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雨は続く

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「ご機嫌麗しゅう、クリステル・フォン=ランベール次期侯爵」
「……ロベール侯爵、何か悪いものでもお召し上がりになりました?」

 宮殿につながる王宮の渡り廊下を歩いていると、前からロベール侯爵が歩いてきた。その手には、いつも通り書類がこれでもかと盛られている。
 それでも笑顔を絶やさずこうやって冗談を言えるのは、彼の性格の良さのあらわれでしょう。

 確かに、私はお父様に次期侯爵と言われている。
 けど、今はお家の仕事よりも陛下のお守りに忙しい。爵位を譲り受けるのは、まだまだ先の遠い未来だわ。

 以前のように、生前継承が禁止されていたら楽だったのにな。
 女が侯爵を名乗るだけで、周囲のご老人たちがうるさいのが困り物なの。その点、目の前のロベール侯爵はお堅いことを言わないから仕事もしやすい。

「陛下とアップルパイを食べたからかもしれませんね」
「はあ……。あなたと行かれたのですね。誰とご一緒したのかと考えていました」
「あなたの目を盗んで行けるのはエルザ夫人か私しかおりますまい」
「まあ、そうですね。次はしっかりお守りさせていただきます」
「ははは。これは次から貴女が眠っている時にしか行けなさそうだ」

 そう言って、ロベール侯爵は私と並んで歩き出す。何か話したいことがあるのだろう。
 とはいえ、こういう時は変に何か聞かない方が良い。相手が話したいと思った時に、話を聞く。それで良いと、私のお父様はおっしゃっていた。

 渡り廊下の窓から外を見ると、晴天に浮かぶ真っ白な雲が見える。ここからでも動いているということは、上空では風が強く吹いているのだろう。明日は雨かもしれない。

「雨が降りそうですな」

 そう思っていると、ロベール侯爵も窓の外を見てきた。私の方から彼の顔を覗けないけど、何か大事が起きそうな雰囲気は察せる。
 やはり、無理に話を急かさなくて正解だった。

「……ジョセフ・グロスターの消息が途絶えました」
「なんと。……屋敷に居る可能性は」
「ゼロではありませんが……。報告書の字体が変わっています」
「誰の字ですか」
「まだ鑑定が進んでないです。なので、憶測の域を出ていません」
「陛下はご存知?」
「……」
「そう」

 グロスター伯爵。
 私は、その名前を聞きたくない人間だ。……いや、きっとそこの領地に住む領民全員が聞きたくないだろう。

 彼は、全くと言って良いほど仕事ができない。それは、一度話せば誰だってわかる。

 しかし、過去にグロスター伯爵の名前で功績をあげてしまったのだ。
 ……私の憶測だけど、その功績をあげたのは娘のアリス・グロスター。彼の能力ではない。しかし、それを証明するものが一切ないのだから何も言えないの。
 故に、彼は今も「伯爵」の爵位を持ったまま、領民たちを虐げている。その事実は、陛下だってわかっている。

 それでも手を出せない理由は、2つ。
 証拠がないのと、グロスター伯爵に対して大罪を犯してしまっているから。

「なあ、シャロン」
「……はい」

 考え事をしていると、ロベール侯爵がそう呼んでくる。
 その名前に後ろめたさのある私は、窓に向けていた視線を床に落とす。

 そう。
 私は陛下の命令で、名前を変えてグロスター伯爵の城で侍女として働いていた。アリスお嬢様のお世話係になるまで1年、彼女の専属になって2年、合計3年もの時間をあの悪魔の城に費やしたわ。
 結局、分かったことは悪魔に抗っている者が1名居るということだけ。

 領民から搾取したお金で買った物など、足を辿れなければただの品物だ。決定的な証拠でもないと、押収している間に証拠隠滅させられてしまう。
 私は無力だった。

「シャロンは、彼女をどう思っていた?」
「……お慕いしております」
「しておりました、ではなく?」
「ええ。……今でも、夢に出てきます」
「それは、悪夢かい?」
「……いえ。アリスお嬢様が、真っ赤なバラをお持ちになって微笑んでいる夢です」

 そして、身分がバレそうになって逃げた私に向かって「今までありがとう」と言う彼女の夢を良く見る。
 これは、自分自身の勝手な妄想なのか。それとも……。

 陛下が犯した大罪の一つは、同国の者に対して間者を送ること。犯せば、陛下とて監獄送りは避けられない。
 先代が作った法だから変えれば良いのだけど、こういうのって何かきっかけがないと難しいのよね。動かないでいる陛下だけを責められない。

「早く、雨が止むと良いですね」
「……雨?」
「またお話しましょう」

 晴れているのに変なの。
 そう思いながらまばたきをすると、自身の頬に涙が伝っていく。それは、悔しさか、やるせなさか、それとも怒りか。
 私にはわからない。

 気をきかせてくれたのだろうロベール侯爵は、窓に視線を向けたまま去っていく。

「……アリスお嬢様が居ない限り、この雨は続く」

 5年前に筆跡鑑定ができていれば、アリスお嬢様だけでも「悪魔」と呼ばれることなく領民に崇められただろう。それだけのことを、彼女はしたのだから。
 でも、もう遅い。それらの書類は、いつの間にか宮殿から消えている。誰か、敵が紛れ込んでいるのは確かなのだけれど。それすらわからないなんて。

 だから、5年経った今もグロスター伯爵の悪事は終わらない。
 証拠がないから、陛下も動けずで。なんて悪循環なの?

「ジョセフ・グロスター。今度は、貴方の番なのかもしれないわね」

 私も意地悪だから、貴方を助けることはないわ。
 ……お嬢様のご遺体に、そのまま土を投げ入れた貴方をね。

 私は、ポケットから出したハンカチで涙を拭い、王宮へと向かっていく。
 いつの間にか、外は曇りになっていた。



***



「あら、ロベール様」
「これはこれは。お久しぶりです、デュラン伯爵の……」
「パトリシアですわ。春の式典以来ね。……そちらは?」

 サレン様とお食事をしていると、隣を見知った顔が通りかかった。
 赤髪は、どこに居ても目立つ。無論、黒髪も珍しいから同じく。

 パトリシア嬢は、いつものド派手なドレスではなく、ちゃんとこの大衆食堂に合う服装を着ている。珍しい。
 彼女がカーテシーすると、サレン様もフォークを置いて立ち上がった。俺も、同時に立ち上がる。

「カウヌ国のサレン・ローラ・ロバンと申します」
「ロバン公爵のご令嬢!? これは、失礼しました。私は、パトリシア・ロレーヌ・ド・デュラン。お食事を中断させてしまいまして申し訳ございません」
「このような場所ですから、あまり畏まらず」
「お言葉、感謝いたします」

 どうやら、パトリシア嬢もロバン公爵をご存知だったようだ。まあ、あれだけ悪名高ければ仕方ない。
 しかし、彼女は嫌な顔ひとつせずサレン様に接してくれている。むしろ、なんだか親しみを込めた視線を送っているような気も。……爵位が自分より高いからか?

 サレン様は、パトリシア嬢の「お座りください」の言葉で席に着く。

「ご一緒しますか?」
「いいえ。男女の間に入るほど、私も空気を読めない人ではありません」
「アレン様とは、そのような関係では……」
「そ、そうです。私なんかが、サレン様と……」
「ふふ。そう言うことにしておきましょう。それに、私にも連れが居ますので」

 パトリシア嬢の言葉に焦っていると、隣に居た人とぶつかってしまった。「すみません」と頭を下げると、「狭いから仕方ない」と言って笑ってくれる。城下町の人は、優しい人が多い。

 にしても、気難しくプライドの高い彼女に連れとは珍しい。群れるのを嫌うと言うのは、有名だ。

「貴女も男性ですか?」
「いいえ、彼女ですわ」

 そう言って指差す方に視線を向けると、銀色に艶めく髪の女性が椅子に座っているのが見えた。後ろ姿なので顔までは見えないが、どうやら足が悪いらしい。どこかで見たデザインの車椅子を使っている。
 最近、銀髪がどうのとどこかで聞いたが……どこだったか。

「ご友人でしょうか?」
「ええ、ベル・フォンテーヌ子爵令嬢。私の友達よ。今度、ご紹介させてください。とても聡明で、芯が強い女性なのです」
「貴女が言うのだったら、嘘ではなさそうだ。今度、時間を作りましょう」
「ありがとうございます。では、今日はここで。……サレン様、どうぞごゆっくりなさってください」
「そうします。こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます」

 再度カーテシーをしたパトリシア嬢は、そのままフォンテーヌ子爵令嬢の方へと早足で向かっていく。見ると、その机の上には大小様々な瓶が並べられているではないか。近日、商売でも始めるのだろうか。
 彼女は、商売の才があると聞いたことがある。仲間ができて、楽しそうで何よりだ。

 でも、今はそれより「男女の仲」と言われて意識してしまっているサレン様を気遣うべきか。
 横を見ると、顔を真っ赤にしながらグラスに口をつけた彼女と目が合った。
 こんなシチュエーションなら必ず感じるであろう、胸の鼓動は特にない。お慕いしていると思っていたのに、なぜだろうか。

「アレン様、私……」
「なんでしょうか、サレン様」
「……私、えっと。その、貴方様のことを」
「お召し上がりにならないと、食事が冷めてしまいますよ」
「あ……。そう、ですよね」
「ここから少し北に行ったところに、お茶が美味しいところがこの後あるのですがいかがですか?」

 それでも、俺が守る相手に違いはない。
 しゅんとした表情をこれ以上怖がらせないよう、笑いながら発言するとすぐに笑みが返ってくる。女性らしい柔らかい笑みは、絵になるほど美しい。
 やはり、彼女はアリスお嬢様に似ている。

 でも、アリスお嬢様ではない。
 だから、好意は嬉しいけどそれ以上の感情がないんだ。それに、これは仕事じゃないか。

「はい、ぜひ!」
「では、少しお腹を空けておかないとですね」
「そこには、デザートもございますか」
「もちろん」

 本来なら、こんなところに公爵令嬢を連れてくるなんてありえない。ロバン公爵に見つかったら、大目玉を食うだろう。しかし、行きたいとの彼女の発言を陛下も聞いているから安心だ。
 あまり勘違いさせても申し訳ないから、傷つけないようそれとなく伝えてみよう。彼女なら、わかってくれると思う。
 こんな女々しい男で申し訳ない。

 俺は、心の中でサレン様に謝罪をする。


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