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アリスは悪役令嬢だった

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 私の時間は、あの日から1秒たりとも動いていない。



「……そう、出席ね」

 私は、パトリシア・ロレーヌ・ド・デュラン。
 デュラン伯爵家の次女として産まれた可愛い……自分で言うのもなんだけど、可愛い女の子なの。
 お姉様ははっきりしないクリームっぽい髪色で、私は真っ赤に燃える情熱の色! それだけで、私の可愛さがわかるでしょう?

 それに、この部屋を埋め尽くすプレゼントの数々。これは、私に求婚している男どもの「お気持ち」ってやつらしい。まあ、もらっておいて損はないから。私の視界に入れられるこのプレゼントたちは幸せ者だわ。

 そんな超絶人気で可愛らしさで出来ている私は、自分が主催するお茶会の名簿を作成していた。招待状を送った人たちから、ポツポツと返事が届いているの。

 こういうの、本当は侍女にやらせるんだけど。今日は、自分でやりたい気分だった。なぜか、このお返事の中に私の大切な人がいる気がして。
 おかしいわね、女性しか呼んでいないのに。

「ベル・フォンテーヌは出席、っと」

 ああ、ベル。
 絶対に欠席すると確信して、招待状を書いたのに。あなたは出席するのね。

 根暗で誰からも見向きもされない、没落貴族のベル。
 最近、領地をジラール伯爵に取られたとか。そりゃあ、仕事そっちのけで起きるかわからない娘の看病をしていたのだから当然ね。
 ああ、滑稽だわ。実に滑稽。

 髪の毛が美しい? 私のサラッサラヘアを見てから言いなさい。
 儚げな美女? そんなの、腹の足しにもならないわ。
 1年間も眠っていたのだから、きっと骨と皮で見られるもんじゃあない身体ね。どうせ車椅子に乗って来るのでしょうし、可哀想!

「せいぜい、私の引き立て役になりなさい」

 自殺した子爵令嬢。そのレッテルは、きっと彼女を苦しめる。
 目覚めなければ良かったのに。あのまま死ねば、「ちょっと可愛いけど可哀想な子爵令嬢」として終われたのに。

 まあ、目が覚めたならわからせてあげましょう。

「私の方が美しいってことを、ね……」

 他に、引き立て役に誰を呼んだかしら。
 嫌だわ、ゴミケラの名前は覚えにくくて。

 私は、持っていた「出席」と書かれた手紙を勢いよく破り、暖炉の中へと放り込んだ。


***


「……え、今なんて?」

 夕食後、身体を拭いてもらっている時だった。
 まだ起き上がれないから、ベッドの上で服を脱いで。イリヤったら、さすがメイドだわ! パパッと服を脱がせてササッと拭いてくれるんだもの。私には、真似できない。

 それはまあ、置いておいて。

「お労しい……。ベルお嬢様は、お耳まで遠くに」
「あ、いえ。聞こえていたわ。聞こえていたけど、内容にびっくりしてね。聞き間違いかなって」
「なるほど、聞き間違いは良くあることです。イリヤだって、旦那様から夕飯に「辛い物をくれ」とリクエストされた時に、「洗い物をくれ」と言われているのかと思ってソースがベトベトについたお皿を渡してしまいました、はい」
「……それは、なんというか」
「あと、「白鳥の置物が欲しい」と言われた時なんて、「白菜の置物が欲しい」と聞こえてしまいまして。一瞬旦那様がポンコツになったのかと思いましたもん。ポンコツになったのは、イリヤでした! ははは!」
「……あの、それはいいんだけど、さっきの話って」

 どんな聞き間違いよ!?
 イリヤと話す時は、筆談にしようかしら!?

