異形の郷に降る雨は

雨尾志嵐

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五. 多雨野界隈徘徊記

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 七月最後の休日に、私とバカヤスはQ市へやってきた。コータローと旧交をあたためるためだ。
 焼き鳥屋でハツやズリなど喰らい、ビールや焼酎で喉を潤す。三人ともいい感じで酔いが回っていた。
「おまえは成人式んときも帰ってこんかったもんな」
 バカヤスが唇を尖らせると、コータローが「そうだそうだ」と激しく頷く。
「バイトが忙しかったのでな」
「バイトぐらいなんとかなるだろう。もう瑞海はこっちに帰ってこないつもりじゃないかって、みんなで言ってたんだ」
「誓ったのだ。半端な状態では帰らぬと。郷里に多大な貢献ができる男になってから胸を張って帰ろうとな。多雨野の繁栄はいまや私の双肩にかかっているといっても過言ではあるまい」
「あいかわらずの大口だな」旧友たちがむかしのようにカラカラ笑う。
 郷里を離れて自己鍛錬に邁進するためには揺るがぬ覚悟が必要だった。帰省しなかった理由のひとつは、里心がつくのが怖かったからだ。一度帰ればもう離れたくなくなる。それほどまでに多雨野は愛おしい。
 だが、同級生のほとんどは故郷を離れてしまい、いまも帰ってこないという。Q市にいるコータローはまだ近くにいる方らしい。
「まあ、多雨野がもっと栄えてくれればいい、とは思うよ。学校さえあれば俺だってそっちに帰って働けるのにな」
「働く場所なあ。うちも酒屋のままだったら潰れていただろうな。考えると怖くなるわ」
 バカヤスが鳥皮を頬張りながら、大げさに身震いしてみせる。だが、言っていることは大げさでもない。かつての面影を残したままの本屋やおもちゃ屋を目にするたび、胸が締めつけられる。子どもの頃は小遣いも少なくて、めったに買い物できないくせに、暇さえあれば顔をだしたものだ。多雨野の子どもにとって憧れの場所であり、最大の娯楽だったのかもしれない。店のおじさんおばさんは金にもならない我々を追いだしもせずにいてくれた。そんな思い出が胸のなかにいくつもあって、行き場を失っている。田舎の店は廃れるのがご時世というのなら、そんなご時世などくそ喰らえだ。
「ところで、若葉ちゃんはどうするんだ? やっぱ大学か?」コータローの前に焼酎のロックが運ばれた。持ちあげたグラスのなかで氷が鳴り、麦の薫りがふわりと揺れた。
「わからん。決めかねているようだ」
「まだ二年生だしな。だが、教師の立場で言わせてもらうと進路決定は早い方がいい。進学するならなおのことな。で、いまの成績はどうなんだ」
「宮内さんが教え上手でな。模試の成績がえらくあがった」
「ああ、民俗学の人だっけか」
 事実、最新の成績と伸び具合からすれば私よりも上の大学を狙える。宮内さんの教え方がいいのは認めよう。だが、たまには私にも質問しにきてほしい。むかしはあんなにお兄ちゃんに懐いていたのに。兄は、兄は寂しい。
「……なんで泣いてんだ、おまえは」
「うるさい。なんでもない」
 無神経なコータローなどに揺れる兄心などわかるまい。
「以前は地元に残ると決めていたが、いまは悩んでいる。私も母も大学にいくよう説得しているが、のらりくらりと結論を先延ばしにするのだ」
「若葉ちゃんも家に残るんなら真琴さんも安心だろうけどな。子どもがふたりとも多雨野に残っている家なんかまずないんじゃないか。そうなったら女手ひとつで育ててきた甲斐があったってもんだ」
「若葉ちゃんが残るならみんな喜ぶぞ」
 バカヤスはビールグラスでドンとテーブルを鳴らし、口辺の泡を拭った。
「あの子は町のアイドルだ。明るいし元気だし誰にでも優しい。町のじいさんばあさんにとっては孫みたいなもんで、目に入れても痛くないほどだ」
「ああ、わかるわ。バスケやってるところしかみてないが、よい子に育ったなあ」
 よその子の成長をしみじみ喜ぶのが、こいつらのオッサン臭いところだ。だが、まあ悪い気はしない。
「でもなぁ……就職先があるか、だよなぁ」
「やっぱ、そうなるな」
 ふたりの顔がすこし曇った。
「辛気くさいぞ、おまえら。それより若葉に余計なことを吹きこむなよ、バカヤス」
「へいへい。わかってるよ」
「そうだ。英太がQ市にいるんだが、コータローは知っているのか」
「ああ、知ってるよ」
「いまなにをやってる」
「知りたいのか」
「知りたいし、会って話がしたい」
「……河岸を変えるか」
 グラスを乾してコータローがたちあがる。
「なかなかいいスナックがあるからそこへいこう。で、その道すがらに英太が働いている店があるから教えてやる」
「どんな店だ」
「ホストクラブってやつさ」
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