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第1章 運命の出会い
2話・心地良く響く声
しおりを挟むその日の昼前には件の叫び声の真相が本社内で噂されるようになっていた。率先して話を広めているのは営業部の面々だ。彼らは新入りを徹底的にからかうことに決めたようだ。
「いつまでメソメソしてんだ。ほら挨拶回り行くぞ。伊賀里の担当、全部お前に任せてやるからさ」
「うう、頑張ります……」
先輩営業マンに連れられてエントランスから出ていく阿志雄の姿を離れた場所から見守る人物がいた。短い黒髪に少し変わったフレームの眼鏡を掛けた、三十代手前の青年だ。半泣き状態の阿志雄を眺めながら口元を緩めている。
「おまえが笑うなんて珍しいな穂堂」
「加津瀬さん、おはようございます」
たまたま通りかかった大柄で年嵩の経理部部長、加津瀬が眼鏡の青年に声を掛けた。穂堂は穏やかな笑みを浮かべ、恭しく頭を下げる。この青年は人当たりは良いが、普段は愛想笑いばかりで自然に笑うことなど滅多にない。よほど面白いものを見つけたのか、と思いながら加津瀬は話を続けた。
「さっきのアレが今朝騒いでた犯人か」
「転勤早々情緒不安定なようですが、優秀な社員だと聞いております」
「本社発展に役立ってくれるといいが」
「……ええ、本当に」
その日の夜は東京支社、大阪支社から転勤してきた者がいる部署で飲み屋を一軒貸し切り、歓迎会が開かれた。
社員が増えた部署は三つ。営業部、情報システム部、そして総務部である。部署合同で開かれた飲み会では、やはり阿志雄が朝の件で周りからいじられていた。
「うわあああん!伊賀里センパイと一緒に働けると思ったのにぃ~!」
酒が入って更に感情のタガが外れた阿志雄は、人目も憚らずに泣き喚いている。店を貸し切りにしておいて良かった、と今回の歓迎会の幹事でもある穂堂は小さく溜め息をついた。
「なんでコイツは伊賀里に執着しとるんだ」
「本社研修の時に世話になったそうですよ。伊賀里さんの指導、優しいですもんね~。まさかこんなに好かれてるとは本人も知らないんじゃないですか?」
「ははぁ、なるほどなァ」
憧れの先輩とすれ違いになってしまい、阿志雄は悲しみに暮れていた。そこへ周りが面白がってどんどん飲ませるものだから、歓迎会が終わる頃にはすっかり酔い潰れてしまった。
テーブルに突っ伏し、ピクリとも動かない。
「ヤバい飲ませ過ぎた!誰かコイツを送ってやってくれ」
営業部の部長が周りを見渡すが、全員酔っ払っていて任せられる状態ではない。そこへ穂堂が手を挙げた。
「志多部さん、私は飲んでおりませんので車で送ります。彼の住まいは独身寮ですか?」
「いつもすまんな穂堂くん。阿志雄は少し離れたところにアパートを借りとる。住所はここだ」
営業部の部長、司田部から渡されたメモを受け取り、穂堂は首を傾げた。本社のすぐ側には独身寮として借り上げているアパートがあり、空きもあるというのに、わざわざ離れた場所に部屋を借りる意味が理解出来なかったからだ。
「ではお先に失礼いたします。店への支払いは済ませておりますので」
「わかった。阿志雄を頼む」
阿志雄に肩を貸し、駐車場に停めてある車の助手席に座らせた。酒のせいで呼吸もやや荒く、目を閉じて唸っている。自販機で買ったミネラルウオーターのペットボトルを渡し、顔を覗き込むようにして声を掛けた。
「阿志雄くん、阿志雄くん」
「んー……」
「気持ち悪くありませんか。とりあえず水を飲んでください」
「んん……?」
飲み過ぎで朦朧としていた阿志雄の耳に、穂堂の声は心地良く響いた。呼び方、話し方、声の高さ。それは憧れてやまない伊賀里に少し似ていて、自然と手が伸びる。
「なんでいなくなっちゃったんですかぁ……」
突然ぎゅう、と抱き締められた穂堂は予想外の状況に一瞬身体を強張らせた。動きを封じられたからではない。阿志雄の言葉が、かつて自分が大切な人に向かって発した言葉と同じだったからだ。
しかし、その緊張も長くは続かなかった。
「阿志雄くん?」
「……ぐぅ」
抱き着いたまま寝落ちた阿志雄の腕をそっと解き、穂堂は彼のアパートまで送り届けてやった。
【営業部 伊賀里 十和】
*彼はまだ名前しか出てませんが、こんな人です
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