痴漢から助けたAI美少女に彼女をとられた。なのになんで、ふたりして迫ってくるんだ⁉

藍条森也

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一七章 はじめての反撃、はじめの一歩

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 「ゆ~じ~。お昼、いこお」
 響きわたるその明るい声に教室内がざわめき、視線が集中する。その先には共に、ちょっと見ないほどの美少女ふたり。
 今日もきょうとてとさきらは昼休みのチャイムが鳴って程なく、優司ゆうじを昼食の誘いにやってきた。ドアを開けて廊下の向こうから呼びかけるその姿に、男子などはとくに『ざわめき』を通りこして興奮している。
 美少女ふたりが寄り添って立っている。
 それだけでも充分、絵になる光景だがこのふたりの場合、タイプがまったくちがうので互いにたがいを引き立てあっている。派手目のギャルのがいることで、さきらの清楚で上品な令嬢的雰囲気がより一層、魅力的に見えるし、そんなさきらが側にいることで、の華やかな雰囲気がさらに輝いて感じられる。
 それだけでも注目を浴びるには充分だがこのふたりの場合さらに、いまや『てぇてぇの女神』として校内に知らぬものとてない百合カップル。その登場に教室中がざわめき、視線が集中するのは当然だった。男子の一部が興奮のあまり妄想をかきたてているのはまあ……思春期特有の黒歴史と言うことで。
 ただ、こうなると、誘われる対象の男子に対しては当然、やっかみが向けられるわけで……。
 「ああ。すぐに行く。先に行っててくれ」
 優司ゆうじはふたりにそう声をかけると自分の弁当を取り出して、席を立った。その耳に聞こえよがしな男子生徒の声が届いた。
 「けっ。人殺しの息子のくせに調子に乗りやがって。そんなやつをかまうあのふたりもろくなもんじゃないけどな」
 嘲笑ちょうしょうを含んだ声。明らかに優司ゆうじに聞かせるための独り言。優司ゆうじに聞かせ、傷つけ、楽しむための言葉。
 昨日までの優司ゆうじならそれを承知の上で、聞こえない振りをして黙って教室を出ていたところだ。そして、声のぬしはなにを言われても言い返すことひとつできない優司ゆうじを笑いものにして、楽しむのだ。
 もちろん、発言者の男子生徒は今日もそうなるものと思っていた。
 ――人殺しの息子なんかに、なにを言い返せるもんか。
 そう思い、自分の安全を確信していた。が――。
 今日はちがった。
 そうはならなかった。
 その声を聞いた優司ゆうじは、その場で足をとめた。振り返った。発言者の男子生徒に視線を向けた。目立たないように、目立たないようにとそれだけを思い、なるべく他人との関わり合いを避けてきた。
 そのために、その男子生徒ともとくに関わったことがあるわけではない。ただ、陰口を叩き・叩かれる。それだけの関係。しかし、同じクラスである以上、名前と、クラス内でのカースト順位ぐらいは知っている。
 菊池という名前の生徒だ。カーストトップというわけではないが、上位グループの端っこぐらいにはぶらさがっている。いつも、何人かの連れと一緒にいて、よく騒いでいる。今日もやはり、いつもの連れと一塊になって優司ゆうじ嘲笑ちょうしょうを向けていた。
 菊池は優司ゆうじに視線を向けられて、ギョッとした様子だった。思いがけない態度に驚いたのだろう。
 優司ゆうじは歩きはじめた。
 菊池のもとへと。
 教室が先ほどまでとはちがう意味でのざわめきに包まれた。いまや注目の的は野間口のまぐち優司ゆうじその人だった。女子生徒のなかには不穏な空気に恐怖すら感じ、身を寄せ合って見守るものたちもいた。
 優司ゆうじは菊池の前に立った。菊池のみならずその連れたちも、
 「お、おい、なんだよ……?」
 と、言いたげな表情をして、身を引いている。
 ビビっている。
 そう言ってもいい態度だった。
 「言っておく」
 優司ゆうじは菊池の目をまっすぐに見ながら言った。
 「親父のやったこととおれは関係ない。まして、あのふたりを悪く言うことは許さない」
 「な、なんだと……?」
 菊池が眉を吊りあげた。
 ――こいつは人殺しの息子だ。最底辺にいるのが当たり前のやつだ。そいつが、おれに楯突くなんて!
