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七.若葉のころ
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しおりを挟む「英太くんの先輩なんですよね」
女性は英太を贔屓にしているひとだった。整った顔立ちだが控えめな性格のようで、地味な印象を拭えない。だが、権現華という予想外に重厚なお名前でいらっしゃる。
「あの日お店の前でおみかけして、後で英太くんに聞いたんです。そうしたら小さい頃はよく一緒に遊んでいたと」
「まあ、そうですね」
ショッピングモール内の喫茶店は思った以上に静かだった。ウインドウの向こうでは人並みが流れつづけているが、そこにあるはずの喧騒は店のなかまで届かない。ホットコーヒーに口をつける――やはりブラックは苦かった。女性の前だからとちょっと見栄はってみたが苦いものは苦い。
盛況のうちに終了したイベントの後片付けをしているとき、権現さんが改めて私の前に現れた。英太のことで話があるというので、久慈さんたちには車で先に帰ってもらった。
「小さい頃の英太くんって、どんな子でした」
「ああ、よく笑うやつでした。どこへいくにも、なにをするにも、いつも笑っていたから私たち年上にも可愛がられていましたよ」
「そうですか」
権現さんは小さく、しかし納得したように頷いた。そこからは堰をきったようにあれこれと質問を重ねてきた。多雨野にいた頃の英太がどんな少年であったかを知りたがる権現さんに、私はいちいちていねいに答えた。悪さをして母である南部さんに追いかけられた話や、母南部さんに追い回された話や、母南部さんにしこたま怒られた話などだ。
権現さんはくすくす笑い、
「なんか、英太くんが怒られた時っていつも葦原さんが一緒って言うか、葦原さんが首謀者みたいですね」
私は愕然としたが、気取られぬよう懸命に表情を消した。彼女の言葉が正鵠を射ていたからだ。図星とも言う。
「あ、それが悪いって意味じゃないんですよ。いまとなっては笑い話だし貴重な思い出だと思うんです。英太くんのこと可愛がっていたのはよくわかりました。葦原さんの記憶のなかにはわたしの知らない英太くんがたくさんあるんですね」
「英太のどこが気に入ったんですか」
「笑ったんですよ、英太くんが。たぶん、多雨野にいたときとおんなじように……」
コーヒーに入れたスプーン二杯分の砂糖をゆっくりと溶かしながら、権現さんは英太との出会いを語りだした。
ある日、友人が無理やり権現さんをホストクラブに誘った。入れこんでいるホストに友達を連れてきてほしいと頼まれたそうだ。ホストクラブなど興味もなければ行ったこともない権現さんだったが、生来おとなしい気性で強く断ることができぬ性質だった。
そのまま店に連れて行かれ、楽しげに盛りあがる友人をよそに所在なくカクテルを飲んでいた。そのテーブルにいたのが英太だった。
英太はまだ不慣れで、こまやかな心遣いも気の利いた話もできなかった。だが、それがかえって権現さんを安心させた。
権現さんがまじめな性格で損ばかりする自分のエピソードを自嘲しながら話すと、英太は真剣に聞き入り、なんども「わかりますよ」と頷いたそうだ。権現さんにとってこんなに自分の話を聞いてくれて共感してくれる相手ははじめてだった。きっとお仕事だからだろう、ホストとはこういうものだろう、などと思いながらも日頃のストレスが薄れていくのを感じた。互いに故郷を離れて独り暮らしをしているから共感する話題も多かった。
その日はそのまま帰ったが、ひと月ほど経った休日に偶然に英太と出逢った。
「お久しぶりです。お仕事順調ですか」
そう声をかけた英太の笑顔に、権現さんは心を奪われた。打算とか愛想とか無関心など混じらない、飛びきりの笑顔に心が蕩けた。
それから権現さんはひとりでホストクラブに通い、常に英太を指名した。自分の乾いた心を癒すためであり、ホストとしての成績がはかばかしくない英太の力になりたいという想いもあった。権現さんは自分と英太のために店に通ったが、足しげく通えば通うほど英太の笑顔から輝きが失せていったと言う。
「もちろん、私といるときは嬉しそうに笑ってくれます。でも、優しい人だから私がお金を使うことに後ろめたさがあるみたいです。いつも、『ごめんね』なんて言って。でも、ノルマとかあるから私が英太くんを助けなきゃいけないんです。『ごめんね』なんて言ってほしくない」
「優しいんですね、権現さんは」
「そんなことないです」
慌てて手を振り否定する。自覚がなく見返りも求めない行動だからこそ、ひとはそれを優しさと呼ぶのだが。
「英太くんはむかしの話をあまりしてくれません。だけど、葦原さんに会った日だけは、いつになく多雨野の話をしてくれました。私はそれがうれしかったんです。思い出を共有できた気がしました」
権現さんは少し口元を綻ばせ、唇を湿らす程度にコーヒーを口にした。
「最近、ザッシーキ人気でTVやネットで多雨野の情報を目にすることが多くなって、葦原さんがスタッフとしてイベントに加わっていることを知りました。今日ここにザッシーキがくると聞いて、わたし厚かましいと思ったんですけど、むかしの英太くんのこと教えてほしくて……ごめんなさい。ご迷惑でしたよね」
「生まれてこのかた、女性に迷惑をかけられたことはないですね」
一瞬キョトンとして、権現さんはくすくす笑った。
「ほんとにおもしろい方ですね。英太くんが言ってたとおり」
英太にはもったいないほどの女性だった。あの野郎、モサモサ頭の眼鏡小僧だったくせに。
「英太はちゃんと働いていますか」
「最近あまりお店に行ってないんです」
「え?」
「英太くんが喜ばないんです。自分の稼いだお金は自分のために使ってほしいって。ノルマは自分でなんとかするって」
「そうですか」
「いまでも時間が合えば昼間に会うんです。でも、顔色も悪いし、わたし心配で」
そうか。うまく笑えなくなっても英太は英太だ。多雨野の野を駆けまわっていた頃とおなじように優しい男だ。
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