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出てくる疑問

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 結局、1ヶ月してもジューンさんは屋敷に現れなかった。
 俺の前からだけじゃない。屋敷から忽然、姿を消したんだ。

『ジューンさん? さあ、マロー伯爵に婚約破棄されて逃げたんじゃないの?』
『恥ずかしいものね、婚約破棄だなんて』
『奥様に寝取られたって話だったし』
『奥様の身体に負けたってこと? さすが奥様ね!』
『でも、こんな突然……』
『そんな気にしてたら、キリないわよ。突然辞めるなんて、珍しくもなんともないもの』
『前も、女性が夜に突然消えたことがあったわね。アレンが入る少し前に』
『あったあった。ドイットに殴られてなかった?』

 リンさんとナナリーさんに話を聞いても、こうやって気に留めてないような雰囲気なんだ。それよりも、自分たちに課されたルーティンワークの方がずっと大事みたい。仲間を大事にするって思考がないのか。
 あまり聞いても怪しまれると思った俺は、はたきを持って仕事に戻る彼女たちを無言で見送った。

 突然辞めるのが、珍しくない? 
 そんな職場があって良いのか? 辞めるにしても、規定通り2週間前に雇い主に言うのがマナーだろう。雇ってもらっているという自覚が……。

 待てよ。
 俺が入る少し前に? ドイットさんに殴られて辞めた女性?

『……まさか』

 今の会話を脳内再生していると、頭の中に1人の女性が思い浮かんだ。

 あの日、伝令を届けにきてくださった陛下と王妃様に付き添っていたクリステル様だ。彼女も、顔に怪我をしていたじゃないか。
 それに、今思えば伝令書の内容が細かすぎた。あれは、父様が保護した時に手に入れた情報量ではなかっただろう。なぜ、あの時気づかなかったんだ?

 この潜入捜査は、俺が初めてじゃない。
 きっと、クリステル様が先に入ってたんだ。そうとしか思えない。
 次の休暇になったら、彼女に話を聞きに行こう。じゃなきゃ、腑に落ちないことが多すぎる。

『アレン! あのね、あのね!』
『おっ、お嬢様!? 走らないでください!』
『え?』

 考え事しながら歩いていると、前からアリスお嬢様が嬉しそうな表情をしながら走ってこられた。それを見た俺は、一瞬にして考えていたことが吹き飛ぶ。

 アリスお嬢様の専属として認められて2週間。最初は嬉しかったけど、彼女はじゃじゃ馬すぎるんだ! そんな細っこいお身体で走ったら転ぶに決まってるだろう!? しかも、ヒールをお履きになって全く!!
 案の定、転びそうになっている彼女の方へ走ってスライディングを決めて、ギリギリのところで怪我を防いだ。上手だろ? これ、今日が初めてじゃないからな。

『お嬢様! 走らないでください!』
『ご、ごめんなさい……』
『怪我したら、痛いんですよ!』
『……うん。ありがとう、アレン』
『っ……』

 今日は、ガツンと言ってやる! グラグラのヒール履いてドレス姿で走るなんて、狂気の沙汰だと。ご令嬢としての気品を持て、と。
 でも、こうやってニコッと笑顔を向けられてしまうと、喉元まで出かかった言葉がスッとどこかにいなくなってしまうんだ。俺も相当かもしれない。

 へらっとした表情で廊下に座り込むお嬢様を、先に立ち上がった俺が立たせてあげる。ここまでが、いつものセットだ。
 アリスお嬢様は、毎回申し訳なさそうに「次は気をつけるわ」と言う。でも、次っていつだ? そろそろ、次になって良い気がしてならない。

『アレンは、優しいね。私なんかに』
『普通ですよ。専属なんですから』
『そうそう。アレンがお父様にお願いしに行ったって聞いたけど、本当?』
『ほ……』
『ほ……?』
『ほ、ほ……』

 お嬢様を立ち上がらせた俺は、そのままお部屋へ送るために彼女の手を取り歩き出す。いや、出そうとしたところにそんな質問されれば、立ち止まってしまうのは無理ないと思うんだが……。

 だって、だって……。


***


 あれは、ちょうど2週間前のこと。
 夫人がジョセフ様と外出中を狙い、俺はグロスター伯爵へ直談判をしに来た。
 この時間、旦那様はダイニングのバルコニーで一服するんだ。そこを狙えば、話を聞いてくれると確信して。