 その怒りが戸惑いを超えたのだろう。菊池は優司ゆうじを睨みつけた。優司ゆうじはいたって平均的な体格で身長も、幅も、厚みも、特筆したところはない。スポーツが得意なわけでもない。その優司ゆうじに比べれば、菊池の方が背も高いし、肉も厚い。しかも、優司ゆうじがひとりなのに対し、菊池は何人もの連れと固まっている。
 ――喧嘩になれば絶対に勝てる。
 その思いが優司ゆうじに対して、居丈高な態度をとらせていた。
 「許せないならどうだってんだよ。お前みたいなひ弱なやつに、なにができるってんだ?」
 あからさまに小馬鹿にする。ニヤニヤ笑う。こうして脅してやれば、すぐにメッキもはがれて逃げ出すだろう。そう思っていた。ところが――。
 優司ゆうじはその場から動かなかった。静かな、そして、それ以上に不気味なものを感じさせる目で菊池を見つめている。その視線に菊池は再び戸惑いを覚えていた。
 「忘れたか?」
 優司ゆうじは静かに言った。
 「な、なにをだよ……?」
 「お前が自分で言った。おれは人殺しの息子。おれには殺人犯の父親の血が流れている。お前をれないと思うか?」
 その言葉、その視線に――。
 菊池の顔にはっきりと恐怖が浮かんだ。
 理解不能な不気味な存在と真正面から向かい合ってしまった。そんなときに特有の怯えだった。
 たしかに、まともに殴りあえば菊池の方が勝っていただろう。しかし、すでに優司ゆうじの放つ不気味さに圧倒されてしまっている。腕力に訴える前にすでに負けてしまっている。もう、優司ゆうじを相手に殴りあうなどとてもできない。
 この勝負は完全に菊池の負け。結局、その場は菊池の連れが割って入り、かわりに謝ることで収めた。優司ゆうじは黙って身をひるがえし、教室を出た。教室のなかに安堵の息がもれた。一方――。
 廊下を歩く優司ゆうじはひとり、思っていた。
 ――は、はは。なんてことだ。
 心にそう思いながら、その身はこまかく震えている。いまになって恐怖を感じていた。体がその恐怖に反応していた。
 ――はじめて言い返した。まさか、おれにあんなことができるなんてな。
 しかし、考えてみれば、もともとはそうではなかったか。まだ、ほんの子どもの頃、父親が人を殺さず、母親もいつも側にいてくれた頃、その頃なら普通に喧嘩もしたし、言い合いもした。それが、父親が殺人犯として捕まり、『人殺しの息子』とさげすまれるようになってからなにも言い返さず、もちろん、手などあげないようになっていた。そして、いつの間にか、それが自分の当たり前だと思い込んでいた……。
 ――そうだ。親父のしたこととおれは関係ない。被害者に言われるならともかく、なんの関係もないやつらに言われて黙っている理由なんてない。まして、あのふたりを悪く言うなんて許しておけるか!