 ちょっと面白いから聞いていようと思ったけど、これ以上話が脱線するのも忍びなくなったから戻そう。そして、後で空いた時間にでも聞いてみようかしら。

 私は、乾いたフワフワのタオルが肌に当たる感覚に酔いしれながら、イリヤを急かす。

「え? ……ああ。ですから、ドレスを新調しましょうと申しました、はい」
「え、だって衣装部屋にたくさんあったでしょう?」
「あれは全部イリヤのだと思って、新しいのを買いましょう。お嬢様の起床記念に」
「……だって、フォンテーヌ家って財政状況が」
「イリヤは、自慢じゃないですがお金持ちなのです。毎日キャビアの蟹がクーベルチュールなのです、へへん」
「……そ、そう。良かったわね」

 それって単語を並べただけじゃないの? って言おうと思ったけど、胸を張ってなんだか得意げだわ。ここは黙っておこう。
 ……じゃなくて!

 私は抗議の意味も込めて、うつ伏せになっていた身体を上半身だけ起こす。……多分、1センチも起こせてないけど。

「それは、イリヤのために使いなさい。私は、今衣装部屋にあるもので十分だもの」
「お願いです。お嬢様に「ドレスを買う」と言わせるだけで、イリヤの今月のお給金に通常の2割上乗せされるのです」
「それは大きいわね……」
「でしょう。イリヤは、それで新しい枕を買うのです。10年も同じ枕を使っている可哀想なイリヤをお助けください」
「……さっきのキャビアを枕に回せば良いのでは?」
「それは、アレです。別腹」

 不覚にも笑ってしまった。
 私、なんだかんだ言ってイリヤに口で勝てそうにない。だって、私のために言ってくれているのはわかっているし。

 拭き終わった身体は、少しだけ艶を取り戻した。起きてから、10倍粥だけど食べ物を摂っているからかも。
 このまま行けば、お呼ばれしているお茶会でお菓子くらいは口にできそうね。イリヤとアインスのおかげだわ。

「お嬢様は、本来とても美しいお方なのです。今は、ちょっとお肉はイリヤの胸に移動していますが」
「……そうね」

 イリヤって、そのえっと……細いのよ。うーんと、細いの。まな板……いえ、その。
 まあ、そう言うことなのよ。だから、とてもコメントしにくい。

 私は言葉を濁しつつ、ゆっくりと上半身を起こしてガウンを羽織る。

「……お嬢様、今よろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」

 と、同時に、扉の向こうからアランの声が聞こえてくる。
 イリヤが服のチェックと髪の毛を再度梳かして「よし、今日も美しい」と呟きながら、扉を開けに行ってくれた。

 でもね、イリヤとアランが同時に扉を開けようとしたらしいの。結果、力の強いイリヤ……アランじゃないのよ、イリヤなの。そのイリヤが勝ってしまって、アランは盛大に床へと転がってしまう。

「だ、大丈夫、アラン?」
「は、はひ。ら、らいじょうアテッ、舌噛んだ……」
「……お大事に」

 その反動で、アランの持っていた用紙が数枚散らばってしまった。でも、本人は舌が痛いみたいでちょっとだけ涙を浮かべてあたふたしてるの。拾って、とは言いにくい。

「舌を噛むってことは、お肉が足りてないらしいですよ」
「え? そうなの、イリヤ」
「本能的に肉を欲していると、イリヤは予想しています」
「……よくわからないけど、そうなのね。じゃあ、今日はアランに鴨肉をってザンギフに伝えないと」
「鴨肉! 僕が鴨肉を好きなことを覚えてらしたのですか!」
「ええ。イリヤは、パクチーとピクルス以外は全部好きなこともね」
「お嬢様……! 一生ついて行きますぅ!!!」

 ここ数日、私だって眠っていただけではない。
 使用人の話を聞いて、好きなものや苦手なこと、不便していることはないかなどのコミュニケーションを取ってきた。
 もちろん、お父様お母様ともお話したわ。その2人は、口を開くたびに「あの子が動いてる」「バッテリーは満タンかしら」とまるで私がロボットだと言わんばかりの発言をするの。ちょっと疲れたわ。

