虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま

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45 レクオンの過去7

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 晴れた秋の日だった。17歳になったレクオンはいつものように馬車に乗って王宮を出て、ケルホーン伯爵家へと向かった。

 サントスに対抗できるだけの力をつけたレクオンは、離宮ではなく王宮の一室で暮らしている。母が死んで以来、離宮は立ち入り禁止になってしまった。母の侍女も責任を感じたのか王宮を出てしまったし、離宮は廃れる一方だった。レクオンがときおり忍んで庭に入っても誰も気付かないほどだ。

 この日も離宮の庭で母に祈りを捧げてからルターナへ会いに行った。今日の彼女は体調がよく、無事に出かけられそうである。

『久しいな、ルターナ。ひと月ぶりだ。体調はいいのか?』

『ええ、もうすっかり』

 レクオンがほほ笑むと、つられたようにルターナも笑った。可愛い。いつも笑っていればいいのにと思うが、体調が悪いときには体に負担があるものだ。だから不機嫌なのだろう。

 馬車に乗っている間、ルターナはずっと暗い顔だった。レクオンはふと彼女の手元が気になり、荒れた指先を見て不思議に思う。

 ケルホーン伯爵が金に困っている様子はないのに、娘の荒れた手さえ治せないのは何故なのか。ルターナが身につけた服や靴は新しい物のようだ。娘に愛情がないわけではなかろうに。

 気になって悩みがあるのかと尋ねても、ルターナはかぶりを振って考えごとをしていただけだと答える。不審に思ううちに馬車は薔薇園へ到着し、レクオンは先に降りた。

 ルターナは荒れた手を恥ずかしそうに隠したので、レクオンは何も言わず腕を差し出す。手を見られるのが恥ずかしいなら、腕を持てばいい。

 ルターナは素直にレクオンの腕をとり、二人は薔薇園へ向かって歩き出した。こうしていると、不思議とルターナに対して愛着がわいてくる。愛しいと思うし、守ってやりたいと思う。

(以前はこんな風に思わなかったけどな……)

 三年の間に、レクオンはルターナに対して愛を感じるようになっていた。彼女がなにか悩みを抱えているのは知っている。でもそれごと受け止めてやりたい。

 しばらく薔薇を堪能した二人は、小高い丘の上で休憩することにした。従者がケーキスタンドをテーブルに置くと、ルターナは目を丸くしている。翡翠の瞳はマカロンに釘付けだ。

(もしかして、食べたことがないとか? いや、まさかな……)

 令嬢なら誰しもいちどは口にしたことがあるはずだ。レクオンは素知らぬ振りでスコーンを手にとって婚約者を見守った。ルターナも小さな手をのばし、マカロンを皿にのせる。

 食べているとき緑灰の目はキラキラしていたので、やっぱり初めて食べたのかと少し驚いた。

『ルターナ、下を見てごらん。ここから見る薔薇も格別だ』

『え? わぁ……綺麗……』

 丘の下はまるで薔薇の森のようだった。青空との対比も美しい。しばしぼんやりと眺めていたが――

『シャボンを泡立てて、何もかも洗っちゃおう……汚れも嫌なことも、ぜんぶ流してしまおう……』

 小鳥のように高く澄んだ声だった。でも美しい声に相応しくない、妙な歌詞である。

『……変わった歌だな。初めて聞いたぞ』

 レクオンが思わず呟くと、ルターナの顔は蒼白になった。しまった、失敗した――そう顔に書いてある。慌てて謝る彼女を見ているうちにふと母を思い出し、心が泡立つような感覚を覚えた。

『謝るなよ。……たとえ誰が相手だろうと、自分に非がないのなら謝る必要はない』

『は、はい……っ!』

 恐縮するルターナを見て、レクオンはひどく後悔した。よりにもよって、母のときと同じ科白を選んでしまうとは……。

(馬鹿か俺は。もっと気の利いた言葉があっただろ)

 無性にルターナに対して申し訳なくなり、彼女の白く小さな手を握った。ルターナは振りほどくこともなく手を握りかえし、レクオンを喜ばせた。

(必ずきみを幸せにする。母のように死なせたりはしない)

 レクオンの手を握るルターナは健康そのもので、病の影はどこにも見当たらない。本当のルターナが屋敷で寝込んでいるなど、レクオンには知るよしも無かった。
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