赤と青のヒーロー

八野はち

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第一話 つまらない日常

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「死なないで!死なないで翼くん!」
「どうして⁉」
 私は翼くんの亡骸に顔を押し付ける。心臓の音は聞こえなかった。
 どうしてこんなことになってしまったのか。翼くんを救えなかった。
 突き放すように冷たく乾いた空気が、これが現実だと教えてくれていた。
 もう戻れない過去に私は思いを馳せた。



 
 小さいころから空を見上げるのが好きだった。
 絵具でぼかしたような淡い青のグラデーションと、それを際立たせるような白い雲をいつまでも見ていられた。空の向こうに行ってみたかった。
 本気で触れられるような気がして、何度も手を伸ばしたけど届かなかった。
 いつか今よりもっと大きくなったら届くんだろうって、本気で信じていた。
 十年経った今でも、手は届かない。




 六月、梅雨。窓の外は薄暗く、灰色の空が光を遮っていた。窓を流れる雨粒は景色をにじませ新たな雨粒へと代わっていく。どんよりとした空を見ていると心もどんよりとして来て嫌いだ。もう何日もこんな天気が続いている。いやな季節が来たもんだ。じめっとした空気が前髪をべたつかせ、気怠い心をさらに気怠くさせる。
 
 だが、それ以上に俺を憂鬱にさせる大きな要因は別にあった。進路調査票だ。高校二年にもなると誰しもが直面する進路選択というやつだ。俺はまだ進路を決めかねていた。いや、正確に言えば進路はとっくの昔に決まっている。ただタイミングの問題なのだ。まだ足りないのか、それとももう十分なのか、そのことを決めかねていた。

「進路まだ決まらないの?」
 
 ふと隣の席から覗き込んできた。星野茜だ。俺を殊更憂鬱にさせるもう一つの要素。

「ああ」
 
 ここは簡潔に答えておく。あの星野を相手に長話をする気はない。どうせ面倒なことになるにきまってる。というか話したのも今日が初めてなのだが。

「じゃあ私の相棒になってよ!」
 
 俺の懸念は案の定当たったようで星野はおよそ初対面とは思えない意味不明な言葉を投げかけてきた。なにがじゃあなのかさっぱり分からないし、相棒って何なのか意味が分からない。言葉のキャッチボール下手くそかよ。
 
 星野茜。この学校の有名人だ。周囲の目を一切気にせず、天真爛漫すぎるその言動は、入学して彼女が浮くまでそう時間をかけさせなかった。授業中気まぐれで抜け出すのは序の口で、屋上で宇宙人と交信したり、グラウンドに謎の超巨大な絵を描いたり、この学校の番長を倒して裏番長と呼ばれ不良たちに恐れられたり、その奇行は数知れず、俺のような噂とかに疎いような人間でもよく知っている。
 
 俺は噂を鵜呑みにする人間ではないのだが、去年授業中に廊下を走っていく星野を先生が追いかけていくシーンは何度も見かけているし、何より今年同じクラスになってからすでにいくつも派手な行動を起こしている。
 
 例えば先々週は生物室のすっぽんを授業中に水槽から出して教室をパニックに陥れたり、先週は掃除用の竹ぼうきを改造して先のとがった対不審者用の武器に作り替えたといって先生に叱られたりしていた。
 
 このように俺は星野のことをよくは知らないのだが、進んで関わりたくない変人だということは確かた。とにかく面倒ごとはごめんだ。
 最初のうちは黙っていれば可愛いということから話しかけに行く男子生徒もいたようだが、今ではすっかり目の上のたんこぶだ。

「いやだね。断る。そもそも俺の名前知ってるか?」
「ああ、そっか。ごめんね。自己紹介がまだだったね。私の名前は星野茜。好きな食べ物はいちご。特技は空手。将来の夢はヒーローになること!よろしくね!君は青井翼君だよね。もちろん知ってるよ」

