82 / 90
第四章
灯火
しおりを挟む
『…ねえお父様、どうして私は…。…いいえ、なんでもありません』
優しかったが少し困ったように眉を下げる父を前にラファエルは言葉を飲み込んだ。その日はミゲルから領地の経営や女性のエスコートの仕方を少し学んでいたように思う。当然ラファエルは乗り気ではなかった。
何故ならラフェエルの心は男性ではなかったから。
物心付いた時には既に違和感を感じていた。自分が好むものは普通の男の子は好まないこと、自分の思考は普通とズレていること、そしてそれは望まれていないことをラファエルは子供の頃から薄々と気付いていた。
それは歳を重ねる毎に顕著になり、決定的だったのはアルフレッドに一目惚れした時だ。
淡い恋をした。今思えば夢のような子供じみた恋だ。ラファエルはその時アルフレッドと結婚がしたいと思った。白くて綺麗な教会で神に祝福されながら真っ白なドレスを着て、まるで御伽噺のような式を挙げたいと思った。
そう思うと同時に自分自身が気持ち悪くて仕方がなかった。
柔らかかった肌は年齢を重ねるごとに固く脂が目立つようになった、骨格が筋張って可愛らしくなくなった、声が低くなった。全てが受け入れられなかった。
憎らしいほど成長していく身体を止めたくて食べるのをやめた。自分から出てくる低い声が聞きたくなくて喋ることをやめた。何もかもが嫌だった。
それで家族を、マリア達を困らせていることなんてわかっていた。けれど人の困惑なんてどうでもいいと思えるほどラファエルは絶望していた。
──私は男じゃない。
どうして言えようか。そんなことを、どうやって伝えろというのだろう。
ラファエルは誰にも打ち明けられなかった。
ただでさえラファエルという存在を持て余している人達にこれ以上悩みの種を増やさせるわけにはいかなかった。どれだけ迷惑を掛けていても、それだけは最後まで伝えることができなかった。
そして生きることを拒絶した自分が目を閉じて、次に目を開けた時はこの姿になっていた。
初めてこの姿を見た時の感動は一生忘れない。
天にも昇る気持ちだった。この姿ならなんでもできると思った、できないことなど、叶わないことなど何もないのだと思った。
それがどうだ。
今アンジェリカは後悔している。
「…ごめん、なさい…っ」
アンジェリカは今かつての父に縋り付いて泣いていた。
流れる涙はもう止まらず、瞬きをする度に雨のように落ちていく。
「…どうしてお前が謝るんだ。謝るのは」
「出来損ないでごめんなさい」
遮るように吐き出した言葉にミゲルの身体が硬直した。
「ちゃんとした息子になれなくて、正しい姿でいられなくてごめんなさい。あんなに心配を掛けたのに、あんなに愛してもらっていたのに、私はなんの期待にも答えられなかった。それなのに、また、また迷惑を掛けて…っ」
これは懺悔だ。
アンジェリカにはわかっている。自分のしたことが間違っていることも、謝るだけでは許されないことをしたこともわかっている。けれどどうしてもそうせずにはいられなかった。
自分が生まれた意味を、アルフレッドを手に入れることで見出そうとした。
自分はアルフレッドと出会うためにラファエルとして生まれ、アルフレッドと結ばれるためにアンジェリカになった。そう思い込むことで自分の行動と存在を肯定していた。けれど違うのだ。
だって神は言っていた「手違い」だと。
手違い、そう言われてしまえば笑えるほど全てが納得できた。
手違いだから自分は正しい性別で生まれることができなくて、手違いだから好きな人とも結ばれない。手違いだから、こんな間違いを犯す。
胸の奥に重たくて暗いどろどろとしたものが広がる。嫌悪感が止まらない。
「……生まれてきて、ごめんなさい」
「違う‼︎」
怒声というにはあまりに辛そうな声がすぐ側で聞こえた。
「それだけは違う」
ミゲルの腕が離れ、互いの表情がわかるようになる。
アンジェリカはこの時初めて父の泣きそうな顔を見た。
「…お前が生まれて来た日、天使が舞い降りたと思った。初めてパパと呼んでくれた日も、つかまり立ちした日も覚えてる。お前が最初に誰の名前を呼ぶかで家族喧嘩にもなった。お前があんまり可愛いから、社交界に出したくないと言ったのは私だ。家族全員愛しているが、その中でもお前は特に可愛かった」
胸からスカーフを抜いたミゲルがアンジェリカの涙を拭う。
