3 / 6
3
しおりを挟む
アンジーは一人で身支度を終えて食堂へ向かった。
乳母だったデアナは今では侍女になり、アンジーの世話をしてくれるが、今のアンジーは体が十二歳なだけで中身は十八である。
祖母は侍女の仕事を奪うものではないとアンジーに言ったが、もう大人しく従うつもりはなかった。部屋にやってきたデアナは少し驚いていたものの、「お嬢さまも大きくなられて」と嬉しそうに言ってくれた。
「おはようございます、お父様」
「おはよう、アンジー」
食堂にはすでに父がいて、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。大臣の一人である父は多忙で、いつもアンジーより遅く寝るくせに朝も早いのだ。すでに朝食を終えてしまったのだろう。
「今日は王太子殿下が来られる日だよ。準備は出来ているかい?」
「ええ、大丈夫よ」
アンジーが平然と答えると父は目を丸くした。
「これは驚いたな。いつも自信が無さそうなアンジーが、こんなに堂々としているとは」
「わたくしももう十二歳ですもの。婚約者と初めてお会いするだけなのに、怯える必要はないと思いますわ」
「ますます驚いたなぁ。私の娘はいつの間に成長したんだろう」
父は感慨深そうに呟くと娘の頭を愛おしそうに撫で、頬にキスをしてから食堂を出て行った。父にとってアンジーは妻の忘れ形見である。妻によく似た娘が愛しくて仕方がないのだ。
昼が過ぎ、お茶の時刻になった頃、家令が来客を告げる。
(とうとう来たわね、セルディオ様)
アンジーは表情を変えることもなくエントランスに出て、王家の紋章が入った馬車を迎えた。カーテシーをしていると目の前にこつんと靴音がして誰かが立つ。
「顔を上げてよろしい」
横柄に告げる声はやはり王太子セルディオだった。身長はアンジーより少し高いぐらいで、あまり差がない。セルディオは金髪碧眼の美男子ではあったが、六年も冷たくあしらわれ続けたアンジーは彼の顔を見ても胸が疼くことはなかった。
(最初は格好いい王子様だと、ときめいたりもしたのだけど……。今は殺された記憶があるせいか何とも思わないわ)
冷めた目で見やれば、向こうもアンジーをじろじろと見ている。平凡な容姿の娘だとでも思っているのだろう。アンジーは事務的に王太子を応接間へ通した。
有能な家令がメイドに指示し、何事もなくお茶が始まる。アンジーはなるべくセルディオを見ないようにしていたが、視線を合わさないようにすればするほど彼がアンジーを観察しているのが何となく分かって嫌だった。
(どうしてそんなに見てくるの。あなただってわたくしには興味がないでしょうに)
お茶が終わったあとは、広大な公爵家の庭を散策。セルディオがアンジーに気遣う様子もなくずんずんと歩いていくので、こちらも気が楽だった。好きなペースで歩けばいいのだ。
ここは生まれ育った庭なのだから――と思っていたら。
「アンジェローザ。どうして僕の速さに合わせない?」
アンジーは驚き、王太子の顔を凝視した。こんな台詞をぶつけられるとは思っていなかった。前回の人生では祖母の言いつけを守り、アンジーは健気にセルディオを追いかけ続けたので、彼も何も言わなかったのだろう。
「合わせる必要がありますの? ここはわたくしの家の庭で、迷子になる心配もありませんわ。殿下もどうぞ、お好きな速さで歩いてくださいませ」
「僕に合わせろ、と言ったらどうする?」
セルディオはどこか楽しげに言った。アンジーは不快な気持ちになったが、考えてみれば自分の方がかなり年上である。記憶がある分、アンジーの方が大人として振る舞うべきだろう。
「嫌です、と申し上げますわ」
「……おまえ、面白いな。僕に抵抗できる人間がいるとは思わなかった」
その言葉で、アンジーはふと前回の人生を思い出した。過去を思い起こせば、セルディオに面と向かって反発できる人間はほとんどいなかったように思う。
