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みんな誰かの「偽物」で
しおりを挟む尋問会の後、ラベルにサレン様を預けた俺はそのまま騎士団の待機室へと戻った。やり残した仕事があったんだ。
それに、少しだけサレン様と離れたかったのもある。
待機室に駆け込んだ俺は、そのまま崩れるように椅子へ座り込んだ。
「……薬が、効いてない」
尋問会の途中で、それに気づいた。
アインスにもらった際に、「飲み続ければ効果は薄れる」との説明を受けていたものの、こうも早く効果が出なくなるなんて。とはいえ、アインスの技術不足ではない。俺が、薬を飲みすぎているんだ。その自覚はある。
そんな姿を誰にも見られたくなくて、……特に、ルフェーブル卿には見られたくなくて何くわぬ顔していたが、大丈夫だっただろうか。自信がない。
とりあえず、気を紛らわせよう。
前にサレン様のお部屋で倒れた時よりは全然良い。意識は保てるし、目が霞むこともない。頭痛と少しの吐き気があるだけだから、軽めの書類確認をしておこう。おっと、窓も開けないと……。
なんて俺の予定は、次の瞬間崩れ去る。
「隊長! いらっしゃいますか!」
「居るぞ。入ってくれ」
「失礼、します……!」
書類片手に汗を拭っていると、そこにヴィエンが入ってきた。
どうやら、緊急事態らしい。
バーンとものすごい扉音と共に、息を切らした奴が入ってくる。相当走ったらしく、その額には汗が光っていた。
「どうした、ヴィエン」
「陛下が、緊急で隊長をお呼びです。すぐ来るようにと」
「わかった。執務室か?」
「はい。そうおっしゃっておりました」
緊急で執務室へ召喚されるということは、騎士団の仕事関係で何かあったのだろう。
城下町の死者多数の混乱に関してか、牢屋に直結した医療室に居るジョセフのことか、グロスター家の新情報か。それとも、サレン様の待遇に関するものか。心当たりが多すぎて、思考が止まりそうだ。
とにかく、向かおう。
俺は、持っていた書類を引き出しの中へしまい急いで立ち上がった。
***
パトリシア様をお連れして屋敷に戻ると、客間がものすごいことになっていた。
アインスが王宮に呼ばれているから、お父様お母様に「ご意見」を言う人は居ないのはわかってる。でも、だからってこんな凄くなってることなんてある?
「40+60は?」
「5、6、……10に0を入れて100だ!」
「正解! では、40+71は?」
「えっ……よ、4+7で11だから、111だ!」
「大正解!」
「……」
「……」
「……」
「……えっと」
そこは、まるで学舎だった。……行ったことないけど、多分こんな感じだと思う。
一瞬だけ部屋を間違えたかなって思ったけど、廊下はいつも通りだったからここで間違いない。……はず。
とにかく、壁という壁に張り巡らされた計算用紙が、夕日に照らされてとても眩しい。
それに、やる気に満ち溢れたお父様とお母様、それにサヴィ様のイキイキとしたお姿が印象的だわ。私は、パトリシア様をお連れしているのにも関わらず、そんな光景に唖然としてしまった。だって、だって……。
「おお、ベルよ。それに……そちらの美しいご令嬢は、どちら様かな? 私は、サルバトーレ・ダービーと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。私、パトリシアと申します。パトリシア・ロレーヌ・ド・デュランです。ベルの、その……し、親友で!」
「おお、デュラン伯爵の! 商業面でのお噂はかねがね伺っています」
「ありがとうございます……」
と、隣で挨拶を交わしている中、私はお父様とお母様の方を見る。
気を取られていなければ、パトリシア様が「親友」と言ってくださったことに喜んでいたでしょう。それに、2人の間に入って双方の紹介もできたでしょう。
でも、それが気づかないほど驚いたことがあったの。
「……お父様、お母様。2桁の足し算が」
「ふふん、どうだベル!」
「私は、2桁の掛け算までならできるようになったわ!」
「すごいわ! すごい! どうやって覚えたのです?」
「サルバトーレくんが教えてくれたのさ! すごいだろう!」
そうなのよ。
なんと、お父様が……あの、お父様が2桁の計算に手を使わず解いているの! 私だけじゃなくて、イリヤもびっくりしているわ。
無論、パトリシア様は「何がすごいの?」って表情をしてるけど。隣に居たイリヤが、サヴァン含めて耳打ちして教えているみたい。「え、今までできてなかったの?」なんて声が聞こえてくる。
「すごいわ! 今日はパーティね。……あ」
「そうだろう!? おや、パトリシアお嬢さんじゃないか。ようこそ、フォンテーヌ家へ! 夕飯を召し上がって行ってくれ」
「は、あ、ありがとうございます……?」
「お邪魔しております、フォンテーヌ子爵」
「サヴァンさんもようこそ」
私としたことが。
パーティなんて言わなきゃ良かったわ。パトリシア様がドン引きしないと良いのだけど……。なんて、心配になって彼女の方を向くと、すでにサヴィ様へ「どうやって計算式を教えたのでしょう?」と質問をしている最中だった。
とても真剣な表情で聞いていらっしゃるわ。パトリシア様も、どなたかに計算でも教えるのかしら?
