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本編
第19話:寧花の事情
しおりを挟む日曜の午前中に寧花がやってきた。荷物は大きな茶封筒ひとつのみ。家を出た時に持っていったという旅行カバンはない。
これは一時的な帰宅ということだ。
夫婦の話し合いに部外者がいるわけにはいかない、と龍之介は席を外そうとした。しかし、寧花と謙太の両方から引き止められてしまった。
ダイニングテーブルに向かい合って座る二人。
陽色は数日ぶりに会った母親にくっついて離れない。寧花は何故か複雑そうな表情で陽色を膝に乗せて抱いている。
龍之介は謙太の隣に座り、二人の話し合いを見守ることになった。
しばらく沈黙が続いた後、寧花がバッと頭を下げた。テーブルに額がつく勢いだ。
「……ごめんなさい、謙太さん」
寧花が口にしたのは謝罪だった。
これは突然子どもを置いて家を出たことに対する謝罪だろうか。罵倒されると思い込んでいた謙太は寧花の態度に困惑し、慌てふためいた。
「あ、いや、オレもごめん。ずっと子育て任せっきりにしちゃって。……ホントにごめん」
負けじと謝る謙太。
しかし、寧花はまだ頭を下げたまま。どうも様子がおかしい。彼女は青い顔をして、額には脂汗をかいていた。陽色を抱いている手も震えている。
「離婚してください」
寧花はいきなり離婚を切り出してきた。
やはり謙太が家庭を顧みなかったからかと思われたが、そうではなかった。寧花は持参した封筒から一枚の書類を取り出した。
謙太はそれを恐る恐る手に取った。
「……親子鑑定?」
DNA鑑定報告書。見出しには太字で『親子関係 否定』と表示されている。
『擬父は子の生物学上の父親ではない』
『父権肯定確率:0パーセント』
そこに並ぶ文言は全て父と子の血の繋がりを否定するものばかりだった。
「陽色は謙太さんの子どもじゃなかったの。ごめんなさい」
「……え、なに、どういうこと?」
書類を手にして文面を何度も読み返すが、あまりにも突然のことで謙太は理解が追い付かない。問い質そうにも次の言葉が出てこず、ただ書類と寧花、そして陽色を交互に見つめるのみ。
「つまり、浮気してたってこと?」
「違います、それは絶対ありません!」
横から龍之介が口を挟むと、寧花は顔を上げて否定した。
では、何故陽色は謙太の子ではないのか。
それは二人の馴れ初めに原因があった。
当時、前の交際相手と別れたばかりだった寧花は失恋の痛手を癒やすために参加した飲み会で謙太に出会った。そして、その日のうちに関係を持った。
「……おまえ……」
「オレも失恋したばっかで悪酔いしてたんだよ」
それを切っ掛けに二人は交際を開始し、その一ヶ月半後に妊娠が判明。寧花が妊娠を打ち明けた時、謙太は迷わずプロポーズしたという。
「付き合って間も無いのにすぐ結婚を決めてくれて、すごく嬉しかった」
この時、寧花はおなかの子が謙太の子だと信じていた。
「でも、六ヶ月健診で引っ掛かって検査した時に血液型が合わないことに気付いて」
陽色の成長が遅いからと血液検査を受けた。その際に、謙太と寧花からは生まれるはずもない血液型だと判明した。
そこで寧花は初めて陽色が謙太の子どもではない可能性に思い当たった。すぐにDNA鑑定キットを取り寄せ、調べることにした。
結果が届いたのが家を出る数日前。
「え、待って。オレそんな検査受けてない」
「謙太さんが寝ている間に細胞を取ったの」
「嘘だろ……」
DNA鑑定の検体を取るには、専用の綿棒で口の中を何度も擦って細胞を採取する必要がある。
謙太は一度寝たら起きない。気付かれずに検体を手に入れるのは非常に簡単だっただろう。
「たぶん、陽色は前の彼氏の子どもだと思う。騙すつもりはなかったけど、結果的に謙太さんを裏切ることになってしまって……本当にごめんなさい」
泣きながら謝る寧花を前にして、謙太と龍之介は完全に言葉を失った。
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