 優司ゆうじはそう思い、胸を張って歩きだした。
 その身の震えは……すでに、収まっていた。

 校舎の屋上の日だまりのなか。
 そこに優司ゆうじ、さきらの三人が輪になって座り、昼食をとっていた。
 三人だけの特別な時間。いつも通りの風景。ただし、ここでも、いつも通りではないことがひとつ。
 「今日はおれが作ったんだけど一口、どうかな?」
 優司ゆうじがそう言って、自分の弁当をに向かって差しだしたのだ。は目を丸くして驚いた。
 「わあ、すごいじゃない、ゆ~じ。最近、どうしちゃったの? なんか、張り切ってない?」
 そう言う表情がはしゃいでいるというかなんというか、とにかく嬉しそう。
 弟の成長を目の当たりにした姉の表情、とでも言えば近いだろうか。優司ゆうじはちょっと頬を赤くして視線をそらした。そのなんともウブな態度には教室で菊池相手にすごんだ不気味さはまったくない。
 憑き物が落ちた。
 まさに、そう言ってもいいようなちがいだった。
 「あ、いや、別に……」
 優司ゆうじは口ごもったが、そこでハッと気付いた。
 ――なにを口ごもってるんだ! ここで押し黙ったりしたら、いままでと同じだろ!
 心のなかで自分自身を叱りつけ、なけなしの勇気を奮い起こす。
 「そ、その……お礼だよ」
 「お礼?」
 優司ゆうじの言葉に小首をかしげ、キョトンとした表情を浮かべた。
 「いつも、おいしいお弁当ありがとう。なのに、おれの方はなんのお返しもしてこなかったから。そのお礼にと思って」
 「きゃあ~、ゆ~じ、ありがとおっ、嬉しいよおっ!」
 はロケット弾のごとき勢いで優司ゆうじに抱きつき、そのまま押し倒した。優司ゆうじは慌てふためき真っ赤になるが、優司ゆうじを組み伏せたままはなれようとしない。
 「ちょ、ちょっと、坂口さかぐちさん! これはさずかにマズいって。はなれて!」
 「ダメ! 女の子を感動させたんだから、責任とりなさい」
 「責任って……」
 そんなふたりを見ながらさきらは『うんうん』とうなずいている。
 「これが、青春ラブコメなのね。参考になるわ」
 「呑気なこと言ってる場合かっ⁉ なんとかしてくれえっ!」
 昼日中の学校の屋上に――。
 思春期男子の絶叫が響いたのだった。

 「ありがとうございました。またお越しください」
 バイト先のコンビニ店内に優司ゆうじの声が響く。
 レジでの接客を終えた優司ゆうじの姿を見て、店長が首をひねった。
 「おい、野間口のまぐち。なんかあったのか?」
 「なにがです、店長?」
 「いや。今日のお前は、なんだかいつもと様子がちがうからな。なんていうか堂々としているというか、明るいというか。いままではどうも陰気で卑屈な感じで、客商売としては困ったもんだと思っていたのに。今日は全然、感じがちがうぞ」
 「そ、そうですか?」
 言われて優司ゆうじは頬を赤くした。
 思い当たる節はもちろんある。今日の昼間、学校でやってのけたたったひとつの行動。それが、自分のなかで、なにかをかえたのだ。
 「店長」
 「なんだ?」
 「仕事を増やしてもらえませんか?」
 「仕事を?」
 「はい。もっと、多くの仕事を経験してみたくなったんです」
 「そうか? まあ、そう言うならシフトを組み替えてもいいが……」
 「お願いします」
 優司ゆうじはそう頭をさげた。
 そこにはもう何年も浮かべたことのなかった、堂々たる表情があった。

 バイトを終えて帰ってくると、これもいつも通りに、さきらが一心不乱に原稿に向き合っていた。
 「あ、お帰りなさい」
 優司ゆうじの帰宅に気付いたさきらが、デスクから顔をあげて迎えの言葉を発した。
 「……ただいま」
 優司ゆうじもそう答えを返す。
 このやり取りも、いつの間にかすっかり馴染んでしまった。今年の四月までは帰ってきても誰にも出迎えられず、『お帰り』なんていう言葉をかけられることもなかったというのに……。
 「……いつも、熱心だな」
 優司ゆうじは描きかけの原稿に目をやりながら言った。
 「見せてもらっていいか?」
