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四.宮内さん再び
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翌日はいつもどおり役場で驚異の新人っぷりを発揮し、昼休みに町長が目を細めてプリンを食らい、久慈さんが顎をさすり、南部さんが指二本でキーボードを叩きつづけた。まったくもって日常であった。
裸ジロウ放流のあと、私と宮内さんは急斜面を登りきった。宮内さんは機嫌が直ったようで、感嘆の声をくりかえしながら巴石や祠を細かく調べた。鳥居のような巴石を宮内さんがくぐっても山の神のお怒りなどなかった。まったく人騒がせな河童だ。祠に山の神など居るはずがないのだから、そんな心配は無用のことだったのだ。
仕事を終えた帰り道で、夕食のおかずをシミュレーションしながら自転車を漕ぐ。メインは蒸し塩豚にしよう。昨夜から豚バラのブロック肉に塩を擦りこんで冷蔵庫に寝かせてある。あとは生姜や青葱を添えて蒸すだけという手がかからないメニューだが、プルプルした食感がなんとも楽しい。これに柚子胡椒を添えて、まず一品。あとはなにを……味噌汁はどうしよう……などとひととおりメニューの算段がついたところで家に着いた。
「ただいま」
玄関を開けると、居間から「お帰り」という声が重なり、私を出迎えた。
聞き慣れた声が三重のハーモニーを成し、私を安心させる。って、待てよ。いま声が三つなかったか? 急いで居間の障子を開けた。
「さあさあ、もう一本ビールをお持ちしましょうか」
「あ、すんませんねえ。遠慮のう、いただきます」
「ねえねえ、この長文の意味教えて」
「ええよ、若葉ちゃん。みせてみ……ああ、これはやねぇ」
いそいそとビールを用意する母と、学校の宿題を教えてもらっている妹と、コップでビールをグビグビやりながら英語の参考書に目を通す宮内さんがいた。
「ちょ、ちょっと、なにをやってるんですか」
「え? 晩酌やけど。みたらわかるやん」
宮内さんはクイッとグラスを干して、アタリメを咥える。ジャージを履き、薄手のパーカーを被って袖まくり、といういで立ち。しかもなぜか関西弁! 私が知る眼鏡天使と目の前にいる豪快磊落な女性はほんとうに同一人物だろうか。もう一度よくみる――やや角ばったいつもの眼鏡とは違い、レンズが小さめの丸眼鏡だ。だが、眼鏡や服装以外はまちがいなく宮内さんだ。残念ながら宮内さんだ。
ビールグラスを離さぬ宮内さんを無理やり居間から引きずりだした。
「いやん、うら若き乙女に力ずくでなにするつもりなん?」
「なんで家にいるんですか? ってか、なぜ関西弁なんですか」
「なんでって、この町が気に入ったから、ちょっとの間泊まりこみでフィールドワークしよう思ってな。でも、多雨野にはビジネスホテルや旅館ないやんか。そんで葦原家を訪ねてお母さんに、『先日から瑞海さんにはお世話になってるんですぅ』言うたら、『まあまあそれはそれは』言わはってん。ほんでウチが『泊まるとこのうて、探してるんですぅ』言うたら、『まあまあそれはそれは』ってことで泊めてもらうことになってん。あ、もちろん宿泊代はきっちり払うよ、大丈夫」
「どうやってここにきたんですか」
「歩いて」
「ひとりで? 迷ったりしなかったんですか?」
「ぜんぜん迷わへんよ。あとな、高校まで関西におったからこれが素やねん。おとなしい雰囲気振りまいたほうがよさそうなら標準語使うけど、葦原家とは長い付き合いになりそうやから隠さんといくわ」
キャラ変わりすぎだろう。もはや別次元の別人だ。だいたい関西弁は押しが強く無遠慮な感じがして好きではない。しかめ面で首を振ると、宮内さんは縋るような目で私をみあげた。
「なあ、お願いやから泊めてえな。いけずせんといて」
うむ、「せんといて」という懇願のフレーズが私の耳で転がり甘ったるく響く。
「それに瑞海くんがいると、安心でけるんやわぁ……」
うむ。
まあ、あれだ。
その、まあ、なんと言うか。
関西弁もいいね!
