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本当に、天王寺くん!?
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朝の社屋は、まだほんのりと冷たい空気を纏っていた。
エントランスを通り抜けると、ガラス張りのフロアに柔らかな照明が差し込んでいる。
コーヒーの香り、印刷機の低い唸り、パソコンを立ち上げる電子音。
いつもの、変わらない朝だった。
梅田は少しだけ早めに出社した。
理由は、なんとなく――昨日の夜、あの顔が、頭から離れなかったからだ。
改札口の下り階段で見た横顔。
眼鏡を外したあの瞬間、髪の奥から覗いた涼やかな目元。
月のような、透明な輪郭。
どこか触れれば崩れてしまいそうな、美しさ。
…本当に、天王寺やったんか。
信じがたいような、けれど疑いようのない一致。
あの歩き方、肩の傾き、手の動き。
天王寺以外の誰だというのか。
だから、無意識に目が向いた。
フロアの奥、窓際の席。
相変わらず、彼は静かにキーボードを叩いていた。
黒縁の眼鏡。
無地の白シャツに、ややくたびれたスーツ。
背筋は伸びているが、緊張感というより、習慣のような姿勢。
何度見ても、“あの顔”はそこにいなかった。
別人だったんじゃないか。
見間違いだったのかもしれない。
――そう思わせるほど、今の天王寺は、いつも通りだった。
けれど、昨日の夜に見た“それ”は、幻なんかじゃない。
たしかにいた。
光の中で浮かび上がるような横顔。
それを見た瞬間、心臓が、ほんの少し、速くなったのを覚えている。
「……」
椅子を引く音がした。
朝のミーティングが始まる時間が近づいている。
梅田は資料を手にしながら、自分の席へ向かった。
通りすがりに、ついもう一度、天王寺の席に視線をやる。
動きは変わらず、淡々と作業をしている。
感情も表情も、何一つ外に出さずに。
まるで誰かに“見られている”という意識など、最初から存在しないかのように。
(ほんまに、あれが…昨日の人と同じ顔なんか?)
気になって仕方がなかった。
打ち合わせが始まってからも、意識はどうしても彼に向いてしまう。
資料の説明をしながら、プレゼン画面を指しながら、
梅田の視界の端には、天王寺の横顔がずっとあった。
眼鏡の奥の目は、画面を真っ直ぐに見ている。
口元は無表情。時折、細い指がメモにペンを走らせている。
何ひとつ、変わったところはない。
でも。
その無表情さが、今は“隠している”ように見える。
昨日までなら、ただ地味で感情の薄い人間に見えた。
けれど今は、そこに“何か”をしまい込んでいるように見えて仕方がなかった。
……ふと、天王寺が視線を上げた。
梅田の視線に気づいたのだろう。
ゆっくりと、眼鏡の奥の瞳がこちらを捉える。
言葉はない。
顔の筋肉も一切動かない。
なのに、その目だけが、はっきりと告げていた。
「あなた、見たんですね」
そんなふうに。
梅田は、一瞬だけ目を逸らした。
気まずいわけじゃない。
ただ、その目に、思った以上に“自分の心の揺れ”が映っているような気がして、
妙に息苦しくなった。
あの夜の光景は、たしかに現実だった。
でも、その現実を、どう扱えばいいのか分からなかった。
少なくとも、今ここで話題にできるようなものではない。
「昨日、見たで。眼鏡外してたやろ」
――そんな軽口で済ませてはいけない、何かがあった。
目の奥に、氷のような静けさを抱えている男。
触れると、きっと簡単に溶ける。でも、そのあと、指を切る。
梅田は息を整え、手元の資料に視線を戻した。
打ち合わせは淡々と進んでいく。
でも、意識の片隅では、ずっと天王寺の横顔をなぞっていた。
眼鏡の下に隠された目元。
伏せられたまつ毛の長さ。
言葉ではない“気配”が、あの人にはある。