ああ、そうだ。
この話の流れで聞いてみたいことが……。
「パトリシア嬢は、短期でアカデミーに通ってらしたのですね」
「ええ。学年が異なったため、お会いしなかったのでしょう」
「……」
って、サヴィ様が先に聞いたみたい。
そうそう、パトリシア様がアカデミーに通われていたかどうか聞きたかったの。どうやら、短期で通ってらしたのね。良いな。きっと、お友達が多いのでしょう。
まあ、アカデミーはお友達を作る場所ではないのはわかっているけど。でも、行ったことがない私にとっては、未知の世界。少しだけ憧れても良いじゃない。
女に教育は必要ない。そういう家庭で育ってきたのだから、憧れは強い。それもあって、お2人が眩しく感じてしまうわ。独学の私との差は大きいでしょう?
「って、あら? お父様とお母様は?」
「あ! また逃げたのか!?」
「え、今までも逃げていましたの?」
「ああ……。何度も、フォーリーとアランが連れ戻して……」
「良かった。急に、お父様とお母様が別人になられたのかと思いました」
「いやでも、簡単な計算くらいはしていただかないと」
周囲が静かになっていると思ったら、いつの間にかお父様とお母様のお姿が見当たらなくなっていた。
しかも、ご丁寧に片付けまで終わらせて……これは、イリヤも手伝ったわね。だって、私が睨むと視線をそらして吹けないのに口笛を吹こうとしているもの。きっと、お父様お母様からヘルプでももらったのでしょう。
にしても、何度も逃げたって本当にお2人は頭を使うことが苦手なんだから! もう!
きっと、ここにベルがいたら3人で逃げていたでしょうね。居れば面白かったのに。……なんてね。そうなれば、私がここに居る理由はないか。
「私もお手伝いしますわ。その程度でしたら、少しなら教えられそうです」
「申し訳ありません、パトリシア様」
「良いの、楽しそうだし。それに、サルバトーレ様のことを見極……お手伝いしたいし!」
「ふふ、良かったですね。サヴィ様」
心の中でベルに「ごめんね」ってつぶやいていると、目の前で大好きなお方たちが笑っていた。
私は、その笑い声に混ざるため明るい声を出す。
どうやら、今のでサヴィ様とパトリシア様が仲良くなられたみたい。やっぱり、パトリシア様って社交的よね。ちょっとだけ羨ましいわ。
それを、少し離れて見ているイリヤとサヴァンの温かい視線も良いわね。この部屋に幸せが溢れている感じがして。……計算用紙も溢れているけど。
「では、それが終わったらシエラの顔でも見てあげていただけると」
「そうよ! シエラ様にお会いしたいわ」
「シエラったら、結構香料に詳しいんですよ。だから、少しだけ医療室で香料の企画書を進めましょう」
「ええ、賛成!」
「む? 香料の企画書とはなんのことだ?」
「サヴィ様に言っていなかったかしら? えっとですね……」
散り散りになったグロスター家、ジェレミーにマクシム、それに、国のスパイだったアレンのこと。気になることはたくさんあって、でもそれは、私がベルに身体を返したら、全部「どうでもよくなる」こと。
結末を知りたいと思うけど、それって娯楽要素満載の物語本を読んでいる時の感覚なのよね。知ったところで、それを活かせる場面はない……みたいな?
でも、そうね。ご友人は大切にしたいなって思う。
だって、アリスの時には居なかった存在なんだもの。こんな温かい気持ちになる存在を知らなかったなんて、私はどれだけ「損」をしていたのかしら。
ベルに生き返らせてもらわなかったら、知らなかった感情ね。もちろん、フォンテーヌ家の方達にいただいた優しさやガロン侯爵から学んだビジネスの楽しさも。みんなに恩返しができたら良いな。
とりあえず……。
パトリシア様。
私は、必ず貴女様のお役に立ちましょう。
一番お辛い時、助けが必要な時、全力で手助けします。
そして、サヴィ様。
私に愛とは何かを教えてくださった貴方を、処刑台になんか立たせない。
何か、法の抜け道があるはずよ。全力で探してみせます。サヴィ様のご両親が、捕まらないことを毎日祈りつつ。
だから、お2人とも。
もう少しだけ、偽物のベルにお付き合いくださいな。
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