君が知らない僕を、君が愛した——会社では“同期”、夜の街では“知らない誰か”

中岡 始

文字の大きさ
61 / 61

日常というステージへ

しおりを挟む
夜の駅前は、昼間とは違う表情を見せていた。ネオンの灯りが歩道に長く影を落とし、行き交う人々の顔に柔らかな光と影を投げかけていた。駅ビルから漏れるアナウンスと足音の重なりに混じって、改札口付近に立つひとりの姿があった。

涼希だった。コートの襟を指で整え、何度か小さく息を吐き出す。視線は落ち着いているようで、どこかまだ所在なさげに宙を漂っている。けれど、その目は誰かを待つ確かな意思を宿していた。

やがて改札の奥から、見慣れた背の高いシルエットが歩いてくる。人の流れの中でもすぐにわかる姿だった。スーツのジャケットに少しシワが入り、ネクタイがわずかに緩んでいるのは、長い一日を乗り越えた証だった。

「待たせたか」と駒川が言う。声は穏やかで、息が少しだけ上がっていた。

「ううん」と涼希は首を横に振る。「今来たところ」

どちらが先でも、もうどうでもよかった。ただ、こうして“待つ”時間があり、“会える”場所があるということが、確かに嬉しかった。

ふたりは自然に歩き出した。仕事帰りのスーツ姿で並んで歩くという日常が、かつてどれほど遠い夢のように思えていたかを、涼希はふと振り返る。今はそれが、当たり前のように息をしている。

「今日さ、社内報の撮影あってさ。例のチーム紹介記事」と駒川がぽつりと話し出す。

「へえ。写ったの?」

「いや、写真は他のやつに任せた。俺、そういうの苦手だし」

「でも、きっと一番頼られてるでしょ。あなた」

涼希の何気ない一言に、駒川は肩をすくめた。「どうだかな。たまに、俺がいなくても回るなって思う瞬間、ちょっと怖いよ」

「それ、前も言ってたね。そういう時は、隣に誰かがいるだけで、怖さって和らぐんだってさ」

「…誰か、って」

「俺のことだよ」と、涼希は照れ隠しのように笑った。

駒川はその笑みにふっと息を漏らすように笑い、ポケットに手を入れる。そのとき、目の前の信号が点滅を始めた。

「行けるな」と言って、駒川が軽く走り出す。涼希の腕を、手首ではなく、肘のあたりを優しく引く。

ふたりは横断歩道を渡りきり、信号が赤に変わった瞬間、その場で小さく息を整えた。

「駒川さん」

呼ばれて、ふと振り返る。

涼希は少し息を弾ませながら、けれど目は真っすぐにこちらを見ていた。

「やっと…一緒にいられる場所を見つけた気がする」

その言葉に、駒川は何も迷わず応えた。

「やっと、はじまりだな」

涼希は黙って頷く。その頷きには、夜の匂いも、過去の名残も、そしてこれからの未来も、すべてを包み込むような優しさがあった。

駅前を過ぎ、小さな商店街に足を向ける。開いたままの八百屋、明かりの落ちかけたパン屋、シャッターを下ろしはじめた古本屋。それらが日常の風景として、ふたりの視界に流れていく。

「明日、休みだよね」と涼希が言った。

「ああ。久しぶりに、昼まで寝ようかと思ってた」

「じゃあ、朝ごはん作るよ。うちで食べる?」

「食べる。コーヒーはブラックでいいか?」

「たぶん、ミルク切れてる。買って帰る?」

「うん、じゃあスーパー寄るか」

ふたりは笑った。とてもささやかで、でも確かな笑いだった。

日常という名のステージに、ようやく立ったふたり。その場所には、大きな舞台照明もなければ、拍手もない。けれど、温かい光と小さな会話、そして隣にいる誰かの存在だけが、必要なすべてだった。

