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5:心優しいキメラ少女、サツキ

9:金魚玉から飛び出た人魚は自由を手に入れる③

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 店の敷居を出た瞬間、ユキの身体が青年になった。それだけで、風音は敵襲と理解する。

「……気づかなかった」
「先生に敵意が向いてないからだと思う」
「天野にだけ向いてるってこと?」
「いや?先生にだけ敵意が向いてない」
「……どういうこと」

 ユキは、よくわかっていない風音を置き去りにし、威嚇するように殺気を目の前の人物に向かって放つ。
 そこには、1人の女性が丸腰で立っていた。周囲に人が居ないところを見ると、何か魔法が張り巡らせているのだろうか?そう2人が考えるも、彼女に魔力がないことは承知である。偶然だろう。

「……君は」

 その女性は、サツキだった。あの時のように、大人びた姿で2人の前に現れる。

「あら、そちらから出てきてくれるなんて。もう少しで建物を爆破させるところだったわ」
「さっきから気づいてたよ。ずっと後つけて、どうしたの?」
「そう……。話しかけてくれてよかったのよ」
「え、君も甘いもの食べたかったの?言ってくれればよかったのに」
「そんなはずないでしょう」
「じゃあ、何?俺の姿が変わってもそんな驚いてないし、目的は?」
「……魔力は同一人物だもの、見た目なんか些細な問題でしょう?」
「そっか。君は元々魔力があった人間なんだね」

 と、高飛車な態度で人を小馬鹿にしたように話しかけてくる。それに、怖気付くユキではない。平然と会話を繰り広げる。
 元々魔力があった人間は、それを失っても相手の魔力量や観察ができる。いや、失ったからこそ観察できる、というべきか。
 ユキの誘導によってその事実が話されると、風音の表情が歪んだ。ということは、彼もキメラの製造過程を知っているということだ。

 キメラ製造には、本人の魔力も材料になる。目の前にいるキメラは、元魔法使いの人間だということ。
 
「なんだって良いでしょう。今、それを言ったところでどうなるの?」
「まあ、そうだね。哀れみにもならない」
「……そうね、本当」

 何を思い出したのか、サツキの表情が少しだけ歪むもすぐに元に戻った。
 今、その胸元は服できっちり隠されている。蛍石がどうなっているのか、明るい場所だからかその光さえも見えない。

「それよりさ。サツキちゃんのせいで、調べ物が中断しちゃったんだよね」

 と、話題を変えるユキ。
 実は彼、タイルの皇帝代理のナノに盗聴魔法を仕掛けていたのだ。みんなで紅葉を見ている時まではその魔法で残った2人の話を聞いていたのだが、サツキの尾行に気づいて切ってしまった。もし、あの場で敵襲なんかになったら、みんなを守らないといけないと思い。
 その盗聴魔法は、別に頼まれてやっていたことではない。ユキの中に隠れている嫉妬心からの行動だから重要な情報収集の類ではなかった。とはいえ、聞きたかったユキからしてみれば非常に迷惑だっただろう。少々イラついた口調で、話しかけている。

「名前を呼ばないでよ!」
「……ちょっと邪魔が入りそうだから、フィールドで囲うね。サツキちゃん」
「やめてやめて!私はサツキじゃない!!」

 サツキは、自身の名前を呼ばれると先ほどよりも大きな声でそれを拒んだ。顔を歪ませ、イラつきを見せてくる。
 それを見たユキは一瞬だけ視線を斜め前に向け、レンジュで定められている交戦区域のフィールドを音を立てずに展開させた。キメラは、人間よりも身体能力が高い。ここで暴れられたら、周囲の人や建物を傷つけてしまう。それに、なんだか誰かに見られている気がしたため。

 それが展開されている様子を静かに見ている風音は、言葉を発せない。寝不足になってまで調べ上げたキメラの生態、彼の過去にあったであろう出来事が頭の中をめぐっていることだろう。故に、このまま戦闘に入っても風音は彼女を攻撃できない。それをわかっているかのように、ユキが一歩前に出る。

