35 / 37
6・恩田繁之(おんだ・しげゆき)
6-5
しおりを挟む
その後大学の同級生と結婚。子供は娘が一人。最音と書いて、もねと名づける。
地元では栽培が難しいとされていた、カブの品種改良に成功。”カノン”と名づけ全国に広く流通させる。父や地元の農家と共同で、地域の農業振興に努めた。
享年九十。拡大した農業組織は娘へと引き継がれ、海外へも良質な野菜の栽培技術を伝えた。
「だーかーらー!」
「もうアレだな。根本的にどこか不具合があるとしか思えねえ。記憶は消えてるはずなんだが」
「いいわよ、とにかく幸せになったんなら。奥さんと愛人はどうしたのかな」
「お前がその影響を最小限にするために、結び目のタイムポイントを割り出してたんだろう。記録に残ってないならわかんねえよ。てーか俺の名前カブにつけたのか、そりゃねーだろ」
カノンはファイルを蹴って閉める。
美保の分は取り去られ閲覧も叶わない。
「どうだよ。お前が恐れてたことは載ってたか?美保がイレギュラーなだけで、他の連中は問題なかったじゃないか」
モネはファイルを揃えて、しんみりと言った。
「もっと早く見れば良かった」
「だろ?何の臆病だよ」
「そういう意味じゃない。彼らはみんな、やり直しの中でもまた悩んだり苦労したりした。それでもがんばって生きてた。私の失敗があったとしても、ものともせずに越えていったんじゃないかって」
上手く行かないんじゃないか、かえって悪いことしたんじゃないか。そんな心配をしてた自分がばかみたいだ。
「ただ認めてあげればよかった。よくがんばったね、って」
関わったからこそ、信じればいい。ただそれだけのこと。
「それは不幸の一番の原因が、お前によって除かれたからだろ。それがある限り、自由には振る舞えなかった。お前は確かに運命を変えたんだよ。彼らの代わりに、運命に”ざまあ”してやった。一度きりの人生を」
「……カノン、そんな言葉をどこで覚えたの?」
慌てて言い訳する。
「あ、あん?そりゃあ俺はトレンドを押さえてるからな。日々勉強してるぜ」
「そっか。そうだね……」
モネはファイルたちを抱きしめる。
「ねえ、どれも青白く光っているの。後悔の赤色はもうみじんもないわ」
光はモネの言葉に同調するように、揺らめいて勢いを増す。三つの光はつながって大きな光となり、見覚えある姿を立ち上らせた。
青い輝きの中に、モネを見つめるクライアントたちが浮かび上がる。
老いた兄弟が語りかける。
君のおかげで、僕らは本気のやり直しができたんだ。
「ねえ、どうして私たちのことを覚えているの?記憶は一つしか持っていけないのに」
日本中を酔わせた美貌の女優が応える。
もちろん大切な記憶は心に刻んだのよ。けど、みんなあなたの姿を焼きつけてしまったのね。消せない誰かの献身を。こんなにもかわいい天使がくれた贈り物だもの。
「じゃあ、ちゃんと上手くやれたのね?みんな、悔いのない生き方を」
浅黒く日焼けした圭輔が、握手を求める。
モネも手を差し出してみたが果たせたのかどうか。
俺はだめ男だったけど、両親のことは幸せにできた自信があるよ。どう思う?
「うん、そうだね。大好きなお父さんと仲良く過ごせて良かったね」
モネの目にも、涙があふれた。
頬を流れるその温かさを感じながら、これは朝子の涙だ、と思った。
自分が代わりに、彼女の思いを叶えている。
愛しい気持ち、認めてあげたい気持ち、割り切れない気持ち、悲しい気持ち。いくつもの感情が交差して、モネを突き破り身体の内から外へ拡がる。
全身を貫いた感情は渦となり、絹地のようにねじれてすぐうねりを戻しモネを巻き取る。
激しい波の揺り返しが意外に甘美なことに驚き、呑まれるまま目を閉じた。
絶対的に強い人もおらん、弱い人もおらんで。
人の心の中に混沌とした海があって、底にはいろんな感情が沈んでいる。差し込む光に照らされてプリズムのように反射し、たくさんの色を返す。
歓喜、怒り、失望、安堵。
自分の中の色に驚き、また人の放つ色に怯えることもある。誰もが自分の、互いの万華鏡を眺めながら歩いて行くのだ。
たくさんの涙と笑みとを抱きしめて。長い道のりをただ一度だけ。
モネは青い光の波に浮かんでいる。
全身をまかせ、たゆたう流れを心地よく感じていた。
「良かったね、みんな」
懐かしい人たちの姿はかき消え、その思いだけがまだモネを取り巻いている。青い光は次第に縮んで、離れがたくまとわりついてついに球体になった。
彼らの名残を優しく撫でて抱える。
「朝子さん、今贈ります。これはあなたが受け取るべきもの」
片手で空を切り、伝えるべきその人に向けて放り込む。
