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第43話 何か、聞いたのかな?

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 ダイチくんのアルバイト期間はまだ続いている。
 現在、五日目。

 心配するなという『現場の声』も尊重し、あれから工場へ視察に行くこともなく。
 本人に対しても特に「どう?」と聞くこともしていなかった。

 しかし、本日。
 私は人事担当者としてではなく、個人として、彼に対してやるべきことがあった。

 そして。
 今までずっとタイミングを逃し続けてきたことについても。
 チャンスがあれば『斬り込んでみよう』と考えていた。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 残業で、少しだけ遅くなった。
 でもまだ八時。時間的にはおそらくちょうどいい。彼は夕食後で、まだ起きているはず。
 私はスマホを手に持ち、彼に電話をかけた。

「あ、はい。ダイチです。こんばんは」
「ふっふっふ」
「……? なんですかアオイさん」
「今こっちに来られる?」
「はい、行けますよ」

「本当? 内心『もうお前に利用価値はねーよ。電話してくんなボケが』とか思ってない!?」
「え? いや、思ってません……というか利用価値って何ですか……」
「ふむふむ。よーし、じゃあ来いや!」
「……? わかりました。すぐ行きます」

 よし、来てくれるようだ。
 モノの準備はオーケー。迎え撃つ。

 ――ピンポーン。

 来たあ!

「はーい。どうぞー。こっちまで入ってきてー」
「……? お邪魔します」

 いつも玄関まで迎えに出ているが、今日はあえてそれをせず。
 そのせいか、彼の声はやや不思議そうなトーンだった。

 スリッパの足音が近づき、それが止まって、中途半端に閉めていたリビングのドアが開く。
 その瞬間に――

 ――パーン。

「うわっ!?」

 私が手元の紐を引くと、小さな破裂音。
 不意を突かれた彼が驚きの声をあげる。

 もちろんパーティグッズのクラッカーの音だ。
 近所迷惑になりかねないので、小さくてショボいやつだったけれども、細い紙テープがしっかりと彼の体に絡みついた。

「ダイチくん十八歳おめでとう!」

 そう。今日はダイチくんの十八歳の誕生日なのだ。

 彼は立ったまま少しだけ固まった。
 だが、私のお祝いの言葉と、テーブルに置かれた巨大なケーキで状況を理解すると、

「ありがとうございます」

 と頭を下げ、頭を掻いた。



 ケーキは前回のクリスマスケーキと同じでは面白くない。
 そう思ったので、今回は……
 ココアを使用した茶色の生地と贅沢なチョコクリームで作られた、円錐形のケーキだ。

「これ、形がバベルの塔にしか見えません」
「うん。エスカルゴケーキって名前が付いてたけど、お店的には完全にバベルの塔を参考に作ったらしいの。通称も『バベル』らしいよ」
「そうなんですか」

 私は電気を消した。
 テーブルに座ったダイチくんは、十八本のロウソクが灯っているケーキを見つめる。

「ではいきます」

 ダイチくんは塔の上に身を乗り出した。
 塔の頂上から順番に、時計回りにロウソクを消していく。

 ロウソクが全部消えると、私はパチパチと小さく手を叩いて、部屋の電気をつけた。
 そして「どうぞ召し上がれ」である。

 彼は「いただきます」と手を合わせるポーズをし、私が用意していた大きなカレー用スプーンを手に取った。
 が、塔の頂上から手を付けようとして、そこでいったん止まった。

「これ、バベルの塔を似せたケーキなのに、上は崩れてないんですね。尖ってます」

 そんな疑問を口にする。
 確かに、絵などで見かけるバベルの塔というのは、上のほうが崩れている。
 私も買うときに同じ疑問を持ったので、すでに洋菓子屋さんでワケを聞いていた。

「そこまで似せると縁起が悪くなっちゃうからって洋菓子屋のおばちゃんが言ってたよ」
「縁起?」

「うん。絵でバベルの塔が崩れているのは、天まで届く塔を作ろうとして崩れちゃったかららしいの。だから、バベルの塔は『実現できない計画や目標を揶揄する言葉』としても使われるんだって。
 でも、このケーキは上まであるでしょ? だから縁起がいいんだよ。ダイチくんに人生の目標があるなら、きっとそれが叶うはず――」

 私は洋菓子屋のおばちゃんが語ってくれたこと交えて、さりげなく彼に話題を振ってみた。

「なるほど。目標、ですか」

 彼はそれだけ言うと、スプーンを動かして食べ始めた。

 ――うーん。
 やっぱり、自分からは語ってくれそうにはない。


 彼の目標。
 目先の目標ではなく、人生での中長期的な目標は何だろう。
 いや、何だっ“た”のだろう。

 ……。

 最初に履歴書と調査書を見たときから、引っかかっていた。
 なぜ就職なのか、と。

 その後、その理由については本人ではなく同級生から聞いた。
 本当は高校を出てすぐに働くつもりはなく、工学部に進学するつもりだった、と。
 そして、そうならなかったのは家庭の事情によるものだ、と。

 だが、私としては、もうちょっと踏み込んでみたかった。
 進学したいと思っていた気持ちは、どれくらい強かったのか、と。

 それが、今回チャンスがあれば『斬り込んでみよう』と思っていた内容だ。

 もしも、その気持ちが強くて、今も強いのであれば……。
 働きながらでも、それを叶える方法がないわけではない。
 特に、うちの工場の製造職であれば望みがある。

 もし彼がそれに気づいていなければ。
 もしくは、気づいているが「もういいや」と思ってしまっているのであれば。
 差し出がましいとは思いつつも、私から今後についての提案と、お尻を叩くことができるかもしれない。

 でも、さっきの私のフリでもしゃべろうとしないとなると……?
 いや、彼のことだ。単にフリに気づいていないということもありえる。

 ……。
 悶々としている私をよそに、彼はものすごい勢いでケーキを食べている。

 だあああ!!
 わからんッ!!

 これはもう、特攻するしかないんじゃないの?
 ここで言ってしまえば、全てがスッキリする気がする。
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