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その1

一成ゆうむの憤慨

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 「あたしは、おとなの言いなりになるために生まれてきたんじゃない!」
 一成ひとつなりゆうむがそう叫んだのは、学校帰りの道ばたでのこと。拳を突きあげ、目をきつく閉じ、顔中を口にしての決死の叫び。
 それはまさに絶叫。シュプレヒコールの見本として教科書に載りそうな姿だった。ちなみに『シュプレヒコール』というのはドイツ語で、デモや集会で自分たちの要求事項を一斉に叫ぶこと。
 えっ? だったら、ゆうむひとりで叫んでいたってシュプレヒコールにはならないって? ところが、なるんだな。だって、君も一緒に叫んだでしょう? 子供なら誰だって、一度は思うことだもの。
 一成ゆうむは小学生。のぞみ町にある神奈得かなえる小学校に通う五年生。いわゆる『どこにでもいる普通の女の子』。身長もスタイルも人並みだし、運動能力も平凡。かけっこでは小学五年間、下位に下がったことはないけれど、上位に上がったこともない。毎年まいとしクラスメートは替わるのに、自分の順位だけは決して変わることはないという筋金入りの平凡振り。成績は……これはまあ、平凡よりちょっと下かも知れない。
 ちなみに、自分ではそれなりの美少女のつもり。『自分では……』というのが問題で、では、周りの評価はどうかと言うと……まあ、これは言わぬが花というやつだろう。本人がそう思って自信をもっているならそれでいいじゃないか、うん。
 『一成ひとつなり』なんてめずらしい名字だけど、実はたいそうな由来があったりする。
 時は戦国、骨肉相食む争いの時代。かの有名な豊臣秀吉がまだ日吉丸を名乗っていた少年時代、食うや食わずの生活を送っていた頃のこと。腹が減りすぎて近くの農家からしっけいしたひとつのヒョウタン。それを食べて何とか飢えをしのいだあと、自分だけのヒョウタンをもちたくて、自分だけの隠れ家に種をコッソリ蒔いてみた。すると、たちまち大きくなって、あっという間に天を突くほど大きくなった。少年秀吉、大喜び。
 『これでいつでもヒョウタンが食べられる。もう腹を空かせてうろつかなくてもいいんだ!』
 ところがどっこい、そのヒョウタン、枝葉は大きく育ったけれど、肝心のヒョウタンはたったひとつしか実らなかった。ガックリ秀吉、ヒョウタンを蹴って罵詈雑言。つまり、悪口を言いまくったというわけだ。
 ところがこのたったひとつのヒョウタン、ただのヒョウタンじゃなかったから面白い。
 そのヒョウタンはどんどん育って、ついには人がなかに入れるぐらいに大きくなった。しかも、その色合いたるや輝くような真っ金色。これにはさしもの少年秀吉も腰を抜かした。
 『こいつはまさにヒョウタンの王さまにちがいない。たったひとつのヒョウタンでも、誰よりも大きく、誰よりも輝けば、王さまになれるんだ。よおし、自分だってこのヒョウタンみたいに誰よりも大きく、誰よりも輝く存在になるぞ!』
 と、一念発起。ヒョウタンを旗印に天下人への道を突き進んだという、まあ、なかなかにいいお話。
 で、このヒョウタンの植わっていた場所が『一成』と呼ばれるようになり、その辺一帯に住んでいた人たちも『一成』という名字を名乗るようになったというわけ。もちろん、本当かどうかなんてわかりはしない。ゆうむはもちろん、ゆうむの親だって、その親だって、さらにその親だって気にしちゃいない。ただ、いつの頃からかそんな話が伝わっていたという、それだけのお話。
 さて、その一成ゆうむ。何をプンスカ怒っていたのかというと、学校生活に憤懣やるかたなかったわけだな、これが。ちなみに『憤懣やるかたない』とは『憤り悩む』とか『怒りもだえる』とか、そう言う意味。
 えっ? 『怒りもだえる』って何だって? そう言うことはグーグルにでも聞いてくれ。とにかく、話を進めよう。必要なことは全部、ゆうむが言ってくれているのでそっちを聞いて。
 「居眠りしちゃダメ、遊んでちゃダメ、勉強しろ、宿題やれって、毎日まいにちそんなのばっかり! 何で自分のやりたいことだけやってちゃいけないのよ!」
 というのがゆうむの不満、そして、怒りの原因。誰だって人生で一度や二度はそう思う。君だっていつも思ってるでしょ?
