27 / 30
27 罠
しおりを挟む
目の前には一面のレンゲソウ。桃色の絨毯のようで思わず寝転びたくなる。セイラは思いっきり伸びをした。
「いいところですね! ……ちょっと問題もありますけど」
「そうだね。あの女さえいなければ最高だった」
クロノスが苦々しく囁いた。彼の視線の先で、きつく巻いた髪を手で払いながらカロリーナが言う。
「本っ当に仲がよろしいわねぇ。さあ、目的地はすぐそこですわよ!」
セイラは歩きながら隣の夫に話しかけた。
「本当に行くんですか?」
「そりゃ行くよ。この日のために色々と根回ししてきたんだし。セイラ、法具は持ってきた?」
「もちろんです」
セイラは服の中で揺れる法具を確認した。すでに黄色まで変わっている。
二人はカロリーナの誘いを受けて、シュレフとコルバルの国境付近にあるトボトルという町に来ていた。カロリーナは「お二人に失礼なことをしてしまったお詫びをしたいのです」などと言っていたが、それを真に受けるセイラとクロノスではない。
「この町は温泉で有名なんだけど、カロリーナの狙いは恐らくそれじゃない」
「何が狙いなんですか?」
「……鍾乳洞だよ」
クロノスは暗い声で言った。
彼の横顔は心なしか青ざめていてセイラは不安になる。だけどクロノスは歩みを止めようともせず、先を行くカロリーナへついていくのだ。
セイラは服ごと法具を握りしめた。
大丈夫。何があってもクロノスのことは守ってみせる。
やがてカロリーナは大きな洞窟の前で足を止めた。後ろを振り返って満面の笑顔で彼女は言う。
「この洞窟の先に、足湯があるのですって! 今日はそこにお二人を案内いたしますわ」
クロノスがセイラの手をぎゅっと握った。彼の手は少し震えている。
「クロノスさま……?」
「大丈夫。……行こう」
「はい」
ランタンを持ったカロリーヌと共に洞窟へと入っていく。もともと観光地として有名なのか、歩きやすいように地面は平らにならされ、急な斜面には細い階段まで付いていた。洞窟の天井からはつららのような突起がにょきにょきと出ている。
奥に進むにつれて道が細くなっていたのだが、くねくねした部分を通った途端、急に視界が開けた。半球状になった部屋のような場所。奥には池のようなものが見える。
「あそこが足湯ですわよ」
カロリーナが池の方まで二人を促した。
彼女がランタンを掲げると、光に照らされて水面がオレンジ色に輝く。おそるおそる水の中に手を入れると温かく、セイラはほっと息をはいた。
「温かいです。気持ちいい……」
「そう。それは良かったですわ。じゃあ、しばらくお二人でゆっくりなさって? わたくしはあとで迎えに来てあげますね!」
言うなり、カロリーナはもと来た道に向かって走り出した。
「あっ、お姉さま! ランタンは置いていってください!」
「馬鹿を言わないで! わたくしが暗くて歩けないでしょう!」
カロリーナの声がだんだん遠ざかっていく。
セイラ達だって真っ暗闇に取り残されるのに。
「はっ……く……」
呆然としていたセイラは、クロノスの苦しそうな声ではっと我に返った。
「クロノスさま!?」
暗闇の中から彼の苦しそうな呼吸が聞こえてくるのに、どこにいるのか分からない。
「だ、大丈夫だ……セイラ、法具をっ……」
「あっ、はい!」
セイラは服の中から法具を取り出し、意識を集中させた。
女神さま、お力をお貸しください―――。
手の中の法具がじんわりと熱くなり、黄色の光が溢れてくる。光度はさらに増して、場の全体を明るく照らし出した。
「……はあ」
クロノスは岩にもたれて座っていた。彼の額には汗がにじんでいるが、もう呼吸は落ち着いている。
「大丈夫ですか?」
「ああ……うん。俺は狭くて暗い所が苦手なんだ……子供のころに井戸に落ちたことがあってね。それから苦手になった。カロリーナには俺からこの情報を流したんだ。あの女のことだから、必ず俺を暗闇に閉じ込めようとするだろうと思って」
「…………」
「なんで井戸に落ちたのか聞きたい?」
クロノスはセイラの顔をじっと見ている。まるでセイラの反応を試すような視線で。
しばらく彼の顔を見ていたセイラは、覚悟を決めて話し出した。これを言ったらクロノスに嫌われてしまうかもしれないけど、このまま黙っていることは出来ない。
「ごめんなさい……。わたしは、あなたの過去を女神さまの神託の時に見ました。だからあなたのお母さんのことも知ってるんです。ずっと黙っていて、すみませんでした」
セイラは頭を下げた。
もしかしたら縁を切られてしまうかもしれないけれど、それでも仕方ない―――そう思いながら。
だが。