 それに、城の配置や庭の様子も覚えた。
 そうそう、衣装部屋もあったの。ただ、今の私とはサイズが違っちゃうからリサイズしないと着れないみたい。だからイリヤは見せたくなかったらしい。別に良いのにね。
 中身を見せてもらうと、ベルの好みがよくわかったわ。彼女は、レッド、ブルー系を好んでいたらしい。そういえば、寝室も青だった。瞳の色が翡翠色だから、それに合わせていたのかもしれない。赤は、趣味かな。

 他にも、アクセサリーや靴、バッグなんかもあったの。全部、お父様とお母様からの贈り物だって。
 不思議なことに、そこには婚約者からもらったものはなかった。それとも、もらったことがなかったとか? でも、いくら険悪でもベルが嫌ってたとしても、贈らないといけないし、受け取らないと体裁が悪いでしょうに。
 聞ける雰囲気じゃなかったから、黙っていたけどね。

「それよりも、アラン。お願いした件かしら?」
「は、はひ! 調べ終わりまし痛いっ!」
「落ち着いて。時間はたくさんあるから」
「イリヤの時間はお昼までです。午後は13時から」
「……休憩は大事ね」

 イリヤの言葉で、アランは腕時計を見て再度焦り出す。……このコンビ、結構見てると面白い。なんだか、イリヤがお姉さんに見えるんですもの。

 にしても、イリヤったらわざと言ってない? だって、アランが焦ったのを見て笑ってるし。

「では、報告させていただきます」

 私はアランへ、パトリシア様に関する情報を集めてくるようお願いした。
 彼女の性格や好むもの、タブーなんかもね。だって、それくらいは知っておいた方が良いでしょう?

「パトリシア様は、とてもその、負けん気の強いお方です。サンドラ様というお姉様がいらっしゃるのですが、そちらは物静かで。いつもパトリシア様の影になってしまっているようです」
「ふーん。普通、姉の方が強いのにね」
「まあ、姉と言っても年子なので。双子のようなものでしょう。さらに、パトリシア様は派手好きです。彼女は、自身の真っ赤な髪色をとても良く好いています。なので、それをお褒めになるとよろしいかと」
「わかったわ。他に、好きなものはないの?」
「宝石、高価な置物はもちろん、食べ物は……というか、飲み物はダージリンを好むそうです。しかし、お水はダメです。なぜか、冷たいお水だけは狂ったように嫌っております」
「……お水?」
「ええ。きっと、貴族が飲むものではないと思っていらっしゃるのでしょう。そんなお方ですから」
「そう……」

 と言うことは、お母様……アリスのお母様のようなお方だと思っていた方が良いわね。
 だったら、本人を上げて自分を下げるような振る舞いをすれば大丈夫そうだわ。むしろ、そう言う人たちとの関わり方の方が得意だから助かったな。

 私は、アランから持っている資料をもらおうと手を伸ばす。でも、彼は頑としてくれない。

「ダメです」
「どうして?」
「床に落としたからです」
「別に、気にしないわ」
「僕が気にするのです」
「そう。じゃあ、イリヤになら渡せる?」
「イリヤにでしたら。はい」

 アランは、私の言う通りにイリヤに手渡してくれた。しかも、結構あっさり。

「じゃあ、イリヤ。それを私に頂戴」
「はい、どうぞ」
「イリヤあああ!?」

 思った通りだわ。
 イリヤは、そう言うことを気にしないと思ったの。それよりも、私のお願いが「絶対」って人だから。

 私が用紙を受け取ると、アランが泣きそうになりながらプルプルと全身を震わせている。用紙を奪おうかどうしようか考えてる顔だわ。可愛い……って、私、ちょっとSっ気があるのかもしれない。
 なお、イリヤはしれっと「イリヤはお嬢様の専属メイド」と自己紹介をしている。

