想いを明かせぬ怪人は、          都市の闇に跳ぶ自分を嗤う

藍条森也

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一一章

ジャック奔走

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 霧と怪奇の都警察本部はジャック・ロウという名の嵐に見舞われました。ジャックは体内の怒りを噴火させ、手当たり次第に当たり散らしたのです。
 デスクは殴りつけられ、ロッカーは蹴飛ばされ、警察には貴重なパソコンまで投げつけられてスクラップと化す始末。
 たっぷり一時間も暴れまわり、署内の部屋という部屋すべてを大地震直後のようなありさまに変貌させて、ようやく嵐はおさまりました。ジャックは体中汗でぐしょ濡れにさせてスクラップと化した備品の山のなかで息を切らして座り込んでいました。せっかくのヴィクトリア朝風のクラシックなスーツもすっかり着崩れ、汗でよれよれになり、台無しです。そんなジャックをビリーが冷ややかに見つめていました。
 「見てられんな。いい歳をした男が駄々をこねる姿というのは」
 「なんだと!」
 ぎらり、とジャックは殺人的な眼光でにらみつけましたが、美少女の外見をもつ科学マニアの女捜査官はびくともしませんでした。
 「惨めにもほどがあると言っているのだ。もの言わぬ道具に八つ当りとは、それが暴れん坊ジャックの名の由来か。恥ずかしいにもほどがあると思うぞ」
 「うるせえ!」
 ジャックは叫びましたが、その声は大きいばかりで張りも艶もありませんでした。
 「お前におれのくやしさがわかってたまるか! 殺人鬼が暴れまわってるってのに誰も警察に期待しねえ。とうの警官さえ、それを悔しいと思わねえ。それどころか好都合だと思ってやがる。何が警察だ、何が暴れん坊ジャックだ、税金で飼われてるただのペットじゃねえか!」
 「ペットというほど愛されてはいないと思うぞ」
 ビリーの冷静な指摘にジャックはまたもにらみつけました。ビリーはそんなジャックに向かって言いました。
 「それで? 君はその在り方を変えたいわけか?」
 「当たり前だ! 警察が殺人犯を捕まえることを期待される、そんな普通の社会を望むのは当然だろう」
 「何が当たり前かを決めるのは多数派の意識だ」
 ビリーはそう指摘してからつづけました。
 「ともかくだ。変えたいと思うならそのための行動をとるべきだと思うぞ。八つ当りしていても何も変わるまい」
 「どうしろってんだ? どうすりゃいい? どうすれば変えられる? 方法があるなら教えてくれ!」
 ビリーはあっさり上司の要望に応えました。
 「まずは数をそろえることだ」
 「なに?」
 「この都にも死刑権の解放に反対する人間はいる。数は少ないがな。やる気のない警官たちを全員クビにして、君と志を同じくするやる気のある人間を集めることだ。
 幸い……と言うわけにはさすがにいかないが、切り裂きジャック事件のおかげで死刑権解放に対する疑念が高まっている。いまなら君の言うことを聞くものもいるだろう。数は力だ。どれほど少なくとも集団になれば個人でバラバラに活動するよりも大きな影響力を発揮できる。それが一定数以上になれば社会的に見ても無視しえない勢力となる。まずはそこからはじめることだ」
 「人集め、か」
 「そうだ。それにだ。ここまで被害が拡大しているのにはふたつの大きな要因がある。ひとつは包括的に事件捜査を行なう機関がないこと。ひとつは他人の銃が恐くてひとりで行動するのがもっとも安全だという常識があること。この二点だ。
 警察が切り裂きジャックを逮捕すれば、人々は警察という組織の利便性を思い出すだろう。自己の利益を求めて情報を隠し、足を引っ張りあう民間組織ではなく、情報を共有し、ひとつの事件を包括的に捜査できる公的機関の長所をな。
 それに、死刑権が解放されているかぎり、警察は切り裂きジャックを逮捕できない。捕まえたとしても釈放せざるをえない。だが、さすがにこれほどの危険人物を再び野放しにしたいと思う市民はいないだろう。復讐するにも姿ひとつ見かけられないのだからな。となれば死刑権の解放を見なおさなくてはならない。
 その上で市民同士で一緒に行動することもできない現状を指摘すれば、市民も多少は考えなおすだろう。少なくとも、小学校での射殺訓練はやりすぎたと思う程度にはな」
 ビリーの言葉を聞いているうちにジャックは見るみる英気を回復させていきました。しおれていた青菜が水につけられ、たちまち葉をピンと張るような、そんな劇的な変化だったと言います。
 ビリーが言い終える頃にはすっかりいつものジャックに戻っていました。目には生気が踊り、口元にはふてぶてしい笑みが宿り、着くずしていた服を整え、髪をなおし、トレード・マークの帽子をかぶる。警察名物、暴れん坊ジャックの復活でした。
 「よっしゃ。それで行こう。さっそく、行動開始だ。行くぞ!」
 言うなりイノシシのごとく駆けていきます。
