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銀色の月を追って
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「はい、ヴィルヘルム様。あーん」
パンを一口大に千切ってバターを塗ってから、私はヴィルヘルムの口元に持っていった。すると彼は口を開け、ぱくりと食べたのだった。
「えっと……、バターの量はいかがですか?」
「ああ、丁度いいよ。ありがとう」
朝食の席で、私とヴィルヘルムは隣同士で座っていた。いつもは食堂のテーブルを挟んで向かい合わせに座るのだが、今日はこうしたいと私が提案したのだ。こうすれば、彼がなるべく手を使わなくていいように補助できるからである。
フォークやナイフを使うものは自分で食べるが、パンを食べる時は私が千切って食べさせる。そんな形で、今日は朝食をとっているのである。
「指先のお痛みは、まだ続いてますか?」
ヴィルヘルムの指先には、傷薬を塗ってから一本ずつガーゼを巻いている。傷口が化膿するのを恐れて、私が朝食前に手当したのである。
「昨日よりもだいぶマシにはなってるから、問題ない」
「ふふ、それは良かったです。入浴後に、また貼り替えましょうね。傷口が化膿するのが怖いので、爪が伸びるまで五日間ぐらいは……」
「……くくっ」
「いかがなさいました?」
私が話している途中で、ヴィルヘルムはなぜか吹き出したのだった。
「いかがなさいましたか?」
「いや……今までお前をどう甘やかそうかとばかり考えていたが、まさか自分が、甘やかされる立場になるとは、と思ってな」
「なっ……!?」
正直、ヴィルヘルムを甘やかしている自覚は皆無だ。しかし言われてみれば、確かに過保護になっているような気も……する。
「だが、甘やかされるのも悪くないな」
「そう言われると、なんだか恥ずかしいですから……」
私からすれば、家族としてヴィルヘルムを手当したり補助しなければという使命感に駆られていたはずなのに、彼からすれば恋人のじゃれ合いのように捉えていたらしい。私は急に、顔に熱が集まってくるのを感じた。
「その、出すぎた真似をしてしまい……申し訳ございません」
「いや。こういうのも、たまには良いんじゃないのか?」
私の手のひらに手を重ねながら、ヴィルヘルムは言った。そこでふと私は、彼と二人でいる時、手を触れ合わせることが多いことに気づいたのだった。
「とはいえ手袋なしにこうしていられるだけで、十分に幸せではある……けどな」
「え?」
「伝えてなかったが、この手袋は魔力を使えなくさせるための物なんだ」
テーブルの端に置いた黒い手袋に目を向けて、ヴィルヘルムはぽつりと言った。
「この手袋を着けていることは、‘‘魔力で危害を加えない’’という意思表示であり、ある意味では武器を置いて降参しているのと同義だ。原則、私が公の場で手袋を外すことは禁じられている」
「……っ」
「そうまでしても恐れられるのだから、困ったものだ。やはり、猿轡を噛ましておいたとしても猛獣には近寄りたくないらしい」
ヴィルヘルムの言葉で、私はようやく理解した。彼にとって素手での触れ合いというのは、単なるスキンシップ以上の意味をもっているのだと。
「私からすれば……甘えたなワンちゃんにしか見えないこともあるのですが」
「……言ったな、レイチェル」
「ふふふっ」
窓からは、暖かな日差しが射していた。そして触れ合った手のひらの温かさは、何よりも心地よいものに思えたのだった。
+
「じゃあ、エマ。お願いね」
「はい、かしこまりました」
その日の夜。私とヴィルヘルム、そしてエマとローレンスは、宮殿の庭園の池で現場検証を行っていた。
長い物干し竿の先に夜灯石を入れたガラスボウルを括りつけて、それを‘‘月’’に見立てる。そしてエマが竿の先端を池の真ん中にまで移動させると、水面に青白く丸い光が姿を現したのだった。
私が池の縁まで歩み寄ると、ルードガレス宮殿の中庭で見た光景が見事に再現された。しかし、本題はここからである。
「それではローレンス様、お願いします」
「はい、かしこまりました」
括っていた髪の毛を解いて、ローレンスは私の背後に立った。すると、銀色の長い髪が水面に映し出されたのだった。
しかし、ローレンスは背が高いため私の頭よりもだいぶ上に影ができてしまう。そこで彼は、少しずつ膝を曲げていった。
そしてある一点に達した時……月の影と銀髪の影が重なり合い、月に二本の腕が付いたように見えたのだった。
