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第一章
婚約破棄と蘇る記憶2
王族と貴族の婚約は政治と同じだ。それを俺は一方的に破棄したのだ。
王子という立場でありながら俺は普通の子供のような感情に振り回されて自由恋愛なんて馬鹿なことをし、こともあろうか公爵家との婚約を自らの意思で反故にした。
すなわち、今この瞬間王子である俺が、この国を危機に陥れたのだ。
意気揚々とロザリアに対して突き出した指が今は情けなく震えている。膝も震えてきたし、きっと顔面から血の気も引いているだろう。
「フォークナー公爵家の名において申し上げます。わたくしがそのような仕打ちをした事実はございません。ですが、この場に身を置く理由ももはやございませんわ。──ごきげんよう」
そんなかつての婚約者には一瞥もくれず、凛とした声で言い放ったロザリアが完璧な所作で礼を取る。
そして颯爽と踵を返す姿を呆然と見ていると、視界にある男の姿が入った。
「ひっ」
艶やかな短い黒髪を後ろに撫で付け、冷たい印象を持たせる金の瞳を持つ美丈夫が、視線だけで俺の心臓を突き刺した。完成された美貌が俺を捕えて、そして整った薄い唇が僅かに動いた。
覚えておけよ。
殺気すら漂わせる視線で俺を見ていた男、ロザリアの兄であるリュシアン・フォークナーは間違いなく俺にそう言っていた。
リュシアンは氷を思わせる微笑を俺に向けていたが、その目はどこまでも冷たく、そしてゴミでも見ているようなそれだった。
終わった。
今度こそ、手の施しようがないくらいに。
俺はもう一度そう思った。
ロザリアをエスコートして去っていく背中を見ながら、力なく手を下ろす。
どうしてもっと早くに記憶が戻らなかったのだろう。もっと早く、せめてあと数分早く記憶が戻っていたら、こんな回避のしようがない死亡フラグを叩き折れたかもしれないのに。
だが、そう思ったところであとの祭りだ。
前世を思い出したところで俺の能力は上がらない。だって、俺は普通の人間だ。
「フィリアス様、陛下がお呼びです」
将来は俺の右腕として活躍するはずだった男が、俺と同じように顔面を蒼白にして耳打ちしてくる。
いつの間にか止まっていた音楽が再開し、王である父の号令でひとまず会場の空気は元に戻ったように思えた。
「フィリアス様、随分と派手なことをされましたわね」
「見ろ。第二王子派が皆子鹿のように震えているぞ」
「まあお可哀想。それにしても、本当にお顔だけの方でしたわね」
「美しさだけではどうにもならぬな」
ギリギリ届く声量の貴族たちの声を背中に、俺は父の待つ別室へと急いだ。
俺の腕を我が物顔で掴んでいた男爵令嬢は近衛兵に引き離され、それの喚き声も聞こえる。
ああ、クソ。本当にどうしてこんなタイミングなんだよ。
どうしようもないことを何度も頭の中で繰り返しながら歩き、あっという間に別室の前に着いた。死刑台に登るような気持ちで中に入ると、父と母の姿がそこにあった。
「……フィリアス、自分が何をしたか分かっているのか」
「どうして……どうしてこんな愚かなことを」
俺を溺愛していた王妃である母が泣いている。そして少なからず俺を見える形で愛してくれていたはずの父は、その目に失望を色濃く乗せて俺を見据えた。
仕方がないと分かっていても、何度だって思う。
どうして思い出すのがこのタイミングだったんだ。
父の目にはもう俺への、フィリアスへの愛情は見えなかった。ただ為政者としての厳しい目が俺に向けられ、俺はただ頭を下げることしかできなかった。
「申し訳、ありません」
「……時間は戻らない。間違いでは済まされないことをしたのだ、フィリアスよ」
母は何も言わずに泣いている。
その姿は今から俺に下される判決を知っているようだった。
「王命により、貴様の王継承権を剥奪する。これは王家の名誉と、国家の安寧を守るための措置である。──わかってくれるな」
当然の報いだ。むしろ優しい措置だと思える程この状況を理解しているのに、奈落の底に落ちていくような絶望感が一気に押し寄せてくる。
十九年積み上げてきた自分の全てが、塵となって消えていく。
わあ、と泣き崩れる母の声が聞こえる。心から申し訳ないと思うのに、俺は頭を下げたまま、何も言えなかった。
「至急フォークナー公爵との面談の場を設ける。王家としての正式な謝罪を行い、此度の件をどう収めるか話し合うことになるだろう。……最悪継承権剥奪以上の結果になるかもしれないが、お前は余計なことはするな」
「……はい」
父が母を連れ立って部屋から出る。
ぱたりと閉まる扉の音が鼓膜に届いて、膝から力が抜けた。
「……ごめん、父様、母様」
