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deep end
deep end -1-
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玄関を開けた瞬間から、嫌な予感はしていた。
いつものように、バイトを終えての帰宅。そしてリビングの扉を開けると、ソファに座っていた美紅が観ていたテレビを消して、振り返る。
「おかえり。ちょっと話があるから、そこ、座りなさい」
非常に冷たい声。
しかも、毎日飲んでいるハズのアルコール感がない。テーブルに乗っているのも、ビールではなく、お茶。
これが。
ルカが一番恐れる美紅の“お説教”スタイルである。
何、やったっけ?
さすがに大学に入ってからはがっつり怒られるようなことはしていないつもりだが。
中学、高校時代。ちょっとしたトラブルは黙認してくれていた美紅だが、ここぞ、というお説教には親父の口さえ挟ませない。
例えば先生に対する口のきき方や態度、例えば祖父母(親父の両親)に対する礼儀を弁えない甘え。
美紅にとって、それらは絶対的で、そこに対してだけは厳格な態度で躾をしていて。
基本的に根が真面目なルカなので、がっつり怒られることはそんなにないのだが、清華がたまにゆかりにナメた態度なんてものを取っていると、こうやって真正面からこんこんと叱られているのを時々見かける。
「ゆかりが、前川と会った、って聞いたんだけど」
前川。ゆかりの、元ダンナだ。
「あ……ゆかりちゃんから、聞いたんだ」
「あんたと一緒にいた時で、あんたに助けてもらったから大丈夫だったって」
「うん、ちょっとゆかりちゃんがヤバい感じになりかけたけど、一応」
「詳しく!」
ギロ、という擬音さえ聞こえてきそうなくらい、その鋭い目に力が入る。
この恐ろしさ。
これこそが美紅が元ヤンであることを物語っていて。
ルカは恐々としながら、プラネタリウムであった一件を話して聞かせた。
「家族でいたの?」
「前川さんと、多分その奥さんと息子だと思う」
「恥ずかしげもなく!」
拳を握りしめると、パキっと鳴る音。に、ルカは少しビクっと震えた。
「この期に及んで、また、ゆかりを泣かせやがって」
怖いんです、ほんとに。
普段は完全に“ヤンキー”感は消していて、気のいいおばちゃんでしかない美紅だが、こうやって一度その逆鱗に触れると、過去数百人の手下を率いてヤンチャし放題だったという噂――あくまで噂である。さすがにルカは知り得ない――が真実味を帯びる程、目力が驚異的に増す。
「あ、えと。でも」
「何?」
いや、だから俺を睨まなくても。
口を挟んだルカに対する目が、それだけで気の弱い人間なら泣いて平謝りしそうな勢いで。
「ゆかりちゃん、大丈夫、だったから」
「はあ?」
「すごい、泣いてたんだけど、でも、ちゃんと見えてたから。あの時は俺たちの声が全然聞こえなくなったけど、そんなこと、なくて。ちゃんと、俺のこと見て現実にすぐ戻って来てくれたから」
そう。ゆかりちゃんは、逃げなかった。
目の前にある現実から目を背けなかったから、苦しくていっぱい泣いてしまったけど。
美紅にビビりながらも、きちんと伝えたかった。
ゆかりがきちんとゆかりらしく、強く現況に対応できていることを。
「ルカ……あんた、ゆかりと付き合ってんの?」
と、何故か美紅から不意打ちを食らう。
「はあ!?」
「最近しょっちゅうゆかりと出かけてるし、何かって言うとゆかりもあんたの名前出すし」
「ないない、ないです!」
慌てて否定。
なんだ、この流れは!
「ゆかりちゃんに、車運転させてもらってるだけ、だから」
「そうなの?」
「そうです! ほんとに! 誓って!」
ゆかりに手を出したのか、という美紅の目が怖くて。
ルカは力強く否定して、決してゆかりに対してやましいことなどないと主張した。
「ま、別にいいけど」
え?
「あんたがゆかりを好きなのはわかるけど、ゆかりがあんたなんか相手にしないだろうからね」
ほんとに、いろんな意味で、怖いと思う。
何だよ、全部お見通しかよ。
「ゆかりも、まだまだ全然若いんだから、多少遊んじゃえばいいのよ」
美紅の目が、いつもの穏やかなそれに戻っていて。
ちょっと鼻で笑いながら言う。
「七海も、もうちっちゃいコじゃないし。分別弁えて遊ぶくらい、ゆかりならできるんだしね」
「いや、遊ぶって」
「遊び相手があんたなら私も安心だしね」
「ええっ!」
「ま、ゆかりの暇つぶしの相手くらいしてあげたら?」
俺がもてあそばれるの、前提ですか。
「ただし、ゆかりを泣かすようなことになったら」
わかってるわよね、という目が。また。
この人は、その目で人を殺せるんじゃないだろうか、という目で。
「…………わかってます」
手を挙げて、誓う。
まあ、間違いなく、自分がゆかりを泣かせるなんてあり得ないわけで。
遊び相手。か。
いいかもしれない。それでゆかりの気がまぎれるのなら。
話は終わったということで、美紅はおやすみ、と言って親父の待つ寝室へと戻って行ったが、ルカはリビングで暫く放心したように座り込んでいた。
いつものように、バイトを終えての帰宅。そしてリビングの扉を開けると、ソファに座っていた美紅が観ていたテレビを消して、振り返る。
「おかえり。ちょっと話があるから、そこ、座りなさい」
非常に冷たい声。
しかも、毎日飲んでいるハズのアルコール感がない。テーブルに乗っているのも、ビールではなく、お茶。
これが。
ルカが一番恐れる美紅の“お説教”スタイルである。
何、やったっけ?