その夜の風は冷たかったが、涼希は不思議と寒さを感じなかった。

もう、誰かにならなくてもいい。

そして、誰かを演じなくてもいい。

今ここにいる自分と、隣にいるあなたが選び直してくれるなら、それで十分だと思えた。

「ただいま」と言える場所が、胸の奥にひとつ、灯っていた。
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

赤毛のサニー

「壊れかけてる」って表現……好き❤️

2025.05.27 中岡 始

わ、こちらも読んでくださっているのですね(*^^*)
ありがとうございます♡

「壊れかけの色気」ってあると思うんですよねー♪
死んだ魚のような目とか。
どこか危うい、というか♡

解除

あなたにおすすめの小説

僕を惑わせるのは素直な君

秋元智也
BL
父と妹、そして兄の家族3人で暮らして来た。 なんの不自由もない。 5年前に病気で母親を亡くしてから家事一切は兄の歩夢が 全てやって居た。 そこへいきなり父親からも唐突なカミングアウト。 「俺、再婚しようと思うんだけど……」 この言葉に驚きと迷い、そして一縷の不安が過ぎる。 だが、好きになってしまったになら仕方がない。 反対する事なく母親になる人と会う事に……。 そこには兄になる青年がついていて…。 いきなりの兄の存在に戸惑いながらも興味もあった。 だが、兄の心の声がどうにもおかしくて。 自然と聞こえて来てしまう本音に戸惑うながら惹かれて いってしまうが……。 それは兄弟で、そして家族で……同性な訳で……。 何もかも不幸にする恋愛などお互い苦しみしかなく……。

時をかける恋~抱かれたい僕と気付いて欲しい先輩の話~

紫紺
BL
大学生になったばかりの花宮佳衣(はなみやけい)は、最近おかしな夢をみるようになった。自分が戦国時代の小姓になった夢だ。 一方、アパートの隣に住むイケメンの先輩が、妙に距離を詰めてきてこちらもなんだか調子が狂う。 煩わしいことから全て逃げて学生生活を謳歌しようとしていた佳衣だが、彼の前途はいかに? ※本作品はフィクションです。本文中の人名、地名、事象などは全て著者の創作であり、実在するものではございません。

聖獣召喚に巻き込まれた俺、モフモフの通訳をしてたら冷徹騎士団長に外堀を埋められました

たら昆布
BL
完璧っぽいエリート騎士×無自覚な愛され系

その関係に、名前をつけるなら

皐月ハル
BL
和樹と瑞季は、一文字違いの名前を持つ同い年の幼なじみ。 いつの頃からか、瑞季は和樹に特別な想いを抱くようになっていた。 けれど、その気持ちは誰にも言えないまま――。 中学まではいつも一緒だった二人も、高校では別々の道へ。 そんな瑞季の前に、博多弁のチャラいクラスメイト・春馬が現れる。 彼の登場によって、二人の関係は少しずつ揺らぎはじめていく。 和樹と瑞季のお話で、完結としましたが、 春馬くんで、もう少しお話を続けたくなりました。 またしても、名前繋がりです。

【完結済】俺のモノだと言わない彼氏

竹柏凪紗
BL
「俺と付き合ってみねぇ?…まぁ、俺、彼氏いるけど」彼女に罵倒されフラれるのを寮部屋が隣のイケメン&遊び人・水島大和に目撃されてしまう。それだけでもショックなのに壁ドン状態で付き合ってみないかと迫られてしまった東山和馬。「ははは。いいねぇ。お前と付き合ったら、教室中の女子に刺されそう」と軽く受け流した。…つもりだったのに、翌日からグイグイと迫られるうえ束縛まではじまってしまい──?! ■青春BLに限定した「第1回青春×BL小説カップ」最終21位まで残ることができ感謝しかありません。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

唇を隠して,それでも君に恋したい。

初恋
BL
同性で親友の敦に恋をする主人公は,性別だけでなく,生まれながらの特殊な体質にも悩まされ,けれどその恋心はなくならない。 大きな弊害に様々な苦難を強いられながらも,たった1人に恋し続ける男の子のお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。