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2 スタレートン伯爵家の裏事情
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スタレートン伯爵が熱烈な恋愛の末に結婚したというのは、この国の貴族なら知らぬ者はいないほど有名な話である。
彼は王都で出会った美しい令嬢が忘れられず、執事に命じて彼女の素性を調べさせた。そして残酷な現実を知ってしまう。令嬢はなんと、侯爵家の末娘だったのだ。
当時のスタレートン伯爵家は大した権力もなく財力もなく、伯爵という身分が一人歩きしているような貧乏貴族。しかも相手の方が格上とあっては諦めるしかない――と考えるのが一般的なのだが、伯爵は諦めなかった。
自領から遠く離れた王都へ何度も行き、侯爵家の屋敷を訪れて乞い願った。末娘との婚姻をどうか許してほしい、必ず幸せにしてみせますから、と。
最初は相手にしなかった侯爵も、末娘が伯爵を慕うようになってから考えを改め、とうとう二人の婚姻を認めた。しかし無条件ではない。三年たっても今のままの貧乏貴族だったら娘を引き取るぞという脅し付きであった。
伯爵はがむしゃらに働き、妻となった末娘も彼を支えた。
二年後には重要な港を含む領地を任され、愛する妻は臨月を迎え……伯爵家はまるで春が来たような幸せに包まれたが、全てがうまく行ったわけではなかった。
生まれた子供は男女の双子。どちらも妻によく似た美しい子だ。でも生まれ落ちた男児の息はなく、女児だけが助かった。
生まれた喜びと失った悲しみで嘆く妻を抱きしめながら、伯爵は途方に暮れた。
子供を産むことは女の義務のように考えられていて、無事に産めなかった女性は批判を受けやすい。しかもブロンテ王国は女性の爵位・領地継承を認めていないから、このまま自分が死んだとすると領地は別の貴族が引き継ぐことになってしまう。血が途絶えてしまう。
悩んだ末、夫妻はひっそりと男児を埋葬し、ひとつの決断をした。
男の子が生まれるまでは、娘を男として育てよう。一度は訪れてくれた命なのだから、きっとまた私たちの元へ来てくれる。娘には申し訳ないけれど、それまで辛抱してもらおう。
二人は若かったから、また子供を授かるだろうと信じていたのだ。だけど三年たっても五年たっても子供はできず、妻を診察した侍医は言った――奥方さまは最初の出産で体を壊している。もう子供を身篭ることはできないでしょうと。
妻は妾を迎えることを提案したが、伯爵はその申し出を受け入れられなかった。毎日のように泣いている母を気遣ったのか、幼い娘は両親の前でにっこりと笑い、力強い口調で告げた。
「大丈夫。僕が伯爵家を継いでみせるよ」
その笑顔がどれだけ父と母を救ったことだろう。
伯爵は娘の宣言を受けて、王都から優秀な家庭教師を呼んだ。領地経営のための本格的な授業を受けさせ、護身術もいくつか娘に合うものを傭兵に教えてもらった。
もちろん、剣術や馬術なども並行してレッスンを受けている。それでも娘は――ルルシェは泣き言ひとつ漏らさず、教えられたことはどんどん吸収して自分のものにした。
この子の器は予想以上に大きい。もしかしたら伯爵に留まらず、もっと偉大な人物になるかもしれない。
伯爵にとってルルシェは自慢の息子であった。だから彼は第二王子が公爵となって領地に来た日も、ルルシェを伴って出かけたのだ。伯爵家の跡継ぎとして、いつか王家にお仕えする息子ですと紹介するために。
イグニス王子が公爵となった日に開かれたお披露目の宴は、彼の婚約者を選ぶという秘密の目的も含まれていた。ルルシェは娘だけど男児の服装をしている。美しい髪だって後ろで一つにくくっていて、女らしい色気など皆無だ。選ばれるわけがない。
――と、父は思っていたのだが。
「きみ、名はなんと言う?」
宴が始まって早々、王子はまっすぐにルルシェのもとへやってきた。彼はただ単に最も美しい子に話しかけただけだったが、周囲の大人たちは慌てた。
広間には数十人の令嬢が集まっているというのに、王子が選んだ子は男児。しかもまだ九歳の、領地から出たこともない田舎の子供だ。十四歳の王子の相手など務まらないのでは?