「…もう一人のラファエルからお前の話を聞いたとき、すぐには信じられなかった。姿を見るまで半信半疑だった。だけど、会場に現われたお前の笑い方を見てすぐにラファエルだと気付いた」
伏し目がちになって右手の指先で口元を隠しながら穏やかに笑うその仕草は、ミゲルが唯一愛した女性のものだ。家族の中でそれをするのはたった一人。
アンジェリカは母の顔を絵姿でしか見たことがない。ラファエルを産んですぐに儚くなってしまったその人と笑い方が同じだとはじめて聞かされてアンジェリカはまた涙をこぼした。
「ラファエル」
ミゲルが笑う。その笑顔はラファエルが初めて父の誕生日をピアノで祝ったときに見せてくれたものと同じだった。
「生まれて来てくれてありがとう。お前は自慢の子だよ」
あんまり優しく笑うから涙が溢れて仕方がない。
アンジェリカはその場に膝をつき、子供のように声を上げて泣いた。
優しかったが少し困ったように眉を下げる父を前にラファエルは言葉を飲み込んだ。その日はミゲルから領地の経営や女性のエスコートの仕方を少し学んでいたように思う。当然ラファエルは乗り気ではなかった。
何故ならラフェエルの心は男性ではなかったから。
物心付いた時には既に違和感を感じていた。自分が好むものは普通の男の子は好まないこと、自分の思考は普通とズレていること、そしてそれは望まれていないことをラファエルは子供の頃から薄々と気付いていた。
それは歳を重ねる毎に顕著になり、決定的だったのはアルフレッドに一目惚れした時だ。
淡い恋をした。今思えば夢のような子供じみた恋だ。ラファエルはその時アルフレッドと結婚がしたいと思った。白くて綺麗な教会で神に祝福されながら真っ白なドレスを着て、まるで御伽噺のような式を挙げたいと思った。
そう思うと同時に自分自身が気持ち悪くて仕方がなかった。
柔らかかった肌は年齢を重ねるごとに固く脂が目立つようになった、骨格が筋張って可愛らしくなくなった、声が低くなった。全てが受け入れられなかった。
憎らしいほど成長していく身体を止めたくて食べるのをやめた。自分から出てくる低い声が聞きたくなくて喋ることをやめた。何もかもが嫌だった。
それで家族を、マリア達を困らせていることなんてわかっていた。けれど人の困惑なんてどうでもいいと思えるほどラファエルは絶望していた。
──私は男じゃない。
どうして言えようか。そんなことを、どうやって伝えろというのだろう。
ラファエルは誰にも打ち明けられなかった。
ただでさえラファエルという存在を持て余している人達にこれ以上悩みの種を増やさせるわけにはいかなかった。どれだけ迷惑を掛けていても、それだけは最後まで伝えることができなかった。
そして生きることを拒絶した自分が目を閉じて、次に目を開けた時はこの姿になっていた。
初めてこの姿を見た時の感動は一生忘れない。
天にも昇る気持ちだった。この姿ならなんでもできると思った、できないことなど、叶わないことなど何もないのだと思った。
それがどうだ。
今アンジェリカは後悔している。
「…ごめん、なさい…っ」
アンジェリカは今かつての父に縋り付いて泣いていた。
流れる涙はもう止まらず、瞬きをする度に雨のように落ちていく。
「…どうしてお前が謝るんだ。謝るのは」
「出来損ないでごめんなさい」
遮るように吐き出した言葉にミゲルの身体が硬直した。
「ちゃんとした息子になれなくて、正しい姿でいられなくてごめんなさい。あんなに心配を掛けたのに、あんなに愛してもらっていたのに、私はなんの期待にも答えられなかった。それなのに、また、また迷惑を掛けて…っ」
これは懺悔だ。
アンジェリカにはわかっている。自分のしたことが間違っていることも、謝るだけでは許されないことをしたこともわかっている。けれどどうしてもそうせずにはいられなかった。
自分が生まれた意味を、アルフレッドを手に入れることで見出そうとした。
自分はアルフレッドと出会うためにラファエルとして生まれ、アルフレッドと結ばれるためにアンジェリカになった。そう思い込むことで自分の行動と存在を肯定していた。けれど違うのだ。
だって神は言っていた「手違い」だと。
手違い、そう言われてしまえば笑えるほど全てが納得できた。
手違いだから自分は正しい性別で生まれることができなくて、手違いだから好きな人とも結ばれない。手違いだから、こんな間違いを犯す。
