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115話・彼の選択肢
しおりを挟むマーセナー家から辞した僕たちは中心街にあるバルネア様の家に戻り、今回の件を報告した。
「そうか、うまく話がついたか!」
「思わぬ問題もあったが、もう大丈夫だろう」
思わぬ問題とは、ヘルツさんがゼルドさんとアンナルーサ様に媚薬を盛ろうとした件と、跡取りの赤ちゃんに危害を加える意思を持っていた件だ。あと、僕を買収しようとした件も。
オクトでのことを反省して心を入れ替えてくれていれば、今回は誕生祝いを兼ねた単なる帰省で終わるはずだった。でも、更なる強行手段に出ようとしたため、ついにヘルツさんは拘束された。どういう処分を下すのかはフォルクス様次第だけど、従者として側に置くことだけは二度と無いだろう。
「そういえば、どうしてこんな大事なものを僕に預けたんですか。何も知らなかったのでびっくりしました」
ループタイを指さして問うと、バルネア様がカラカラと笑った。
「グラウス家の紋章を身につけていれば、マーセナー伯爵夫人は必ず君を守ってくれると思ってな。彼女は貴族の紋章や家族構成を全て把握しているし、俺の姉とも仲が良いから」
「そうでしたか」
確かに、アンナルーサ様は僕を『大事なお客様』として扱ってくれた。ヘルツさんから心無い言葉を言われた時も本気で怒ってくれた。そうなるようにバルネア様が根回しをしていたのだ。
借りていた服を脱ぎ、いつもの服に着替えると、ようやく緊張が解れた。ずるずるとソファーにへたり込み、溜め息をつく。
「まあ、大丈夫?疲れたの?」
「すみません、気疲れしちゃって」
「気持ちは分かるわ~。わたしも主人の実家に行くとすっごく肩が凝るもの。仲は良いんだけど、どうしてもね」
バルネア様の実家は侯爵家だ。緊張どころの話ではない。
「あの、お洋服すごく着心地良かったです。ありがとうございました」
「それなら良かった!今日着た服はそのまま差し上げるわ」
「いえっ!こんな立派な服いただけません」
「気にしないで。わたしが趣味で作ったものだから、受け取ってもらえたら嬉しいのだけど」
「じゃあ、ありがたく頂戴します」
僕のサイズに合わせて調整したのだから売り物に回せない。下手に遠慮するのも逆に失礼かと思い、受け取ることにした。
そのまま奥さんと裁縫についての話で盛り上がった。僕は簡単な繕いものしかしないけど、ゼルドさんの鎧の下に着る服を改造した話や汗取り布の話をしたら、奥さんは興味深そうに聞いてくれた。
「ライルくん、うちの店で針子しない?手先が器用そうだし、発想力もあるし、即戦力になりそう」
「無理ですよ、そんな」
しばらく談笑していたら、不意にバルネア様が真剣な表情でゼルドさんに向き直った。
「それで、おまえはこれからどうする」
「また旅に出るつもりだ」
問われたゼルドさんは迷いなく答えた。
しかし、バルネア様は引き下がらない。
「騎士に戻る気は?」
「とっくに辞めた身だ。考えてはいない」
「冒険者としての活躍は噂に聞いている。騎士時代より更に強くなったのだろう?問題だった聴力も回復しているようだし、おまえが望むならすぐにでも団長に話を通すが」
二人の話を聞くうちに胸が苦しくなった。
僕が一番恐れていたのは、ゼルドさんが冒険者をやめて騎士に戻ること。そうなればずっと一緒にはいられない。今の鎧ではなく騎士の鎧を装備するようになれば『対となる剣』の意味がなくなり、支援役ごと不要になる。
「しつこいぞ、バルネア」
「そう言うなよ。ホネのある者がいなくて困ってるんだ。ゼルディスには若い騎士の規範となってもらいたい」
僕は十年前騎士団によって救われた。
ゼルドさんが復帰すれば、きっと立派な騎士になる。多くの人の助けとなるはずだ。もしその道を選ぶのなら、笑顔で応援しなくては。
「あら、どうしたの」
「ごめんなさい。お手洗い借ります」
なんとかゼルドさんを口説き落とそうとするバルネア様の言葉を聞きたくなくて、理由をつけて客間から飛び出した。廊下の突き当たりでうずくまり、涙を堪える。
今日、彼は何度『ゼルディス』と呼ばれただろう。そっちが本当の名前で、『ゼルド』は冒険者としての通称なのだと分かっている。でも、オクトで出会った時からゼルドさんはゼルドさんだ。貴族の『ゼルディス』じゃない。
「……ゼルドさん……」
自分にも聞き取れないほどの小さな声で彼の名前を呼ぶ。もし冒険者をやめたら、この名前も無くなってしまうのかと思うと悲しくなった。
僕が望めば、ゼルドさんは自分の意志を曲げてしまう。それだけはダメだ。
「ライルくん」
「うわ」
急に後ろから声を掛けられ、びくりと肩を揺らす。振り向けば、ゼルドさんが心配そうな表情でうずくまる僕を見下ろしていた。
「なかなか戻らないからどうしたのかと。気分が悪いのか」
どうやら僕は随分と顔色が悪いようだ。精神的にも疲れているし、絶好調とは言い難い。本音を言えば、早く宿屋に帰りたい。でも、久しぶりに再会した友人との語らいを中断させたいわけじゃない。
「ゼルドさん、僕……」
どうしたらいいか分からず視線を伏せる僕のそばに膝をつき、ゼルドさんが頬に触れた。大きな手のひらに労わるように撫でられて、少しだけ心の重石が軽くなる。
「今日は無理をさせてしまった。早く休まねば」
「でも、バルネア様とのお話は」
「構わん。君のほうが大事だ」
そう言って、ゼルドさんは僕に手を貸して立たせてくれた。
客間に戻って帰る旨を伝えると、バルネア様も奥さんも必死になって引き止めてきた。
「夕食くらい食べていってよ~!」
「なんなら泊まってもいいんだぞ」
「いや、その気持ちだけで十分だ」
二人の協力と気遣いに心から感謝して、僕たちは宿屋へと戻った。
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