「初めまして、殿下。僕はスタレートン伯爵の息子、ルルシェと申します」
大人たちの動揺をよそに、ルルシェは落ち着き払っていた。彼女は完璧な礼で周囲の人間の目を奪い、王子の心にしっかりと印象を残した。
翌日から王子は名指しでルルシェを公爵の城へ呼び、側近としてそばに置き始める。ルルシェが九歳の割には老成していると知った大人たちは誰も反対せず、少年は王子のお気に入りとして彼に仕えることになった。
城の中に自室まであてがわれ、文字通り王子と寝食を共にしながら。
彼は王都で出会った美しい令嬢が忘れられず、執事に命じて彼女の素性を調べさせた。そして残酷な現実を知ってしまう。令嬢はなんと、侯爵家の末娘だったのだ。
当時のスタレートン伯爵家は大した権力もなく財力もなく、伯爵という身分が一人歩きしているような貧乏貴族。しかも相手の方が格上とあっては諦めるしかない――と考えるのが一般的なのだが、伯爵は諦めなかった。
自領から遠く離れた王都へ何度も行き、侯爵家の屋敷を訪れて乞い願った。末娘との婚姻をどうか許してほしい、必ず幸せにしてみせますから、と。
最初は相手にしなかった侯爵も、末娘が伯爵を慕うようになってから考えを改め、とうとう二人の婚姻を認めた。しかし無条件ではない。三年たっても今のままの貧乏貴族だったら娘を引き取るぞという脅し付きであった。
伯爵はがむしゃらに働き、妻となった末娘も彼を支えた。
二年後には重要な港を含む領地を任され、愛する妻は臨月を迎え……伯爵家はまるで春が来たような幸せに包まれたが、全てがうまく行ったわけではなかった。
生まれた子供は男女の双子。どちらも妻によく似た美しい子だ。でも生まれ落ちた男児の息はなく、女児だけが助かった。
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子供を産むことは女の義務のように考えられていて、無事に産めなかった女性は批判を受けやすい。しかもブロンテ王国は女性の爵位・領地継承を認めていないから、このまま自分が死んだとすると領地は別の貴族が引き継ぐことになってしまう。血が途絶えてしまう。
悩んだ末、夫妻はひっそりと男児を埋葬し、ひとつの決断をした。
男の子が生まれるまでは、娘を男として育てよう。一度は訪れてくれた命なのだから、きっとまた私たちの元へ来てくれる。娘には申し訳ないけれど、それまで辛抱してもらおう。
二人は若かったから、また子供を授かるだろうと信じていたのだ。だけど三年たっても五年たっても子供はできず、妻を診察した侍医は言った――奥方さまは最初の出産で体を壊している。もう子供を身篭ることはできないでしょうと。
妻は妾を迎えることを提案したが、伯爵はその申し出を受け入れられなかった。毎日のように泣いている母を気遣ったのか、幼い娘は両親の前でにっこりと笑い、力強い口調で告げた。
「大丈夫。僕が伯爵家を継いでみせるよ」
その笑顔がどれだけ父と母を救ったことだろう。
伯爵は娘の宣言を受けて、王都から優秀な家庭教師を呼んだ。領地経営のための本格的な授業を受けさせ、護身術もいくつか娘に合うものを傭兵に教えてもらった。
もちろん、剣術や馬術なども並行してレッスンを受けている。それでも娘は――ルルシェは泣き言ひとつ漏らさず、教えられたことはどんどん吸収して自分のものにした。
この子の器は予想以上に大きい。もしかしたら伯爵に留まらず、もっと偉大な人物になるかもしれない。
伯爵にとってルルシェは自慢の息子であった。だから彼は第二王子が公爵となって領地に来た日も、ルルシェを伴って出かけたのだ。伯爵家の跡継ぎとして、いつか王家にお仕えする息子ですと紹介するために。
イグニス王子が公爵となった日に開かれたお披露目の宴は、彼の婚約者を選ぶという秘密の目的も含まれていた。ルルシェは娘だけど男児の服装をしている。美しい髪だって後ろで一つにくくっていて、女らしい色気など皆無だ。選ばれるわけがない。
――と、父は思っていたのだが。
「きみ、名はなんと言う?」
宴が始まって早々、王子はまっすぐにルルシェのもとへやってきた。彼はただ単に最も美しい子に話しかけただけだったが、周囲の大人たちは慌てた。
広間には数十人の令嬢が集まっているというのに、王子が選んだ子は男児。しかもまだ九歳の、領地から出たこともない田舎の子供だ。十四歳の王子の相手など務まらないのでは?
「初めまして、殿下。僕はスタレートン伯爵の息子、ルルシェと申します」
大人たちの動揺をよそに、ルルシェは落ち着き払っていた。彼女は完璧な礼で周囲の人間の目を奪い、王子の心にしっかりと印象を残した。
翌日から王子は名指しでルルシェを公爵の城へ呼び、側近としてそばに置き始める。ルルシェが九歳の割には老成していると知った大人たちは誰も反対せず、少年は王子のお気に入りとして彼に仕えることになった。
城の中に自室まであてがわれ、文字通り王子と寝食を共にしながら。
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