さすがに大学に入ってからはがっつり怒られるようなことはしていないつもりだが。
中学、高校時代。ちょっとしたトラブルは黙認してくれていた美紅だが、ここぞ、というお説教には親父の口さえ挟ませない。
例えば先生に対する口のきき方や態度、例えば祖父母(親父の両親)に対する礼儀を弁えない甘え。
美紅にとって、それらは絶対的で、そこに対してだけは厳格な態度で躾をしていて。
基本的に根が真面目なルカなので、がっつり怒られることはそんなにないのだが、清華がたまにゆかりにナメた態度なんてものを取っていると、こうやって真正面からこんこんと叱られているのを時々見かける。
「ゆかりが、前川と会った、って聞いたんだけど」
前川。ゆかりの、元ダンナだ。
「あ……ゆかりちゃんから、聞いたんだ」
「あんたと一緒にいた時で、あんたに助けてもらったから大丈夫だったって」
「うん、ちょっとゆかりちゃんがヤバい感じになりかけたけど、一応」
「詳しく!」
ギロ、という擬音さえ聞こえてきそうなくらい、その鋭い目に力が入る。
この恐ろしさ。
これこそが美紅が元ヤンであることを物語っていて。
ルカは恐々としながら、プラネタリウムであった一件を話して聞かせた。
「家族でいたの?」
「前川さんと、多分その奥さんと息子だと思う」
「恥ずかしげもなく!」
拳を握りしめると、パキっと鳴る音。に、ルカは少しビクっと震えた。
「この期に及んで、また、ゆかりを泣かせやがって」
怖いんです、ほんとに。
普段は完全に“ヤンキー”感は消していて、気のいいおばちゃんでしかない美紅だが、こうやって一度その逆鱗に触れると、過去数百人の手下を率いてヤンチャし放題だったという噂――あくまで噂である。さすがにルカは知り得ない――が真実味を帯びる程、目力が驚異的に増す。
「あ、えと。でも」
「何?」
いや、だから俺を睨まなくても。
口を挟んだルカに対する目が、それだけで気の弱い人間なら泣いて平謝りしそうな勢いで。
「ゆかりちゃん、大丈夫、だったから」
「はあ?」
「すごい、泣いてたんだけど、でも、ちゃんと見えてたから。あの時は俺たちの声が全然聞こえなくなったけど、そんなこと、なくて。ちゃんと、俺のこと見て現実にすぐ戻って来てくれたから」
そう。ゆかりちゃんは、逃げなかった。
目の前にある現実から目を背けなかったから、苦しくていっぱい泣いてしまったけど。
美紅にビビりながらも、きちんと伝えたかった。
ゆかりがきちんとゆかりらしく、強く現況に対応できていることを。
「ルカ……あんた、ゆかりと付き合ってんの?」
と、何故か美紅から不意打ちを食らう。
「はあ!?」
「最近しょっちゅうゆかりと出かけてるし、何かって言うとゆかりもあんたの名前出すし」
「ないない、ないです!」
慌てて否定。
なんだ、この流れは!
「ゆかりちゃんに、車運転させてもらってるだけ、だから」
「そうなの?」
「そうです! ほんとに! 誓って!」
ゆかりに手を出したのか、という美紅の目が怖くて。
ルカは力強く否定して、決してゆかりに対してやましいことなどないと主張した。
「ま、別にいいけど」
え?
「あんたがゆかりを好きなのはわかるけど、ゆかりがあんたなんか相手にしないだろうからね」
ほんとに、いろんな意味で、怖いと思う。
何だよ、全部お見通しかよ。
「ゆかりも、まだまだ全然若いんだから、多少遊んじゃえばいいのよ」
美紅の目が、いつもの穏やかなそれに戻っていて。
ちょっと鼻で笑いながら言う。
「七海も、もうちっちゃいコじゃないし。分別弁えて遊ぶくらい、ゆかりならできるんだしね」
「いや、遊ぶって」
「遊び相手があんたなら私も安心だしね」
「ええっ!」
「ま、ゆかりの暇つぶしの相手くらいしてあげたら?」
俺がもてあそばれるの、前提ですか。
「ただし、ゆかりを泣かすようなことになったら」
わかってるわよね、という目が。また。
この人は、その目で人を殺せるんじゃないだろうか、という目で。
「…………わかってます」
手を挙げて、誓う。
まあ、間違いなく、自分がゆかりを泣かせるなんてあり得ないわけで。
遊び相手。か。
いいかもしれない。それでゆかりの気がまぎれるのなら。
話は終わったということで、美紅はおやすみ、と言って親父の待つ寝室へと戻って行ったが、ルカはリビングで暫く放心したように座り込んでいた。
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