『旦那様、今よろしいでしょうか?』
『!?』

 なぜ夫人が外出中のところを狙ったのかは、理由がある。以前ジューンさんに言われていたように、なんだか俺がロックオンされている感じがするんだ。
 なぜか俺が転ぶ先に夫人が居て、いつも手を貸してれる。鈍臭いから転ぶのは仕方ないとして、なぜ毎回毎回マリーナさんとドイットさんも近くにいるんだ? それもよくわからんが、ここからが重要な話、

 彼女、俺を立たせるときに必ず尻を触ってくるんだ。「お尻打ってない?」と。前のめりになってもな。
 最初は心配されているんだなって思ったが、これはそうじゃないような気もするんだよ。警戒するに越したことはないだろう? だから、グロスター伯爵しか居ない時を狙ったというわけ。
 自意識過剰だと笑えば良い。でも、俺は真剣だ。

『な、なんだ。アレンか。仕事はどうだ?』
『はい! とてもやりがいがあります。執事学校を卒業してすぐ雇ってくださりありがとうございます』
『うんうん、良い返事だ。ところで、なんの用かな』

 グロスター伯爵に話しかけると、今まで吸っていたタバコをなぜかポケットに隠した。タバコじゃないな、あれは葉巻というやつだ。確か、以前王宮に行った時に、父様とお話ししていた人が持っていた気がする。
 でも、あの時はこんな匂いじゃなかったけど……。いろんな種類があるんだろうな。タバコを吸わない俺にはわからん。

 それよりも、要件を言わないと。

『はい、アリスお嬢様についてお願いがありまして』
『なっ……。ゴホン! なんだ、言ってみろ』

 アリスお嬢様の話を持ち出したが、ダメだったか? なぜか、伯爵はわざとらしい咳をしてこちらに身体を向けてきた。
 まあ、話を聞いてくれるらしいし細かいことは良いか。

 俺は、伯爵へ一歩だけ近づき口を開く。

『お嬢様の専属にさせていただければと思い、お願いにきた所存です。もちろん、お給金をあげていただかなくて結構です。今のままで、勉強のため彼女のお世話をしたく……』

 思った以上に緊張していたようで、震えた声が口から飛び出してきた。
 ちゃんと言葉になっていただろうか。もう一度、言って……。いや、なんだこの心臓のバクバクした音は。勉強のためだろ。

 それでも、伯爵には聞き取れたらしい。
 急ににっこりとした表情……と言うより、ホッとしたに近いか? そんな絶妙な顔つきで俺の方を見てくる。

『そうかそうか! アリスの専属をしてくれるんだな!? それは、嬉しいことだ』
『……へ?』
『シャロンが突然居なくなってな。こっちも困っていたところなんだ。君がやってくれるなら、安心だ。うん』
『シャロンさんが、以前の専属だったんですね』
『ああ。きっと、アリスのわがまま加減に嫌気がさしたのだろう。夜に逃げてしまって……ああ、いや。君なら、アリスの専属に相応しいよ!』
『……ぜひ、させていただければと』

 リンさんたちが言ってた人かな? シャロンって名前だったんだ。クリステル様じゃなかった。ってことは、彼女の傷はまた別についたものか。
 なんだ、疑って悪かったな。口に出さなくて良かった。

 にしても、なぜ伯爵はここまでウェルカムなんだ? 普通、もっと警戒しても良さそうなものだが……。

『今日はダメだ。明後日から、専属として働きなさい』
『……何か、準備があるのですか? 手伝いますよ』
『いや、……私がやらないといけないことなんだ。気にしなくて良い。それより、君はテレサの部屋に行ったかい?』
『いえ、お伺いしたことはありませんが……。何かお運びしますか?』

 それでも、認められたのは嬉しい。それに、前任がシャロンって人だったなら、ジューンさんは専属じゃなかったんだ。なのに、アリスお嬢様のお世話をしていた。優しいお方だったんだな。その意思を俺が継ごう。

 伯爵の質問に答えると、やはりホッとしたような表情になっている。……マジで、なんだ?
 まさか俺が夫人を誘惑したとか考えてるんじゃないだろうな。大丈夫です、俺は年上には興味ありませんから。
 それに、噂によれば奥様は男を取っ替え引っ替えしてるそうじゃないか。夫婦間の問題に、俺を巻き込まないで欲しい。俺は、あくまでも執事という立場だ。

『いや、良い。それよりも、明後日から頼むよ!』
『はい。……今日からお世話はしても良いですか?』
『それは良いよ。好きにしなさい。アリスがワガママ言ったら、叩いて良いからね』
『そんなことしません。俺は、執事ですから』
『さすが、首席卒業の執事だな! じゃあ、頼んだよ。報酬は上げないが、アリスなら好きに抱いて良いぞ!』
『なっ!? そ、そんなことしま、せ……』

