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七.若葉のころ
5.
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「多雨野は過疎の町です」
「え?」
「むかし英太と誓いました。自分たちはずっと多雨野に残り、この手で故郷を繁栄させるのだと。愛するこの地が廃れていくのを食いとめるのだと。子どもなりに故郷の現状を憂い、子どもだからこそ無条件にそれができると思いこんでいました。ですが、私は高校卒業後、多雨野をでたのです。英太からみれば裏切りにも思えたでしょう」
「そうなんですか」
「当時の私には多雨野を救う力がないと気づいたのです。だから流行や情報がすべて集まる東京であらゆることを学び、力をつけようとしました。まあ、Q市の国立大に受かるまでの学力がなかったことも理由のひとつですが」
ここは謙遜であり、「そんなことありませんよ」というツッコミを待った。だが、権現さんは真剣な表情で頷き、話のつづきを促すだけだった。まあ、実際に国立大には手が届かなかったのだが。コホンと咳払いし、話をつづけた。
「ようやく力を身につけ、多雨野に帰ってきました。ぜひ、英太を連れてイベントにきてくれませんか」
権現さんのまえにすっとチラシをさしだした。
「これは……」
「ええ、先ほども宣伝していた、この秋に予定されている多雨野のイベントです」
「メノドク・ア・ゴー・ゴー……アンド・多雨野バル……ですか」
「はい」
「バルは最近流行っていますからわかります。町のあちこちでお酒とおつまみが楽しめるんですよね。でも、メノドクマラソンっていうのは初耳です」
「日本ではじめて行われる酒飲みマラソンです。参加者に仮装を義務づけているのも特徴で、言わばドリンク・アンド・ゴー・ウィズ・コスプレです……合ってますか、これで? 英語的に正解でしょうか? まあどうでもいいです。こんなものは雰囲気と勢いですから」
「はあ、よくわからないです」
ピンとこないのも無理はない。フランスのとある地方でおこわれているメドックマラソンを参考にして――別の言い方をすれば丸っきりパクって――日本酒を飲みながら多雨野を疾走するマラソン。それが『メノドクマラソンン』だ。丸パクリがなんだ。パクっても本家を越えたときからそれはオリジナルとなる。
「ルールはかんたんです。参加者はかならず仮装し、多雨野周辺の景色を愉しみながら山あいの道を走ります。所々に設けたポイントでは多雨野が誇る酒蔵『源三郎』の日本酒をコップ一杯以上飲み干し、合計二十キロの道のりを完走するのです」
「コスプレして、酔っ払いながら走るんですか」
「まったくもってそのとおりです」
「なんか、変態っぽいですね」
「まったくもってそのとおりです」
おおきく頷き胸をはる。
「きっと多雨野の未来が開かれる日になるでしょう。英太はずっと故郷に帰っていないそうですが、これに参加することでむかしの笑顔を取り戻せるかもしれません」
権現さんは少し考え、「わかりました」と頷いた。
「英太くんの笑顔がみられるのなら、わたしなんでもします」
「お願いします」
権現さんと別れ、多雨野行の電車に乗りこんだ。しかし、ほんとうに素晴らしい女性であった。電車に揺られながら、遠野物語に載っているゴンゲサマを思い出していた。
ゴンゲサマとは一般的に権現さまと呼ばれるものだろう。権現さまは仏が民を救うために神となって姿を現す。権現さんが傍にいてくれるなら英太は大丈夫なのだろうと思えた。
英太よ、たしかに私はまだなにも為していない。だが、志はむかしから変わっていない。正論を口にしつづけるための力が必要だった。いま、私は多雨野の将来を左右する一大事業を成そうとしている。それをおまえにもみてほしいのだ。
カーブにさしかかると車窓の先に多雨野の空が映った。暗雲がたちこめている。また雨が降っているのだろう。
「え?」
「むかし英太と誓いました。自分たちはずっと多雨野に残り、この手で故郷を繁栄させるのだと。愛するこの地が廃れていくのを食いとめるのだと。子どもなりに故郷の現状を憂い、子どもだからこそ無条件にそれができると思いこんでいました。ですが、私は高校卒業後、多雨野をでたのです。英太からみれば裏切りにも思えたでしょう」
「そうなんですか」
「当時の私には多雨野を救う力がないと気づいたのです。だから流行や情報がすべて集まる東京であらゆることを学び、力をつけようとしました。まあ、Q市の国立大に受かるまでの学力がなかったことも理由のひとつですが」
ここは謙遜であり、「そんなことありませんよ」というツッコミを待った。だが、権現さんは真剣な表情で頷き、話のつづきを促すだけだった。まあ、実際に国立大には手が届かなかったのだが。コホンと咳払いし、話をつづけた。
「ようやく力を身につけ、多雨野に帰ってきました。ぜひ、英太を連れてイベントにきてくれませんか」
権現さんのまえにすっとチラシをさしだした。
「これは……」
「ええ、先ほども宣伝していた、この秋に予定されている多雨野のイベントです」
「メノドク・ア・ゴー・ゴー……アンド・多雨野バル……ですか」
「はい」
「バルは最近流行っていますからわかります。町のあちこちでお酒とおつまみが楽しめるんですよね。でも、メノドクマラソンっていうのは初耳です」
「日本ではじめて行われる酒飲みマラソンです。参加者に仮装を義務づけているのも特徴で、言わばドリンク・アンド・ゴー・ウィズ・コスプレです……合ってますか、これで? 英語的に正解でしょうか? まあどうでもいいです。こんなものは雰囲気と勢いですから」
「はあ、よくわからないです」
ピンとこないのも無理はない。フランスのとある地方でおこわれているメドックマラソンを参考にして――別の言い方をすれば丸っきりパクって――日本酒を飲みながら多雨野を疾走するマラソン。それが『メノドクマラソンン』だ。丸パクリがなんだ。パクっても本家を越えたときからそれはオリジナルとなる。
「ルールはかんたんです。参加者はかならず仮装し、多雨野周辺の景色を愉しみながら山あいの道を走ります。所々に設けたポイントでは多雨野が誇る酒蔵『源三郎』の日本酒をコップ一杯以上飲み干し、合計二十キロの道のりを完走するのです」
「コスプレして、酔っ払いながら走るんですか」
「まったくもってそのとおりです」
「なんか、変態っぽいですね」
「まったくもってそのとおりです」
おおきく頷き胸をはる。
「きっと多雨野の未来が開かれる日になるでしょう。英太はずっと故郷に帰っていないそうですが、これに参加することでむかしの笑顔を取り戻せるかもしれません」
権現さんは少し考え、「わかりました」と頷いた。
「英太くんの笑顔がみられるのなら、わたしなんでもします」
「お願いします」
権現さんと別れ、多雨野行の電車に乗りこんだ。しかし、ほんとうに素晴らしい女性であった。電車に揺られながら、遠野物語に載っているゴンゲサマを思い出していた。
ゴンゲサマとは一般的に権現さまと呼ばれるものだろう。権現さまは仏が民を救うために神となって姿を現す。権現さんが傍にいてくれるなら英太は大丈夫なのだろうと思えた。
英太よ、たしかに私はまだなにも為していない。だが、志はむかしから変わっていない。正論を口にしつづけるための力が必要だった。いま、私は多雨野の将来を左右する一大事業を成そうとしている。それをおまえにもみてほしいのだ。
カーブにさしかかると車窓の先に多雨野の空が映った。暗雲がたちこめている。また雨が降っているのだろう。
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