梅田は、その気配に引き寄せられていた。
理由もなく。
ただ、確かに――何かが、気になって仕方がなかった。
エントランスを通り抜けると、ガラス張りのフロアに柔らかな照明が差し込んでいる。
コーヒーの香り、印刷機の低い唸り、パソコンを立ち上げる電子音。
いつもの、変わらない朝だった。
梅田は少しだけ早めに出社した。
理由は、なんとなく――昨日の夜、あの顔が、頭から離れなかったからだ。
改札口の下り階段で見た横顔。
眼鏡を外したあの瞬間、髪の奥から覗いた涼やかな目元。
月のような、透明な輪郭。
どこか触れれば崩れてしまいそうな、美しさ。
…本当に、天王寺やったんか。
信じがたいような、けれど疑いようのない一致。
あの歩き方、肩の傾き、手の動き。
天王寺以外の誰だというのか。
だから、無意識に目が向いた。
フロアの奥、窓際の席。
相変わらず、彼は静かにキーボードを叩いていた。
黒縁の眼鏡。
無地の白シャツに、ややくたびれたスーツ。
背筋は伸びているが、緊張感というより、習慣のような姿勢。
何度見ても、“あの顔”はそこにいなかった。
別人だったんじゃないか。
見間違いだったのかもしれない。
――そう思わせるほど、今の天王寺は、いつも通りだった。
けれど、昨日の夜に見た“それ”は、幻なんかじゃない。
たしかにいた。
光の中で浮かび上がるような横顔。
それを見た瞬間、心臓が、ほんの少し、速くなったのを覚えている。
「……」
椅子を引く音がした。
朝のミーティングが始まる時間が近づいている。
梅田は資料を手にしながら、自分の席へ向かった。
通りすがりに、ついもう一度、天王寺の席に視線をやる。
動きは変わらず、淡々と作業をしている。
感情も表情も、何一つ外に出さずに。
まるで誰かに“見られている”という意識など、最初から存在しないかのように。
(ほんまに、あれが…昨日の人と同じ顔なんか?)
気になって仕方がなかった。
打ち合わせが始まってからも、意識はどうしても彼に向いてしまう。
資料の説明をしながら、プレゼン画面を指しながら、
梅田の視界の端には、天王寺の横顔がずっとあった。
眼鏡の奥の目は、画面を真っ直ぐに見ている。
口元は無表情。時折、細い指がメモにペンを走らせている。
何ひとつ、変わったところはない。
でも。
その無表情さが、今は“隠している”ように見える。
昨日までなら、ただ地味で感情の薄い人間に見えた。
けれど今は、そこに“何か”をしまい込んでいるように見えて仕方がなかった。
……ふと、天王寺が視線を上げた。
梅田の視線に気づいたのだろう。
ゆっくりと、眼鏡の奥の瞳がこちらを捉える。
言葉はない。
顔の筋肉も一切動かない。
なのに、その目だけが、はっきりと告げていた。
「あなた、見たんですね」
そんなふうに。
梅田は、一瞬だけ目を逸らした。
気まずいわけじゃない。
ただ、その目に、思った以上に“自分の心の揺れ”が映っているような気がして、
妙に息苦しくなった。
あの夜の光景は、たしかに現実だった。
でも、その現実を、どう扱えばいいのか分からなかった。
少なくとも、今ここで話題にできるようなものではない。
「昨日、見たで。眼鏡外してたやろ」
――そんな軽口で済ませてはいけない、何かがあった。
目の奥に、氷のような静けさを抱えている男。
触れると、きっと簡単に溶ける。でも、そのあと、指を切る。
梅田は息を整え、手元の資料に視線を戻した。
打ち合わせは淡々と進んでいく。
でも、意識の片隅では、ずっと天王寺の横顔をなぞっていた。
眼鏡の下に隠された目元。
伏せられたまつ毛の長さ。
言葉ではない“気配”が、あの人にはある。
梅田は、その気配に引き寄せられていた。
理由もなく。
ただ、確かに――何かが、気になって仕方がなかった。
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