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七章

伯爵ケニー

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 その日、伯爵ケニーことケネス・シーヴァースは『ある人物』からのメールを受け取っておりました。

 『親愛なる伯爵ケニーへ。
 「新・大砲クラブ」の会報誌に載った貴殿の論文、読ませていただきました。いつもながら宇宙進出への情熱に満ちたすばらしい内容でした。たしかに貴殿のおっしゃるとおり、宇宙への夢は人類をひとつにまとめ、輝かしい未来へといたるひとつの道となりえましょう。
 しかしながら、貴殿の楽観主義は少々、幼稚に過ぎるものと言わざるを得ません。人類のこれまでの行いを顧みれば宇宙に進出したからといって突然、倫理的に向上するとはとうてい思えません。仮に人類が他の惑星に到達したとして、その惑星が生物がいた場合、なにが起きるでしょう? 人類は彼らと共存しようとするでしょうか?
 いいえ、そうはならないでしょう。支配し、搾取しようとするはずです。であれば、人類の宇宙進出はまぎれもなく宇宙に対する侵略行為そのものであり、とてつもない災厄を撒き散らす結果ともなりましょう。技術的な問題以前にどうかその点を、すなわち、
 「人類は宇宙に進出する資格があるのか」
 という倫理的な問題をぜひ、検討していただきたく存じます。
              男爵ヴィクター』

 残された記録によれば、この時点でケニーは男爵ヴィクターと名乗る人物と直接の面識はありません。ですが、これまでに何度もメールでやりとりをしていました。そのたびにヴィクターは人類の宇宙進出を否定し、ケニーの姿勢を批判するのでした。
 ケニーはそんなヴィクターの態度に相当に苛立っていた模様です。憎んでいた、と言ってさえいいかも知れません。宇宙進出はケニーの子供の頃からの夢でした。幼い頃からそれだけをめざし、ただひたすらに科学の道を歩んできたのです。そんなケニーにしてみれば自分の夢を真っ向から否定するこの人物に対して好意的でいられるはずもありませんでした。
 このメールに対する返事として以下のものが残されております。

 『前略 男爵ヴィクター殿。
 貴殿の危惧はもっともだとは思いますが、だからといって人類の宇宙進出を否定なさるその態度には失望を禁じ得ません。そもそも、どこまでも広まり、繁栄しようとするのは生物の本質。人類の宇宙進出を宇宙への侵略行為として否定するのなら、この地球に生命が誕生したこと自体を否定しなくてはならなくなるはずです。なぜなら、地球といえど誕生以来、いまの姿だったわけではなく、その身のどこかで誕生した生物が広まり、環境を変えてきたからこそ、いまの地球があるからです。言ってしまえば生物の存在それ自体が環境破壊なのです。
 貴殿はそれを理由に生命の歴史そのものを否定なさるのですか? それはつまり、人類の存在を、そして、ご自身の存在さえも否定なさることです。それが正しいことなのですか? 生物として生まれ、生物としての歴史を背負ってここにいる以上、我々は生物の本質に従うべきだと考えます。すなわち、どこまでも広まり、栄えること。そのためにこそ、地球生命をはるか宇宙の果てまで運ぶためにこそ、知的生命は存在するのではありませんか? もし、原生人類にそれができなければはるか未来において生まれる別の知的生命がそれを成し遂げることでしょう。それは一種族の思いではなく、「ガイア」という一大生命圏そのものの悲願だと考えています。
 貴殿は「人類の宇宙進出は宇宙への侵略だ」と重ねて言われる。ですが、人類はいまだにひとつの宇宙生命も知りません。いるかどうかもわからない存在のことをおもんばかり、人類を一惑星上におしとどめておこうなど、あまりにも後退的な姿勢というもの。それは人類に対する裏切りとさえ言えましょう。貴殿も科学者ならば未来への情熱をおもちのはず。どうか、行きすぎた博愛思想によってその思いを抹殺したりなさいませぬよう。
              伯爵ケニー』

