75 / 217
閑話
クマのぬいぐるみ
しおりを挟む「アインス」
「おや、お嬢様。いかがなされましたか」
「……シエラの具合どう?」
昼下がり、とても良い空気が医療室の中へ入り込んできた。
ドア前で部屋の中を覗き込むお嬢様が、小さな声で話しかけてくる。
申し訳なさそうにしているところを見ると、シエラ殿が寝ているとでも思ったのだろう。
「元気ですよ。今、トマ……おっと、アインスに包帯を変えてもらったばかりです」
「そう。化膿は?」
「今のところ、腹部と膝付近くらいですね。他は、化膿することなく瘡蓋を作っている最中です」
「……シエラ、もう少しだから頑張ってね」
「はい! 以前より痛みが少なくなってきましたから、かなり楽です」
「良かった……」
お嬢様は、入ってくるなり真っ直ぐシエラ殿のところへと駆けていく。
自身もふらついているというのに、このお方は。車椅子を使えと言っても、聞きやしない。こういう頑固なところは、以前のベルお嬢様にそっくりだ。
そんな姿を横から眺めていると、ホッとしたような表情をしたお嬢様が見えた。
「アインス、ありがとう」
「私は何も。シエラ殿が耐えたからです」
「ええ、そうだけど。アインスも居なきゃそれはできなかったわ。私なんて、包帯を巻くことすらできなかったんだから」
「はは、あれは傑作でしたなあ」
「え、なんの話ですか」
「ちょ、や、やめて! 話したらダメよ!」
今はもう必要ないが、お嬢様が誘拐されて怪我をした時のこと。
額に包帯を巻いていると、「自分でできる」と急に言い出してな。試しにやらせてみたら、予想以上、いや、それ以上の不器用さで、額に巻くはずの包帯をなぜか腕に巻いていたんだよ。流石に、アレは笑ってしまったなあ。
聞けば、「アインスの負担を減らしたくて」とのこと。彼女なりに色々考えているのだろう。
今回のシエラ殿のことだって、屋敷に運んで数日は、高熱にうなされた彼の側を離れなかった。どうやら、本人の意思を無視して助けてしまったことに罪悪感を覚えているとか。
震える手を、眠っているシエラ殿の鼻上へ持っていき「良かった、生きてる」というのを5分置きに繰り返しているお姿は、見ていて心苦しかった。
なぜ、ここまで他人を気にしているのだろうか。
心の内に秘める何かが彼女をそうしているのだろうが、私はそれを取り除けない気がする。なぜか、そう思うんだ。
「ははは。では、シエラ殿が元気になられて、まだ覚えていたら話しましょう」
「よし、絶対忘れないぞ」
「ちょっと! アインス! え、あ、シエラも笑わないでよう……」
今のお嬢様は、ちょっとだけあの子に似ている。
自分の許容範囲を超えているのに、なお、頑張るあの子に。
そう。
今、視界に入っている薬棚にある、クマのぬいぐるみの持ち主に。
***
あれは、寝たきりだったお嬢様の目が覚めて数日後だった気がする。
あまり覚えていないが、多分そうだ。
「アインス、お熱が出ました」
いつも通り医療室で包帯を整理していると、そこにイリヤが入ってきた。
他にもやることがあったが、お嬢様が目覚めたことに……というより、記憶喪失だったことに動揺してしまいそんないつでもやれるようなことをしていたんだ。お嬢様の専属メイドであるイリヤが入ってきてちょっとだけ罪悪感を覚えてしまった私は、持っていた包帯を急いで机の上に置く。
……が、その罪悪感はイリヤの顔を見てすぐに消える。
「顔が真っ赤じゃないか! エプロンだけ取って、そっちのベッドに寝なさい」
「うん……」
「熱は……っつ!? また無理したな?」
「……だって、お嬢様の様子が」
「命に別状はない。記憶なんて、後からいくらでも回復するから」
「でも……、なんか違くて」
ゆっくりとした動作でエプロンを外しているイリヤの額に手を当てると、熱湯の入ったコップに触れているような熱さを与えてきた。予想以上の体温に声を荒げると、しゃがれた声が返ってくる。
しかし、今はそんな言い訳を聞いている時間はない。イリヤから離れた私は、そのまま薬箱を漁り解熱剤を取り出す。あと、飲水も必要だな……。
とはいえ、彼の感じている違和感を否定する気は起きない。
医学的なことを踏まえたとしても、お嬢様の様子はすっかり変わられてしまったのだ。あれは、記憶喪失というより……いや、憶測で物事を口にするのはよろしくないな。弱っている人に不安材料を与えてどうする。
そんなことを考えていると、背後ではかろうじて動いているような、モソモソとした音が微かに聞こえる。振り向くと、ベッドへ身を潜らせている最中のイリヤが。
あれじゃあ、いつまで経っても横になれんだろう。
「掴まりなさい」
「うん……」
「お嬢様の記憶がショックだったのか」
「……うん」
差し出した腕にしがみついたイリヤは、そのまま身を預けてきた。
お嬢様ほどではないにしろ小さな身体を持つ彼は、それでも男性だと思わせる筋肉量がある。ちょっとでも気を抜けば、年寄りの身体が転がってしまいそうだ。
衝撃を与えないようゆっくりと窓側のベッドへと寝かせた私は、持っていた解熱剤をイリヤの口の中へサッと放り込む。続けて顔を横にし、用意していた水を飲ませれば一安心。
「苦い」
「舌が麻痺していない証拠だよ。疲労だろうから、寝れば治るさ。他に、頭痛や吐き気は?」
「ない。身体がうまく動かないだけ」
「それだけ熱を出していればそうだろう。眠りなさい」
「……アインス」
「はいはい」
他の患者なら、これで治療は終わり。あとは、ここで寝かせて途中経過をちょこちょこ見る程度で事足りる。
しかし、イリヤの場合はあとひとつ、することがある。
私は、薬棚へと向いガラスの引き戸を開けた。少々軋む音が響くから、そろそろ油を垂らさないとな。まあ、それは後でやろう。
今は、この中に入っているクマのぬいぐるみを取り出して……。
「おやすみ、イリヤ」
「ありがと、アインス」
クマのぬいぐるみを渡すと、秒で寝息が聞こえてくる。
見れば、それを抱きかかえ真っ赤な顔をするイリヤが、とても穏やかな顔をして眠っていた。
昔、母親にもらったものらしい。
これがあると寝すぎるとか、そんな理由で医療室に置かれるようになったが……。
「……イリヤは、頑張っているよ」
心が女性というだけで、騎士団を追放されたイリヤ。
でっち上げの理由で、王妃殺害未遂の罪を着せられた私。
似ているんだ。私たちは。
だからこそ放っておけないし、我が子のように可愛がってしまう。
願うなら、そう……。
この子が、後ろ指刺されずに生きられる世界になりますように。
0
あなたにおすすめの小説
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛とオルゴール
夜宮
恋愛
ジェシカは怒っていた。
父親が、同腹の弟ではなく妾の子を跡継ぎにしようとしていることを知ったからだ。
それに、ジェシカの恋人に横恋慕する伯爵令嬢が現れて……。
絡み合った過去と現在。
ジェシカは無事、弟を跡継ぎの座につけ、愛する人との未来を手にすることができるのだろうか。
で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?
Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。
簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。
一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。
ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。
そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。
オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。
オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。
「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」
「はい?」
ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。
*--*--*
覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。
★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓
このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。
第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」
第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」
第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」
どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ
もしよかったら宜しくお願いしますね!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる