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わたくしの姉・茉莉乃(まりの)は、いつも鏡の中にちがう世界を見ておりました。
我が家は華族の流れを汲む一族で、度重なる血族結婚のせいなのか、わずかな異能が伝わっていました。
とは言っても時代が移り、外からの血が混じるにつれ、その力は弱まり……わたくしに至ってはもう、たまに見えざるものが、ふいっと横切る程度にしか伝わっていません。
むしろ、それもこの現代においては煩わしいことで、いっそなくても良いくらいです。その方が普通の人間として暮らせますから。
姉は、この令和の時代においては珍しく、わが家の直系としての力を備えて生まれたようでした。今にしてみれば、むしろそれは悲劇だったかもしれません。
「彩音(あやね)、またあの方が写ったわ」
嬉しそうに姉はよく言いました。
”あの方”とは、この世界の方ではございません。
我が家には曽祖母から代々伝わる等身大の大きな鏡があり、そこに姉はちがう世界を見ることができました。
姉がかいま見るのはいつも日本ではないどこか、現代ではないどこか。
時にはどこまでも広がる草原を、またある時には極寒のオーロラを。
地球上なのか、それとも想像上の場所なのかわたくしにはわかりません。ただ、姉はその風景を心弾ませて見ていました。
あるいはこの気忙しい現実を忘れたいがために、鏡をのぞいていたのかもしれません。
姉が二十歳になったころ。彼女は嬉しそうに告げました。
「彩音、わたくし恋をいたしました」と。
「それは、おめでとう御座います。で、どこのお方ですか」
わたくしは、一抹の不安を抱きながら、そう問いました。日ごろ関わる同年代の男性たちは、まだ幼さを残していて、姉のお眼鏡には叶っていなかったように思います。
「もちろん。鏡の向こうの方」
予感は的中しました。姉の恋は、この世界でのものではなかった。
姉も異能とはいえ、鏡の向こうには渡れません。まるでガラス越しに、隣人を見るかのようにかの世界を見続けるのが、姉の力なのです。
姉はくだんの鏡の前にわたくしを招き、そのお姿を見せてくれました。
わたくしに、見る力はなくても姉が両手を合わせて祈るとその数十秒だけ、向こうを透かして様子を伺い知ることができます。
そうやって、わたくしも何度となく彼を鏡ごしに拝見したものです。
おそらくは西洋、そして時代的には今より昔。
日本で言えば、江戸から明治ころなのではないでしょうか。
西洋史で見たことのある、白亜の宮殿の中のようです。
「この方よ」
そう示されたのは金髪碧眼、軍服を召された美青年でした。年は姉より数歳、上に見えます。
立ち居振る舞いも美しく、気品があふれていました。
察するに、彼はその世界でのある王族で、たぶん嫡男なのでしょう。そばに両親と思われる男女がいることもありましたが、彼らは玉座に並んでいてそのそばに彼が立つ、という場面が多かったように思います。
「でもお姉さま。彼はお姉さまのことをご存知ですか?」
寂しそうに、首を横に振ります。
当然です。こちらからは、見るしかできないのですから。その方には、姉の存在を知らせることすらかなわない。
「でも、好きになってしまったものは止められないの。あなたも、いつか恋をしたらその意味がわかるわ」
姉は頬を染め、鏡に映る美麗な横顔に寄り添いました。
それから半年ほどがすぎました。
姉は相変わらず、鏡に執心し家ではもっぱらそれだけが、寄るべのように過ごしていました。
気のせいか、勉学も少し手が付かないようにも感じました。
まだ学生なのです。恋にうつつを抜かしては、成績に響いてしまいます。
「彩音。あの方は今とても悩んでおいでなの。せめてもの、ご武運をお祈りしたいわ」
彼がどういう状況にあるか、姉は知ることができました。ですが、直接話しかけたり、向こうの世界に干渉することは全くできません。
だからこそ、よけいに思いは募ってしまったのでしょうか。
「お姉さまも、あまり心配しすぎるとお体に障りますよ」
遠巻きに、お止めしたつもりでしたが……やはりそれで止まるものではありませんでした。
でも姉の切なさは、容易に想像できました。
こちらから話しかけようが、鏡を叩こうがあちらには伝わらないのです。その方は姉の存在さえ知らず、当然、恋慕されていることだってご存知ない。
ただ見ているだけで十分……と姉は言いました。
でも、それで大丈夫でしょうか。
いつか耐えられない時が、来るのではないかと。
その頃からわたくしは、鏡がまるで姉に不吉なものをもたらす、魔の道具のように思えてきていました。
お姉さまの幸せを願うのが、妹としての役目なのは当然のこと。