 書きあげたメールを送信しながらケニーは呟きました。
 「……そうとも。誰がなんと言おうとやめるわけにはかない。おれにはもう宇宙しかないんだからな」
 階下からがなり声が聞こえてきたのは、ケニーがそう呟いた、まさにそのときでありました。
 「開けろ、警察だ!」
 機関車が走るかのような声が響きます。
 マオガニー製の玄関ドアをドン、ドンと打ち鳴らしながらジャックは叫びます。
 『返事がなければそのままドアをぶち破って侵入するつもりだった』
 と、後にジャックは語ったものでございます。
 「警察だと言ってるだろう、とっとと開けろ!」
 ドン、
 ドン、
 ドン!
 ジャックはドアを叩きつづけます。
 その後ろではビリーが乱れた前髪を汗でピットリと額に張りつけて、両手を膝に置いた姿勢で息を切らしておりました。例によって勝手に突っ走る上司に付き合わされ、息も絶え絶えなのでございます。
 「無茶は……しないほうが……いい。そのうち……撃ち殺されるぞ」
 「やかましい! 撃たれるのが恐くてデカが勤まるか!」
 「私に……撃ち殺されないよう……気をつけろと言っているのだ」
 『……汗で顔に張りついた前髪の間から見上げてくるあの目。マジで恐かった』
 と、後にジャックは語っております。
 ドアの内側で鍵の開く音がしました。音に気付いたジャックは数歩下がり、脇に身をよせました。ドアが開いたとたん、撃たれないようにとの用心です。もちろん、右手では銃のグリップをしっかり握り締めておりました。
 幸い、銃声の響くことはなく、ドアは静かに開きました。伯爵ケニーが姿を現しました。
 ジャックは応対に出てきた家の主人に向かって獰猛な笑みを浮かべると、警察手帳を取り出しました。
 「警察署長のジャック・ロウだ。人によっては『暴れん坊ジャック』なんて呼ぶこともあるようだがね」
 「警察?」
 ケニーは首を傾げました。
 あまりにも聞き慣れない言葉を聞いたので必死にその意味を思い出そうとしている。そんな様子だったと言います。
 「警察ね。そんなものがまだ活動していたのか」
 とは、この都以外、世界のどこに行っても聞けない感想だったでしょう。
 「あいにくと健在なんだ」
 ジャックは警察手帳をしまいながら言いました。その態度をがさつで野蛮と思ったのでしょう。憂いを帯びた芸術家風の青年は顔をしかめて見せました。
 「何の用かは知らないが、玄関先にいられては迷惑だ。入れ」
 ケニーはぶっきらぼうにそう言うとふたりを家のなかに招き入れました。
 ケニーは黙ってソファーに腰を下ろしました。ジャックとビリーも向かい側に腰を下ろします。ジャックが何か言うよりも先にケニーが口を開きました。
 「警察、と言っていたな」
 「ああ。警察だ」
 「それで? その生きている化石が私になんの用だ?」
 「生きている化石ね。さすがに科学者どのはそれっぽい表現を使う。まあ、生きていると認めてもらえただけよしとしとくか」
 「用件は?」
 ケニーは苛々した様子で言いました。
 「そうそう、用件ね。これなんだがね。知ってるよな、これ?」
 と、ジャックは火星開発用作業スーツ、通称『スプリンガルド』の図面を突きつけました。
 ケニーは驚いた様子でしたが、驚きの理由はジャックの予想とはちがうものでした。
 「それは『新・大砲クラブ』の会報誌。よく、そんなものを見つけ出したな。一般にはほとんど知られていないはずだが……」
 「なあに。ここにいる部下のビリー。こいつが科学マニアでね。たまたまもっていたのさ」
 紹介されてビリーは会釈しました。尊敬する科学者を前にして目はきらきらと輝き、頬は紅潮しています。どう見ても憧れの君を前にしたかわいい女子高生。このときの彼女を見て実は二六歳だの、警官だのと思う人間はいなかったことでしょう。
 ケニーは真っすぐに見つめられてふと視線をそらしました。頬がかすかに赤くなっています。
 ――なるほど。女には弱そうだな。
