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オゾンホールと赤い信号
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とある晴れた夏の日の、午後一時。夏休みで嫌気がさすほど暇だった僕は、家の近くの図書館に本を借りに行くことにした。特に借りる本は決めずに行った。行き当たりばったりで本を手に入れた方が愛着が湧く、というのは僕の持論だった。
外に出ようとしたら、たまたま昼食休みで家に戻ってきていた母(母の職場と家は五分も無いため、いつも家に戻ってから昼食を食べているのだ)が、僕に向かってまるで秘密の合言葉でも教えるかのように言った。
「外に行ったら、本当に、溶けるわよ」
僕はそれを聞いて、おそらく外が相当暑いということを示しているのだろうと僕は推測した。そして"溶けるわよ"というのはその揶揄表現であると。だがこの時の僕は、まだ何が"溶ける"ことになるのか全く分かっていなかった。未来と暗喩は大抵わからないものなのだ。
外に出て、日が燦々と当たる歩道に出たとき、僕は外に出たのを少し後悔した。これは普通の猛暑とは違う、と直感のようなもので悟った。これはただ単に人間の肉体に汗をかかせて不快感を高めるだけの暑さではないと。途端に家の、優しげなエアコンと扇風機にあたりたい欲望に襲われた。それでも僕はゆっくりと足を進め、図書館へ進んでいった。
それはひどい猛暑だった。蝉は休む暇もなく五月蝿く鳴き続け、コンクリートの歩道は僕にじりじりと熱を与え、そして何よりも太陽が、僕に残酷なほど沢山の光を与えた。東京に第二のオゾンホールが空いたんじゃないかと思うほどだ。僕の肉体は確実に溶けていった。母の言った通りだ、と僕は思った。僕の肉体は外側からじわりじわりと、極度の不快感を持って溶解していった。
図書館のエアコンを浴びたとき、僕は心底救われたと思った。僕の肉体の崩壊は止まった。そのあと迷わず僕の脚は文学の棚に向かった。見ると、西洋文学の、"J"の棚に『ライ麦畑でつかまえて』というJDサリンジャーの著書があった。僕はそれに心惹かれた。何よりもそのタイトルがだ。ライ麦畑でつかまえて。何か深みのようなものを感じ、すぐに司書さんに渡して借りますと少し早口で言った。
図書館から出た後、僕は分かれ道に直面した。一つは行きに使った近道、もう一つは今日はまだ通っていない回り道だ。僕は少し考えたが、後者に向かった。このオゾンホールの穴のような暑さを、最短の場合よりも少し長く被ることになるが、まあ良い。行きと同じ道なんかでは、きっと退屈するだろう。退屈は僕の最も嫌うところであった。
回り道の方は、行きの道よりもずっと日陰が少なかった。僕はまたあの、体が溶けるかのような感覚に襲われた。崩壊はじりじりと内側に侵食していく。蝉が鳴いている。しかめっ面をしながら散歩をしている老人がいる。そんな表情になってまで、何の利益もなさそうな散策をする彼らの気持ちが僕には分からなかった。僕も五十年も先には、あの気持ちがわかるようになるのだろうか。僕は自分が老人になった時のことを想像してみた。でも上手くその姿を見出すことは出来なかった。多分恐ろしく未来の話だからだろう。
十字路のところで、信号が赤になっていた。僕は止まった。そんな僕の横を、うんざりしたような表情をしたおばさん、いや、四十代後半頃の女性が、せかせかと信号無視して走っていった。多分そのときその十字路は車がひどく少なかったから、信号無視をしてもそう見咎めるものはいないだろうとでも思っていたのだろう。僕はその女性に少し嫌悪感を覚えた。例えどんな理由であれ、ルールというものは守らなくては、世界は良くならないというのが僕の持論だった。ストライキも、誹謗中傷も、窃盗も、全て世の中の誰かが国か教科書に定められたルールに則らないから起きるのだ。そして官僚は何事も起こらないようにルールをより万能なものに脳の汗を流して近づけ、そして我々はそのルールという柵の中で自由に生きればいいのだ。そうすれば、どんな悪事も起こらず、皆が平穏に暮らすことができる。なんて言ったって、ルールはそのためにあるのだから。
この考えを、一度だけ大人に伝えたことがある。学校の組主任だ。彼に僕は、ゆっくりと、そして明瞭に意見を言った。でも、彼は
「中三のくせに、一丁前な考えを持っているんだなぁ!」
と言い、大声で下品な声を出して笑った。おそらく僕の言ったことの中身は全く聞いていなかっただろう。多分あの男の頭はラムネ瓶みたいに、振れば音がするくらい脳みそが詰まっていないのじゃないか。僕はあんな大人にはなりたくないと心底思った。