わたくしは、少しずつ、でも確実に、あの鏡が憎らしくなってきたのです。
我が家は華族の流れを汲む一族で、度重なる血族結婚のせいなのか、わずかな異能が伝わっていました。
とは言っても時代が移り、外からの血が混じるにつれ、その力は弱まり……わたくしに至ってはもう、たまに見えざるものが、ふいっと横切る程度にしか伝わっていません。
むしろ、それもこの現代においては煩わしいことで、いっそなくても良いくらいです。その方が普通の人間として暮らせますから。
姉は、この令和の時代においては珍しく、わが家の直系としての力を備えて生まれたようでした。今にしてみれば、むしろそれは悲劇だったかもしれません。
「彩音(あやね)、またあの方が写ったわ」
嬉しそうに姉はよく言いました。
”あの方”とは、この世界の方ではございません。
我が家には曽祖母から代々伝わる等身大の大きな鏡があり、そこに姉はちがう世界を見ることができました。
姉がかいま見るのはいつも日本ではないどこか、現代ではないどこか。
時にはどこまでも広がる草原を、またある時には極寒のオーロラを。
地球上なのか、それとも想像上の場所なのかわたくしにはわかりません。ただ、姉はその風景を心弾ませて見ていました。
あるいはこの気忙しい現実を忘れたいがために、鏡をのぞいていたのかもしれません。
姉が二十歳になったころ。彼女は嬉しそうに告げました。
「彩音、わたくし恋をいたしました」と。
「それは、おめでとう御座います。で、どこのお方ですか」
わたくしは、一抹の不安を抱きながら、そう問いました。日ごろ関わる同年代の男性たちは、まだ幼さを残していて、姉のお眼鏡には叶っていなかったように思います。
「もちろん。鏡の向こうの方」
予感は的中しました。姉の恋は、この世界でのものではなかった。
姉も異能とはいえ、鏡の向こうには渡れません。まるでガラス越しに、隣人を見るかのようにかの世界を見続けるのが、姉の力なのです。
姉はくだんの鏡の前にわたくしを招き、そのお姿を見せてくれました。
わたくしに、見る力はなくても姉が両手を合わせて祈るとその数十秒だけ、向こうを透かして様子を伺い知ることができます。
そうやって、わたくしも何度となく彼を鏡ごしに拝見したものです。
おそらくは西洋、そして時代的には今より昔。
日本で言えば、江戸から明治ころなのではないでしょうか。
西洋史で見たことのある、白亜の宮殿の中のようです。
「この方よ」
そう示されたのは金髪碧眼、軍服を召された美青年でした。年は姉より数歳、上に見えます。
立ち居振る舞いも美しく、気品があふれていました。
察するに、彼はその世界でのある王族で、たぶん嫡男なのでしょう。そばに両親と思われる男女がいることもありましたが、彼らは玉座に並んでいてそのそばに彼が立つ、という場面が多かったように思います。
「でもお姉さま。彼はお姉さまのことをご存知ですか?」
寂しそうに、首を横に振ります。
当然です。こちらからは、見るしかできないのですから。その方には、姉の存在を知らせることすらかなわない。
「でも、好きになってしまったものは止められないの。あなたも、いつか恋をしたらその意味がわかるわ」
姉は頬を染め、鏡に映る美麗な横顔に寄り添いました。
それから半年ほどがすぎました。
姉は相変わらず、鏡に執心し家ではもっぱらそれだけが、寄るべのように過ごしていました。
気のせいか、勉学も少し手が付かないようにも感じました。
まだ学生なのです。恋にうつつを抜かしては、成績に響いてしまいます。
「彩音。あの方は今とても悩んでおいでなの。せめてもの、ご武運をお祈りしたいわ」
彼がどういう状況にあるか、姉は知ることができました。ですが、直接話しかけたり、向こうの世界に干渉することは全くできません。
だからこそ、よけいに思いは募ってしまったのでしょうか。
「お姉さまも、あまり心配しすぎるとお体に障りますよ」
遠巻きに、お止めしたつもりでしたが……やはりそれで止まるものではありませんでした。
でも姉の切なさは、容易に想像できました。
こちらから話しかけようが、鏡を叩こうがあちらには伝わらないのです。その方は姉の存在さえ知らず、当然、恋慕されていることだってご存知ない。
ただ見ているだけで十分……と姉は言いました。
でも、それで大丈夫でしょうか。
いつか耐えられない時が、来るのではないかと。
その頃からわたくしは、鏡がまるで姉に不吉なものをもたらす、魔の道具のように思えてきていました。
お姉さまの幸せを願うのが、妹としての役目なのは当然のこと。
わたくしは、少しずつ、でも確実に、あの鏡が憎らしくなってきたのです。
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