【完結】天使のスプライン

ひなこ

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7.再び、氷川朝子

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 誰かの声を聞いた気がして、朝子は顔を上げた。

 独自の分類に従って、ファイルを仕分けしているのだが思うように進まない。
 パソコンではさっきまで試験的に演算えんざんをさせていたのだが、変数が多すぎてフリーズしてしまった。さすがに十五種類も、変数を設定するのは無謀すぎたか。

 気分転換に紅茶を淹れようとキッチンへ行った時、机の上が光っているように見えて振り返る。
 蛍光けいこう飼料か何かばらまいただろうか?研究室から持ってきた覚えもないのだが。
「何これ?」 
 戻った瞬間、机の上にともった青白い光が大きくふくれあがり、朝子を包み込んだ。

 白い光の粒が次々と立ち上り、朝子になつくかのようにくっついては離れを繰り返す。慣れた小動物のようにいとけなき振る舞い。はかなくて愛らしい。
 はっと顔を上げると、そこに知った顔の人々が佇んでいた。

「あなた方は……」
 忘れるはずもない。幼い泣き虫の兄弟、往年の大女優、そして陰を帯びた中年紳士…。
 救いたくて救えないままになっている人たち。
 
 朝子が涙を目に溜めながらも、こらえて微笑む。
 それを見たのか、満足したように笑い返し……彼らは消えた。

 手元のファイルにはしっかりと記録が残っている。これから何年かかっても、たとえ自分の寿命で間に合わなくても。少しでも解明しなければと思っている。彼らのためにも。
 なぜ光と共に現れたのか。彼らが今も辛い境遇で、どこかで生活しているはずだとわかっていても理屈を越えて理解できた。
 いつかきっと、幸せになるのだと。

 あなたの努力はちゃんと報われているから。

 朝子の中にぼんやりと残る、白い少女の影がそう告げたのだ。
「……よかったね、みんな」 
 人影が消えた後も、まだ光は揺らめいていた。
 でる仕草をすると、まるでなつく子犬のようにまとわりついた。
 朝子は静かに目を閉じ、いつまでもたわむれて何かを語りかけていた。


 モネは目を閉じて、身体の奥から沸き上がる恍惚こうこつを受け止めた。
 朝子に彼らの思いが届いたのだ。時をゆり戻りながら、それでも望む未来を得られたのだと。その知らせはまた朝子の心をも癒した。

 ありがとう。

 胸の奥から朝子の声が聞こえた。身体の中に広がる穏やかな思い。かつての自分と今の自分が、今こうして互いに癒しあっている。
 
 青い光とモネの語らいを、遠くから見るしかなかったカノンが声をかける。
「で、朝子にもお裾分すそわけをしたのか?クライアントたちの感謝の思いを」
「もともと彼女の意志だもの。私は代理にすぎないわ」
 モネは胸にそっと手を当てた。

「でもね、朝子さんがあの光を受け取ったとわかった時、それが私にも伝わった。思いが報われたと知って、少しだけ満たされたんだと思う。果てのない研究を一人でこつこつと続けたことは、きっと手応えの得られない辛い作業だったと思うし」
 そしてモネにとって朝子も、クライアントの一人なのだと悟った。過去の自分を助けるために、人々を助けることが自分の役目。

 モネはかつての自分、そしてあるいは未来の自分かもしれないその人に語りかける。

 朝子さん、あなたも幸せにならなくては。
 あなたのことは、私が見ているから。
 安心して、研究に日々を捧げて。
 
「研究者、発明家、芸術家はいばらの道だよなあ。生きてる間に結果出るかわかんないしな」
 それでも己を信じ進んで行く。
 まだ見ぬ人々のために。目の前の人々のために。

「ところでそろそろ結論を出してくれよ。これからもレスキューしに行ってくれるんだよな?」
 ずっとこらえていたように、ためらい混じりに口にした。
「え。どうしようかな」

「何で!朝子に会わせて、じじいのとこにも着いてってやったのに。これでやっぱやーめた、はねえぞ」
「止めはしないってば。クライアントの人たちも報われたってわかったし、朝子さんとの約束もあるし。でも今はいろんなことが頭ん中でごちゃごちゃして、整理したいの。だからしばらく活動休止。だめ?」
「だめ」
「無理。モネさんにはしばらく休養が必要です」
 と、思い出したように手を叩く。

「ねえ、朝子さんは私の前の姿。死んでからがこの私、ってことはわかったけど。私って何?人間じゃないのはわかってるけど、幽霊?それともこの空間に生きられる新種の何か?でもやっぱ、生き物じゃないよねえ……?」
「そ、それは……知らなくてもいいだろ。お前も俺もここでこうして自由に動いてるし、地上のどの時間にも出入りし放題だし」
 弱点を突かれたように、モネから離れて舞い上がる。

 そういえば、カノンもまた同様に地上の生き物でもなく、この空間で生息せいそくできている。出自しゅつじが限りなく怪しげなのはお互い様だ。
「あんただって、いつも言ってる通りにオウムでもないし、まして鳥でもないよね?」
「いやーあっはっはー!モネさん。そういう質問はNGでお願いしますよ。まあいいじゃないか。幽霊でも珍種でも」
「よほど言いたくないんだね。でも、知ってるんだよね」
「うげっ」

 そうか、自分も同じなら一緒に不思議がっていれば良かったのか。歯がみしても遅い。モネはすでに把握している。クライアントと運命のやりとりを交渉できるだけの、コミュ力はある。
「あああああー、おら知らねっ!何も知りませんっ」
「ま、いいや。どうせしばらく寝てることにするから」
 お決まりのように、いつものソファに寝ころんだ。
「えっ、それ困る。こらあ、いい加減働けや!」
 寝つきがいいのは本品の特徴だ。あっという間に眠ってしまった。

「……おいおい。今度起きるのはいつだってんだよ。こっちがこんなに苦労してんのに」
 モネの周りで暴れて起こそうとする。
 耳元で、腹の上に乗って、爪でっ飛ばしそしてちょっと舞い上がり旋回せんかいして。だが起きる気配などまるでない。腹いせに蹴りを入れる。……入れたところでたかが鳥の足だ。痛いはずもない。

「はあ、よくわかんねえよこいつ。朝子ー、お前をどう再生したらこんな破天荒はてんこうな小娘になるってんだ。何か間違ったんか?」
 朝子とモネとは、ある点を除いては似ても似つかない。
 共通するのは、自分の力を駆使して人を救おうとするところ。

 朝子は自分を見ても、ただの変てこな鳥としか思わなかったのだろう。
 無理もない。彼女と相まみえるのは若かりし頃ではなく、絶命ぜつめい寸前の数分だからだ。
 カノンには過去のことであっても、三十代の朝子にはまだ遠い先の事。

 はつらつと研究室へと向かう朝子の後ろ姿を思い出し、カノンはつぶやいた。

「なあ朝子、何で私はこんな気まぐれを起こしたんだろうな。先を考えず見切り発車。こんな不思議な天使をこの部屋に住まわせてしまった。でも……実に面白いよモネは」
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