「わかりました」
「やった」
パンと手を叩くと、宮内さんがずいと笑顔を近づけてきた。アルコールの匂いが過ぎり、やや遅れて花のような香りが広がった。
「しかし、いろいろと変わった人やね、あんたも」
「なにを言うのです。私ほどのアベレージガイいませんよ。どこにでもいる平凡な男です。ただちょっとだけ頭脳明晰で容姿端麗、質実豪華、家内安全、因果応報――」
「めっちゃ変わってるやん。唐変木もええとこやで」
すげえ。人生初である。唐変木と呼ばれたことも、唐変木という言葉を口にする人を目にするのも。小さい頃からの夢がひとつ叶った。あとできれば「ぎゃふん」と言う人間に遭ってみたい。
「そうそう、あんたの裸のお友達な――」
宮内さんの唇が私の耳に近づく。かすかな息遣いが耳たぶをくすぐり、私は思わず唾を飲んだ。
「あれ、河童やろ」至極当たり前のように囁く。
「ばかな。このご時世に河童など。ひ、非常識です」
「隠さんでもええやん、バレてるんやから。河童の友達がおるだけでじゅうぶん変わってるで、あんたは」
居間から「宮内さーん、ビールをご用意しましたよ」と母の声がする。
「あんたんとこのお母さんとも若葉ちゃんとも、すっかり仲良しになったんやで」
「宮内さーん、はやく」と妹の声もする。
「はいはーい。すぐ行くわ、若葉ちゃーん」
たった数時間で我が家は篭絡されたようだ。恐るべき手練、秀吉ばりの人誑し。おまけに美人で、眼鏡で、関西弁だ。なんだ、最強じゃあないか。
「大丈夫やて、誰にも言わへんから」最強さんが笑って手を振った。
裸ジロウ放流のあと、私と宮内さんは急斜面を登りきった。宮内さんは機嫌が直ったようで、感嘆の声をくりかえしながら巴石や祠を細かく調べた。鳥居のような巴石を宮内さんがくぐっても山の神のお怒りなどなかった。まったく人騒がせな河童だ。祠に山の神など居るはずがないのだから、そんな心配は無用のことだったのだ。
仕事を終えた帰り道で、夕食のおかずをシミュレーションしながら自転車を漕ぐ。メインは蒸し塩豚にしよう。昨夜から豚バラのブロック肉に塩を擦りこんで冷蔵庫に寝かせてある。あとは生姜や青葱を添えて蒸すだけという手がかからないメニューだが、プルプルした食感がなんとも楽しい。これに柚子胡椒を添えて、まず一品。あとはなにを……味噌汁はどうしよう……などとひととおりメニューの算段がついたところで家に着いた。
「ただいま」
玄関を開けると、居間から「お帰り」という声が重なり、私を出迎えた。
聞き慣れた声が三重のハーモニーを成し、私を安心させる。って、待てよ。いま声が三つなかったか? 急いで居間の障子を開けた。
「さあさあ、もう一本ビールをお持ちしましょうか」
「あ、すんませんねえ。遠慮のう、いただきます」
「ねえねえ、この長文の意味教えて」
「ええよ、若葉ちゃん。みせてみ……ああ、これはやねぇ」
いそいそとビールを用意する母と、学校の宿題を教えてもらっている妹と、コップでビールをグビグビやりながら英語の参考書に目を通す宮内さんがいた。
「ちょ、ちょっと、なにをやってるんですか」
「え? 晩酌やけど。みたらわかるやん」
宮内さんはクイッとグラスを干して、アタリメを咥える。ジャージを履き、薄手のパーカーを被って袖まくり、といういで立ち。しかもなぜか関西弁! 私が知る眼鏡天使と目の前にいる豪快磊落な女性はほんとうに同一人物だろうか。もう一度よくみる――やや角ばったいつもの眼鏡とは違い、レンズが小さめの丸眼鏡だ。だが、眼鏡や服装以外はまちがいなく宮内さんだ。残念ながら宮内さんだ。
