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モノローグその四・カノン
偶然地上に降りていた私は、ある年老いた物理学者の部屋を覗いた。そこに無謀な試みを長く続けている者がいると知ったからだ。
教えてくれたのは水面を渡る風。故郷へと帰る、白鳥の一団から伝え聞いたそうだ。
大学構内に立ち並ぶ木々、池の水辺をはしゃぐ鳥や昆虫。
朝子をとりまく生命たちは、彼女の研究に期待を寄せていた。
もし遠い未来にでもそれが叶うなら、人間のみならず自分たちも恩恵に預かれるかもしれない。
会う者は口々に彼女のことを語り、成果を楽しみに待っていた。
それを信じていなかったのは、知能ある人間だけだった。
朝子は手の着けられない変わり者として、仲間たちからは一線を引かれていた。
賛同者も後継者も得られず、真実を模索する孤独な研究生活。だが黙々と作業に励む姿は、真摯なチャレンジャーだった。まだ誰も理解しえないような仮説を立て、画像を投影して証明を繰り返す。その反復にどれほどの意味があるのだろう?
私は鳥の姿を借りて、朝子の様子を眺めるようになったのだ。
一度きりの人生を、報われるかもわからぬ研究に賭けるクレイジーな研究者。まして富や名声と言った我欲のためでなく、行きずりの市民のため。ますますいかれている。なんと清らかな愚か者なのだろう。
でも私は目が離せなかった。
彼女はどこまであがくことができるだろう?
肉体を持ち時間の経過の中、いつか滅ぶ人間という生き物の挑戦。
宇宙も異次元も、人間からすれば規模がちがいすぎて捉えようもないだろうに。
それを使命だと言い切るすがすがしさ。
……やっぱりいかれている。
ある寒い冬の朝、実験室を覗くと朝子が床に倒れていた。
歳と共に弱った心臓の発作だった。
朝子は苦しいはずなのに、私を見てつぶやいた。
あなたいつも私を見てたでしょ。そんなに面白い?
うかつだった。私は鳥以上の何者でもないはずだったのに。
朝子は私の正体をわかっていて、気づいていないかのように装っていた。
ねえ、やっぱり人間の命なんて短すぎる。一瞬の命を救いたいのに、自然の理はあまりに広大すぎて。
やっぱり神なんてものはいないのかしら。
人間の妄想でしかない?
私は鳥の姿でしかない。なぜ、そんなことを訴える?
だけど、朝子は見抜いていたのだ。私のことを。
人は人を救えず、神もまた手をさしのべない。だったら私が頑張らなきゃいけないのに。これ以上は……無理、なの?
あなたでもいいわ。お願い、どうかあの人たちを救って。
みんな、たった一度の命……なの、だから……。
心臓はとうに動きを止めていた。
なのに、朝子はまだ必死に訴えていた。
機器の画面は曲線を描き続け、主が絶命しようがおかまいなしに止まろうとしない。円錐型がじゅずのように連なり、糸を通されたようにうねうねと踊り出す。人の運命を操るように。
人の一生をいくつかの円錐の結合体で表しながら、廻る運命のスプライン。円錐どうしはねじれた結び目で分岐点を作り、その先でまた広がってゆく。
朝子。いなくなってしまったのか?
廻る、廻る。
スプラインはあてどなく、救いを求めて。
モニターの中で、強欲に……そして必死ささえ帯びて廻り続ける。
もう朝子はいないのに。
……つまらん。
これは限りなく、つまらん!!
私は明日から一体、何を楽しみにすればいいのだ??