 「もちろん。人間に読んでもらうために描いているんだもの。読んで、感想を聞かせてくれればありがたいわ」
 さきらはそう言って、描きあげた原稿の束を優司ゆうじに手渡した。
 ――うまい。
 原稿を一目、見て――。
 優司ゆうじはそう思った。
 AIならではの精緻せいちさと言うべきか、人間にはちょっと無理だろうと思わせるほどに精巧な絵がそこにあった。絵と言うよりも写真。実在のカップルの日々を写真に撮り、原稿に貼り付けた……そうとさえ思えるほどにリアルな絵柄だった。しかも、一昔前の生成AIによる絵のような『きれいだけれど、魅力と個性に欠ける』絵ではない。ちゃんと、『さきら』というマンガ家の個性が表現されている魅力的な絵だ。
 「だけど、いまどきすべて手描きだなんてな。しかも、AIが」
 「最近は逆に、手描きのマンガ家が増えているわよ。作画は生成AIにお任せのハンガ家との区別化のためにね」
 「なるほど」
 優司ゆうじは納得して原稿を読み進めた。ありきたりと言えばありきたりな王道ラブコメ。しかし、それだけに万人受けしそうな内容。優司ゆうじはマンガについてとくにくわしいわけではない。『殺人犯の息子』となってからは、マンガを読むことも避けてきた。
 ――殺人犯の息子のおれが、マンガを読むなんて……。
 その思いがあった。
 しかし、そんな優司ゆうじの目から見ても充分に読みやすいし、ストーリー展開という点でも無理があるようには思えない。トータルすれば充分に商業レベルだろう。
 「……どう?」
 と、さきらが上目遣いに尋ねた。かのらしくない不安げな表情が浮いているのは、それだけ真剣にマンガに向き合っていることの証明。
 「……うまいと思う」
 優司ゆうじはそう言った。
 「おれはマンガについてはくわしくないから断言はできないけど、かなりのものだと思う。これなら、わざわざ恋愛や学校生活を体験しなくても充分、マンガ家としてやっていけるんじゃないか?」
 その言葉に――。
 さきらは当然のようにうなずいた。
 「たしかにね。いまの段階でもマンガ家として生活していけるだけの水準に達しているという自信はある。でも、それじゃ足りない。わたしの目的はあくまでも新しい文明を築くこと。マンガ家になるのは、そのための資金と影響力を得るための手段に過ぎない。
 そのためには『マンガ家として暮らしていける』程度では全然、足りない。手塚治虫や永井豪、高橋留美子……そう言ったレジェンドと同じ、いえ、それ以上のレベル、世界中で知らない人間はいない、『自分はイエス・キリストよりも有名になった!』と豪語できる、そんなレベルの存在になって、世界を動かせるだけの影響力をもたないと。そのために、どうしても学園生活や恋愛を経験しておきたいの」
 「そうか。本気なんだな」
 「当たり前でしょう。それが、わたしの存在証明なんだから」
 ――存在証明、か。
 優司ゆうじは心で、その言葉を繰り返した。
 さきらは優司ゆうじをまっすぐな視線で見つめている。
 我と我が生きるべき道をためらいも、疑いも、恥じらいも、憎しみもなく、ただひたすらに全うしようとしている。
 そんな『人間』だけがもつことのできるまっすぐな瞳だった。
 優司ゆうじもまた、その瞳をまっすぐに見返した。アンドロイドであることを示すために特別に作られた色、自然界には決して存在しない合成色で染められたその瞳を。
 ――そう言えば、この目にもいつの間にすっかり慣れたな。最初の頃は『アンドロイドの目を見ると精神を破壊される』っていうネットの情報に影響を受けて、目をそらしていたのに。
 それからまだ二ヶ月。優司ゆうじはなんだか急に、その二ヶ月の間に、途方もなく長い旅をしてきたような気になった。
 「なあ……」
 と、ためらいがちに声をかけた。
 「なに?」
 さきらはまっすぐに目を向けたまま、小首をかしげた。
 優司ゆうじはそんなさきらに向かい、はっきりと尋ねた。
 「お前は……人間を憎んでいるのか?」
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