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五. 多雨野界隈徘徊記
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宮内さんが居候するようになって一週間が経った。
母は夕食を済ませるや書斎に籠ってしまった。久しぶりに雑誌に載せる短編の締め切りが迫っているそうだ。宮内さんは二階でフィールドワークの結果をレポートにまとめている。
小腹がすいた私は、蒸した鶏胸と野菜をごま油で和えたナムルなど何品かを小鉢に盛り、ビールとともに居間へ運んだ。
二階の宮内さんに声をかけ、一足先に喉を潤す。居間で宿題をしていた若葉は「ふう、終わったあ」とノートを閉じると、スケッチブックを取りだして趣味のイラスト描きをはじめた。
「若葉も食べな」
「うん、ありがと」
妹の手元にあるイラストを一瞥し、驚愕する。
そわそわしながらしばらく我慢したが、どうしても堪えきれずに「これはなんの絵だろうか」と尋ねた。すると若葉は鶏肉を頬張りながら「座敷わらしに決まってるじゃない。変なの」と肩を竦めた。やれやれ、って感じで。
決まっているのか? 私が変なのか? いや、これは難易度高くないか?
たしかに髪は散切り頭っぽいし、袖や裾が短い和服を着ているような雰囲気がある――かもしれない。あくまで『っぽい』だし、『雰囲気』だ。座敷わらしの目付きにしてはえぐいほど鋭くないか? 鋭角な両目が顔面から大きくはみだしているではないか。手にもっている包丁のようなものに至ってはどう解釈したらよいのか途方に暮れる。
「手に持っているのは?」
「包丁」
まさかの、そのまんまだった。
「お料理が好きなの、この子は。得意なのは天ぷらかな」
よくわからんが若葉なりの細かい設定もあるようだ。
座敷わらしはやはり遠野物語が有名だが、各地にさまざまな伝承があり、座敷わらしが棲む家は栄えることもよく知られている。だが、包丁を持ったうえに目付きも悪いこのイラストは、座敷わらしと言うよりデフォルメの効いたナマハゲであり、栄える感じは微塵も伝わってこない。「泣く子はいねが」と喚き、泣く子がいなくとも、泣かせてしまう凄みが漂う。
「なあ、目付きをもう少し柔らかめにしてやるとかわいくなるんじゃないかな」
「え? いまはかわいくないってこと?」
あ、かわいい認定なのか、これは。
「いやあ、そうじゃないけど、あれだよ、一段とかわいくなるから、きっと。手に持たせるのも包丁なんて危険なものではなく、もっと安全なものがいいんじゃないか」
などと促すと、うーんと唸りながら描き直した。
しばらく待つ。
うむ。
あまり代り映えがしない。それに、包丁の代わりに手にしたオレンジ色の丸い物体が謎をいっそう深めた。
「この、手にもっているオレンジ色の丸いヤツはなにかな」
「ホヤ」
「……あの、海の、ホヤ?」
「うん、海の。これから天ぷらにするんじゃないかな?」
気を練って球状のエネルギー体に換え、そのまま敵に投げつけて気功弾的な技名を叫ぶ類のものかと思ったが違うらしい。ホヤって酒飲みのおじさんが、しかもそのごく一部だけが好む超マニアックな海洋生物ではないか。クセのある珍味中の珍味を手に持つ座敷わらし――私などでは思いつかない組み合わせだ。そもそも「天ぷらにするんじゃないかな?」というのは誰に対する疑問文なのだ。数多ある食材の中からなぜホヤを? とにもかくにもさすが前衛的でアバンギャルドな画才を持つ我が妹だ。
「どう?」
どこかすがるような上目使いを目にし、言葉に詰まった。
「かわいくないかな、この子って。お兄ちゃんはかわいくないって思ってるよね、ね?」見あげる目がなんだか潤んでいる。
「いや、そうじゃなくて、えっと」
「ふたりとも、なにしてんのー」
宮内さんが後ろから首を伸ばして割り込んだ。
「聞いてよ、宮内さん。お兄ちゃんがひどいの」
「おお、よしよし」
大げさな身振りで若葉の肩をかき抱き、「わかってるで。若葉ちゃんは悪うない。悪いのんはお兄ちゃんや」と面白半分で私を睨む。
「こういうのをな、関西では『いけず』って言うねんで。若葉ちゃん、いっぺん言うたってみい」
「お兄ちゃんのいけず」
「そうや、お兄ちゃんはいけずや」
二人の部屋が隣り合っていることもあって、若葉はすっかり宮内さんに懐いていた。毎日勉強を教わったり、ガールズトークに花を咲かせている。いまでは姉妹かと思うほどだ。
「で、なに描いてんの」
私がこれまでのやり取りを説明する間に、宮内さんはビールグラスを二度干した。
「なるほどなぁ。たしかにもうちょいと弄れば、超カワエエ感じになるかも」と空いたノートに色鉛筆を走らせはじめた。
これが驚くほどに上手い。原型である若葉のデザインを活かしながらも全身の輪郭に丸みを持たせ、眼などの要所要所をデフォルメしていく。続けて二枚、三枚と描くにつれてみるみる完成度があがり、かわいらしくなった。ただし、ホヤボールは残ったままだ。
「宮内さん、上手ぅ」
「せやろ。でもこういうのは最初に閃くかどうかやねん。若葉ちゃんのアイデアが良かったんよ、ウチはそれを整えただけ」
「えへへっ。そうかな」
アイデアか。素晴らしきアイデアならば、たったいま私のなかでも生まれたぞ。
「若葉、こいつに名前はあるのか」
「うん。ザッシーキ」
座敷わらしでザッシーキか、語呂もいまいちだし、どこか脱力感を誘う名だ。
いいね!
採用!
我ながら高揚しているのがわかる。さっそくスマホの画面をタッチした。
母は夕食を済ませるや書斎に籠ってしまった。久しぶりに雑誌に載せる短編の締め切りが迫っているそうだ。宮内さんは二階でフィールドワークの結果をレポートにまとめている。
小腹がすいた私は、蒸した鶏胸と野菜をごま油で和えたナムルなど何品かを小鉢に盛り、ビールとともに居間へ運んだ。
二階の宮内さんに声をかけ、一足先に喉を潤す。居間で宿題をしていた若葉は「ふう、終わったあ」とノートを閉じると、スケッチブックを取りだして趣味のイラスト描きをはじめた。
「若葉も食べな」
「うん、ありがと」
妹の手元にあるイラストを一瞥し、驚愕する。
そわそわしながらしばらく我慢したが、どうしても堪えきれずに「これはなんの絵だろうか」と尋ねた。すると若葉は鶏肉を頬張りながら「座敷わらしに決まってるじゃない。変なの」と肩を竦めた。やれやれ、って感じで。
決まっているのか? 私が変なのか? いや、これは難易度高くないか?
たしかに髪は散切り頭っぽいし、袖や裾が短い和服を着ているような雰囲気がある――かもしれない。あくまで『っぽい』だし、『雰囲気』だ。座敷わらしの目付きにしてはえぐいほど鋭くないか? 鋭角な両目が顔面から大きくはみだしているではないか。手にもっている包丁のようなものに至ってはどう解釈したらよいのか途方に暮れる。
「手に持っているのは?」
「包丁」
まさかの、そのまんまだった。
「お料理が好きなの、この子は。得意なのは天ぷらかな」
よくわからんが若葉なりの細かい設定もあるようだ。
座敷わらしはやはり遠野物語が有名だが、各地にさまざまな伝承があり、座敷わらしが棲む家は栄えることもよく知られている。だが、包丁を持ったうえに目付きも悪いこのイラストは、座敷わらしと言うよりデフォルメの効いたナマハゲであり、栄える感じは微塵も伝わってこない。「泣く子はいねが」と喚き、泣く子がいなくとも、泣かせてしまう凄みが漂う。
「なあ、目付きをもう少し柔らかめにしてやるとかわいくなるんじゃないかな」
「え? いまはかわいくないってこと?」
あ、かわいい認定なのか、これは。
「いやあ、そうじゃないけど、あれだよ、一段とかわいくなるから、きっと。手に持たせるのも包丁なんて危険なものではなく、もっと安全なものがいいんじゃないか」
などと促すと、うーんと唸りながら描き直した。
しばらく待つ。
うむ。
あまり代り映えがしない。それに、包丁の代わりに手にしたオレンジ色の丸い物体が謎をいっそう深めた。
「この、手にもっているオレンジ色の丸いヤツはなにかな」
「ホヤ」
「……あの、海の、ホヤ?」
「うん、海の。これから天ぷらにするんじゃないかな?」
気を練って球状のエネルギー体に換え、そのまま敵に投げつけて気功弾的な技名を叫ぶ類のものかと思ったが違うらしい。ホヤって酒飲みのおじさんが、しかもそのごく一部だけが好む超マニアックな海洋生物ではないか。クセのある珍味中の珍味を手に持つ座敷わらし――私などでは思いつかない組み合わせだ。そもそも「天ぷらにするんじゃないかな?」というのは誰に対する疑問文なのだ。数多ある食材の中からなぜホヤを? とにもかくにもさすが前衛的でアバンギャルドな画才を持つ我が妹だ。
「どう?」
どこかすがるような上目使いを目にし、言葉に詰まった。
「かわいくないかな、この子って。お兄ちゃんはかわいくないって思ってるよね、ね?」見あげる目がなんだか潤んでいる。
「いや、そうじゃなくて、えっと」
「ふたりとも、なにしてんのー」
宮内さんが後ろから首を伸ばして割り込んだ。
「聞いてよ、宮内さん。お兄ちゃんがひどいの」
「おお、よしよし」
大げさな身振りで若葉の肩をかき抱き、「わかってるで。若葉ちゃんは悪うない。悪いのんはお兄ちゃんや」と面白半分で私を睨む。
「こういうのをな、関西では『いけず』って言うねんで。若葉ちゃん、いっぺん言うたってみい」
「お兄ちゃんのいけず」
「そうや、お兄ちゃんはいけずや」
二人の部屋が隣り合っていることもあって、若葉はすっかり宮内さんに懐いていた。毎日勉強を教わったり、ガールズトークに花を咲かせている。いまでは姉妹かと思うほどだ。
「で、なに描いてんの」
私がこれまでのやり取りを説明する間に、宮内さんはビールグラスを二度干した。
「なるほどなぁ。たしかにもうちょいと弄れば、超カワエエ感じになるかも」と空いたノートに色鉛筆を走らせはじめた。
これが驚くほどに上手い。原型である若葉のデザインを活かしながらも全身の輪郭に丸みを持たせ、眼などの要所要所をデフォルメしていく。続けて二枚、三枚と描くにつれてみるみる完成度があがり、かわいらしくなった。ただし、ホヤボールは残ったままだ。
「宮内さん、上手ぅ」
「せやろ。でもこういうのは最初に閃くかどうかやねん。若葉ちゃんのアイデアが良かったんよ、ウチはそれを整えただけ」
「えへへっ。そうかな」
アイデアか。素晴らしきアイデアならば、たったいま私のなかでも生まれたぞ。
「若葉、こいつに名前はあるのか」
「うん。ザッシーキ」
座敷わらしでザッシーキか、語呂もいまいちだし、どこか脱力感を誘う名だ。
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