「っ、ヴィルヘルム様……この光景で、間違いありませんわ!!」
「何だって?」
私の隣に歩み寄り、ヴィルヘルムも影を確認した。そして、納得したように頷いたのだった。
「なるほどな。だったら、犯人は膝を曲げた状態のローレンスぐらいの身長ということか」
ローレンスが高身長ということもあり、彼はかなり膝を曲げて身体を屈めてくれていた。そしてその背丈は、かなり小柄なものとなっていた。
「このぐらいの身長ならば、小柄な男か、背の高い女といったところか」
「ただ、女性ならばヒール靴を履いている可能性もありますので、一概には言えないかもしれませんね」
体勢を戻しながら、ローレンスは言った。たしかに夜会はヒール靴を履いていくのが基本であり、ヒールなしの靴を履いている女性の方が稀だ。さらにヒールの高さに決まりは無いので、あまり当てにはならないのだった。
「そうですわね。それに……」
「?」
「あの日見た水面に映った銀髪は……もう少し輝いていたような……と思いまして」
ローレンスも美しい銀髪をしている。しかし、それ以上にあの日見た銀髪は光って見えたような気がしたのだ。
「恥ずかしながら、私は毛が細くて白寄りの髪色だからかもしれませんね。個人差もありますので、きっと犯人はもっと銀寄りの髪色なのでしょう」
「なるほど……ね」
現場検証を終えて、私たち四人は宮殿へと歩き出した。犯人を突き止めるにはまだ時間がかかりそうというのが、正直なところである。
「とりあえずレイチェル、銀髪の人間には注意してくれ」
「はい、承知しました」
私とヴィルヘルムがそんなやり取りをしていると、不意にこんな声が聞こえてきたのだった。
「……私は、ローレンス様の髪色がとっても素敵だと思います」
そう言ったのは、エマであった。
エマとローレンスは、私たちより少し離れて二人並んで歩いていた。少しだけ振り向くと、エマの言葉を聞いて驚くローレンスの顔が見えたのだった。
「レイチェル」
「は、はい?」
「二人を邪魔するのも無粋だろう。少し早足で歩けるか?」
ヴィルヘルムは、私にこそっと耳打ちした。そして意図を察した私は、すぐさま早歩きに切り替えたのだった。
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいな、エマ」
「い、いえ……」
エマの表情を見た訳ではない。しかし不思議と、彼女の声は照れながらも嬉しそうなものに聞こえたのだった。
パンを一口大に千切ってバターを塗ってから、私はヴィルヘルムの口元に持っていった。すると彼は口を開け、ぱくりと食べたのだった。
「えっと……、バターの量はいかがですか?」
「ああ、丁度いいよ。ありがとう」
朝食の席で、私とヴィルヘルムは隣同士で座っていた。いつもは食堂のテーブルを挟んで向かい合わせに座るのだが、今日はこうしたいと私が提案したのだ。こうすれば、彼がなるべく手を使わなくていいように補助できるからである。
フォークやナイフを使うものは自分で食べるが、パンを食べる時は私が千切って食べさせる。そんな形で、今日は朝食をとっているのである。
「指先のお痛みは、まだ続いてますか?」
ヴィルヘルムの指先には、傷薬を塗ってから一本ずつガーゼを巻いている。傷口が化膿するのを恐れて、私が朝食前に手当したのである。
「昨日よりもだいぶマシにはなってるから、問題ない」
「ふふ、それは良かったです。入浴後に、また貼り替えましょうね。傷口が化膿するのが怖いので、爪が伸びるまで五日間ぐらいは……」
「……くくっ」
「いかがなさいました?」
私が話している途中で、ヴィルヘルムはなぜか吹き出したのだった。
「いかがなさいましたか?」
「いや……今までお前をどう甘やかそうかとばかり考えていたが、まさか自分が、甘やかされる立場になるとは、と思ってな」
「なっ……!?」
正直、ヴィルヘルムを甘やかしている自覚は皆無だ。しかし言われてみれば、確かに過保護になっているような気も……する。
「だが、甘やかされるのも悪くないな」
「そう言われると、なんだか恥ずかしいですから……」
私からすれば、家族としてヴィルヘルムを手当したり補助しなければという使命感に駆られていたはずなのに、彼からすれば恋人のじゃれ合いのように捉えていたらしい。私は急に、顔に熱が集まってくるのを感じた。
「その、出すぎた真似をしてしまい……申し訳ございません」
「いや。こういうのも、たまには良いんじゃないのか?」
私の手のひらに手を重ねながら、ヴィルヘルムは言った。そこでふと私は、彼と二人でいる時、手を触れ合わせることが多いことに気づいたのだった。