 でも、たいていの人は思っても口にはしない。まして、シュプレヒコールよろしく拳を突き上げて叫んだりしない。だって、どうしようもないことだと思っているから。
 ところが、ゆうむはそうじゃない。黙っていたりなんかしない。腹の立つことは腹の立つことと拳を突き上げて叫びまくる。それがゆうむ。一成ゆうむ。ちなみにこういう態度、世間一般では『ワガママ』と言われる。普通はこういう態度でいると怒られるので注意して。
 さて、プリプリ怒りながら家に帰った一成ゆうむ。自分で玄関の鍵をあげて、なかに入る。居間の前を通りかかると深刻そうな両親の話し声がした。
 「……会長から何度も言われているのよ。いつまでも売れない本なんて書かせてないでうちで働かせろって」
 ゆうむママがそう言うと、ゆうむパパがあきれたように言い返した。
 「おいおい、いくら何でもそれは横暴すぎるだろう。そりゃあ、僕は売れない学者だし、収入なんて君の足元にも及ばない。それなのに、こうして一軒家に住んで安心して暮らせるのはたしかに輪釜わがま商会のおかげだよ。会長には感謝してるさ。でも、だからって他人に向かって、いまの仕事を辞めて自分の会社で働けなんて無茶すぎるよ。いくら何でも人権侵害だ」
 ゆうむパパの学者らしい冷静かつ論理的な反論に、ゆうむママは困ったように言い返す。
 「それはそうなんだけど……でも、他の仕事をしていた人たちはみんな、そう言われて輪釜商会に務めはじめているのよ。何しろ、この町は輪釜商会のおかげで成り立っているんだもの。逆らえないわ」
 望町はいわゆる企業城下町。輪釜商会以外にこれといった産業はなく、住んでいる人たちもほとんどが輪釜商会で働いている。もし、輪釜商会がなくなったらみんな、たちまち仕事を失い、暮らしていけなくなる。町そのものも潰れてしまう。
 だから、輪釜商会の会長はめっぽう偉い。とにかく偉い。どれぐらい偉いかと言うと、町長が全然、頭が上がらないぐらい。
 町長は四年に一度、選挙で選ばれるわけだけど、当選した町長が真っ先に向かうのが輪釜商会会長、輪釜わがまとおるのお屋敷。会長のお屋敷に行って何をするのかと言うと『これからも利便を図りますので町から出て行かないでください』とお願いするわけ。普通、こう言う関係って『癒着ゆちゃく』って言われて悪いことなんだけど、何しろ、この町、輪釜商会に出て行かれると成り立たないので仕方ない。
 背に腹は替えられない。
 金がなくっちゃ胃袋はふくれない。
 だから、町のみんなも会長と町長の癒着は知っているけど見て見ぬ振り。だって、そんなことを騒ぎ立てて仕事がなくなったら困るから。
 ゆうむママも輪釜商会で働いている。おかげで社員用の住宅に格安で住んでいられる。もし、輪釜商会をクビになったら出て行かなくちゃならない。そうするとたちまち生活に困ることになる。
 ゆうむパパは学者さん。普段は大学で学生相手に講義しているわけなんだけど、何しろ、助教授という立場なんで月給が安い。とにかく安い。泣きたくなるぐらい安い。
 ゆうむパパひとりの稼ぎじゃ、とてもじゃないけど一軒家で暮らすなんて無理。古くさいアパートの一室に身を寄せあって暮らすのがのがせいぜいのところ。数年に一度、研究結果をまとめて本にしているけど、まともに稼げたためしがない。何しろ、研究分野が中世ヨーロッパ文学なんて言うマイナーなものだからめったに売れない。売れないから一冊当たりの値段が高くなる。値段が高いからさらに売れなくなるという悪循環。下手をすると本を出しても経費の方が高く付いて赤字になりかねない。そんなわけで、最近では出版してくれる出版社を探すのも一苦労。いまの暮らしが成り立っているのはひとえにゆうむママが輪釜商会の社員として働いていればこそ。『売れない本なんて書かせてないで……』と言われるのも仕方ないと言えば仕方ない。しょせん、この世は金がすべて。稼いだ者勝ち。君も知ってる、それが真理。
 ゆうむママはつづけた。
 「それに、あたしだって、いつもいつも会長からそんなこと言われてたら肩身が狭いわ。小さい町なのよ。『会長に逆らってる』なんて評判になったら、どんな噂が立つか……」
 「そりゃ、君の立場も分かるけど……」
 と、ゆうむパパはたちまち気弱な声になる。それを聞いてゆうむはモヤモヤ。
 ――ああもう! パパったらママにはすぐに押し切られちゃうんだから! 一度ぐらい亭主らしいところを見せたらどうなのよ⁉
