【完結】婚約破棄を言い渡した王子は悪役令嬢の兄に執着される

白(しろ)

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第二章

おやすみなさい良い夢を

「泣いたり笑ったり、忙しい人だ。あなたは」

 リュシアンの言葉で今自分が笑っているのを知った。はっとして表情を引き締めようとするのだが、リュシアンを見るとそれがなかなか難しい。

「自分が思っている以上に嫌われてないのが嬉しいみたいだ。……悪い、みっともないな」

 掴まれていない方の手で顔に触る。
 自分では口角が緩んでいるのがわからないが、リュシアンのどことなく呆れたような顔を見るに、俺は今とてもだらしない顔をしているのだろう。

「あなたのそんな顔は初めて見ました。王都にいた頃は始終生意気な顔をされていたのに」
「そんな風に思っていたのか」
「失礼。口が滑りました」

 微かにリュシアンの口角が上がった。
 それを見て、俺も笑う。

「俺だってお前のそんな顔は初めて見た。いや、ここにきて色んな表情を見たけど、俺には初めてだな」

 リオルやエルダーたちに向けるものとはまた違うけれど、この笑顔は俺だけに向けられたものだと思うと、自然と頬が緩む。
 リュシアンと過ごしているなんて信じられないくらい、穏やかな時間が流れた。いつの間にか涙も止まり、目が暗闇に慣れたからか周りがよく見えるようになる。
 それはリュシアンも同じだったようで、俺の顔を見て少し眉を寄せた。その表情の意味がわからず首を傾げると、不意に目元に温もりが触れた。

「少し、赤くなっているのか?」

 独り言のような声と一緒に、リュシアンの指が目元を撫でる。
 ぴりっとした痛みが走るが、俺は目を丸くして固まっていた。
 いつの間にか距離が近付いていたからだ。
 彫刻のような整った顔がすぐ側にあり、長いまつ毛に縁取られた瞳さえもよく見えるくらいの距離だ。
 近い距離だからというのもあるかもしれないが、それがリュシアンだからか、心臓がやけに早く動き始めて頭の中に疑問符が浮かぶ。

「あ、あの、リュシアン」
「なにか」

 思わず声を掛けると、金色の瞳と視線が絡まった。
 そこでリュシアンも近さに気が付いたのか、少し気まずそうにしながら一歩下がってくれたことで、俺は安堵の息を吐いた。

「失礼を。つい、」
「大丈夫だ。ちょっと心臓がうるさいが」

 曖昧に笑いながら答えるとリュシアンが黙った。
 また種類の違う気まずさに焦りを覚え、俺は頭の中で必死に話題を探した。そして、厨房での出来事を思い出して口を開いた。

「そういえば、厨房で何か言いかけていなかったか?」
「……ああ」

 リュシアンも思い出したのか一つ頷き、改めて俺の方を見た。
 あの時はどこか言い淀んでいた雰囲気があったが、今はそうではない。

「あなたさえよければ、また一緒に食事をしていただきたい」

 思っても見なかった提案に目を丸くするも、リュシアンが言葉を続ける。

「あなたがいてくれたら克服できるかもしれないと思いました」
「え」
「ご存知かと思いますが私は偏食です。昔毒を盛られ、そこから食事がうまく取れなくなりました。……ですが以前も、そして今回も、フィリアス様がいると少し症状が和らぎます」
「俺は何もしてないぞ」
「あなたはいてくれさえすればいい」

 ますます意味がわからなくて困惑するが、考えるよりも先に口が動いた。

「ただいるだけでいいのか?」

 その言葉にリュシアンの目元が少し和らぎ、そして頷く。

「はい。それだけで構いません」

 風が吹いて少しだけ寒さを感じる。けれど握られた手首だけは温かくて、その体温に焦がれるみたいに俺は頷いた。

「わかった」
「ありがとうございます」

 リュシアンからお礼を言われた。そんなことももちろん初めてで、少しだけ居心地が悪いと思った。でもこれは俺が照れているからだ。
 人から感謝されるのがむず痒いものだというのも、俺は初めて知った。
 それから俺たちは館まで歩き、入口の前で別れた。エルダーたちにはリュシアンから伝えてくれるらしい。

「それでは」

 そう言って去ろうとする背中に声を掛けたのはほとんど無意識だった。

「おやすみ、リュシアン」

 自分から言ったくせに途端に恥ずかしさが襲う。こんな子供のようなことをと内心で悶えていたら、リュシアンがこちらを振り返る。

「……良い夢を」

 静かな声を理解するのに数秒掛かった。その間にリュシアンは歩きだし、やがて背中が夜の闇の中に消えていった。
 そうなってようやく俺の体は動きだし、館の中に入ってどこかふわふわとした足取りのまま自室へと戻る。寝る支度を整えてベッドに入るその時まで、俺の頭の中はリュシアンでいっぱいだった。
 嬉しさと驚きが多い一日だった。
 握られていた手首がまだ温かい気がして目を細め、掛布の中で睡魔がやってくるのを待つ。
 久しぶりに眠るのが楽しみだと、そう思えた夜だった。

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