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100話・ご報告
しおりを挟む翌日、オクトの町は静かだった。
いつもなら早朝から活動を始める冒険者たちのほとんどが酔い潰れ、二日酔いで動けなくなっていたからだ。おかげで僕たちが昼近くまで眠っていても目立たずに済んだ。
「君の体力が戻ってからの話だが」
宿屋の一階にある食堂でお昼ごはんを食べながら、ゼルドさんが口を開いた。難しい顔で言いにくそうな表情をしている。
「拠点を移そうと考えている」
オクトから別の町へ。いつかはそうなると聞いてはいたけれど、具体的な予定が立つと寂しく思う。
新たなダンジョンが発見され、冒険者ギルドの支部が作られた際にメーゲンさんたちと共にオクトにやってきた。やっと町の人たちと仲良くなってきたところだ。
でも、ゼルドさんと共に行くと約束している。僕はただ彼に着いていくだけ。
「わかりました。次はどこに?」
笑顔で問えば、ゼルドさんは少し迷ってから口を開いた。
「とりあえず、王都に行くつもりだ」
「王都へ?」
意外な行き先に思わず聞き返してしまう。
もっと田舎の小さな町や村に行くのだと勝手に思い込んでいた。王都は既に複数のダンジョンがあるし、ゼルドさんの旅の目的とは関係ないはずなのに。
「君が育った孤児院に挨拶に行きたくてな」
「えっ、挨拶?」
「ああ。今も手紙のやり取りを続けているのだろう?一度元気な姿を見せに行こう」
「は、はい」
二年前に王都を飛び出してから、院長先生とは一度も会っていない。卒院してからもずっと気にかけてくれる、僕の親代わりみたいな人だ。久しぶりに会って、無事にダールと再会できたことを直接報告したい。
嬉しさで浮上した気持ちは、次の瞬間地に落ちた。
「私は一度実家に行く」
「えっ……」
実家に行くと聞いて、真っ先にヘルツさんを思い出す。僕を排除しようとしたフォルクス様の従者。マーセナー家の屋敷には、もちろん彼もいる。
顔色を悪くした僕を見て、ゼルドさんは苦笑いを浮かべた。
「フォルクスの子の誕生祝いに行くだけだ」
そうだ、子どもが産まれたばかりだと言っていた。フォルクス様の息子ということは、ゼルドさんから見れば甥にあたる。身内なのだから、お祝いのために立ち寄るのは当たり前のこと。
「君が心配するようなことは何もない」
「……はい」
ゼルドさんはそう言うけれど、僕はやっぱり不安だった。
彼の気持ちを疑っているわけじゃない。でも、幾つかの問題が解決しないまま残っている。指摘して、もし何かが変わったらと思うと何も言えなかった。
「それで、オクトを発つ前にギルド長たちに話をしておきたい。できれば早めに」
「じゃあ今日行きます?」
「ああ、そうしよう」
お昼ごはんを食べ終えてからギルドに顔を出し、夜に時間を空けてもらえるように頼んだ。
すっかり日が落ちた頃、夜の通りを歩いてギルドへと向かう。営業時間が終わったフロアには誰もおらず、最低限の明かりが灯されているだけ。
階段を登り、執務室の扉をノックすると、中から「開いてるぞ」と返事があった。
「こんばんは」
「おう、来たか」
重い木製扉を押し開き、室内へと入る。
ギルド長の執務室では毎夜反省会という建前で飲み会が開かれている。今夜も既に三人は飲み始めていた。
「いらっしゃい。ゼルドさん、ライルくん」
「ライル~、あたしの隣に座るか~?」
マージさんは仕事中と変わらないけど、アルマさんは真っ赤な顔でケタケタ笑っている。
二人に挨拶をしてから、ゼルドさんと並んで空いているソファーに腰を下ろした。
「んで?改まって何の話だ」
わざわざ仕事が終わってからの時間を指定したのだ。ただの世間話ではないとメーゲンさんは気付いている。
問われたゼルドさんは、真っ直ぐ彼らの目を見て話を切り出した。
「実は、そろそろ拠点を移そうと考えている」
「は?」
「ホントなの、ゼルドさん」
冒険者の拠点移動は珍しい話ではないけれど、オクトのダンジョン探索で一番先を行くゼルドさんが他へ移るとなると話は別だ。特に、先日第四階層の大穴を渡るための橋が完成したばかり。これからという時に何故、といった反応が返ってくるのは想定内。
「ああ。もう決めたことだ」
ゼルドさんの態度から、何を言っても意志を翻すことはないと悟ったか、メーゲンさんは僅かに浮かせた腰を再びソファーに下ろして小さく息をついた。
「まあ、どこで活動するかは本人の自由だ。ギルドとしては強い冒険者にいてもらいたいけどな」
「すまない」
残念そうに肩を落とすメーゲンさんに謝罪してから、ゼルドさんは更に言葉を続ける。
「私はライルくんを連れていくつもりだ。今日はその許しを貰いに来た」
拠点移動の話だけでもショックを受けていた三人は、僕までいなくなると聞いて完全に言葉を失った。ぽかんと口を開け、ぴくりとも動かない。
「あ、あの、メーゲンさん……?」
声をかけても返事はない。しばらく沈黙が続いた後、一番早く気を取り直したのはマージさんだった。
「私が紹介したんだもの。そうなる可能性も考えていなかったわけじゃないわ」
深い溜め息を吐き出してから、マージさんは向かいに座るゼルドさんを見据えた。眼鏡の奥の目付きは厳しい。
「ライルくんが貴方に心を開いていることも知っているわ。でも、私たちの目の届かないところに行かれたら……」
そこまで言って、口を噤む。
メーゲンさんたちに保護されて支援役になった後、たちの悪い冒険者パーティーから搾取された過去がある。僕が被害に遭っていると真っ先に気付いてくれたのはマージさんだった。遠く離れてしまえば何かあっても助けられない。
つい先日怪我を負って心配をかけてしまったばかりだし、慎重になっているのだろう。
「あたしはライルにずっとオクトにいてもらいたいんだがな~」
「あんたは片付けさせたいだけでしょうが!」
アルマさんの脳天をマージさんが手刀で勢い良く打つ。そうこうしているうちに、放心していたメーゲンさんが気を取り直した。
「ライルがついていきたいってんなら俺たちが止めることはできねぇ。もし何かあったら、……いや、何もなくてもいい。俺たちはオクトにいるから、いつでも顔を出せ」
メーゲンさんの言葉に、マージさんたちも頷いている。その気持ちが嬉しくて、不覚にも泣けてきてしまった。弱った僕を保護し、親身になってくれた人たちだ。返しきれないほどの恩がある。
涙目になった僕の肩を抱き寄せ、ゼルドさんは三人に向かって宣言した。
「私の命にかえてもライルくんを守る。だから、信じて預けていただきたい」
しん、と執務室が静まり返る。
「な、なんだ。まるで結婚の許しをもらいにきたみたいだな」
あまりにも真剣なゼルドさんの雰囲気に飲まれ、メーゲンさんは口元を引きつらせた。
「そ、そういうわけじゃ」
慌てて僕が弁解すると、ゼルドさんは大真面目な表情で言葉を続ける。
「そう捉えてもらって構わない。私はライルくんと生涯を共にすると決めている」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
今度こそ三人は固まってしまった。
仕方ないので、僕たちはそのままギルドの建物を後にして宿屋へと戻った。
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