「アラン。私と使用人を区別しないで頂戴。みんな平等よ。もちろん、食べ物を落としたら感染症とかが気になるから食べちゃダメだけど、それ以外だったら大丈夫だから」
「……はい、ごめんなさい」
「お嬢様は変わられました。イリヤは、今のお嬢様が好きです。だから、お嬢様が私にピクルスを食べろと言ったら……やっぱり食べないかもしれません」
「……本当に嫌いなのね」

 私は、アランと一緒になってその発言に大笑いした。

 そうそう、こんな雰囲気が私には合っている。使用人と主人という言葉は変えられないから、せめて立場だけは対等で居たいの。
 ……そうすれば、私はアレンやシャロンたちを思い出すから。自分が、ベルじゃなくてアリスだって忘れないから。

 もらった用紙を枕元に置いた私は、そのまま大きな伸びをした。すると、

「お嬢様の爪の垢を、悪魔の一族に分けてあげたいです」

 と、アランが言ってきた。

「悪魔の一族?」
「はい。パトリシア様に関する情報を調べていると、その中に関係者が居たのです。数年前、領民から搾取して自らの肥やしにしていたグロスター伯爵一家が」
「イリヤも聞いたことがあります。ほら、お嬢様のところからでも見えるでしょう。あの屋敷です」
「……」

 イリヤは、そう言いながら窓辺に行き、少しだけカーテンを引く。すると、そこには見慣れた屋敷が小さく見えた。本来は、もっと大きい。と言うことは、ここから離れた場所に立っているのだろう。なぜ、今まで気づかなかったのだろう。

 私は、声を出さなかった自分を褒めたい。

「あ、あの屋敷に悪魔が住んでいるの?」
「ええ、一家して悪魔だったらしいです。パトリシア様のことでそこの領民とお話してきたのですが、口を揃えて「領主は悪魔、特にアリス令嬢は悪役令嬢だ」と。聞けば、長女のアリス様が領民からお金や作物を奪い、家族に渡して媚びていたとのことでした。僕も、痩せた人々、土地を見てきたのできっと事実でしょう」
「その令嬢って、あの5年前に自殺した?」
「らしいですね。きっと、領民たちの呪いでしょう」
「じゃあ、もう領民たちから金銭を奪う人はいなくなったんですね」
「そうでもないみたいです。今は、グロスター伯爵本人が贅沢を覚えてしまったようで。「アリスのせい」を口癖におおっぴらに金銭を奪っています」
「……そうなの。大変ね」
「本当、お嬢様の謙虚さをちょっとでも分けたいと何度思ったことか!」

 これは、誰の話なのだろうか。何度、そう思ったことか。
 でも、聞けば聞くほど、それは前世の私の話。目の前でアランとイリヤが話しているのは、私の話なのだ。

 伯爵の仕事を全うして、必死で節制して余ったお金を領民に流していた私。

 それが、世間的には悪役令嬢?
 お父様たちのために、領民を虐げていたのが私?
 家族に殺されたのに自殺にされ、死んでもなお、私は民に恨まれてるって言うの? 

 どうして? どうして……。

「……ごめんなさい。なんだか疲れちゃって」
「なんと!? アインスを呼びます。顔色が」
「お嬢様、お顔が真っ青ですよ!?」
「良いの。ちょっと眠れば回復すると思うから」
「わかりました。イリヤは扉の向こうで待機しているので、何かあったら叫んでください」
「ふふ、叫べないわよ。大丈夫、眠いだけだから」

 私は、パトリシア様の話を調べるのにグロスターが管理する領地を訪れたのかに、疑問を抱かなかった。
 それより今は、アリスがそんな言われようをしている事実に愕然として何も考えられなかった。

 イリヤとアランが去った部屋の中。私は、閉め忘れたカーテンの隙間から見えるグロスター伯爵の住む城を呆然と眺めるしかできない。


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