胸の奥に重たくて暗いどろどろとしたものが広がる。嫌悪感が止まらない。
「……生まれてきて、ごめんなさい」
「違う‼︎」
怒声というにはあまりに辛そうな声がすぐ側で聞こえた。
「それだけは違う」
ミゲルの腕が離れ、互いの表情がわかるようになる。
アンジェリカはこの時初めて父の泣きそうな顔を見た。
「…お前が生まれて来た日、天使が舞い降りたと思った。初めてパパと呼んでくれた日も、つかまり立ちした日も覚えてる。お前が最初に誰の名前を呼ぶかで家族喧嘩にもなった。お前があんまり可愛いから、社交界に出したくないと言ったのは私だ。家族全員愛しているが、その中でもお前は特に可愛かった」
胸からスカーフを抜いたミゲルがアンジェリカの涙を拭う。
「…もう一人のラファエルからお前の話を聞いたとき、すぐには信じられなかった。姿を見るまで半信半疑だった。だけど、会場に現われたお前の笑い方を見てすぐにラファエルだと気付いた」
伏し目がちになって右手の指先で口元を隠しながら穏やかに笑うその仕草は、ミゲルが唯一愛した女性のものだ。家族の中でそれをするのはたった一人。
アンジェリカは母の顔を絵姿でしか見たことがない。ラファエルを産んですぐに儚くなってしまったその人と笑い方が同じだとはじめて聞かされてアンジェリカはまた涙をこぼした。
「ラファエル」
ミゲルが笑う。その笑顔はラファエルが初めて父の誕生日をピアノで祝ったときに見せてくれたものと同じだった。
「生まれて来てくれてありがとう。お前は自慢の子だよ」
あんまり優しく笑うから涙が溢れて仕方がない。
アンジェリカはその場に膝をつき、子供のように声を上げて泣いた。
150
あなたにおすすめの小説
有能すぎる親友の隣が辛いので、平凡男爵令息の僕は消えたいと思います
緑虫
BL
第三王子の十歳の生誕パーティーで、王子に気に入られないようお城の花園に避難した、貧乏男爵令息のルカ・グリューベル。
知り合った宮廷庭師から、『ネムリバナ』という水に浮かべるとよく寝られる香りを放つ花びらをもらう。
花園からの帰り道、噴水で泣いている少年に遭遇。目の下に酷いクマのある少年を慰めたルカは、もらったばかりの花びらを男の子に渡して立ち去った。
十二歳になり、ルカは寄宿学校に入学する。
寮の同室になった子は、まさかのその時の男の子、アルフレート(アリ)・ユーネル侯爵令息だった。
見目麗しく文武両道のアリ。だが二年前と変わらず睡眠障害を抱えていて、目の下のクマは健在。
宮廷庭師と親交を続けていたルカには、『ネムリバナ』を第三王子の為に学校の温室で育てる役割を与えられていた。アリは花びらを王子の元まで運ぶ役目を負っている。育てる見返りに少量の花びらを入手できるようになったルカは、早速アリに使ってみることに。
やがて問題なく眠れるようになったアリはめきめきと頭角を表し、しがない男爵令息にすぎない平凡なルカには手の届かない存在になっていく。
次第にアリに対する恋心に気づくルカ。だが、男の自分はアリとは不釣り合いだと、卒業を機に離れることを決意する。
アリを見ない為に地方に移ったルカ。実はここは、アリの叔父が経営する領地。そこでたった半年の間に朗らかで輝いていたアリの変わり果てた姿を見てしまい――。
ハイスペ不眠攻めxお人好し平凡受けのファンタジーBLです。ハピエン。
真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~
水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。
アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。
氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。
「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」
辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。
これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!