ビールグラスを離さぬ宮内さんを無理やり居間から引きずりだした。
「いやん、うら若き乙女に力ずくでなにするつもりなん?」
「なんで家にいるんですか? ってか、なぜ関西弁なんですか」
「なんでって、この町が気に入ったから、ちょっとの間泊まりこみでフィールドワークしよう思ってな。でも、多雨野にはビジネスホテルや旅館ないやんか。そんで葦原家を訪ねてお母さんに、『先日から瑞海さんにはお世話になってるんですぅ』言うたら、『まあまあそれはそれは』言わはってん。ほんでウチが『泊まるとこのうて、探してるんですぅ』言うたら、『まあまあそれはそれは』ってことで泊めてもらうことになってん。あ、もちろん宿泊代はきっちり払うよ、大丈夫」
「どうやってここにきたんですか」
「歩いて」
「ひとりで? 迷ったりしなかったんですか?」
「ぜんぜん迷わへんよ。あとな、高校まで関西におったからこれが素やねん。おとなしい雰囲気振りまいたほうがよさそうなら標準語使うけど、葦原家とは長い付き合いになりそうやから隠さんといくわ」
キャラ変わりすぎだろう。もはや別次元の別人だ。だいたい関西弁は押しが強く無遠慮な感じがして好きではない。しかめ面で首を振ると、宮内さんは縋るような目で私をみあげた。
「なあ、お願いやから泊めてえな。いけずせんといて」
うむ、「せんといて」という懇願のフレーズが私の耳で転がり甘ったるく響く。
「それに瑞海くんがいると、安心でけるんやわぁ……」
うむ。
まあ、あれだ。
その、まあ、なんと言うか。
関西弁もいいね!
「わかりました」
「やった」
パンと手を叩くと、宮内さんがずいと笑顔を近づけてきた。アルコールの匂いが過ぎり、やや遅れて花のような香りが広がった。
「しかし、いろいろと変わった人やね、あんたも」
「なにを言うのです。私ほどのアベレージガイいませんよ。どこにでもいる平凡な男です。ただちょっとだけ頭脳明晰で容姿端麗、質実豪華、家内安全、因果応報――」
「めっちゃ変わってるやん。唐変木もええとこやで」
すげえ。人生初である。唐変木と呼ばれたことも、唐変木という言葉を口にする人を目にするのも。小さい頃からの夢がひとつ叶った。あとできれば「ぎゃふん」と言う人間に遭ってみたい。
「そうそう、あんたの裸のお友達な――」
宮内さんの唇が私の耳に近づく。かすかな息遣いが耳たぶをくすぐり、私は思わず唾を飲んだ。
「あれ、河童やろ」至極当たり前のように囁く。
「ばかな。このご時世に河童など。ひ、非常識です」
「隠さんでもええやん、バレてるんやから。河童の友達がおるだけでじゅうぶん変わってるで、あんたは」
居間から「宮内さーん、ビールをご用意しましたよ」と母の声がする。
「あんたんとこのお母さんとも若葉ちゃんとも、すっかり仲良しになったんやで」
「宮内さーん、はやく」と妹の声もする。
「はいはーい。すぐ行くわ、若葉ちゃーん」
たった数時間で我が家は篭絡されたようだ。恐るべき手練、秀吉ばりの人誑し。おまけに美人で、眼鏡で、関西弁だ。なんだ、最強じゃあないか。
「大丈夫やて、誰にも言わへんから」最強さんが笑って手を振った。
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