦しい。誰か……!!)
しかし、私を助けてくれる者は誰一人としていなかったのである。
「……ル、レイチェル」
「……ん?」
「レイチェル、起きて。風邪ひくわよ」
軽く身体を揺らされていることに気づいて目を開けると、姉上が心配そうに私の顔を覗き込んでいたのだった。
「もう、昼寝するならお部屋にしときなさいな」
「え、あっ……ごめんなさい」
庭園に植わった大木の木陰で、私は読書をしていた。しかし昼食後ということもあり、途中で眠くなってうたた寝していたのである。
「うなされてたみたいだけど、悪い夢でも見たの?」
姉上の一言で、私はようやく先程の光景が夢であることに気づいたのだった。
「その、月に襲われてたというか……」
「何言ってんのよ。とりあえず、お茶にでもしましょうか」
こうして私たちは、庭園のガゼボへと向かったのである。
テルクスタに戻ってから、はや十日。私は平穏な日々を送っていた。
溺れただけでケガはなかったようで、身体も健康そのものである。身軽なドレスを着て、好きなことをして。毎日家族との生活を楽しんでいるのだった。
ちなみに私は、しばらくぶりに離宮ではなく宮殿で生活をしている。目を覚ました日には一旦離宮に戻ったものの、よほど心配なのか、家族みんなが離宮へ様子見にやって来るようになってしまったのだ。それは酷く手間になってしまうため、しばらくの間は宮殿に住むことを決めたのである。
「ね、レイチェル。明日の朝食後、何か用事ある?」
「いえ、特に予定はないけど?」
ガゼボの下でお茶を楽しんでいると、姉上は遠慮がちに意外な言葉を口にしたのだった。
「だったらその……ウェディングドレス、一緒に選んでほしくて」
そう言って少し照れたように、うつむく姉上。その薬指には、エメラルドカットのダイヤの付いた婚約指輪が光っていたのだった。
テルクスタでは、花嫁はウェディングドレスを女家族と一緒に選ぶ風習がある。それだけでなく、嫁入りのための準備を家族みんなで協力して進めていくのだ。
「ええ、もちろんよ。義母上と三人で、ぴったりの一着を探しましょ?」
「っ、ありがとう」
「ところで、彼はどんなドレスがお好みなの?」
「な、ちょっと!!」
婚約を結んだお相手の話題を出すと、姉上は分かりやすく顔を真っ赤にした。そんな彼女の姿が何だかおかしくて、私はつい吹き出してしまったのである。
「ふふっ、私もドレスを選ぶ時、とっても大変だったんだから……っ」
そこまで言って、私は口を噤んだ。
実は家族みんなが、会話の中で異様なまでにリュドミラの話題を避けているのである。私が話題に出しても、それとなく話を変えられてしまうのだ。それどころか、リュドミラという名前すらみな口にしない程であった。
それはまるで、私がリュドミラに嫁いだこと自体がなかったかのような振る舞いであった。
「レイチェル?」
「……ううん。何でもないわ」
首を振って、私は紅茶を一口飲んだ。
「ところで、お姉様」
「ん、どうしたの?」
「私、いつリュドミラに帰る予定なのですか?」
思い切って、私は疑問を口にした。
ヴィルヘルムからの了承を得た上で私がテルクスタで静養することになったのは兄上から聞いていたが、期間など具体的な話はまだ知らされていなかったのだ。
「私自身は健康そのものなので、そろそろ……」
「あんなとこ、帰らなくて良いのよ」
そう言った姉上の表情は、この上なく険しいものになっていた。普段優しい姉のそんな姿を見て、私は背筋が一気に寒くなるのを感じた。
「あの方が貴女をぞんざいに扱っていたことを、今回の件で私もみんなも十分に理解したわ。だから、もう帰らなくて良いのよ」
そこで、私はようやく理解した。姉上も兄上も、そしておそらく父上も義母上も……ヴィルヘルムに対して激しく怒っているのだと。
「ち、違っ……」
「レイチェル」
いつもの優しい表情に戻ってから、姉上はこう言った。
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