 別に自己紹介がまだとかではなく、名前も知らないやつに適当にそんなこと言っているのかと思って聞いたのだが、どうやらそういうわけではないらしい。
 
 それにしても、将来の夢はヒーローになること、か。黒い何かが胸の中で溢れだそうとするのを何とか押し戻す。昔どこかの誰かが似たようなことをよく言っていた。遠い昔過ぎてもう思い出せない。そういいうことにしておこう。今は。そうじゃないとろくに会話もできそうにない。再び溢れ出しかけた罪悪感を無理矢理引っ込め、続けた。

「そうか。その年でヒーローとは何というか、チャレンジャーだな。頑張れよ。」
「あ、なにそのせいぜい頑張れ読みたいな感じー。バカにしてるな?私には分かるんだぞ。それに私は自己紹介したんだから君もするのが普通でしょ!」
 
 大分オブラートに包んだつもりだったがお気に召さなかったらしい。それにしてもあの星野から普通を説かれるとは心外だ。

「青井くんって意外と意地悪なんだね。それとも無礼なのかな?」
「安心しろ俺は二刀流だ。それに俺はだれにでもこうなわけじゃない。これは遠回しなお前と距離を置きたいという表現だ」
「そんなこと言わずに仲良くしようよー。あ、そうだ私の相棒になってよ」

こいつは強すぎる。遠回しな言い方も直接的な言い方も
聞かないだと。もはや先祖にニワトリがいるとしか思えん。こいつは骨が折れそうだ。

「だから断ると言ってんだろ。ていうか相棒ってなんだよ。どういう意味で言ってるんだ?」
「もう感が鈍いなー。相棒といえばヒーローの相棒に決まってるでしょ!レッドは私だからブルーとして私を支えて欲しいんだよ。それがブルーの務めでしょ?」

 どうやらヒーローショーのバイト役を探しているらしかった。
 そんなことはなかった。ちゃんと現実に目を向けなければいけない。
 というかそれは俺ではなく明らかにこいつの方だった。いつから相棒といえばヒーローを指すようになってしまったのか。俺が部屋に閉じこもっている間に世界は変わってしまったのだろうか。否。変わっているのはこいつだった。
 
 なるほど、いつも一人でいるこいつがやけに突っかかってくると思ったらそういうことか。こいつの名前は茜、俺の名前は青井。それで自分はレッドとし、その相棒のブルーとして俺を仲間に引き入れたいのか。なんとまあ単純なやつだ。単細胞生物なのではないか?こんなやつ相手に一体どう納得させて断ればいいんだ。相手はニワトリ型の宇宙人だぞ。
 俺が星野への対応に頭を抱えているといいタイミングで担任が現れた。

「おい星野!先生は確かにヒーローは書き直せ、そしてもっとお前の将来を具体的に書けと言ったが、なんだこれは!?」

 そこには第一志望「戦隊ヒーロー」、第二志望「仮面ライダー」、第三志望「セーラームーン」と書かれた進路調査票があった。

「誰がヒーローを具体的に掘り下げろと言った!?行きたい大学や専門学校の名前を書かんか!」

 どうやらこいつは筋金入りらしい。

「先生!ヒーローも立派な仕事だよ!ヒーローがいなければ子供たちは子供でいられないんだから!」
「お前はもう大人になればか者!あれはテレビの中での存在だと…」

 先生でも手を焼く星野に俺が勝てるわけもなく、めんどくさいのでさっさと家に帰ることにした。

 その日は不思議なことにいつも見る夢を見なかった。あんな話をしたものだから、いつも以上にひどい夢を見ることになると踏んでいたが違った。あの日から八年近く。毎日のように見ていたはずなのに。本当に不思議だ。
 もしかしたらこれは、澪と母さんからのもう十分だというメッセージなのかもしれない。なんて考えてしまうのはやはり罰が足りない証なのだろうか。
 しかしこんなに気持ちのいい寝起きは久しぶりだ。これで晴れてさえいれば完璧なのだろうが、あの日からずっと光の差さない俺には大差ないのかもしれない。
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