異形の郷に降る雨は

志々羽納目

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七.若葉のころ

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「あ、そうね。お子様はそんなの好んで食べないよね。でも、お米は美味しいよ、お子様も大好きでしょ」
 両腕を組んで頷くザッシーキに、また笑いが起こる。子どもたちの歓声がホールの天井までも昇っていく。
 展示スペースの背後に張った黒いカーテンに身を隠した私は、隙間から会場を窺っていた。悔しいがやはり弐号機は客受けがいい。とくに子ども人気は抜群だ。
 私とて活躍の場がないわけではない。ザッシーキのイベントはまず私が観客の前でひとしきり踊り、へとへとになったところで一度引っ込み南部さんと交代するのだ。観客もザッシーキが交代していることをうっすらわかっていながら知らんふりするというのがお約束だ。南部さんがユーモラスな動きで爆笑をかっさらうのを、私は荒い呼吸を整えながら見守る。なんだかテレビに映らない前説のようで切なくなるが、このあとにも出番があるのだから良しとしている。
「お待たせしました。お美しい、お・じょ・う・さ・ま・方ぁ」
 久慈さんのわざとらしいウインクで子連れの奥様方がウフフ、キャーキャーと歓声をあげる。存外久慈さんも役者だ。
「ザッシーキのグルメ教室、はじまりまーす」
 高らかな久慈さんの声に合わせトートバックからおもちゃ包丁を取りだすザッシーキ。ついでにホヤボールを掴んで天に向けて高々と突きあげる。
 私の呼吸もほぼ整ったようだ。カーテンをはねのけ群衆のまえに飛びだした。
「はいはーい、ザッシーキ先生の助手、芦原のおにいさんでーっす。巷で噂のザッシーキの最新レシピ、披露しちゃいますよ――」
 南部さんとみつめあい、呼吸を合わせて、
「ねーえ」とかわいらしく小首を傾げる。先日誕生日を迎えた芦原瑞海二十七才、南部さん……うん十うん才。照れたら負けだ。恥ずかしがっては再起不能だ。
「さて、先生。今日は打ち合わせどおり、アヒージョを披露いたしましょうか」
 頷くだけのザッシーキに調子を合わせ、私が開発したレシピを披露する。電気調理器にフライパンをセットし加熱する。
「まずは多めにオリーブオイルを入れ、そこにニンニクと刻み唐辛子を投入して加熱し、味と香りをオイルに移します。で、あればマジックソルトかクレイジーソルトを適量放りこみますが、なければふつうの塩で結構です。そしてポイントが昆布茶」
 お・じょ・う・さ・ま・方に目くばせしてから昆布茶の粉末をサッサと振り入れる。煮えた油が小さくジュッと鳴った。
「ってか、なんでも昆布茶入れれば間違いないっすからね。パスタのペペロンチーノの隠し味にもおすすめですよ」
 オーディエンスの反応を横目で伺いながら。まな板でキノコ類をカットする。
「で、このアヒージョオイルを過熱しすぎないように注意しながら、順々に材料を煮こみます。そうすると素材の旨味がオイルに加わっていきます」
 キノコをフライパンに放りこむと、また油が小気味よい音をたてた。
「まずはキノコ類から。これ、多雨野のキノコですよ。椎茸とか、みるからにブリブリでしょ。アヒージョのキノコは美味しいから、子どもたちも後で食べてみてね」
 よしよし、食いついている。観客の視線を釘付けだ。
「食材の食感を残すように、火の通る時間を考えて材料を入れてくださいね。ささがきにして灰汁をとっておいた多雨野のゴボウも入れて……さ、いい感じですねえ」
 よい頃合いで器に盛りつけ、小さく切ったバケットを添えた。アヒージョは簡単で見栄えがするのがよい。
「このバケットをアヒージョオイルに浸して食べると絶品ですよ。ささ、どうぞ。他にもパスタを茹でて絡めると上等なペペロンチーノになります」
 観客は嬉々として手を伸ばし、口々に「あっまーいい」とか「やわらかーい」とか思ったとおりのリアクションを返してくれる。子どももキノコの弾力ある食感に舌鼓をうっている。
 私が違う材料のアヒージョ作りにとりかかると、ここ事ばかりに久慈さんが声をはりあげた。
「ここで、宣伝でーす。ザッシーキのいる多雨野で、この秋にマラソン大会が行われますよ。参加者はただいま大募集中です。走らない方もぜひ多雨野にきてくださいね。同時に行われる多雨野バルではザッシーキレシピのメニューが食べられちゃいますから」
 アヒージョを頬張りながらイベントのポスターを指差す大人と、ザッシーキにまとわりつくこどもたちでスペースは湧いた。
「うれしいなあ、瑞海」
 久慈さんは少し目を潤ませていた。
「これまであか推の仕事でいろんなところを訪問したが、門前払いやおざなりな対応がほとんどだった。でも、いまはザッシーキがいる。どこにいっても大歓迎だ」
「こんなもんじゃないですよ。まだまだこれからですから」
「そうだな」
 グシュッと鼻を啜ると、久慈さんはまたイベントの宣伝に精をだした。
 鶏胸肉をアヒージョオイルに投入する。油でゆっくり煮ればパサつきがちの鶏胸もしっとり仕上がる。顔をあげると私をみつめる視線に気づいた。少し離れたところにたつ女性からの視線だ。さすが私のフェロモンはどうやっても隠しきれないものだな、などと考えていると、彼女は遠慮がちに頭をさげ、その場を去った。
「ああ」
 ようやく見覚えのある顔だと気づく。ちぇっ。フェロモンじゃなかったようだ。
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