 ――いったい、どこに行く気なのだ?
 ビリーはそう思いましたが、ジャックはすぐに戻ってきました。勢いあまって通り過ぎようとするのをドア枠に手をかけて食いとめ、帽子を手で押さえながら尋ねました。
 「おい! 誰か手頃な心当たりはいないか?」
 「……ニコル・バーグマン。死刑件解放反対派のなかではちょっとした顔だ」
 「どこにいる?」
 「イーストタウン七-一二-三、アリス通りに面したアパートに住んでいる」
 「よし、行くぞ。ついてこい」
 言うなり再び走り出すジャックです。
 「……礼も言えないのか、あの男は」
 と、ぼやきながら後につづいて歩き出すビリーでした。
 その日からジャックの奔走がはじまりました。少しでも見込みのありそうな相手なら時間を問わずに飛び込んでいって協力を要請し、かき口説いたのです。ほとんどは迷惑がられただけでしたが、たまには話を聞いてくれる相手もいました。その内の何人かは興味を示しもしてくれました。ニコルの協力もあってほどなく三〇人ほどの有志が集まっていました。
 本来であれば警官になるためには専門の教育を受ける必要があります。ですが、そこは忘れされている組織の強み。誰もそんなことは気にせず、彼らは一日にして新警官として採用されました。それとにともない、従来からの警官は全員、クビになりました。
 完全な素人集団と化したわけですが、どうせ従来の警官たちにしても捜査に必要な知識や技術を身につけているわけではありません。
 警察学校では居眠りするか、おしゃべりするか、ゲームをするかで、まともな勉強などしていないのです。教官からして『一人前にしてやろう』などという気は欠けらもないのですから、生徒たちが中身まで警官になるわけがありません。
 どうせ『服だけ警官』ならやる気のある分、新警官のほうがはるかにましというものでした。
 もちろん、三〇人という人数では霧と怪奇の都全域をカバーするにはまるで足りません。警察組織としてはあまりにも非力です。ですが、とにかく核となる組織はできました。小規模なら捜査網を敷くぐらいはできる。ジャックとビリーのふたりですべてをやらなくてはならなかったことから考えれば格段の強化と言えました。
 ジャックは新警官たちに三人一組でのパトロールと定時連絡の徹底を指示すると、自分は警備会社や賞金稼ぎ相手の聞き込みに奔走しました。ですが、あくまでも営利企業である彼らにしてみれば情報はなによりの宝。他人に知らせるはずもなかったのです。いくらねばっても結局、門前払いを食うだけでした。
 ですが、ジャックはめげませんでした。いままでは自分とビリーのふたりだけで何もかもやらなくてはならなったのです。それが、いまでは三〇人もの同士が一緒に行動してくれているのです。その喜びの前には苦難も平気だったのです。
 新警官たちの立ち居振る舞いも様になり、警察組織の刷新が一息ついたある日のことです。警察署において歴史上驚くべく出来事が起こりました。それはジャックの彼らしくない素振りからはじまりました。
 ふいにビリーを見ると顔をそむけ、また視線を向けては、顔をそむける。鼻の頭などをかいてみる。そわそわした仕草といい、やけに照れている様子でした。
 『よく日焼けしているのでわかりずらいのだが、頬を赤くしてさえいるようだった』
 とは、後にビリー本人が語っていることです。
 「……どうした?」
 『気味悪いぞ』と、思いながらビリーは尋ねました。
 「いや、その……なんだ」
 「………?」
 「その……ありがとう、な」
 「な、なんだ、急に!」
 「いやあ……つい興奮して礼を言うのを忘れちまってたからな。心から礼を言うよ。お前が教えてくれなかったらおれひとりじゃどうしていいかもわからなかった。お前のおかげで行動できる。本当にありがとう」
 帽子を胸に当て、頭を下げる。クラシックな礼法で感謝を捧げられて、ビリーは彼女らしくもなく頬を赤くなるのを感じたそうです。
 「い、いや、そんな……私はただ……」
 「それにニコルのことも。いくらお前だってそんなことまで知っているわけがない。わざわざ調べておいてくれたんだろ?」
 「それは、まあ……」
 「重ねて感謝する。ありがとう」
 『そう言われて頬を真っ赤に染めてそっぽを向いてしまった。わが生涯であれほどの不覚はない!』
 と、ビリーは後に語っています。
 ジャックは帽子をかぶりなおしました。きっちりと位置を決めてニヤリと笑ってみせます。
 「さて、それではビリー」
 「な、なんだ?」
 「謝恩会を兼ねて警察の再生を盛大に祝いとしよう。今夜はとことん盛り上がるぞ。エールでもスコッチでもジャンジャン飲んでくれ」
 「……私は焼酎がいいな」
 「よっしゃ。焼酎でもウォッカでもなんでもござれだ。さあ、いくぞおっ!」
 両腕を大きく振りかぶって雄叫びをあげ、歩き出すジャックでした。ビリーはやれやれと頭を振って後について行ったのでした。
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