「はは……なんだ、やっぱりそうだったのか。俺を撫でる君の手がやけに母を思い出させるから、おかしいなぁと思ってたんだよな」
なぜかクロノスは穏やかに笑っている。全然怒ってもいない様子で、離婚されるかもと怯えていたセイラはへなへなと座りこんでしまった。
「お、怒ってないんですか?」
「怒らないよ。俺だって君のことを勝手に調べたんだから。俺と君は似てるなぁって思ってたんだ……俺たちはどちらも親から見捨てられている。でもそのおかげでこうして君と夫婦になれたんだから、不思議なものだな……」
「クロノスさま……」
セイラは夫の体に抱きついて、彼の胸のあたりに頬をくっつけた。クロノスの香り。大好きな人の香り。
「セイラ……愛してるよ」
「わたしも。あなたを、愛しています」
セイラは顔を上げて、クロノスを見た。彼の顔が少しずつ近づいてくる。目を閉じて待っていると唇に柔らかなものが触れた。
胸に下げた法具がさらに熱を持ち、真っ白に光っていく。
とうとう、巫女の使命を終えたのだ。
「いいところですね! ……ちょっと問題もありますけど」
「そうだね。あの女さえいなければ最高だった」
クロノスが苦々しく囁いた。彼の視線の先で、きつく巻いた髪を手で払いながらカロリーナが言う。
「本っ当に仲がよろしいわねぇ。さあ、目的地はすぐそこですわよ!」
セイラは歩きながら隣の夫に話しかけた。
「本当に行くんですか?」
「そりゃ行くよ。この日のために色々と根回ししてきたんだし。セイラ、法具は持ってきた?」
「もちろんです」
セイラは服の中で揺れる法具を確認した。すでに黄色まで変わっている。
二人はカロリーナの誘いを受けて、シュレフとコルバルの国境付近にあるトボトルという町に来ていた。カロリーナは「お二人に失礼なことをしてしまったお詫びをしたいのです」などと言っていたが、それを真に受けるセイラとクロノスではない。
「この町は温泉で有名なんだけど、カロリーナの狙いは恐らくそれじゃない」
「何が狙いなんですか?」
「……鍾乳洞だよ」
クロノスは暗い声で言った。
彼の横顔は心なしか青ざめていてセイラは不安になる。だけどクロノスは歩みを止めようともせず、先を行くカロリーナへついていくのだ。
セイラは服ごと法具を握りしめた。
大丈夫。何があってもクロノスのことは守ってみせる。
やがてカロリーナは大きな洞窟の前で足を止めた。後ろを振り返って満面の笑顔で彼女は言う。
「この洞窟の先に、足湯があるのですって! 今日はそこにお二人を案内いたしますわ」
クロノスがセイラの手をぎゅっと握った。彼の手は少し震えている。
「クロノスさま……?」
「大丈夫。……行こう」
「はい」
ランタンを持ったカロリーヌと共に洞窟へと入っていく。もともと観光地として有名なのか、歩きやすいように地面は平らにならされ、急な斜面には細い階段まで付いていた。洞窟の天井からはつららのような突起がにょきにょきと出ている。
奥に進むにつれて道が細くなっていたのだが、くねくねした部分を通った途端、急に視界が開けた。半球状になった部屋のような場所。奥には池のようなものが見える。
「あそこが足湯ですわよ」
カロリーナが池の方まで二人を促した。
彼女がランタンを掲げると、光に照らされて水面がオレンジ色に輝く。おそるおそる水の中に手を入れると温かく、セイラはほっと息をはいた。
「温かいです。気持ちいい……」
「そう。それは良かったですわ。じゃあ、しばらくお二人でゆっくりなさって? わたくしはあとで迎えに来てあげますね!」
言うなり、カロリーナはもと来た道に向かって走り出した。
「あっ、お姉さま! ランタンは置いていってください!」
「馬鹿を言わないで! わたくしが暗くて歩けないでしょう!」
カロリーナの声がだんだん遠ざかっていく。
セイラ達だって真っ暗闇に取り残されるのに。
「はっ……く……」
呆然としていたセイラは、クロノスの苦しそうな声ではっと我に返った。
「クロノスさま!?」
暗闇の中から彼の苦しそうな呼吸が聞こえてくるのに、どこにいるのか分からない。
「だ、大丈夫だ……セイラ、法具をっ……」
「あっ、はい!」
セイラは服の中から法具を取り出し、意識を集中させた。
女神さま、お力をお貸しください―――。
手の中の法具がじんわりと熱くなり、黄色の光が溢れてくる。光度はさらに増して、場の全体を明るく照らし出した。
「……はあ」
クロノスは岩にもたれて座っていた。彼の額には汗がにじんでいるが、もう呼吸は落ち着いている。
「大丈夫ですか?」
「ああ……うん。俺は狭くて暗い所が苦手なんだ……子供のころに井戸に落ちたことがあってね。それから苦手になった。カロリーナには俺からこの情報を流したんだ。あの女のことだから、必ず俺を暗闇に閉じ込めようとするだろうと思って」
