44 / 141
第二章
おやすみなさい良い夢を
「泣いたり笑ったり、忙しい人だ。あなたは」
リュシアンの言葉で今自分が笑っているのを知った。はっとして表情を引き締めようとするのだが、リュシアンを見るとそれがなかなか難しい。
「自分が思っている以上に嫌われてないのが嬉しいみたいだ。……悪い、みっともないな」
掴まれていない方の手で顔に触る。
自分では口角が緩んでいるのがわからないが、リュシアンのどことなく呆れたような顔を見るに、俺は今とてもだらしない顔をしているのだろう。
「あなたのそんな顔は初めて見ました。王都にいた頃は始終生意気な顔をされていたのに」
「そんな風に思っていたのか」
「失礼。口が滑りました」
微かにリュシアンの口角が上がった。
それを見て、俺も笑う。
「俺だってお前のそんな顔は初めて見た。いや、ここにきて色んな表情を見たけど、俺には初めてだな」
リオルやエルダーたちに向けるものとはまた違うけれど、この笑顔は俺だけに向けられたものだと思うと、自然と頬が緩む。
リュシアンと過ごしているなんて信じられないくらい、穏やかな時間が流れた。いつの間にか涙も止まり、目が暗闇に慣れたからか周りがよく見えるようになる。
それはリュシアンも同じだったようで、俺の顔を見て少し眉を寄せた。その表情の意味がわからず首を傾げると、不意に目元に温もりが触れた。
「少し、赤くなっているのか?」
独り言のような声と一緒に、リュシアンの指が目元を撫でる。
ぴりっとした痛みが走るが、俺は目を丸くして固まっていた。
いつの間にか距離が近付いていたからだ。
彫刻のような整った顔がすぐ側にあり、長いまつ毛に縁取られた瞳さえもよく見えるくらいの距離だ。
近い距離だからというのもあるかもしれないが、それがリュシアンだからか、心臓がやけに早く動き始めて頭の中に疑問符が浮かぶ。
「あ、あの、リュシアン」
「なにか」
思わず声を掛けると、金色の瞳と視線が絡まった。
そこでリュシアンも近さに気が付いたのか、少し気まずそうにしながら一歩下がってくれたことで、俺は安堵の息を吐いた。
「失礼を。つい、」
「大丈夫だ。ちょっと心臓がうるさいが」
曖昧に笑いながら答えるとリュシアンが黙った。
また種類の違う気まずさに焦りを覚え、俺は頭の中で必死に話題を探した。そして、厨房での出来事を思い出して口を開いた。
「そういえば、厨房で何か言いかけていなかったか?」
「……ああ」
リュシアンも思い出したのか一つ頷き、改めて俺の方を見た。
あの時はどこか言い淀んでいた雰囲気があったが、今はそうではない。
「あなたさえよければ、また一緒に食事をしていただきたい」
思っても見なかった提案に目を丸くするも、リュシアンが言葉を続ける。
「あなたがいてくれたら克服できるかもしれないと思いました」
「え」
「ご存知かと思いますが私は偏食です。昔毒を盛られ、そこから食事がうまく取れなくなりました。……ですが以前も、そして今回も、フィリアス様がいると少し症状が和らぎます」
「俺は何もしてないぞ」
「あなたはいてくれさえすればいい」
ますます意味がわからなくて困惑するが、考えるよりも先に口が動いた。
「ただいるだけでいいのか?」
その言葉にリュシアンの目元が少し和らぎ、そして頷く。
「はい。それだけで構いません」
風が吹いて少しだけ寒さを感じる。けれど握られた手首だけは温かくて、その体温に焦がれるみたいに俺は頷いた。
「わかった」
「ありがとうございます」
リュシアンからお礼を言われた。そんなことももちろん初めてで、少しだけ居心地が悪いと思った。でもこれは俺が照れているからだ。
人から感謝されるのがむず痒いものだというのも、俺は初めて知った。
それから俺たちは館まで歩き、入口の前で別れた。エルダーたちにはリュシアンから伝えてくれるらしい。
「それでは」
そう言って去ろうとする背中に声を掛けたのはほとんど無意識だった。
「おやすみ、リュシアン」
自分から言ったくせに途端に恥ずかしさが襲う。こんな子供のようなことをと内心で悶えていたら、リュシアンがこちらを振り返る。
「……良い夢を」
静かな声を理解するのに数秒掛かった。その間にリュシアンは歩きだし、やがて背中が夜の闇の中に消えていった。
そうなってようやく俺の体は動きだし、館の中に入ってどこかふわふわとした足取りのまま自室へと戻る。寝る支度を整えてベッドに入るその時まで、俺の頭の中はリュシアンでいっぱいだった。
嬉しさと驚きが多い一日だった。
握られていた手首がまだ温かい気がして目を細め、掛布の中で睡魔がやってくるのを待つ。
久しぶりに眠るのが楽しみだと、そう思えた夜だった。
リュシアンの言葉で今自分が笑っているのを知った。はっとして表情を引き締めようとするのだが、リュシアンを見るとそれがなかなか難しい。
「自分が思っている以上に嫌われてないのが嬉しいみたいだ。……悪い、みっともないな」
掴まれていない方の手で顔に触る。
自分では口角が緩んでいるのがわからないが、リュシアンのどことなく呆れたような顔を見るに、俺は今とてもだらしない顔をしているのだろう。
「あなたのそんな顔は初めて見ました。王都にいた頃は始終生意気な顔をされていたのに」
「そんな風に思っていたのか」
「失礼。口が滑りました」
微かにリュシアンの口角が上がった。
それを見て、俺も笑う。
