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五. 多雨野界隈徘徊記
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やがて多雨野に梅雨が訪れ、ずいぶん居座り、そして去った。
いよいよバスケット地区予選の日がやってきた。
とうぜん町からは応援バスを繰りだした。身内の応援をする者もいれば、案の定だがぜんぜん関係ないヤツらも乗っている。バスが走りだすと空になった一升瓶が床を転がりはじめ、やがて酔っ払い自身も床を転がりはじめ、ついには始末におえなくなった。久慈さんも「千秋、大丈夫かな……千秋、大丈夫かな」と、言葉ひとつしか憶えていないオウムのようである。いまから額に『肉』って書いておこうかと思った。
残念ながら母と宮内さんはどうしても都合が合わなかった。ふたりとも後日行われる県大会には参加できるのだ、今日だけは私がふたりの分まで応援するほかない。
地区大会は皆本高と安部校が第一、第二シードだ。順当なら両校ともにベスト4まで勝ちあがり、県大会出場の権利を得るだろう。だが、底で終わってほしくない。皆本高に勝てないというジンクスを打ち破るのだ。合宿では久しぶりの引き分けに沸き、敗れつづけた十二年の歴史は終わった。今日ここから、安倍高勝利の歴史をはじめようではないか。
会場につくと、相変わらずの酔っ払いどもを引きつれ応援席に向かった。保育園の先生にでもなった気分だが、それは保育園児に失礼な気がする。園児はこのおっさんたちほど性質が悪くなかろう。
「瑞海」と馴れ馴れしく人の名を呼ぶ青ジャージ男がいた。
「……どなた?」
「ぜったいわかって言ってるだろ、おめぇは」
「私の脳細胞には、負け犬の名を残しておくほど余分なメモリがない」
「ほんっとに腹が立つ」
リアルで地団駄を踏む人間をはじめてみた。あとはリアルで「ぎゃふん」と言う人間をみることができれば、子どもの頃からの夢が叶うことになる。「ぎゃふん」って言わないかな、コータロー。
青いジャージの人は、「今日は絶対に勝つ」と一声吠えて去っていった。典型的なやられキャラ、あるいは咬ませ犬そのものである。
試合がはじまると、体育館は熱気に包まれ、歓声が飛び交った。ドリブルの音、選手がターンするときのキュッというシューズの音。すべてが観る者の興奮をあおる。
試合は順調に進み、両校は県大会への出場権を獲得した。そして互いに危なげなく決勝まで勝ち残った。
皆本高対安倍高。誰もが予想し、楽しみにしていた組み合わせである。
試合開始直前の張りつめた空気に、さすがの私もごくりと唾を飲んだ。知らぬ間に手のひらが汗ばんでいた。
ホイッスルが鳴り、ジャンプボールから試合がはじまる。安倍高のジャンパーは若葉だ。翼があるかのように軽やかに高く飛び、スナップを利かせてボールを叩くと、待ちうけていた味方選手ががっちりキープ。まずは安倍高の攻撃だ。
「ナイスだ、若葉」
喉が裂けてもよいと、大声で叫んだ――。
ここまでだ。
なにがここまでかと言うと、私が説明できるのがここまでなのだ。
前回は久慈さんも酒を飲まず、バスケットに詳しくない私に解説してくれた。しかし今回の久慈さんは千秋ちゃんを心配するあまり、いつの間にか酒の力を借りていた。
「千秋ぃ」とときおり叫んでは応援席で転がりまくり、他の酔っ払い軍団と肩を組んで『荒城の月』を歌ったりといよいよ始末におえない。
私はルールすらよくわからぬまま試合を眺め、しらふのご父兄のリアクションを横目で窺い、ご父兄がため息をつけばわからぬなりに私もそうし、歓声をあげればともに吠えた。そうして時をやり過ごし、最終的に安倍高が勝利したことをたしかめると、腰が砕けたようにその場に座りこんだ。
やった、勝った。新たな歴史がここからはじまるのだ。
敗れた皆本高をみれば、監督のコータローが泣きじゃくる選手たちの肩を叩き、胸を張れと身振り手振りで叱咤している。
そうだ、恥じることはない。両校とも、ナイスファイトであった。
後日行われた県大会においても安倍高は快進撃を続け、決勝戦まで駒を進めた。
決勝の相手は県下一の強豪で、安倍高は健闘したものの僅差で敗れた。しかし準優勝というすばらしい結果だ。女子バスケット部はじまって以来最高の成績だそうだ。
若葉は大会の得点王になったそうだ。コータロー率いる皆本高はトーナメントの反対側の山を勝ちあがったものの準決勝で涙を飲んだらしい。
なぜ、『そうだ』とか『らしい』などと人伝に聞いたような物言いかというと、人伝に聞いたからだ。
地区予選の応援にいった者たちは私を含めて県大会出入り禁止となっていた。理由はあまりにひどい酔っ払い集団だったから。私は一滴も飲んでいないのに、監督不行き届きという理由で巻き添えを食らった。獣相手に監督もへったくれもあるものか。私は猛獣使いではない、ただの公務員見習いのアルバイトだ。
母と宮内さんは県大会に赴き、全力で応援したそうだ。試合が終わった翌日も、我が家では、
「いやあ、決勝で決めた若葉ちゃんのスリーポイントシュート、凄かったなあ」
「ええ、ええ。凄かったですねえ。若葉は」
「えへへ、おおきに」
「おっ、関西弁上手になったやん」
「ええ、ええ。ほんとうに上手になって」
「そう? ちょっと嬉しいな」
「あのスリーポイントは実際に自分の目でみんといかんわぁ。自分の目で」
という感じの会話がくりかえされ、居間に四人揃っているにも関わらず、私は凄まじいアウェイ感覚を味わった。孤独だ。まるで陸の孤島だ。
「そうだ、宮内さん。数学の三角関数なんだけど、ちょっと躓いちゃって」
「ん、あとでみたげるわ。英語はどない? 時制とか理解できた?」
「うん、バッチリ。英語はちょっと楽しくなってきたよ」
「イェーイ」
ここでふたりはハイタッチ。なぜか母も手をあげ三人でまたハイタッチ。
「で、話もどるけど、準決勝もすごい試合やったね。もう、ウチもお母はんも瞬きするん忘れて観てたわ」
「うん、あの試合はきつくて、ちょっと足にきちゃった」
「ええ、ええ。あの試合はねえ――」
孤独だ――なにからなにまであの酔っ払いどものせいである。
その翌朝、久慈家をはじめ地区大会の応援にいった酔っ払いどもの家の表札すべてに、油性マジックで『チョンマゲ』という落書きがなされていた――という些細な事件があった。
いよいよバスケット地区予選の日がやってきた。
とうぜん町からは応援バスを繰りだした。身内の応援をする者もいれば、案の定だがぜんぜん関係ないヤツらも乗っている。バスが走りだすと空になった一升瓶が床を転がりはじめ、やがて酔っ払い自身も床を転がりはじめ、ついには始末におえなくなった。久慈さんも「千秋、大丈夫かな……千秋、大丈夫かな」と、言葉ひとつしか憶えていないオウムのようである。いまから額に『肉』って書いておこうかと思った。
残念ながら母と宮内さんはどうしても都合が合わなかった。ふたりとも後日行われる県大会には参加できるのだ、今日だけは私がふたりの分まで応援するほかない。
地区大会は皆本高と安部校が第一、第二シードだ。順当なら両校ともにベスト4まで勝ちあがり、県大会出場の権利を得るだろう。だが、底で終わってほしくない。皆本高に勝てないというジンクスを打ち破るのだ。合宿では久しぶりの引き分けに沸き、敗れつづけた十二年の歴史は終わった。今日ここから、安倍高勝利の歴史をはじめようではないか。
会場につくと、相変わらずの酔っ払いどもを引きつれ応援席に向かった。保育園の先生にでもなった気分だが、それは保育園児に失礼な気がする。園児はこのおっさんたちほど性質が悪くなかろう。
「瑞海」と馴れ馴れしく人の名を呼ぶ青ジャージ男がいた。
「……どなた?」
「ぜったいわかって言ってるだろ、おめぇは」
「私の脳細胞には、負け犬の名を残しておくほど余分なメモリがない」
「ほんっとに腹が立つ」
リアルで地団駄を踏む人間をはじめてみた。あとはリアルで「ぎゃふん」と言う人間をみることができれば、子どもの頃からの夢が叶うことになる。「ぎゃふん」って言わないかな、コータロー。
青いジャージの人は、「今日は絶対に勝つ」と一声吠えて去っていった。典型的なやられキャラ、あるいは咬ませ犬そのものである。
試合がはじまると、体育館は熱気に包まれ、歓声が飛び交った。ドリブルの音、選手がターンするときのキュッというシューズの音。すべてが観る者の興奮をあおる。
試合は順調に進み、両校は県大会への出場権を獲得した。そして互いに危なげなく決勝まで勝ち残った。
皆本高対安倍高。誰もが予想し、楽しみにしていた組み合わせである。
試合開始直前の張りつめた空気に、さすがの私もごくりと唾を飲んだ。知らぬ間に手のひらが汗ばんでいた。
ホイッスルが鳴り、ジャンプボールから試合がはじまる。安倍高のジャンパーは若葉だ。翼があるかのように軽やかに高く飛び、スナップを利かせてボールを叩くと、待ちうけていた味方選手ががっちりキープ。まずは安倍高の攻撃だ。
「ナイスだ、若葉」
喉が裂けてもよいと、大声で叫んだ――。
ここまでだ。
なにがここまでかと言うと、私が説明できるのがここまでなのだ。
前回は久慈さんも酒を飲まず、バスケットに詳しくない私に解説してくれた。しかし今回の久慈さんは千秋ちゃんを心配するあまり、いつの間にか酒の力を借りていた。
「千秋ぃ」とときおり叫んでは応援席で転がりまくり、他の酔っ払い軍団と肩を組んで『荒城の月』を歌ったりといよいよ始末におえない。
私はルールすらよくわからぬまま試合を眺め、しらふのご父兄のリアクションを横目で窺い、ご父兄がため息をつけばわからぬなりに私もそうし、歓声をあげればともに吠えた。そうして時をやり過ごし、最終的に安倍高が勝利したことをたしかめると、腰が砕けたようにその場に座りこんだ。
やった、勝った。新たな歴史がここからはじまるのだ。
敗れた皆本高をみれば、監督のコータローが泣きじゃくる選手たちの肩を叩き、胸を張れと身振り手振りで叱咤している。
そうだ、恥じることはない。両校とも、ナイスファイトであった。
後日行われた県大会においても安倍高は快進撃を続け、決勝戦まで駒を進めた。
決勝の相手は県下一の強豪で、安倍高は健闘したものの僅差で敗れた。しかし準優勝というすばらしい結果だ。女子バスケット部はじまって以来最高の成績だそうだ。
若葉は大会の得点王になったそうだ。コータロー率いる皆本高はトーナメントの反対側の山を勝ちあがったものの準決勝で涙を飲んだらしい。
なぜ、『そうだ』とか『らしい』などと人伝に聞いたような物言いかというと、人伝に聞いたからだ。
地区予選の応援にいった者たちは私を含めて県大会出入り禁止となっていた。理由はあまりにひどい酔っ払い集団だったから。私は一滴も飲んでいないのに、監督不行き届きという理由で巻き添えを食らった。獣相手に監督もへったくれもあるものか。私は猛獣使いではない、ただの公務員見習いのアルバイトだ。
母と宮内さんは県大会に赴き、全力で応援したそうだ。試合が終わった翌日も、我が家では、
「いやあ、決勝で決めた若葉ちゃんのスリーポイントシュート、凄かったなあ」
「ええ、ええ。凄かったですねえ。若葉は」
「えへへ、おおきに」
「おっ、関西弁上手になったやん」
「ええ、ええ。ほんとうに上手になって」
「そう? ちょっと嬉しいな」
「あのスリーポイントは実際に自分の目でみんといかんわぁ。自分の目で」
という感じの会話がくりかえされ、居間に四人揃っているにも関わらず、私は凄まじいアウェイ感覚を味わった。孤独だ。まるで陸の孤島だ。
「そうだ、宮内さん。数学の三角関数なんだけど、ちょっと躓いちゃって」
「ん、あとでみたげるわ。英語はどない? 時制とか理解できた?」
「うん、バッチリ。英語はちょっと楽しくなってきたよ」
「イェーイ」
ここでふたりはハイタッチ。なぜか母も手をあげ三人でまたハイタッチ。
「で、話もどるけど、準決勝もすごい試合やったね。もう、ウチもお母はんも瞬きするん忘れて観てたわ」
「うん、あの試合はきつくて、ちょっと足にきちゃった」
「ええ、ええ。あの試合はねえ――」
孤独だ――なにからなにまであの酔っ払いどものせいである。
その翌朝、久慈家をはじめ地区大会の応援にいった酔っ払いどもの家の表札すべてに、油性マジックで『チョンマゲ』という落書きがなされていた――という些細な事件があった。
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