「とはいえ手袋なしにこうしていられるだけで、十分に幸せではある……けどな」
「え?」
「伝えてなかったが、この手袋は魔力を使えなくさせるための物なんだ」
テーブルの端に置いた黒い手袋に目を向けて、ヴィルヘルムはぽつりと言った。
「この手袋を着けていることは、‘‘魔力で危害を加えない’’という意思表示であり、ある意味では武器を置いて降参しているのと同義だ。原則、私が公の場で手袋を外すことは禁じられている」
「……っ」
「そうまでしても恐れられるのだから、困ったものだ。やはり、猿轡を噛ましておいたとしても猛獣には近寄りたくないらしい」
ヴィルヘルムの言葉で、私はようやく理解した。彼にとって素手での触れ合いというのは、単なるスキンシップ以上の意味をもっているのだと。
「私からすれば……甘えたなワンちゃんにしか見えないこともあるのですが」
「……言ったな、レイチェル」
「ふふふっ」
窓からは、暖かな日差しが射していた。そして触れ合った手のひらの温かさは、何よりも心地よいものに思えたのだった。
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「じゃあ、エマ。お願いね」
「はい、かしこまりました」
その日の夜。私とヴィルヘルム、そしてエマとローレンスは、宮殿の庭園の池で現場検証を行っていた。
長い物干し竿の先に夜灯石を入れたガラスボウルを括りつけて、それを‘‘月’’に見立てる。そしてエマが竿の先端を池の真ん中にまで移動させると、水面に青白く丸い光が姿を現したのだった。
私が池の縁まで歩み寄ると、ルードガレス宮殿の中庭で見た光景が見事に再現された。しかし、本題はここからである。
「それではローレンス様、お願いします」
「はい、かしこまりました」
括っていた髪の毛を解いて、ローレンスは私の背後に立った。すると、銀色の長い髪が水面に映し出されたのだった。
しかし、ローレンスは背が高いため私の頭よりもだいぶ上に影ができてしまう。そこで彼は、少しずつ膝を曲げていった。
そしてある一点に達した時……月の影と銀髪の影が重なり合い、月に二本の腕が付いたように見えたのだった。
「っ、ヴィルヘルム様……この光景で、間違いありませんわ!!」
「何だって?」
私の隣に歩み寄り、ヴィルヘルムも影を確認した。そして、納得したように頷いたのだった。
「なるほどな。だったら、犯人は膝を曲げた状態のローレンスぐらいの身長ということか」
ローレンスが高身長ということもあり、彼はかなり膝を曲げて身体を屈めてくれていた。そしてその背丈は、かなり小柄なものとなっていた。
「このぐらいの身長ならば、小柄な男か、背の高い女といったところか」
「ただ、女性ならばヒール靴を履いている可能性もありますので、一概には言えないかもしれませんね」
体勢を戻しながら、ローレンスは言った。たしかに夜会はヒール靴を履いていくのが基本であり、ヒールなしの靴を履いている女性の方が稀だ。さらにヒールの高さに決まりは無いので、あまり当てにはならないのだった。
「そうですわね。それに……」
「?」
「あの日見た水面に映った銀髪は……もう少し輝いていたような……と思いまして」
ローレンスも美しい銀髪をしている。しかし、それ以上にあの日見た銀髪は光って見えたような気がしたのだ。
「恥ずかしながら、私は毛が細くて白寄りの髪色だからかもしれませんね。個人差もありますので、きっと犯人はもっと銀寄りの髪色なのでしょう」
「なるほど……ね」
現場検証を終えて、私たち四人は宮殿へと歩き出した。犯人を突き止めるにはまだ時間がかかりそうというのが、正直なところである。
「とりあえずレイチェル、銀髪の人間には注意してくれ」
「はい、承知しました」
私とヴィルヘルムがそんなやり取りをしていると、不意にこんな声が聞こえてきたのだった。
「……私は、ローレンス様の髪色がとっても素敵だと思います」
そう言ったのは、エマであった。
エマとローレンスは、私たちより少し離れて二人並んで歩いていた。少しだけ振り向くと、エマの言葉を聞いて驚くローレンスの顔が見えたのだった。
「レイチェル」
「は、はい?」
「二人を邪魔するのも無粋だろう。少し早足で歩けるか?」
ヴィルヘルムは、私にこそっと耳打ちした。そして意図を察した私は、すぐさま早歩きに切り替えたのだった。
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