私は朝子の描く永遠の曲線に囚われていた。
まだこの続きを見たい、そう思ってしまったのだ。
何という無謀さ、何という純粋さ。
老いて命尽きても、若者以上の貪欲さでなお求める。
なるほど、お前の現し身を作ったらとんでもない暴れ馬になるだろう。
私ではなくて、お前の後輩をその遠大な計画の実行者にあてよう。
お前そっくりのな。
朝子の個人的な環境、年齢的な経験を除いたせいでモネはますます朝子本来の理想主義が強く出てしまった。人間の想像する天使を具現化したので、二人の姿形はまるで違う。
だがモネは朝子なのだ。
手始めに彼女は、朝子が思いを残したクライアントたちを助けに行った。
ファイルを選び出せたのは、朝子の悔恨がモネに残っているからだろう。何度か探りを入れたが、モネはなぜその人間を選んだか思い出しはしなかった。
彼女の中に朝子の頃の記憶はない。朋美とその友人の美保……あれはまたとんでもない命だが、それ以外の行き先は変えられた。
意外なのは本来のクライアント・木原朋美(きはら・ともみ)ではなく同級生・三峰美保(みつみね・みほ)を巻き込んだこと。
そして朝子に対面した後にファイルをクライアント選出ではなく、対話相手・恩田繁之(おんだ・しげゆき)を探すために使ったこと。
美保の失敗で休止したが、助けたクライアントとの関わりによって人間の複雑さをも理解しようとしている。単なる朝子のコピーではなく、別の情動を持ち始めた。
モネは学習し成長しようとしている。
朝子にけしかけられて造った、たった一人の天使。彼女の遺志を果たすに留まらない。これからはモネ自身がどう育っていくのか、私は見届けようと思っている。
正確に言えば、育てなくてはいけない。私もまた図らずも、まさかの育児(育天使?)生活を歩むことになったわけだ。
神なんていない。
モネにそう言ったのは嘘ではない。神は人間の概念が生み出したもので、彼女と私の間には必要ないものだ。モネは自分を律する神を欲していたが、彼女は生命でもまして人間でもないのだ。この空間には必要ない。神なんていない。
私もただのオウムで結構。また後でくちばしで突いて起こしてやろう。
モネがこの先どこまで行けるか。それは朝子と同じあがきを、私も始めたという証なのだろう。
幸か不幸か私たちの時間は無限にある。いや、時間概念のない場所でこの発言はナンセンスだ。人間の世界を離れたここには、時間も神も存在しない。
「そう、どうせ神なんていないしな。ふあああー、眠いわ」
モネの側で眠るとしよう。
「よいしょっと」
神はいないが、天使はここにいる。
(天使のスプライン・終わり)
注)多次元、時間論については以下の文献を参考にしています。
異次元は存在する リサ・ランドール 日本放送出版協会
図解入門 よくわかる最新時間論の基本と仕組み
竹内薫 秀和システム
偶然地上に降りていた私は、ある年老いた物理学者の部屋を覗いた。そこに無謀な試みを長く続けている者がいると知ったからだ。
教えてくれたのは水面を渡る風。故郷へと帰る、白鳥の一団から伝え聞いたそうだ。
大学構内に立ち並ぶ木々、池の水辺をはしゃぐ鳥や昆虫。
朝子をとりまく生命たちは、彼女の研究に期待を寄せていた。
もし遠い未来にでもそれが叶うなら、人間のみならず自分たちも恩恵に預かれるかもしれない。
会う者は口々に彼女のことを語り、成果を楽しみに待っていた。
それを信じていなかったのは、知能ある人間だけだった。
朝子は手の着けられない変わり者として、仲間たちからは一線を引かれていた。
賛同者も後継者も得られず、真実を模索する孤独な研究生活。だが黙々と作業に励む姿は、真摯なチャレンジャーだった。まだ誰も理解しえないような仮説を立て、画像を投影して証明を繰り返す。その反復にどれほどの意味があるのだろう?
私は鳥の姿を借りて、朝子の様子を眺めるようになったのだ。
一度きりの人生を、報われるかもわからぬ研究に賭けるクレイジーな研究者。まして富や名声と言った我欲のためでなく、行きずりの市民のため。ますますいかれている。なんと清らかな愚か者なのだろう。
でも私は目が離せなかった。
彼女はどこまであがくことができるだろう?
肉体を持ち時間の経過の中、いつか滅ぶ人間という生き物の挑戦。
宇宙も異次元も、人間からすれば規模がちがいすぎて捉えようもないだろうに。
それを使命だと言い切るすがすがしさ。
……やっぱりいかれている。
ある寒い冬の朝、実験室を覗くと朝子が床に倒れていた。
歳と共に弱った心臓の発作だった。
朝子は苦しいはずなのに、私を見てつぶやいた。
あなたいつも私を見てたでしょ。そんなに面白い?