「俺だってお前のそんな顔は初めて見た。いや、ここにきて色んな表情を見たけど、俺には初めてだな」
リオルやエルダーたちに向けるものとはまた違うけれど、この笑顔は俺だけに向けられたものだと思うと、自然と頬が緩む。
リュシアンと過ごしているなんて信じられないくらい、穏やかな時間が流れた。いつの間にか涙も止まり、目が暗闇に慣れたからか周りがよく見えるようになる。
それはリュシアンも同じだったようで、俺の顔を見て少し眉を寄せた。その表情の意味がわからず首を傾げると、不意に目元に温もりが触れた。
「少し、赤くなっているのか?」
独り言のような声と一緒に、リュシアンの指が目元を撫でる。
ぴりっとした痛みが走るが、俺は目を丸くして固まっていた。
いつの間にか距離が近付いていたからだ。
彫刻のような整った顔がすぐ側にあり、長いまつ毛に縁取られた瞳さえもよく見えるくらいの距離だ。
近い距離だからというのもあるかもしれないが、それがリュシアンだからか、心臓がやけに早く動き始めて頭の中に疑問符が浮かぶ。
「あ、あの、リュシアン」
「なにか」
思わず声を掛けると、金色の瞳と視線が絡まった。
そこでリュシアンも近さに気が付いたのか、少し気まずそうにしながら一歩下がってくれたことで、俺は安堵の息を吐いた。
「失礼を。つい、」
「大丈夫だ。ちょっと心臓がうるさいが」
曖昧に笑いながら答えるとリュシアンが黙った。
また種類の違う気まずさに焦りを覚え、俺は頭の中で必死に話題を探した。そして、厨房での出来事を思い出して口を開いた。
「そういえば、厨房で何か言いかけていなかったか?」
「……ああ」
リュシアンも思い出したのか一つ頷き、改めて俺の方を見た。
あの時はどこか言い淀んでいた雰囲気があったが、今はそうではない。
「あなたさえよければ、また一緒に食事をしていただきたい」
思っても見なかった提案に目を丸くするも、リュシアンが言葉を続ける。
「あなたがいてくれたら克服できるかもしれないと思いました」
「え」
「ご存知かと思いますが私は偏食です。昔毒を盛られ、そこから食事がうまく取れなくなりました。……ですが以前も、そして今回も、フィリアス様がいると少し症状が和らぎます」
「俺は何もしてないぞ」
「あなたはいてくれさえすればいい」
ますます意味がわからなくて困惑するが、考えるよりも先に口が動いた。
「ただいるだけでいいのか?」
その言葉にリュシアンの目元が少し和らぎ、そして頷く。
「はい。それだけで構いません」
風が吹いて少しだけ寒さを感じる。けれど握られた手首だけは温かくて、その体温に焦がれるみたいに俺は頷いた。
「わかった」
「ありがとうございます」
リュシアンからお礼を言われた。そんなことももちろん初めてで、少しだけ居心地が悪いと思った。でもこれは俺が照れているからだ。
人から感謝されるのがむず痒いものだというのも、俺は初めて知った。
それから俺たちは館まで歩き、入口の前で別れた。エルダーたちにはリュシアンから伝えてくれるらしい。
「それでは」
そう言って去ろうとする背中に声を掛けたのはほとんど無意識だった。
「おやすみ、リュシアン」
自分から言ったくせに途端に恥ずかしさが襲う。こんな子供のようなことをと内心で悶えていたら、リュシアンがこちらを振り返る。
「……良い夢を」
静かな声を理解するのに数秒掛かった。その間にリュシアンは歩きだし、やがて背中が夜の闇の中に消えていった。
そうなってようやく俺の体は動きだし、館の中に入ってどこかふわふわとした足取りのまま自室へと戻る。寝る支度を整えてベッドに入るその時まで、俺の頭の中はリュシアンでいっぱいだった。
嬉しさと驚きが多い一日だった。
握られていた手首がまだ温かい気がして目を細め、掛布の中で睡魔がやってくるのを待つ。
久しぶりに眠るのが楽しみだと、そう思えた夜だった。
あなたにおすすめの小説
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
妹を救うためにヒロインを口説いたら、王子に求愛されました。
藤原遊
BL
乙女ゲームの悪役令息に転生したアラン。
妹リリィが「悪役令嬢として断罪される」未来を変えるため、
彼は決意する――ヒロインを先に口説けば、妹は破滅しない、と。
だがその“奇行”を見ていた王太子シリウスが、
なぜかアラン本人に興味を持ち始める。
「君は、なぜそこまで必死なんだ?」
「妹のためです!」
……噛み合わないはずの会話が、少しずつ心を動かしていく。
妹は完璧令嬢、でも内心は隠れ腐女子。
ヒロインは巻き込まれて腐女子覚醒。
そして王子と悪役令息は、誰も知らない“仮面の恋”へ――。
断罪回避から始まる勘違い転生BL×宮廷ラブストーリー。
誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。
なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?
詩河とんぼ
BL
前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
嫌われ魔術師の俺は元夫への恋心を消去する
SKYTRICK
BL
旧題:恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!