ラムネ瓶の様な頭について考えていたら、いつのまにか僕が渡ろうとしているものとは違う、もう一方の方向の信号が黄色になり、そして赤になった。その間に何人もの人が信号を無視して渡っていった。そしてオゾンホールから覗いた太陽は、僕の肉体を相変わらず溶解させていた。とにかく、そのもう一方の方向の信号が赤になったのだから、すぐに、僕が渡ろうとしているこの信号は青になるはずだ、と僕は思った。
でもいつまで経っても僕の目の前の信号は青い光を呈さなかった。その十字路の信号が、全て赤色に光る時間がいつまでも続いた。おかしい。僕は舌打ちした。この十字路の信号には、右折専用だとか直進専用なんてものはどれもついていない。なのに、なんでこんなに時間を空けるんだ。仮に、十字路で、一方の信号が赤になってから、もう一方の方向の信号が青になるまで、三秒のクールタイムの様なものがあったとしてもだ。この信号たちの沈黙は、三秒を優に超えていた。じりじり。太陽は僕の姿を捉え、いよいよ本格的に攻撃を開始したようだった。肉体が溶ける。
まだ青にならない。その間にも太陽は僕をオープントーストの中のパンでも焼くかのように僕を温め続けた。じりじり。
じりじり。僕の考えは変わっていた。まだ赤信号だが、もう渡ってしまおう。普段の僕ならこんなことはまず考えない。はずだった。だが、この身の回りの全ての事象が、僕にルールを破れと言っているようだった。あるいは太陽による僕の肉体の崩壊が、ついに脳みそにまで達したのかもしれない。僕は下を向いて、とぼとぼと赤信号の横断歩道を渡った。
横断歩道を渡り切って、再び信号を見た。すると、いつの間にか魔法のように青色の光を示していた。そして車も、僕と同じ方向に、気怠そうに走っていた。エンジンを吹かす音は全く聞こえなかった。本当に、いつの間にか、現実が赤信号の状態と青信号の状態ですり替わったのだ。やれやれ、と僕は思った。
やがて道は馬鹿高いマンションの日陰に入り、あのオゾンホールの太陽に焼かれることはなくなった。でも、そのマンションの影の、そのどことなく寂しげな道を歩いているうちに、小学校で教師の誰かが言っていた、
「遠足は帰るまでが遠足ですよ!」
という小学校教師の模範的な台詞を思い出した。小学生の頃はなんとなくその言葉に納得出来ずにいたが、今思ってみれば、それは至極正しい言葉だった。大人になれば僕は、こんな風に、現実の教訓だか言葉だかの、どれに対しても納得するようになるのだろうか。
とにかく、今日得た収穫は、「ライ麦畑でつかまえて」と、物事は帰り道までも大切であるという一つの事実だった。
外に出ようとしたら、たまたま昼食休みで家に戻ってきていた母(母の職場と家は五分も無いため、いつも家に戻ってから昼食を食べているのだ)が、僕に向かってまるで秘密の合言葉でも教えるかのように言った。
「外に行ったら、本当に、溶けるわよ」
僕はそれを聞いて、おそらく外が相当暑いということを示しているのだろうと僕は推測した。そして"溶けるわよ"というのはその揶揄表現であると。だがこの時の僕は、まだ何が"溶ける"ことになるのか全く分かっていなかった。未来と暗喩は大抵わからないものなのだ。
外に出て、日が燦々と当たる歩道に出たとき、僕は外に出たのを少し後悔した。これは普通の猛暑とは違う、と直感のようなもので悟った。これはただ単に人間の肉体に汗をかかせて不快感を高めるだけの暑さではないと。途端に家の、優しげなエアコンと扇風機にあたりたい欲望に襲われた。それでも僕はゆっくりと足を進め、図書館へ進んでいった。
それはひどい猛暑だった。蝉は休む暇もなく五月蝿く鳴き続け、コンクリートの歩道は僕にじりじりと熱を与え、そして何よりも太陽が、僕に残酷なほど沢山の光を与えた。東京に第二のオゾンホールが空いたんじゃないかと思うほどだ。僕の肉体は確実に溶けていった。母の言った通りだ、と僕は思った。僕の肉体は外側からじわりじわりと、極度の不快感を持って溶解していった。
図書館のエアコンを浴びたとき、僕は心底救われたと思った。僕の肉体の崩壊は止まった。そのあと迷わず僕の脚は文学の棚に向かった。見ると、西洋文学の、"J"の棚に『ライ麦畑でつかまえて』というJDサリンジャーの著書があった。僕はそれに心惹かれた。何よりもそのタイトルがだ。ライ麦畑でつかまえて。何か深みのようなものを感じ、すぐに司書さんに渡して借りますと少し早口で言った。
図書館から出た後、僕は分かれ道に直面した。一つは行きに使った近道、もう一つは今日はまだ通っていない回り道だ。僕は少し考えたが、後者に向かった。このオゾンホールの穴のような暑さを、最短の場合よりも少し長く被ることになるが、まあ良い。行きと同じ道なんかでは、きっと退屈するだろう。退屈は僕の最も嫌うところであった。