情けないくらい震えた声に応えてくれる人は、どこにもいなかった。
王子という立場でありながら俺は普通の子供のような感情に振り回されて自由恋愛なんて馬鹿なことをし、こともあろうか公爵家との婚約を自らの意思で反故にした。
すなわち、今この瞬間王子である俺が、この国を危機に陥れたのだ。
意気揚々とロザリアに対して突き出した指が今は情けなく震えている。膝も震えてきたし、きっと顔面から血の気も引いているだろう。
「フォークナー公爵家の名において申し上げます。わたくしがそのような仕打ちをした事実はございません。ですが、この場に身を置く理由ももはやございませんわ。──ごきげんよう」
そんなかつての婚約者には一瞥もくれず、凛とした声で言い放ったロザリアが完璧な所作で礼を取る。
そして颯爽と踵を返す姿を呆然と見ていると、視界にある男の姿が入った。
「ひっ」
艶やかな短い黒髪を後ろに撫で付け、冷たい印象を持たせる金の瞳を持つ美丈夫が、視線だけで俺の心臓を突き刺した。完成された美貌が俺を捕えて、そして整った薄い唇が僅かに動いた。
覚えておけよ。
殺気すら漂わせる視線で俺を見ていた男、ロザリアの兄であるリュシアン・フォークナーは間違いなく俺にそう言っていた。
リュシアンは氷を思わせる微笑を俺に向けていたが、その目はどこまでも冷たく、そしてゴミでも見ているようなそれだった。
終わった。
今度こそ、手の施しようがないくらいに。
俺はもう一度そう思った。
ロザリアをエスコートして去っていく背中を見ながら、力なく手を下ろす。
どうしてもっと早くに記憶が戻らなかったのだろう。もっと早く、せめてあと数分早く記憶が戻っていたら、こんな回避のしようがない死亡フラグを叩き折れたかもしれないのに。
だが、そう思ったところであとの祭りだ。
前世を思い出したところで俺の能力は上がらない。だって、俺は普通の人間だ。
「フィリアス様、陛下がお呼びです」
将来は俺の右腕として活躍するはずだった男が、俺と同じように顔面を蒼白にして耳打ちしてくる。
いつの間にか止まっていた音楽が再開し、王である父の号令でひとまず会場の空気は元に戻ったように思えた。
「フィリアス様、随分と派手なことをされましたわね」
「見ろ。第二王子派が皆子鹿のように震えているぞ」
「まあお可哀想。それにしても、本当にお顔だけの方でしたわね」
「美しさだけではどうにもならぬな」
ギリギリ届く声量の貴族たちの声を背中に、俺は父の待つ別室へと急いだ。
俺の腕を我が物顔で掴んでいた男爵令嬢は近衛兵に引き離され、それの喚き声も聞こえる。
ああ、クソ。本当にどうしてこんなタイミングなんだよ。
どうしようもないことを何度も頭の中で繰り返しながら歩き、あっという間に別室の前に着いた。死刑台に登るような気持ちで中に入ると、父と母の姿がそこにあった。
「……フィリアス、自分が何をしたか分かっているのか」
「どうして……どうしてこんな愚かなことを」
俺を溺愛していた王妃である母が泣いている。そして少なからず俺を見える形で愛してくれていたはずの父は、その目に失望を色濃く乗せて俺を見据えた。
仕方がないと分かっていても、何度だって思う。
どうして思い出すのがこのタイミングだったんだ。
父の目にはもう俺への、フィリアスへの愛情は見えなかった。ただ為政者としての厳しい目が俺に向けられ、俺はただ頭を下げることしかできなかった。
「申し訳、ありません」
「……時間は戻らない。間違いでは済まされないことをしたのだ、フィリアスよ」
母は何も言わずに泣いている。
その姿は今から俺に下される判決を知っているようだった。
「王命により、貴様の王継承権を剥奪する。これは王家の名誉と、国家の安寧を守るための措置である。──わかってくれるな」
当然の報いだ。むしろ優しい措置だと思える程この状況を理解しているのに、奈落の底に落ちていくような絶望感が一気に押し寄せてくる。
十九年積み上げてきた自分の全てが、塵となって消えていく。
わあ、と泣き崩れる母の声が聞こえる。心から申し訳ないと思うのに、俺は頭を下げたまま、何も言えなかった。
「至急フォークナー公爵との面談の場を設ける。王家としての正式な謝罪を行い、此度の件をどう収めるか話し合うことになるだろう。……最悪継承権剥奪以上の結果になるかもしれないが、お前は余計なことはするな」
「……はい」
父が母を連れ立って部屋から出る。
ぱたりと閉まる扉の音が鼓膜に届いて、膝から力が抜けた。
「……ごめん、父様、母様」
情けないくらい震えた声に応えてくれる人は、どこにもいなかった。
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