うかつだった。私は鳥以上の何者でもないはずだったのに。
朝子は私の正体をわかっていて、気づいていないかのように装っていた。
ねえ、やっぱり人間の命なんて短すぎる。一瞬の命を救いたいのに、自然の理はあまりに広大すぎて。
やっぱり神なんてものはいないのかしら。
人間の妄想でしかない?
私は鳥の姿でしかない。なぜ、そんなことを訴える?
だけど、朝子は見抜いていたのだ。私のことを。
人は人を救えず、神もまた手をさしのべない。だったら私が頑張らなきゃいけないのに。これ以上は……無理、なの?
あなたでもいいわ。お願い、どうかあの人たちを救って。
みんな、たった一度の命……なの、だから……。
心臓はとうに動きを止めていた。
なのに、朝子はまだ必死に訴えていた。
機器の画面は曲線を描き続け、主が絶命しようがおかまいなしに止まろうとしない。円錐型がじゅずのように連なり、糸を通されたようにうねうねと踊り出す。人の運命を操るように。
人の一生をいくつかの円錐の結合体で表しながら、廻る運命のスプライン。円錐どうしはねじれた結び目で分岐点を作り、その先でまた広がってゆく。
朝子。いなくなってしまったのか?
廻る、廻る。
スプラインはあてどなく、救いを求めて。
モニターの中で、強欲に……そして必死ささえ帯びて廻り続ける。
もう朝子はいないのに。
……つまらん。
これは限りなく、つまらん!!
私は明日から一体、何を楽しみにすればいいのだ??
私は朝子の描く永遠の曲線に囚われていた。
まだこの続きを見たい、そう思ってしまったのだ。
何という無謀さ、何という純粋さ。
老いて命尽きても、若者以上の貪欲さでなお求める。
なるほど、お前の現し身を作ったらとんでもない暴れ馬になるだろう。
私ではなくて、お前の後輩をその遠大な計画の実行者にあてよう。
お前そっくりのな。
朝子の個人的な環境、年齢的な経験を除いたせいでモネはますます朝子本来の理想主義が強く出てしまった。人間の想像する天使を具現化したので、二人の姿形はまるで違う。
だがモネは朝子なのだ。
手始めに彼女は、朝子が思いを残したクライアントたちを助けに行った。
ファイルを選び出せたのは、朝子の悔恨がモネに残っているからだろう。何度か探りを入れたが、モネはなぜその人間を選んだか思い出しはしなかった。
彼女の中に朝子の頃の記憶はない。朋美とその友人の美保……あれはまたとんでもない命だが、それ以外の行き先は変えられた。
意外なのは本来のクライアント・木原朋美(きはら・ともみ)ではなく同級生・三峰美保(みつみね・みほ)を巻き込んだこと。
そして朝子に対面した後にファイルをクライアント選出ではなく、対話相手・恩田繁之(おんだ・しげゆき)を探すために使ったこと。
美保の失敗で休止したが、助けたクライアントとの関わりによって人間の複雑さをも理解しようとしている。単なる朝子のコピーではなく、別の情動を持ち始めた。
モネは学習し成長しようとしている。
朝子にけしかけられて造った、たった一人の天使。彼女の遺志を果たすに留まらない。これからはモネ自身がどう育っていくのか、私は見届けようと思っている。
正確に言えば、育てなくてはいけない。私もまた図らずも、まさかの育児(育天使?)生活を歩むことになったわけだ。
神なんていない。
モネにそう言ったのは嘘ではない。神は人間の概念が生み出したもので、彼女と私の間には必要ないものだ。モネは自分を律する神を欲していたが、彼女は生命でもまして人間でもないのだ。この空間には必要ない。神なんていない。
私もただのオウムで結構。また後でくちばしで突いて起こしてやろう。
モネがこの先どこまで行けるか。それは朝子と同じあがきを、私も始めたという証なのだろう。
幸か不幸か私たちの時間は無限にある。いや、時間概念のない場所でこの発言はナンセンスだ。人間の世界を離れたここには、時間も神も存在しない。
「そう、どうせ神なんていないしな。ふあああー、眠いわ」
モネの側で眠るとしよう。
「よいしょっと」
神はいないが、天使はここにいる。
(天使のスプライン・終わり)
注)多次元、時間論については以下の文献を参考にしています。
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