アンジーも同じで、なぜか嫌だと思ってもセルディオに従ってしまうことは多かった。
(女神さまが仰ってた、殿下の加護に関係があるのかしら……)
女神ウラニーアは王太子の加護はアンジーに効かないようにすると言っていたはずだ。つまり今回の人生、アンジーはセルディオの支配を受けずに済む。
「嬉しそうだな。なにを笑っている?」
「人生が楽しいので、笑っているのです」
「羨ましいな」
セルディオはためらいなくそう呟いた。王太子という立場の人間から、「羨ましい」と言われるとは。
(少し殿下のことを調べてみましょう。国王陛下を殺したのだって、何か理由があるのかもしれないわ)
目の前にいる十二歳のセルディオは偉そうな印象を受けるものの、父親を殺したいほど憎んでいる様子はなさそうだ。六年間で何かが変わってしまったのかもしれない。
アンジーは密かに女神の加護を使おうと決意した。
乳母だったデアナは今では侍女になり、アンジーの世話をしてくれるが、今のアンジーは体が十二歳なだけで中身は十八である。
祖母は侍女の仕事を奪うものではないとアンジーに言ったが、もう大人しく従うつもりはなかった。部屋にやってきたデアナは少し驚いていたものの、「お嬢さまも大きくなられて」と嬉しそうに言ってくれた。
「おはようございます、お父様」
「おはよう、アンジー」
食堂にはすでに父がいて、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。大臣の一人である父は多忙で、いつもアンジーより遅く寝るくせに朝も早いのだ。すでに朝食を終えてしまったのだろう。
「今日は王太子殿下が来られる日だよ。準備は出来ているかい?」
「ええ、大丈夫よ」
アンジーが平然と答えると父は目を丸くした。
「これは驚いたな。いつも自信が無さそうなアンジーが、こんなに堂々としているとは」
「わたくしももう十二歳ですもの。婚約者と初めてお会いするだけなのに、怯える必要はないと思いますわ」
「ますます驚いたなぁ。私の娘はいつの間に成長したんだろう」
父は感慨深そうに呟くと娘の頭を愛おしそうに撫で、頬にキスをしてから食堂を出て行った。父にとってアンジーは妻の忘れ形見である。妻によく似た娘が愛しくて仕方がないのだ。
昼が過ぎ、お茶の時刻になった頃、家令が来客を告げる。
(とうとう来たわね、セルディオ様)
アンジーは表情を変えることもなくエントランスに出て、王家の紋章が入った馬車を迎えた。カーテシーをしていると目の前にこつんと靴音がして誰かが立つ。
「顔を上げてよろしい」
横柄に告げる声はやはり王太子セルディオだった。身長はアンジーより少し高いぐらいで、あまり差がない。セルディオは金髪碧眼の美男子ではあったが、六年も冷たくあしらわれ続けたアンジーは彼の顔を見ても胸が疼くことはなかった。
(最初は格好いい王子様だと、ときめいたりもしたのだけど……。今は殺された記憶があるせいか何とも思わないわ)
冷めた目で見やれば、向こうもアンジーをじろじろと見ている。平凡な容姿の娘だとでも思っているのだろう。アンジーは事務的に王太子を応接間へ通した。
有能な家令がメイドに指示し、何事もなくお茶が始まる。アンジーはなるべくセルディオを見ないようにしていたが、視線を合わさないようにすればするほど彼がアンジーを観察しているのが何となく分かって嫌だった。
(どうしてそんなに見てくるの。あなただってわたくしには興味がないでしょうに)
お茶が終わったあとは、広大な公爵家の庭を散策。セルディオがアンジーに気遣う様子もなくずんずんと歩いていくので、こちらも気が楽だった。好きなペースで歩けばいいのだ。
ここは生まれ育った庭なのだから――と思っていたら。
「アンジェローザ。どうして僕の速さに合わせない?」
アンジーは驚き、王太子の顔を凝視した。こんな台詞をぶつけられるとは思っていなかった。前回の人生では祖母の言いつけを守り、アンジーは健気にセルディオを追いかけ続けたので、彼も何も言わなかったのだろう。