 部屋の外で娘が盗み聞きしているなどつゆ知らず、ゆうむママはさらに攻勢を強める。
 「それに、悪い話じゃないと思うわよ。このまま安月給で助教授なんてつづけていたって将来、教授になれる見込みなんてあるの?」
 「い、いや、それは……むずかしいかな、うん」
 最後の『うん』はたちまち消え入りそうなか細い声。視線を泳がし、冷や汗をかいている姿がはっきり浮かぶような情けない声だった。
 「何しろ、教授のポストなんて限られているし、教授を目指している人間はたくさんいるし、短期間ではっきりした成果を出さないと上には行けないから、僕みたいな地味な研究をしていては多分、一生……」
 「ほら、見なさい」
 と、ゆうむママの勝ち誇った声がする。ふん! とばかりに胸を張り、相手を見下す姿がはっきり見える。
 「教授になる見込みもないのに、いつまでもしがみついていたって仕方ないじゃない。あたし、貧乏はいやよ。狭苦しいアパートに住んで、スーパーのチラシを見比べて、一円でも安いところを探して買い物するなんてまっぴら。会長だって元・学者にふさわしいポストを用意するって言ってくれてるし、輪釜商会に務めれば、いまよりずっと稼げるわ」
 「そ、それはそうかも知れないけど……」
 と、ゆうむパパはオタオタ声。ドアにピッタリ耳を張り付けて聞いているゆうむは気が気じゃない。それでも、ゆうむパパは根性を振り絞って反論した。
 「でも、人の世は金がすべてじゃない。他にも大切なことはある。僕のしていることは人間が生み出してきた文化を研究し、後世に伝えるというもので、金にはならなくても文化的、精神的に大切な価値が……」
 「『金より大事なものがある』って言う台詞はね、稼いでいる人間が言うから格好いいの。稼いでいない人間が言ったらただの現実逃避よ」
 現実逃避。その一言に――。
 ゆうむパパは完全敗北。一撃必殺のアッパーカットを食らったように吹き飛んで、もはや、反論する気力も湧いてこない。ゆうむはたまらず部屋に飛び込んだ。叫んだ。
 「パパ! 学者さん、やめちゃうの⁉」
 「ゆ、ゆうむ⁉」
 突然の娘の乱入にゆうむパパは目を白黒。ゆうむママはきっと睨み付ける。
 「帰ってきたなら『ただいま』ぐらい言いなさい」
 「ただいま」
 と、わざとらしくそう言って、ゆうむはパパの方に向き直った。
 「パパ、子供の頃からずっと学者になりたかったんでしょ? それなのに、やめちゃうの⁉」
 「い、いや、それは……」
 「ゆうむ。これはおとなの話よ。子供が口を出すんじゃありません」
 「でも……!」
 「いいからさっさと勉強しなさい! 最近、ますます成績が落ちてるじゃない。そんなことじゃ将来、ろくなおとなになれないわよ」
 ピシャリとそう言ってシッシッと手を振ってみせる。野良犬でも追っ払うかのようなその態度にゆうむは頬をプウッとふくらませる。
 「ママのバカ! 大っきらい!」
 「こら、ゆうむ!」
 ママの怒鳴り声を背中に浴びて、ゆうむは自分の部屋に飛び込んだ。ランドセルを放り出し、ベッドの上に大の字に寝転がる。
 「何よ、ママのバカ! 二言目には『勉強しなさい、勉強しなさい』ってそればっかり。あたしは勉強するために生まれてきたんじゃないっていうの! パパもパパよ。やりたいことをやっているんだから、もっと堂々としていればいいのに、いつだってママに押し切られちゃうんだから」
 そうは言っても、ゆうむだって自分の部屋ももてないような貧乏暮らしはしたくない。
 はああ、と、ため息をついた。
 「おとなだからって好きなように生きられるわけじゃないんだなあ。どうして、自分のやりたいことだけやって生きてちゃいけないんだろ?」
 「聞いてみたら?」
 「誰によ?」
 「世界中の人によ。世界には頭のいい人がいっぱいいるんだもの。きっと、素敵な答えを返してくれる人はいるわ」
 「世界中の人にって、そんなことどうやったら……って、ええっ⁉」
 ゆうむはやっと気付いた。飛び起きた。自分ひとりしかいないはずの部屋のなかで一体、誰と話していたの⁉
 ゆうむのPCが輝いた。あまりのまぶしさに思わず目を覆った。光り輝くPCのなかから飛び出してきたもの、それは――。
 身長二〇センチほどの小さな妖精のような女の子。
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