「え、だってサツキちゃんでしょ。純情ボーイがそう呼んでたよ?」

 その声は、どこまでもサツキを煽るもの。同時に嘲笑うような冷たい笑みを浮かべ、後ろにいる風音の体温さえも下げていく。

「っ……うるさいわよ!」
「怒ると感情コントロールできなくなるんでしょ、キメラって。……ねえ、サツキちゃん?」

 その言葉が、導火線になったらしい。怒りに肩を震わせたサツキは、片手を2人に向かって伸ばし、

「後悔しないでよね!」

 と言って、素早く空に錬成陣を描き出した。挑発にのっかてしまったことはわかっていたが、止められないらしい。
 魔法ではないので、詠唱の必要はない。そのまま、光り輝く錬成陣から音もなく狼姿の影が5体出てきた。これは、魔警2課でユキが倒した生物と同じである。

 あれからキメラの禁断書を開いたユキは、それがキメラ製造の過程でできた「失敗作品」であることを知った。失敗作……ということは、元人間である。それを知った瞬間、ユキは禁断書を今宮に投げつけてしまったほどショックをうけた。それが、今目の前に5体もいる。

「……精神攻撃してくるねえ」
「あなたが悪いのよ!」
「君もこれになってたかもしれないのにね。良いご身分だ」
「……うるさいうるさいうるさい!やめてよ!喋んないでよ!!」
「後ろにいる先生はわかんないけど、俺はこの子たちを攻撃できるよ?足止めにもならないと思うけど」
「へえ。じゃあ、どうぞ。……好きにしたら?」

 攻撃されないと思ったのだろう。ユキが「攻撃できる」と言うと、少々怖気づいたようにサツキが肩をあげた。その目には、涙が浮かんでいるように見える。
 それを見ていた2人には、彼女の行動と言葉が合っていないことに気づいていた。きっと、キメラの実験を何度も目にしてきたのだろう。そして、その中に知り合いでもいたのだろう。そう考察できるほど、彼女の表情はわかりやすい。

「……」
「先生、下がっててね。先生も、あの狼がなんなのか知ってるんでしょ?」
「……うっ」

 風音は、言葉を発しない。その正体を知っていると言うことか。その狼が、元人間の子供だったと言うことを。
 吐き気を催しているのか、苦しそうな声が聞こえてくる。が、後ろにいるためその表情は見えない。

 ユキは、いつも通り殺気を身にまといナイフを取り出した。やることは、いつもと同じである。
 狼になってしまった人間は、元には戻らない。それも、禁断書で学んでいた。

「俺は攻撃できる。君たちと違って、ね」

 その言葉は、サツキだけではなく風音にも向けられていた。


***


「ターゲット、包囲されました」
『外からの確認は?』
「難しいですね。特殊なフィールドみたいで、掛け直しもできません」

 スーツ姿のありさが、展開中のフィールドに手をかざす。しかし、それは触れられるのにそれ以上前に進めないし、掛け直しすらできない。このフィールドを展開している相手は、彼女よりも魔力量の多い人物なのだろう。それが、敵ではないことを願うばかりである。
 ありさは、スマホでどこかに電話をかけながら周囲をぐるりと観察する。

『そうか。君で難しいなら、誰を派遣しても無駄だろうな』
「ご謙遜を。……中に、弟が居ます。フィールド解除まで待機していてもよろしいでしょうか」
『ああ。それ以外手段はないだろうな。無茶はするな。情報だけ持ち帰れば良い』
「御意」

 その表情は硬い。
 キメラの気配を追ってここまできたのだが、少々遅かったようで、すでにフィールドが展開されてしまっていた。しかも、精神干渉付きのフィールドを。
 誰がやったのかわからないが、展開された瞬間に内部に自身の弟がいたことを確認している。心配するも、できることはない。

「……ユウト。無理はしないで」

 そう呟き、ありさは近くにあった木の幹に背を預けて時間がすぎるのを待つ。

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