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日常というステージへ
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夜の駅前は、昼間とは違う表情を見せていた。ネオンの灯りが歩道に長く影を落とし、行き交う人々の顔に柔らかな光と影を投げかけていた。駅ビルから漏れるアナウンスと足音の重なりに混じって、改札口付近に立つひとりの姿があった。
涼希だった。コートの襟を指で整え、何度か小さく息を吐き出す。視線は落ち着いているようで、どこかまだ所在なさげに宙を漂っている。けれど、その目は誰かを待つ確かな意思を宿していた。
やがて改札の奥から、見慣れた背の高いシルエットが歩いてくる。人の流れの中でもすぐにわかる姿だった。スーツのジャケットに少しシワが入り、ネクタイがわずかに緩んでいるのは、長い一日を乗り越えた証だった。
「待たせたか」と駒川が言う。声は穏やかで、息が少しだけ上がっていた。
「ううん」と涼希は首を横に振る。「今来たところ」
どちらが先でも、もうどうでもよかった。ただ、こうして“待つ”時間があり、“会える”場所があるということが、確かに嬉しかった。
ふたりは自然に歩き出した。仕事帰りのスーツ姿で並んで歩くという日常が、かつてどれほど遠い夢のように思えていたかを、涼希はふと振り返る。今はそれが、当たり前のように息をしている。
「今日さ、社内報の撮影あってさ。例のチーム紹介記事」と駒川がぽつりと話し出す。
「へえ。写ったの?」
「いや、写真は他のやつに任せた。俺、そういうの苦手だし」
「でも、きっと一番頼られてるでしょ。あなた」
涼希の何気ない一言に、駒川は肩をすくめた。「どうだかな。たまに、俺がいなくても回るなって思う瞬間、ちょっと怖いよ」
「それ、前も言ってたね。そういう時は、隣に誰かがいるだけで、怖さって和らぐんだってさ」
「…誰か、って」
「俺のことだよ」と、涼希は照れ隠しのように笑った。
駒川はその笑みにふっと息を漏らすように笑い、ポケットに手を入れる。そのとき、目の前の信号が点滅を始めた。
「行けるな」と言って、駒川が軽く走り出す。涼希の腕を、手首ではなく、肘のあたりを優しく引く。
ふたりは横断歩道を渡りきり、信号が赤に変わった瞬間、その場で小さく息を整えた。
「駒川さん」
呼ばれて、ふと振り返る。
涼希は少し息を弾ませながら、けれど目は真っすぐにこちらを見ていた。
「やっと…一緒にいられる場所を見つけた気がする」
その言葉に、駒川は何も迷わず応えた。
「やっと、はじまりだな」
涼希は黙って頷く。その頷きには、夜の匂いも、過去の名残も、そしてこれからの未来も、すべてを包み込むような優しさがあった。
駅前を過ぎ、小さな商店街に足を向ける。開いたままの八百屋、明かりの落ちかけたパン屋、シャッターを下ろしはじめた古本屋。それらが日常の風景として、ふたりの視界に流れていく。
「明日、休みだよね」と涼希が言った。
「ああ。久しぶりに、昼まで寝ようかと思ってた」
「じゃあ、朝ごはん作るよ。うちで食べる?」
「食べる。コーヒーはブラックでいいか?」
「たぶん、ミルク切れてる。買って帰る?」
「うん、じゃあスーパー寄るか」
ふたりは笑った。とてもささやかで、でも確かな笑いだった。
日常という名のステージに、ようやく立ったふたり。その場所には、大きな舞台照明もなければ、拍手もない。けれど、温かい光と小さな会話、そして隣にいる誰かの存在だけが、必要なすべてだった。
その夜の風は冷たかったが、涼希は不思議と寒さを感じなかった。
もう、誰かにならなくてもいい。
そして、誰かを演じなくてもいい。
今ここにいる自分と、隣にいるあなたが選び直してくれるなら、それで十分だと思えた。
「ただいま」と言える場所が、胸の奥にひとつ、灯っていた。
涼希だった。コートの襟を指で整え、何度か小さく息を吐き出す。視線は落ち着いているようで、どこかまだ所在なさげに宙を漂っている。けれど、その目は誰かを待つ確かな意思を宿していた。
やがて改札の奥から、見慣れた背の高いシルエットが歩いてくる。人の流れの中でもすぐにわかる姿だった。スーツのジャケットに少しシワが入り、ネクタイがわずかに緩んでいるのは、長い一日を乗り越えた証だった。
「待たせたか」と駒川が言う。声は穏やかで、息が少しだけ上がっていた。
「ううん」と涼希は首を横に振る。「今来たところ」
どちらが先でも、もうどうでもよかった。ただ、こうして“待つ”時間があり、“会える”場所があるということが、確かに嬉しかった。
ふたりは自然に歩き出した。仕事帰りのスーツ姿で並んで歩くという日常が、かつてどれほど遠い夢のように思えていたかを、涼希はふと振り返る。今はそれが、当たり前のように息をしている。
「今日さ、社内報の撮影あってさ。例のチーム紹介記事」と駒川がぽつりと話し出す。
「へえ。写ったの?」
「いや、写真は他のやつに任せた。俺、そういうの苦手だし」
「でも、きっと一番頼られてるでしょ。あなた」
涼希の何気ない一言に、駒川は肩をすくめた。「どうだかな。たまに、俺がいなくても回るなって思う瞬間、ちょっと怖いよ」
「それ、前も言ってたね。そういう時は、隣に誰かがいるだけで、怖さって和らぐんだってさ」
「…誰か、って」
「俺のことだよ」と、涼希は照れ隠しのように笑った。
駒川はその笑みにふっと息を漏らすように笑い、ポケットに手を入れる。そのとき、目の前の信号が点滅を始めた。
「行けるな」と言って、駒川が軽く走り出す。涼希の腕を、手首ではなく、肘のあたりを優しく引く。
ふたりは横断歩道を渡りきり、信号が赤に変わった瞬間、その場で小さく息を整えた。
「駒川さん」
呼ばれて、ふと振り返る。
涼希は少し息を弾ませながら、けれど目は真っすぐにこちらを見ていた。
「やっと…一緒にいられる場所を見つけた気がする」
その言葉に、駒川は何も迷わず応えた。
「やっと、はじまりだな」
涼希は黙って頷く。その頷きには、夜の匂いも、過去の名残も、そしてこれからの未来も、すべてを包み込むような優しさがあった。
駅前を過ぎ、小さな商店街に足を向ける。開いたままの八百屋、明かりの落ちかけたパン屋、シャッターを下ろしはじめた古本屋。それらが日常の風景として、ふたりの視界に流れていく。
「明日、休みだよね」と涼希が言った。
「ああ。久しぶりに、昼まで寝ようかと思ってた」
「じゃあ、朝ごはん作るよ。うちで食べる?」
「食べる。コーヒーはブラックでいいか?」
「たぶん、ミルク切れてる。買って帰る?」
「うん、じゃあスーパー寄るか」
ふたりは笑った。とてもささやかで、でも確かな笑いだった。
日常という名のステージに、ようやく立ったふたり。その場所には、大きな舞台照明もなければ、拍手もない。けれど、温かい光と小さな会話、そして隣にいる誰かの存在だけが、必要なすべてだった。
その夜の風は冷たかったが、涼希は不思議と寒さを感じなかった。
もう、誰かにならなくてもいい。
そして、誰かを演じなくてもいい。
今ここにいる自分と、隣にいるあなたが選び直してくれるなら、それで十分だと思えた。
「ただいま」と言える場所が、胸の奥にひとつ、灯っていた。
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ありがとうございます♡
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