「合わせる必要がありますの? ここはわたくしの家の庭で、迷子になる心配もありませんわ。殿下もどうぞ、お好きな速さで歩いてくださいませ」
「僕に合わせろ、と言ったらどうする?」
セルディオはどこか楽しげに言った。アンジーは不快な気持ちになったが、考えてみれば自分の方がかなり年上である。記憶がある分、アンジーの方が大人として振る舞うべきだろう。
「嫌です、と申し上げますわ」
「……おまえ、面白いな。僕に抵抗できる人間がいるとは思わなかった」
その言葉で、アンジーはふと前回の人生を思い出した。過去を思い起こせば、セルディオに面と向かって反発できる人間はほとんどいなかったように思う。
アンジーも同じで、なぜか嫌だと思ってもセルディオに従ってしまうことは多かった。
(女神さまが仰ってた、殿下の加護に関係があるのかしら……)
女神ウラニーアは王太子の加護はアンジーに効かないようにすると言っていたはずだ。つまり今回の人生、アンジーはセルディオの支配を受けずに済む。
「嬉しそうだな。なにを笑っている?」
「人生が楽しいので、笑っているのです」
「羨ましいな」
セルディオはためらいなくそう呟いた。王太子という立場の人間から、「羨ましい」と言われるとは。
(少し殿下のことを調べてみましょう。国王陛下を殺したのだって、何か理由があるのかもしれないわ)
目の前にいる十二歳のセルディオは偉そうな印象を受けるものの、父親を殺したいほど憎んでいる様子はなさそうだ。六年間で何かが変わってしまったのかもしれない。
アンジーは密かに女神の加護を使おうと決意した。
33
あなたにおすすめの小説
【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。
※他サイトに自立も掲載しております
21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)
“妖精なんていない”と笑った王子を捨てた令嬢、幼馴染と婚約する件
大井町 鶴
恋愛
伯爵令嬢アデリナを誕生日嫌いにしたのは、当時恋していたレアンドロ王子。
彼がくれた“妖精のプレゼント”は、少女の心に深い傷を残した。
(ひどいわ……!)
それ以来、誕生日は、苦い記憶がよみがえる日となった。
幼馴染のマテオは、そんな彼女を放っておけず、毎年ささやかな贈り物を届け続けている。
心の中ではずっと、アデリナが誕生日を笑って迎えられる日を願って。
そして今、アデリナが見つけたのは──幼い頃に書いた日記。
そこには、祖母から聞いた“妖精の森”の話と、秘密の地図が残されていた。
かつての記憶と、埋もれていた小さな願い。
2人は、妖精の秘密を確かめるため、もう一度“あの場所”へ向かう。
切なさと幸せ、そして、王子へのささやかな反撃も絡めた、癒しのハッピーエンド・ストーリー。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
【短編】男爵令嬢のマネをして「で〜んかっ♡」と侯爵令嬢が婚約者の王子に呼びかけた結果
あまぞらりゅう
恋愛
「で〜んかっ♡」
シャルロッテ侯爵令嬢は婚約者であるエドゥアルト王子をローゼ男爵令嬢に奪われてしまった。
下位貴族に無様に敗北した惨めな彼女が起死回生を賭けて起こした行動は……?
★他サイト様にも投稿しています!
★2022.8.9小説家になろう様にて日間総合1位を頂きました! ありがとうございます!!
お前は要らない、ですか。そうですか、分かりました。では私は去りますね。あ、私、こう見えても人気があるので、次の相手もすぐに見つかりますよ。
四季
恋愛
お前は要らない、ですか。
そうですか、分かりました。
では私は去りますね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる