虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま

文字の大きさ
9 / 71

9 脱走

しおりを挟む
 寒さが厳しくなってきた。ディレイムの南東に位置する王都でも雪が積もり、桶にはった水は翌朝には凍っている。吹雪が激しい日はすぐ目の前の景色すら霞んで見えず、危険なので出歩く人もまばらなようだ。

 レクオンの面会もぴたりと止まり、最近では手紙のやりとりだけになった。大雪のせいで公務が忙しいらしい。でもシーナにとっては有難いことだった。寒さが厳しくなるほど、ルターナの病状も重くなってきたからだ。仮に今の状況でレクオンと会っても、シーナは上の空でまともな会話は出来ないだろうと思う。

 冬の初めにたくさん薪を用意したお陰で、ルターナの部屋はいつも暖かい。暖炉には絶えず湯を沸かし、ルターナが喉を痛めないように気をつけている。それでも姉の病気は回復に向かわず、熱が高いせいで食事もほとんど取らないので、痩せる一方だった。
 薪を運ぶときにぐったりと寝ているルターナの様子を見たが、木の枝のように痩せた腕を見たら涙が出てきた。

(神様、お願いします。お姉さまの病気を治してください。わたしからお姉さまを取り上げないで……)

 シーナは働きながら、暇を見つけては手を組んで祈りを捧げた。こんな事は気休めだと分かっていても、シーナには祈ることしか出来ない。

 主棟に医師が出入りする様子を見るたび、心臓をぎゅっとつかまれたように苦しくなった。まさか、そんなとハラハラしながら毎日を送るのはつらく、シーナまで食事がのどを通らなくなってきた。廊下を誰かがバタバタと通るたびに夜中でも目が覚めるし、何かあったらと思うと熟睡できず、お仕着せのまま寝台に横になる日々だ。

 もし異変があれば、マリベルがすぐに知らせに来てくれるらしい。でも不吉な知らせなら聞きたくない。マリベルには申し訳ないけれど、知らせなんか永遠に来なければいいと思っている。

 でも現実は甘くはなく、とうとうある晩、シーナの部屋のドアがノックされた。夜中なのでそっとドアを開けると、険しい表情のマリベルが立っている。

 ――ああ、ついにその時が来てしまったのだ。シーナはかすかに頷き、何も訊かないままマリベルの後に続いてルターナの部屋へ向かった。

 姉の部屋は明るかった。暖炉には山のように薪が積まれ、煌々と燃えて光を放っている。しかしそれとは対照的に、ルターナの顔色は悪かった。今までは青白いだけだったのに、今夜は土のように黒っぽい色だ。生気が失われつつあるのは確実で、シーナは青ざめて姉のもとへ駆け寄った。

「シー、ナ……。あなたに、伝えたいことが……あるの……」

「お姉さま、無理なさらないで。きっと今に治るはずですから……!」

 声がかすれて、ほとんど聞こえない。シーナはルターナの顔に耳をよせて、囁くように声をかけた。

「自分の体のことは……よく分かって、いるわ……。この体はもう、長くない。だから、あなたに……渡しておこうと、思って」

 ルターナが喋るたびに、胸が激しく上下する。話すだけでもかなりの負担があるのだ。シーナは枝のようになった姉の手を必死で撫でた。でもいくら擦っても、シーナの熱が移ってはくれない。
 マリベルが衣装棚の引き出しを開けて袋をとり、シーナの手に握らせた。

「これは……?」

「装飾品を、マリベルに換金してもらったの……。少しは足しに、なるはず、よ……」

「なんで、そんなこと」

「お父様は……多分あなたに“ルターナ”として生きるよう、強制すると思うの……。でもシーナは……それを望まないと、思ったから……。お金を持って、ここから……逃げて……」

「そんな――そんなの嫌です! お姉さまを置いたままで逃げるなんて出来ない! 何もいらないから……お願いだから、わたしを一人にしないで……っ!」

 シーナはとうとう泣き出して、姉のがりがりに痩せた体に抱きついた。まるで子供のように細く小さな体に変わり果て、力を入れたら折れてしまいそうだ。
 ルターナはふっと微笑み、泣きつく妹の髪を撫でた。

「シーナが……自分の望みを口にしたのは……初めてね……。でも、ごめん、ね……。その望みは、叶えてあげられそうに、ない……。ごめんね、シーナ……ごめんね…………」

 ルターナは謝りながら気を失うように寝てしまった。マリベルが急いでルターナの脈を調べる。

「私は医者を呼んでくるから、シーナは部屋に戻りなさい。戻ったらこの服に着替えて、すぐにお屋敷を出るのよ。逃げるとしたら今夜しかないからね。王都を出て、隣町にあるアリーシャという店に行けば何とかなるから……さあ、行きなさい」

「うっ、うぅ……」

 マリベルが手に押し付けてきた服を持って、泣きながら部屋へ戻った。フード付きの暖かそうなコートまで買ってくれたようだ。でも着替えてもまだ逃げる勇気は出せず、いつまでも部屋のなかをうろうろと歩いてしまう。

(どうしよう。なにかわたしに出来ることは……)

 マリベルが呼んだ医者が、魔法のようにルターナを治してくれないだろうか。先ほど見たルターナは夢で、現実の彼女は元気だったらいいのに……。

 目を閉じて祈っていると、勝手に子供の頃の記憶がよみがえってくる。ルターナと一緒に裏庭でままごと遊びをして、端の欠けたお皿に花のサラダを盛り付けたこと。ティム爺が木の枝に作ってくれたブランコで、代わりばんこに背中を押したこと。

 レクオンが贈ってくれた難しい本を二人で解読したこともあるし、時には夜中までカードゲームをしたこともある。
 あの頃のルターナは今よりずっと元気だった。永遠に幸せな日々が続くと信じていたのに……。

 明け方ちかくまで起きていたが、ふいに主棟のほうが騒がしくなった。誰かが廊下をばたばたと走る音が聞こえ、「大変だ」と叫ぶ声がする。

「おい、みんな起きろ! お嬢さまが亡くなったらしい!」

 ああ――。

 気が付いたときには屋敷を飛び出していた。ルターナが亡くなって屋敷内が混乱していたせいか、誰も追ってはこなかった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

私は既にフラれましたので。

椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…? ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

処理中です...