回り道の方は、行きの道よりもずっと日陰が少なかった。僕はまたあの、体が溶けるかのような感覚に襲われた。崩壊はじりじりと内側に侵食していく。蝉が鳴いている。しかめっ面をしながら散歩をしている老人がいる。そんな表情になってまで、何の利益もなさそうな散策をする彼らの気持ちが僕には分からなかった。僕も五十年も先には、あの気持ちがわかるようになるのだろうか。僕は自分が老人になった時のことを想像してみた。でも上手くその姿を見出すことは出来なかった。多分恐ろしく未来の話だからだろう。
十字路のところで、信号が赤になっていた。僕は止まった。そんな僕の横を、うんざりしたような表情をしたおばさん、いや、四十代後半頃の女性が、せかせかと信号無視して走っていった。多分そのときその十字路は車がひどく少なかったから、信号無視をしてもそう見咎めるものはいないだろうとでも思っていたのだろう。僕はその女性に少し嫌悪感を覚えた。例えどんな理由であれ、ルールというものは守らなくては、世界は良くならないというのが僕の持論だった。ストライキも、誹謗中傷も、窃盗も、全て世の中の誰かが国か教科書に定められたルールに則らないから起きるのだ。そして官僚は何事も起こらないようにルールをより万能なものに脳の汗を流して近づけ、そして我々はそのルールという柵の中で自由に生きればいいのだ。そうすれば、どんな悪事も起こらず、皆が平穏に暮らすことができる。なんて言ったって、ルールはそのためにあるのだから。
この考えを、一度だけ大人に伝えたことがある。学校の組主任だ。彼に僕は、ゆっくりと、そして明瞭に意見を言った。でも、彼は
「中三のくせに、一丁前な考えを持っているんだなぁ!」
と言い、大声で下品な声を出して笑った。おそらく僕の言ったことの中身は全く聞いていなかっただろう。多分あの男の頭はラムネ瓶みたいに、振れば音がするくらい脳みそが詰まっていないのじゃないか。僕はあんな大人にはなりたくないと心底思った。
ラムネ瓶の様な頭について考えていたら、いつのまにか僕が渡ろうとしているものとは違う、もう一方の方向の信号が黄色になり、そして赤になった。その間に何人もの人が信号を無視して渡っていった。そしてオゾンホールから覗いた太陽は、僕の肉体を相変わらず溶解させていた。とにかく、そのもう一方の方向の信号が赤になったのだから、すぐに、僕が渡ろうとしているこの信号は青になるはずだ、と僕は思った。
でもいつまで経っても僕の目の前の信号は青い光を呈さなかった。その十字路の信号が、全て赤色に光る時間がいつまでも続いた。おかしい。僕は舌打ちした。この十字路の信号には、右折専用だとか直進専用なんてものはどれもついていない。なのに、なんでこんなに時間を空けるんだ。仮に、十字路で、一方の信号が赤になってから、もう一方の方向の信号が青になるまで、三秒のクールタイムの様なものがあったとしてもだ。この信号たちの沈黙は、三秒を優に超えていた。じりじり。太陽は僕の姿を捉え、いよいよ本格的に攻撃を開始したようだった。肉体が溶ける。
まだ青にならない。その間にも太陽は僕をオープントーストの中のパンでも焼くかのように僕を温め続けた。じりじり。
じりじり。僕の考えは変わっていた。まだ赤信号だが、もう渡ってしまおう。普段の僕ならこんなことはまず考えない。はずだった。だが、この身の回りの全ての事象が、僕にルールを破れと言っているようだった。あるいは太陽による僕の肉体の崩壊が、ついに脳みそにまで達したのかもしれない。僕は下を向いて、とぼとぼと赤信号の横断歩道を渡った。
横断歩道を渡り切って、再び信号を見た。すると、いつの間にか魔法のように青色の光を示していた。そして車も、僕と同じ方向に、気怠そうに走っていた。エンジンを吹かす音は全く聞こえなかった。本当に、いつの間にか、現実が赤信号の状態と青信号の状態ですり替わったのだ。やれやれ、と僕は思った。
やがて道は馬鹿高いマンションの日陰に入り、あのオゾンホールの太陽に焼かれることはなくなった。でも、そのマンションの影の、そのどことなく寂しげな道を歩いているうちに、小学校で教師の誰かが言っていた、
「遠足は帰るまでが遠足ですよ!」
という小学校教師の模範的な台詞を思い出した。小学生の頃はなんとなくその言葉に納得出来ずにいたが、今思ってみれば、それは至極正しい言葉だった。大人になれば僕は、こんな風に、現実の教訓だか言葉だかの、どれに対しても納得するようになるのだろうか。
とにかく、今日得た収穫は、「ライ麦畑でつかまえて」と、物事は帰り道までも大切であるという一つの事実だった。
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