鏡の向こう

ひなこ

文字の大きさ
1 / 4

1

しおりを挟む
 わたくしの姉・茉莉乃(まりの)は、いつも鏡の中にちがう世界を見ておりました。

 我が家は華族かぞくの流れをむ一族で、度重なる血族結婚のせいなのか、わずかな異能が伝わっていました。
 とは言っても時代が移り、外からの血が混じるにつれ、その力は弱まり……わたくしに至ってはもう、たまに見えざるものが、ふいっと横切る程度にしか伝わっていません。
 むしろ、それもこの現代においてはわずらわしいことで、いっそなくても良いくらいです。その方が普通の人間として暮らせますから。

 姉は、この令和の時代においては珍しく、わが家の直系ちょっけいとしての力を備えて生まれたようでした。今にしてみれば、むしろそれは悲劇だったかもしれません。

「彩音(あやね)、またあの方が写ったわ」

 嬉しそうに姉はよく言いました。
 ”あの方”とは、この世界の方ではございません。

 我が家には曽祖母そうそぼから代々伝わる等身大の大きな鏡があり、そこに姉はちがう世界を見ることができました。

 姉がかいま見るのはいつも日本ではないどこか、現代ではないどこか。

 時にはどこまでも広がる草原を、またある時には極寒ごくかんのオーロラを。
 地球上なのか、それとも想像上の場所なのかわたくしにはわかりません。ただ、姉はその風景を心はずませて見ていました。
 あるいはこの気忙きぜわしい現実を忘れたいがために、鏡をのぞいていたのかもしれません。

 姉が二十歳になったころ。彼女は嬉しそうに告げました。
「彩音、わたくし恋をいたしました」と。

「それは、おめでとう御座います。で、どこのお方ですか」

 わたくしは、一抹いちまつの不安を抱きながら、そう問いました。日ごろ関わる同年代の男性たちは、まだ幼さを残していて、姉のお眼鏡めがねには叶っていなかったように思います。

「もちろん。鏡の向こうの方」
 予感は的中しました。姉の恋は、この世界でのものではなかった。
 姉も異能とはいえ、鏡の向こうには渡れません。まるでガラス越しに、隣人を見るかのようにかの世界を見続けるのが、姉の力なのです。

 姉はくだんの鏡の前にわたくしを招き、そのお姿を見せてくれました。
 わたくしに、見る力はなくても姉が両手を合わせて祈るとその数十秒だけ、向こうを透かして様子を伺い知ることができます。
 そうやって、わたくしも何度となく彼を鏡ごしに拝見したものです。

 おそらくは西洋、そして時代的には今より昔。
 日本で言えば、江戸から明治ころなのではないでしょうか。
 西洋史で見たことのある、白亜はくあの宮殿の中のようです。

「この方よ」  
 そう示されたのは金髪碧眼きんぱつへきがん、軍服をされた美青年でした。年は姉より数歳、上に見えます。

 立ち居振る舞いも美しく、気品があふれていました。
 察するに、彼はその世界でのある王族で、たぶん嫡男ちゃくなんなのでしょう。そばに両親と思われる男女がいることもありましたが、彼らは玉座に並んでいてそのそばに彼が立つ、という場面が多かったように思います。

「でもお姉さま。彼はお姉さまのことをご存知ですか?」
 寂しそうに、首を横に振ります。
 当然です。こちらからは、見るしかできないのですから。その方には、姉の存在を知らせることすらかなわない。

「でも、好きになってしまったものは止められないの。あなたも、いつか恋をしたらその意味がわかるわ」
 姉はほおを染め、鏡に映る美麗びれいな横顔に寄り添いました。

 それから半年ほどがすぎました。
 姉は相変わらず、鏡に執心しゅうしんし家ではもっぱらそれだけが、寄るべのように過ごしていました。
 気のせいか、勉学も少し手が付かないようにも感じました。
 まだ学生なのです。恋にうつつを抜かしては、成績に響いてしまいます。

「彩音。あの方は今とても悩んでおいでなの。せめてもの、ご武運ぶうんをお祈りしたいわ」

 彼がどういう状況にあるか、姉は知ることができました。ですが、直接話しかけたり、向こうの世界に干渉かんしょうすることは全くできません。
 だからこそ、よけいに思いは募ってしまったのでしょうか。

「お姉さまも、あまり心配しすぎるとお体にさわりますよ」
 遠巻きに、お止めしたつもりでしたが……やはりそれで止まるものではありませんでした。 

 でも姉の切なさは、容易に想像できました。
 こちらから話しかけようが、鏡を叩こうがあちらには伝わらないのです。その方は姉の存在さえ知らず、当然、恋慕れんぼされていることだってご存知ない。

 ただ見ているだけで十分……と姉は言いました。
 でも、それで大丈夫でしょうか。
 いつか耐えられない時が、来るのではないかと。

 その頃からわたくしは、鏡がまるで姉に不吉なものをもたらす、魔の道具のように思えてきていました。
 お姉さまの幸せを願うのが、妹としての役目なのは当然のこと。
 わたくしは、少しずつ、でも確実に、あの鏡が憎らしくなってきたのです。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...