 ジャックはそう思ったそうです。
 「それでだ、伯爵ケニーさん。あんたはこれのこと、知ってるよな?」
 「もちろんだ。私の書いた図面だからな」
 「では、このスーツと、いま世間を騒がしているバネ足ジャックとがよく似ていることにも気付いているはずだな?」
 ケニーの目が光りました。ジャックは気づかない風をよそおってふてぶてしい笑みを浮かべています。
 「私の設計したスプリンガルドとそのバネ足ジャックとやらに関係があると?」
 ジャックは身を乗り出しました。ケニーをにらみつけます。
 「その可能性は大いにある、とおれは思っているのさ。何しろ、バネ足ジャックの目撃情報とスプリンガルドとはそっくりなんでな」
 「ほう?」
 「そんなわけでこのスプリンガルドに大いに興味があるってわけさ。どうだい、ケニーさん。こいつを見せちゃくれないか?」
 「あいにくだがスプリンガルドは設計しただけだ。実際に制作してはいない」
 「本当に?」
 「もちろん」
 「では、家のなかを調べさせてもらおうか」
 「調べる?」
 「ああ、そうだ。こいつも警察の仕事だからな。少しでも疑わしいならとにかく調べる。その結果、何も出てこなければあんたも疑いが晴れるし、我々も仕事が進む。どうだ? お互いにとっていい話だろう?」
 「断る」
 「なぜだ? 何もないならかまわないはずだろう? それとも、まずい理由でもあるわけか? ないはずのものが地下室あたりにしまってあるとか……」
 ジャックの露骨な挑発をケニーは鼻でせせら笑いました。
 「どう思おうと勝手だがね。私は他人に家のなかをかきまわされたくないだけだ。第一、『警察として』人の家を捜索するには相応の手続きが必要だったはずだ。たしか、家宅捜索令状だったかな? それはあるのか?」
 「ぐっ……」
 痛いところをつかれてジャックは押し黙りました。もちろん、そんなものはございません。家宅捜索令状は裁判所から発布されるものですが、そんなところはよりもせずにやってきたのです。令状などあるはずもありません。
 仮に裁判所に訴えたところで発布してはもらえないでしょう。警察の存在価値のない霧と怪奇の都では裁判所にもやる気がありません。どんより曇った目で突き出た腹をさすりながら、
 『令状? そんなものいらんだろう。怪しいやつがいたら撃ち殺せばすむ話じゃないか。わざわざよけいな手間をかける必要はない』
 と、言われるだけでございますから。
 それがわかっているから直接やってきたのです。ですが、たしかに『警察として』行動するためには令状が不可欠です。それなしに勝手に他人の家を家捜ししたりしたら、ジャックこそが犯罪者になってしまいます。
 ケニーが蔑むように言いました。
 「わかったようだな。令状なしではお前が犯罪者だ。逆におれがここでお前を撃ち殺しても誰からも文句は出ない。それは万人に認められた権利だからな」
 万人に認められた権利。
 またしても使われたその言葉にジャックがたちまち怒気をあらわにしました。テーブルに手をついて立ち上がり、獰猛な人食いライオンの表情でケニーにつめよりました。
 「万人に認められた権利だと? 上等じゃねえか。てめえみてえな青ビョウタンがどうやってこの暴れん坊ジャックを殺そうってんだ? やれるもんならやってみやがれ」
 「では、お言葉に甘えて」
 ケニーは懐から一丁の銃を取り出しました。ジャックの額に突きつけます。
 「おれは文明人なんでな。お前みたいな原始人とちがって殴りあったりはしない。あくまで知的に、文明的に殺る」
 「なにが文明的だよ。文明人ってのは堂々と喧嘩することもできねえ臆病な卑怯者のことか?」
 「ぜひ、おれのところに化けて出てくれ。前々から幽霊を捕まえて研究したいと思っていた」
 毛には静かにそう言いました。そして――引き金にかけていた指に力を込めたのでございます。
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