地元では栽培が難しいとされていた、カブの品種改良に成功。”カノン”と名づけ全国に広く流通させる。父や地元の農家と共同で、地域の農業振興に努めた。
享年九十。拡大した農業組織は娘へと引き継がれ、海外へも良質な野菜の栽培技術を伝えた。
「だーかーらー!」
「もうアレだな。根本的にどこか不具合があるとしか思えねえ。記憶は消えてるはずなんだが」
「いいわよ、とにかく幸せになったんなら。奥さんと愛人はどうしたのかな」
「お前がその影響を最小限にするために、結び目のタイムポイントを割り出してたんだろう。記録に残ってないならわかんねえよ。てーか俺の名前カブにつけたのか、そりゃねーだろ」
カノンはファイルを蹴って閉める。
美保の分は取り去られ閲覧も叶わない。
「どうだよ。お前が恐れてたことは載ってたか?美保がイレギュラーなだけで、他の連中は問題なかったじゃないか」
モネはファイルを揃えて、しんみりと言った。
「もっと早く見れば良かった」
「だろ?何の臆病だよ」
「そういう意味じゃない。彼らはみんな、やり直しの中でもまた悩んだり苦労したりした。それでもがんばって生きてた。私の失敗があったとしても、ものともせずに越えていったんじゃないかって」
上手く行かないんじゃないか、かえって悪いことしたんじゃないか。そんな心配をしてた自分がばかみたいだ。
「ただ認めてあげればよかった。よくがんばったね、って」
関わったからこそ、信じればいい。ただそれだけのこと。
「それは不幸の一番の原因が、お前によって除かれたからだろ。それがある限り、自由には振る舞えなかった。お前は確かに運命を変えたんだよ。彼らの代わりに、運命に”ざまあ”してやった。一度きりの人生を」
「……カノン、そんな言葉をどこで覚えたの?」
慌てて言い訳する。
「あ、あん?そりゃあ俺はトレンドを押さえてるからな。日々勉強してるぜ」
「そっか。そうだね……」
モネはファイルたちを抱きしめる。
「ねえ、どれも青白く光っているの。後悔の赤色はもうみじんもないわ」
光はモネの言葉に同調するように、揺らめいて勢いを増す。三つの光はつながって大きな光となり、見覚えある姿を立ち上らせた。
青い輝きの中に、モネを見つめるクライアントたちが浮かび上がる。
老いた兄弟が語りかける。
君のおかげで、僕らは本気のやり直しができたんだ。
「ねえ、どうして私たちのことを覚えているの?記憶は一つしか持っていけないのに」
日本中を酔わせた美貌の女優が応える。
もちろん大切な記憶は心に刻んだのよ。けど、みんなあなたの姿を焼きつけてしまったのね。消せない誰かの献身を。こんなにもかわいい天使がくれた贈り物だもの。
「じゃあ、ちゃんと上手くやれたのね?みんな、悔いのない生き方を」
浅黒く日焼けした圭輔が、握手を求める。
モネも手を差し出してみたが果たせたのかどうか。
俺はだめ男だったけど、両親のことは幸せにできた自信があるよ。どう思う?
「うん、そうだね。大好きなお父さんと仲良く過ごせて良かったね」
モネの目にも、涙があふれた。
頬を流れるその温かさを感じながら、これは朝子の涙だ、と思った。
自分が代わりに、彼女の思いを叶えている。
愛しい気持ち、認めてあげたい気持ち、割り切れない気持ち、悲しい気持ち。いくつもの感情が交差して、モネを突き破り身体の内から外へ拡がる。
全身を貫いた感情は渦となり、絹地のようにねじれてすぐうねりを戻しモネを巻き取る。
激しい波の揺り返しが意外に甘美なことに驚き、呑まれるまま目を閉じた。
絶対的に強い人もおらん、弱い人もおらんで。
人の心の中に混沌とした海があって、底にはいろんな感情が沈んでいる。差し込む光に照らされてプリズムのように反射し、たくさんの色を返す。
歓喜、怒り、失望、安堵。
自分の中の色に驚き、また人の放つ色に怯えることもある。誰もが自分の、互いの万華鏡を眺めながら歩いて行くのだ。
たくさんの涙と笑みとを抱きしめて。長い道のりをただ一度だけ。
モネは青い光の波に浮かんでいる。
全身をまかせ、たゆたう流れを心地よく感じていた。
「良かったね、みんな」
懐かしい人たちの姿はかき消え、その思いだけがまだモネを取り巻いている。青い光は次第に縮んで、離れがたくまとわりついてついに球体になった。
彼らの名残を優しく撫でて抱える。
「朝子さん、今贈ります。これはあなたが受け取るべきもの」
片手で空を切り、伝えるべきその人に向けて放り込む。
0
あなたにおすすめの小説
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる