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14話・記憶のふた

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「プーさんは自分のこと嫌だって言ったけど、私はそれで助かったんだよ。もしプーさんが普通に働いてたら私、行き場がなくて困ってたかも」
「そっか。そだね。俺が働かずにダラダラしてたのも無駄じゃなかったんだ」

 何もしてなかったからこそミノリちゃんと出会えた。全然カッコ良くないけど、それで彼女が少しでも救われたのなら構わない。

「でも、初めて会った時は昼間に外にいたよね?」
「家に食うもの何もなくて」

 あの日はコメも調味料も備蓄も全部一気に尽き、空腹に耐えかねて外に出た。出がけは曇り空だったから油断していたというのもある。そのおかげで、強い陽射しで立ち往生していたところをミノリちゃんに助けてもらえたのだ。

 こんなの、もう運命みたいなもんだろ。





「そういえば、プーさんてほぼ一人暮らしなんだよね。ごはんどうしてるの?」
「レトルトかインスタントラーメン」
「なにそれ! 料理しないの?」
「一人だとめんどくさくて……」

 元々そんなに食べるほうではないし、食に執着もない。準備や後片付けの手間を考えると億劫で、簡単なもので済ませてしまうクセがついた。食事を抜くことも珍しくない。

「じゃあ、この前あげた野菜は」
「ナスとピーマンは焼いて、それ以外は生でかじった」
「うわあ」

 火を使った時点で俺の中では『料理』である。そんな貧しい食生活を憐れに思ったか、ミノリちゃんが「なにか作ろうか?」と申し出てくれた。
 一緒に一階の台所に移動する。

「今ある材料はこれだけ?」
「うん」

 しなびて芽が出始めたジャガイモと玉ねぎ、張りのなくなった人参、冷蔵庫の中には賞味期限がやや過ぎた豚コマがあった。乏しい食材を見て、ミノリちゃんは眉間にしわを寄せてぐぬぬと唸る。そして、冷蔵庫の片隅にあったものを発見した。カレールーだ。

「カレーライスにしよう!」

 俺んちの狭くて薄暗い台所に立ち、コメを研ぎ、炊飯器をセットする。慣れた手つきで包丁を使って野菜の皮を剥き、切り分けていく。

「ミノリちゃん、料理出来るんだ~」
「家でたまに作ってるから」

 さすが女の子。両親が共働きなんだっけ。やらざるを得ない時があったんだろうな。

 トントントンと響く規則正しい包丁の音。ここで家族以外が料理することになるなんて思いもよらなかった。その小さな背中を眺めていたら、吸い寄せられるように足が前に出た。

「ねえ、フライパンどこ?」

 背を向けたままの彼女に声を掛けられ、身体が固まる。でも、一度進み出したら止まらない。

 ゴトン、と包丁がまな板に落ちた音がした。

 彼女の身体が僅かに強張ったのが分かる。両腕を回して抱きつけば、見た目より遥かに華奢な、女の子特有の柔らかな感触と甘い匂いに混乱して何も考えられなくなる。




 ──手放した思考の代わりに、記憶の底に押し込めていたものがそろりと顔を出してきた。
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