 伯爵は、そのまま笑いながらバルコニーを後にした。俺の言葉を最後まで聞かずに。
 抱いて良いぞって、執事に普通言うか? 抱くって、文字通り抱きしめることじゃないだろ!? おかしいだろ……。そもそも、俺は彼女を抱きたくて専属を言い出したわけじゃない。
 先日、お茶を持っていったらまるで初対面のように扱われたんだ。きっと、あの時の記憶を無くしていたんだろう。それを見て、彼女に忘れられたくないと思ってしまったんだ。ただ、それだけなんだ。抱くだなんて……。

『いや、それより……』

 もっと考えないといけないことがある。

 なぜ、明後日からじゃないと専属になれないんだ? 今日からお世話して良いなら、今日からで良いじゃないか。
 明後日、何かあったかな。使用人たちが集まって城内の情報共有するのは明日だし、買い出しは今日だし……。伯爵が出かけるのだって、明日だ。

『……まあ、良いか』

 あまり詮索するのもよくない。
 俺は、不思議な匂いに包まれたバルコニーを出て、アリスお嬢様のところへと向かった。
 別に、抱かないぞ。そんな気持ちは、1ミリもない! 意識するな、意識するな……。


***

 
『……本当です』
『やっぱり! 嬉しいわ。アレンって、植物に詳しいんですもの!』

 顔が熱い。いや、全身が熱い。
 だって、伯爵が「抱いても良い」って……。そもそも、彼女の細さじゃ抱いたら壊れてしまうだろう。
 こんなガリガリで……いや、お嬢様が魅力的ではないと言っているわけじゃない。十分と言うか十二分に魅力的だよ。特に、その笑顔とか体温とか……って! 俺は、そんな目でお嬢様を見ないぞ! 見ない。見てない。はい、この話は終わり!

 と、こんな感じで専属になった俺は、アリスお嬢様と共に過ごす時間が増えていった。
 とにかく世話が焼けるが、嫌にはならない。むしろ、潜入捜査を忘れて執事を全うしている自分がいるくらい。

『ところで、お嬢様は私に何を伝えにこられたのでしょうか?』
『あっ! そうだ。あのね、シャロンと一緒に植えた……あ。シャロンって、私の前の専属メイドで』
『シャロンさんですね。旦那様から聞いています。どんな方だったのですか?』
『あのね、すっごくカッコ良いの。クールって感じで、テキパキお仕事をこなしてくれてね。私の専属にはもったいなかったわ』
『……茶髪の髪を1本に結んで、たまにメガネをつけていそうな女性ですね』

 歩きながら会話を続けていると、「シャロン」の話が出た。
 アリスお嬢様になら多少詮索しても怪しまれないと思ったから、そう聞いてみたんだ。

 そしたら、案の定だったよ。
 やっぱり、「シャロン」はクリステル様だ。

『なんでわかったの!? エスパー!?』
『はは。執事学校で、似たような人が居たので』
『じゃあ、茶髪を1つに縛ってメガネをたまにつけてる人は、みんなクールなのね!』
『そうですね』
『一つ賢くなったわ!』
『あ、えっと、そうじゃなくて……』

 見た目で人の良し悪しを決めてはいけません! と言おうとした。でも、その笑顔を見たら何も言えなくなってしまう。だって、もっと見ていたいだろう。俺も、甘いな。
 でも、彼女を甘やかす人間が1人いても良いと思う。実の父親に「叩いて良い」なんて言われる娘を、俺は知らない。

 そして、今気づいたんだが、なんで俺はお嬢様と手を繋いでるんだ? いつ繋いだ?

『……ジューン、帰ってこないの?』
『え?』
『ジューンも、私が嫌いになっちゃったのかな。シャロンも、いなくなる時何も言わなかったから』
『……それは』
『私、良い子にするから。何か嫌なことがあったら、言ってね。直す』
『お嬢様は、もっと食事をなさってください。細すぎます。それ以外は、嫌なところありませんから』
『……アレンは優しいね。でも、あなたまで居なくなったら嫌だな』

 急いでその手を外そうとしたが、そんな悲しそうな顔されたらできないじゃないか……。

 結局、手を繋いだまま、俺らはお部屋まで行ってしまった。
 幸い誰ともすれ違わなかったから、変な噂にはならないだろう。それより……。

 それより、「シャロン」についてはクリステル様ご本人に糾弾したほうが良さそうだ。
 やっぱり、近々休暇を1日いただこう。疑問を解消させて、アリスお嬢様のお側に居たほうが良い気がする。


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