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クラリス・フォン・エルメルの夜会日記 ―グラン・ルミナスに通う理由は、まだ“恋”ではないけれど―
レオン様、あなたは私のことを“忘れてくれる”から
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その夜、私は少しだけ早く店に着いた。まだフロアが混み合う前の時間帯。空気には余裕があり、ランプの光もどこか穏やかだった。
レオン様がまだフロアに出ていないのは分かっていた。けれど、私はなぜか落ち着かず、ゆっくりと階段を降りて、メインフロアの一角にあるお気に入りの席に腰を下ろした。
そこは、彼がよく客の様子を眺める場所から少しだけ離れた、視界の端に入る位置。つまり、私は“彼から見える場所”にいたかったのだと思う。
……けれど、そう思った矢先だった。
視線の先、カーテンの向こうから彼が現れた。その柔らかな笑みも、洗練された所作も、何も変わっていない。ただひとつだけ違ったのは――彼が今、隣にいるのは私ではなかったということ。
薄紫のドレスを身に纏った、見覚えのない令嬢がいた。彼女は笑っていた。彼もまた、楽しげに話していた。
私の胸に、何かが静かに突き刺さった。
それは嫉妬だったのかもしれない。
でも、それを認めたくなくて、私はそっと視線を逸らした。
貴族の娘として、感情を露わにすることは恥とされてきた。
私はずっと、そうやって生きてきた。
なのに――なぜ、たったこれだけのことで、こんなに心がざわめくのか。
私は目の前のグラスに口をつけた。微かに震えていた手を、気づかれないように隠す。
悔しさでも、怒りでもない。もっと曖昧で、掴みどころのない感情だった。
けれど、しばらくして思い至った。
あの人は、誰のものでもないのだ。
彼はホスト。誰かに寄り添い、誰かを照らす職業。
それは、私のためだけの存在ではない。
だからこそ、彼の笑顔は美しいのだと。
誰か一人のものにならないからこそ、あの人は人の心に灯をともせる。
私は、ようやく息をついた。
グラスの中の氷が静かに音を立てる。
そのとき、不意に気づいた。
彼は私の席には気づいていた。けれど、こちらを見なかった。
それが、逆に救いだった。
「クラリス様、お変わりありませんか?」
何度もそう問いかけてくれたあの人が、今は私に声をかけない。
それは、もしかしたら“私を忘れてくれる”という優しさなのかもしれない。
私の心の整理がつくまで、そっとしておいてくれる。
そうやって、私の尊厳を守ってくれる。
それが彼なのだ。
愛という言葉は、時にあまりにもわかりやすくて、強すぎる。
けれど――こんなふうに、誰かの幸せを願いながら、自分の心と距離を取る感情も、
愛に似ているのではないだろうか。
私は小さく微笑んだ。
“独占しない愛し方”が、この世にあるのだと知った。
それは切ないけれど、どこか誇らしい気持ちだった。
この気持ちを記しておこう。
後で思い出すために。
“レオン様。あなたは、私のことを忘れてくれる。
だから私は、あなたのそばにいた記憶を、穏やかに抱きしめていられるのです”
静かにランプの灯りが揺れ、夜が更けていく。
その光の中で、私はまたひとつ、大人になった気がした。
レオン様がまだフロアに出ていないのは分かっていた。けれど、私はなぜか落ち着かず、ゆっくりと階段を降りて、メインフロアの一角にあるお気に入りの席に腰を下ろした。
そこは、彼がよく客の様子を眺める場所から少しだけ離れた、視界の端に入る位置。つまり、私は“彼から見える場所”にいたかったのだと思う。
……けれど、そう思った矢先だった。
視線の先、カーテンの向こうから彼が現れた。その柔らかな笑みも、洗練された所作も、何も変わっていない。ただひとつだけ違ったのは――彼が今、隣にいるのは私ではなかったということ。
薄紫のドレスを身に纏った、見覚えのない令嬢がいた。彼女は笑っていた。彼もまた、楽しげに話していた。
私の胸に、何かが静かに突き刺さった。
それは嫉妬だったのかもしれない。
でも、それを認めたくなくて、私はそっと視線を逸らした。
貴族の娘として、感情を露わにすることは恥とされてきた。
私はずっと、そうやって生きてきた。
なのに――なぜ、たったこれだけのことで、こんなに心がざわめくのか。
私は目の前のグラスに口をつけた。微かに震えていた手を、気づかれないように隠す。
悔しさでも、怒りでもない。もっと曖昧で、掴みどころのない感情だった。
けれど、しばらくして思い至った。
あの人は、誰のものでもないのだ。
彼はホスト。誰かに寄り添い、誰かを照らす職業。
それは、私のためだけの存在ではない。
だからこそ、彼の笑顔は美しいのだと。
誰か一人のものにならないからこそ、あの人は人の心に灯をともせる。
私は、ようやく息をついた。
グラスの中の氷が静かに音を立てる。
そのとき、不意に気づいた。
彼は私の席には気づいていた。けれど、こちらを見なかった。
それが、逆に救いだった。
「クラリス様、お変わりありませんか?」
何度もそう問いかけてくれたあの人が、今は私に声をかけない。
それは、もしかしたら“私を忘れてくれる”という優しさなのかもしれない。
私の心の整理がつくまで、そっとしておいてくれる。
そうやって、私の尊厳を守ってくれる。
それが彼なのだ。
愛という言葉は、時にあまりにもわかりやすくて、強すぎる。
けれど――こんなふうに、誰かの幸せを願いながら、自分の心と距離を取る感情も、
愛に似ているのではないだろうか。
私は小さく微笑んだ。
“独占しない愛し方”が、この世にあるのだと知った。
それは切ないけれど、どこか誇らしい気持ちだった。
この気持ちを記しておこう。
後で思い出すために。
“レオン様。あなたは、私のことを忘れてくれる。
だから私は、あなたのそばにいた記憶を、穏やかに抱きしめていられるのです”
静かにランプの灯りが揺れ、夜が更けていく。
その光の中で、私はまたひとつ、大人になった気がした。
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