「…………」
「なんで井戸に落ちたのか聞きたい?」
クロノスはセイラの顔をじっと見ている。まるでセイラの反応を試すような視線で。
しばらく彼の顔を見ていたセイラは、覚悟を決めて話し出した。これを言ったらクロノスに嫌われてしまうかもしれないけど、このまま黙っていることは出来ない。
「ごめんなさい……。わたしは、あなたの過去を女神さまの神託の時に見ました。だからあなたのお母さんのことも知ってるんです。ずっと黙っていて、すみませんでした」
セイラは頭を下げた。
もしかしたら縁を切られてしまうかもしれないけれど、それでも仕方ない―――そう思いながら。
だが。
「はは……なんだ、やっぱりそうだったのか。俺を撫でる君の手がやけに母を思い出させるから、おかしいなぁと思ってたんだよな」
なぜかクロノスは穏やかに笑っている。全然怒ってもいない様子で、離婚されるかもと怯えていたセイラはへなへなと座りこんでしまった。
「お、怒ってないんですか?」
「怒らないよ。俺だって君のことを勝手に調べたんだから。俺と君は似てるなぁって思ってたんだ……俺たちはどちらも親から見捨てられている。でもそのおかげでこうして君と夫婦になれたんだから、不思議なものだな……」
「クロノスさま……」
セイラは夫の体に抱きついて、彼の胸のあたりに頬をくっつけた。クロノスの香り。大好きな人の香り。
「セイラ……愛してるよ」
「わたしも。あなたを、愛しています」
セイラは顔を上げて、クロノスを見た。彼の顔が少しずつ近づいてくる。目を閉じて待っていると唇に柔らかなものが触れた。
胸に下げた法具がさらに熱を持ち、真っ白に光っていく。
とうとう、巫女の使命を終えたのだ。
0
あなたにおすすめの小説
祓い師レイラの日常 〜それはちょっとヤなもんで〜
本見りん
恋愛
「ヤ。それはちょっと困りますね……。お断りします」
呪いが人々の身近にあるこの世界。
小さな街で呪いを解く『祓い師』の仕事をしているレイラは、今日もコレが日常なのである。嫌な依頼はザックリと断る。……もしくは2倍3倍の料金で。
まだ15歳の彼女はこの街一番と呼ばれる『祓い師』。腕は確かなのでこれでも依頼が途切れる事はなかった。
そんなレイラの元に彼女が住む王国の王家からだと言う貴族が依頼に訪れた。貴族相手にもレイラは通常運転でお断りを入れたのだが……。
単純に婚約破棄したかっただけなのに、生まれた時から外堀埋められてたって話する?
甘寧
恋愛
婚約破棄したい令嬢が、実は溺愛されていたというテンプレのようなお話です。
……作者がただ単に糸目、関西弁男子を書きたかっただけなんです。
※不定期更新です。
「無能な妻」と蔑まれた令嬢は、離婚後に隣国の王子に溺愛されました。
腐ったバナナ
恋愛
公爵令嬢アリアンナは、魔力を持たないという理由で、夫である侯爵エドガーから無能な妻と蔑まれる日々を送っていた。
魔力至上主義の貴族社会で価値を見いだされないことに絶望したアリアンナは、ついに離婚を決断。
多額の慰謝料と引き換えに、無能な妻という足枷を捨て、自由な平民として辺境へと旅立つ。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
訳あり冷徹社長はただの優男でした
あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた
いや、待て
育児放棄にも程があるでしょう
音信不通の姉
泣き出す子供
父親は誰だよ
怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳)
これはもう、人生詰んだと思った
**********
この作品は他のサイトにも掲載しています
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
君を探す物語~転生したお姫様は王子様に気づかない
あきた
恋愛
昔からずっと探していた王子と姫のロマンス物語。
タイトルが思い出せずにどの本だったのかを毎日探し続ける朔(さく)。
図書委員を押し付けられた朔(さく)は同じく図書委員で学校一のモテ男、橘(たちばな)と過ごすことになる。
実は朔の探していた『お話』は、朔の前世で、現世に転生していたのだった。
同じく転生したのに、朔に全く気付いて貰えない、元王子の橘は困惑する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる