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36 二人きりの旅行3

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 私はあたふたと手を動かしてスマホを返してもらおうとしたが、彼は唇だけの動きで『任せて』と言う。本当に大丈夫なんだろうか。母を沈静化させる素晴らしい案でも見つかったのか。

「いえ、僕の方こそ真梨花さんにはお世話になりっぱなしなんです。彼女はいつも僕を支えてくれています」

 これはきっと、真梨花がご迷惑をお掛けしてとか何とか言ったのだろう。早く通話が終わればいいのに。いっそスマホを落とした振りして電源ボタン押すとか。

「はい。僕は真梨花さんと結婚を考えています」

「……!?」

 いきなり話が飛躍して、私は目を向いて綾太さんの端正な顔を凝視した。いくらなんでも話が吹っ飛びすぎじゃないだろうか。母が無理やり強引な手法を使ったのか?

 物乞いするかのように両手を差し出し、スマホを返してほしいとアピールしたが綾太さんは返す素振りもない。もう無理しないでください。スマホを水没させてしまいましょう。

「お義母さんに認めていただけて嬉しく思います。近いうちにご挨拶に伺いますね。はい。では真梨花さんに代わります。――はい、返すよ」

 綾太さんは差し出された両手の上にぽとりとスマホを置き、部屋の中へ戻っていった。いちばん返されたくないタイミングでスマホが返却されたような気がする。この状況でどうしろと。

「も……もしもし?」

『とても落ち着いた雰囲気の方ね! お話できて本当に良かったわ。これで私も安心できる。真梨花、あなたもしっかりやりなさいよ。綾太さんを心身ともに支えるつもりでね』

「分かってるよ。私も頑張るから」

『京都で待ってるわね。来るときは事前に連絡ちょうだい。じゃあ、またね』

「うん、またね」

 ぶつりと電話は切れた。人生稀に見る地獄のような通話時間だった。仕事でもここまで泡を食った事はないのに。母は私の彼氏が北条の御曹子だと気が付いただろうか……いや、あの様子だと多分わかってないな。

 ベッドが置かれた部屋に戻ると綾太さんは海を眺めていた。夕日を受けた彼の表情はどこか達観していて、後悔している様子はなく少しホッとする。

「あの……綾太さん。母が言ったことは、気にしなくていいから」

「気にするよ。それに真梨花にも気にしてほしい」

「……え?」

 綾太さんは海から視線を外し、真剣な眼差しで私を見つめた。ふざけている雰囲気は全然ない。

「真梨花に恋人になってほしいと告白したとき、すでに結婚は考えていたんだ。でも最初から結婚を持ち出したらきみの負担になるだろうと思った。男性と付き合った経験がなさそうだったからね」

「うん……。綾太さんは、私の初めての恋人だよ」

「比較対照がないまま僕を選んでほしいと願うのは、強引だと分かってるよ。でも僕にとっては真剣な付き合いだからきみのお母さんと話をした。真梨花はどうなんだ? 正直な気持ちを教えてほしい」

「私も……私だって、あなたと真剣にお付き合いしてるつもりだよ。でも私はもう良家のお嬢さまじゃないから、綾太さんと結婚するのは無理だろうって思ってた。あなたのご両親にも会ったことがないし……」

 綾太さんの父親が誰かなんて考えるまでもない。北条建設の代表取締役社長だ。一万人以上の従業員を抱える大企業のトップが、息子の相手に私を選んでくれるとは思えない。
 しかし綾太さんはあっけらかんとした様子で言った。

「ああ、僕の両親のことを気にしてるのか。それなら心配しなくても大丈夫だ。父は恐らく、僕たちの結婚に反対しないと思う。もちろん母も」

「えっ、そうなの? 本当に?」

「本当に。だから真梨花が決めていいんだよ。……僕との結婚を考えてくれないか?」

 綾太さんが私の手を握り、切ない表情で囁く。この美貌で言われると目眩がしそうだ。

「うん……。私もあなたとずっと一緒にいられたらいいなって思ってたよ。結婚できたら幸せだろうなって……。私をあなたの奥さんにしてくれる?」

「ああ、約束する。良かった……。断られたらどうしようかと思ってた」

 大真面目な顔をしていたのに、急に表情を崩すので笑ってしまう。何だか可愛い。

「綾太さんでも怖いと思うことがあるんだね」

「そりゃそうだよ、長い人生が懸かってるからね。でも本当に良かった」

 この人はずっと先の将来まで考えて、人生のパートナーに私を選んでくれたのだ。その事実が嬉しくて泣きそうになる。
 何となく甘い雰囲気になり、なし崩し的にベッドへ移動する流れになった。二人で裸のまま抱き合いながら、子供は男でも女でもいいとか、何人欲しいかなんて話をする。とても幸せだ。

 幸せだから、あまり周りが見えていなかったのかもしれない。自分が薄い氷の上に立っていたことなんて全然気がついていなかった。
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