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114話・正妻の行動理由
しおりを挟む「結婚した後も関係を改善しようとしなかったのはフォルクス様も同じではないですか!」
「そ、それは、アンナルーサが生意気な態度を取るから」
第二夫人から厳しい口調で責められて、フォルクス様はしどろもどろになっていた。
「アンナルーサ様がなぜ拒絶し続けているのか分かりませんか。決してゼルディス様やフォルクス様がお嫌いだからではないんですよ」
「では、なぜ」
まだ理解できないといったフォルクス様の様子を見て、ハンナ様が更に言葉を続けようとした。それをアンナルーサ様が止めた。
「およしなさい、ハンナ。貴女が怒ることはないわ」
「ですが、このままではアンナルーサ様が」
優しく宥められ、ハンナ様はしゅんと肩を落とした。代わりにアンナルーサ様が話を続ける。
「私は生まれた時から売られることが決まっておりました。より多くの金銭的援助をしてくれる裕福な家に嫁ぐように、と。血筋しか取り柄がなく、何の努力もしない親が嫌で嫌で……。でも、親から逃れるためには他家に嫁ぐしか方法がありませんでした」
誰も言葉を発することなく、ただ彼女の言葉に耳を傾けた。
「私は自分の血を残したくありません。私を高貴な血を継ぐ子を産むための道具として売り買いした大人たちの思い通りになりたくない。それだけが私の望みなのです」
望みと言い表すにはあまりにも悲しいことだと僕は思う。
アンナルーサ様にとって『結婚して子を産む』という『女性としての一般的な幸せ』は忌避すべきことでしかなかった。
親から解放されるためには嫁ぐしかない。ならば、嫁いだ先で徹底的に嫌われれば良い。
最初の婚約者であるゼルドさんはいなくなり、代わりに結婚したフォルクス様は指一本触れようとしない。こうなるように仕向けたのはアンナルーサ様自身。自らの矜持を守るため、彼女は幼い頃から必死になって策を講じてきた。
「その代わり、アンナルーサ嬢は現当主の正妻としてマーセナー家を守ってくれていたのだろう。バルネアから聞くまで知らなかったが、多くの貴族と友好的な関係を築いているそうだな」
「社交くらいしか能がありませんもの」
先ほど庭園の四阿で言っていた。フォルクス様やハンナ様は貴族同士の駆け引きには不向きだと。子どもを産まない代わりに、アンナルーサ様なりにマーセナー家のために頑張ってくれていたのだ。
「そもそも、わたしと貴方を引き合わせてくださったのもアンナルーサ様なんですよ。お忘れになりましたの?」
「そ、そうだったか」
ハンナ様にジト目で睨まれ、フォルクス様は肩身が狭そうだった。
「フォルクス」
鈴の鳴るような綺麗な声が客間の空気を静まらせた。アンナルーサ様はぴんと背筋を伸ばし、真っ直ぐフォルクス様を見据えている。
「確かに、此度のことは私の我が儘が発端で起きました。貴方の大事な兄上を傷付け、有能な従者を失わせたのも全て私のせい。離縁されても仕方ありません」
「それでは、実家への援助は」
「打ち切っていただいて構いません」
援助を打ち切れば、アンナルーサ様の実家は立ち行かなくなるのではないか。誰もがそう心配した。
「婚約が決まってから十五年間ずっと援助していただいてるのに食い潰すばかりで領地の経営が改善されることはありませんでした。これ以上の援助は無駄です」
きっぱりと言い切ったアンナルーサ様の表情はどこか晴れやかだった。
「ハンナが可愛い子を産んでくれたんですもの。もう私は必要ありませんわ」
高貴な血に執着していた先代ガーラント卿は亡くなり、遺志を継いだヘルツさんも捕まった。もうアンナルーサ様がマーセナー家に残る必要はない。
しかし。
「嫌です!アンナルーサ様がいてくださらないと困ります!」
真っ先に反対したのはハンナ様だった。彼女はアンナルーサ様のそばに跪き、涙目で縋りつきながら訴える。
「わたしに正妻は務まりません!アンナルーサ様でなければ他家の奥様がたと渡り合うことなどできませんわ!」
「ハンナったら。すぐ慣れるわよ」
「いいえ!それに、産後すぐフォルクス様がオクトに行って留守にした際も、アンナルーサ様はわたしを支えてくださいました。領地で問題が起きた時も迅速に対応してくださいました。夫より頼りになる存在なのです!」
全員の冷たい視線がフォルクス様に集中した。
ハンナ様が男児を産んだ後、フォルクス様はゼルドさんに会うためだけにオクトにやってきた。そうするように仕向けたのはヘルツさんだけど、嬉々として従ったのはフォルクス様だ。領地だけでなく、産後間もないハンナ様と赤ちゃんを一ヶ月半も放ったらかしにしていた事実は消えない。
「……一番身勝手なのは、私か」
頑なにアンナルーサ様を拒絶し続けてきたフォルクス様から毒気が抜けた。ほうけたような表情で、深く息を吐き出している。
「結局、私はヘルツのことを何も知らなかった。アンナルーサがマーセナー家のために尽力していたことも知ろうとすら思わなかった」
ゼルドさんはソファーから腰を上げ、向かいに座るフォルクス様の肩にそっと大きな手のひらを置いた。
「これから知ればいい。おまえには支えてくれる存在がいることを忘れるな」
フォルクス様は目を見開き、ゆっくり客間を見渡す。手を取り合う正妻と第二夫人、そして兄の姿を見た。
「立派な跡継ぎがいるのだから、その子に恥じぬ生き方をせよ」
「兄上……!」
客間に響く小さな嗚咽が、マーセナー家にあったわだかまりを少しずつ溶かしていくようだった。
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