悪役令息に転生したのに、ヒーローもヒロインも不在で、拾って育てた執事が最強なんだが……なんで?!
はぴねこ
BL
前世の弟が好きだったゲームの世界に、悪役令息として転生してしまった俺。
本来なら、ヒロインをいじめ、ヒーローが活躍するための踏み台になる……
そんな役割のはずなのに、ヒーローともヒロインとも出会えない。
いじめる対象すら見つけられない新米悪役令息とか、ポンコツすぎないだろうか?
そんな俺に反して、子供の頃に拾って育てた執事は超優秀で、なぜか「悪役執事スキル」を着実に磨いている。
……いや、違う!
そうじゃない!!
悪役にならなきゃいけないのは俺なんだってば!!!
追放された『呪物鑑定』持ちの公爵令息、魔王の呪いを解いたら執着溺愛ルートに入りました
水凪しおん
BL
「お前のそのスキルは不吉だ」
身に覚えのない罪を着せられ、聖女リリアンナによって国を追放された公爵令息カイル。
死を覚悟して彷徨い込んだ魔の森で、彼は呪いに蝕まれ孤独に生きる魔王レイルと出会う。
カイルの持つ『呪物鑑定』スキル――それは、魔王を救う唯一の鍵だった。
「カイル、お前は我の光だ。もう二度と離さない」
献身的に尽くすカイルに、冷徹だった魔王の心は溶かされ、やがて執着にも似た溺愛へと変わっていく。
これは、全てを奪われた青年が魔王を救い、世界一幸せになる逆転と愛の物語。
ゲームの世界はどこいった?
水場奨
BL
小さな時から夢に見る、ゲームという世界。
そこで僕はあっという間に消される悪役だったはずなのに、気がついたらちゃんと大人になっていた。
あれ?ゲームの世界、どこいった?
ムーン様でも公開しています
彼はやっぱり気づかない!
水場奨
BL
さんざんな1日を終え目を覚ますと、そこは漫画に似た世界だった。
え?もしかして俺、敵側の端役として早々に死ぬやつじゃね?
死亡フラグを回避して普通に暮らしたい主人公が気づかないうちに主人公パートを歩み始めて、周りをかき回しながら生き抜きます。
【完結】婚約破棄したのに幼馴染の執着がちょっと尋常じゃなかった。
天城
BL
子供の頃、天使のように可愛かった第三王子のハロルド。しかし今は令嬢達に熱い視線を向けられる美青年に成長していた。
成績優秀、眉目秀麗、騎士団の演習では負けなしの完璧な王子の姿が今のハロルドの現実だった。
まだ少女のように可愛かったころに求婚され、婚約した幼馴染のギルバートに申し訳なくなったハロルドは、婚約破棄を決意する。
黒髪黒目の無口な幼馴染(攻め)×金髪青瞳美形第三王子(受け)。前後編の2話完結。番外編を不定期更新中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる